投稿日:2008-04-22 Tue
「宮脇俊三を偲んで」シリーズで大夕張炭鉱跡を巡ったので、石炭について大雑派な話を書いてみる。石炭には「原料炭」と「一般炭」がある。「原料炭の価格が、3倍になった」という報道で、多少はお馴染みになった呼称かもしれない。
原料炭と言われても、何の原料になるのか判らない。この種の石炭を「蒸し焼き」にしてコークスを作り、鉄鉱石から鉄を作るときの「原料」になるからこう呼んでいる。一般炭はそれ以外の石炭ということで、なおさら判りにくい。
こういう言い方をするのは日本だけである。
原料炭はcoking coal 一般炭はsteam coal と呼ばれる。
coking coal はコークスになる石炭、steam coal は蒸気機関の燃料になる石炭という意味で、石炭が工業的に使い出された時からのネーミングである。
こちらのほうが直裁的で判りやすいと思う。
「コークス用炭」「蒸気用炭」では、有難味がないから日本だけ固有の名前にしたのだろうか。地震のP波とS波と同様、直訳の方が理解しやすい。とかく日本では、判りやすいネーミングにしては、学者や役人の「沽券」にかかわるのである。
原料炭の一番大切な性質は、酸素が入らないようにした状態で高温に加熱してコークスにする時、石炭粒子がお互いにくっいて塊になる事である。熔けると言っても過言ではない。一般炭にはこのように性質はない。これは、コークス製造時にも、製鉄時にも非常に重要な性質である。
サンドイッチを思い浮かべていただきたい。「食パン」が加熱板で「具」が石炭である。「具」の部分の大きさは高さ約5〜10メートル、奥行き約10〜15メートルだが、厚さは0.4〜0.6メートル程度にすぎない。厚さを大きくすると熱が伝わりにくく、均一に高温に出来ないからだ。「食パン」は耐火煉瓦を積んで作られ、中は空洞でガスが熱源になっている。
石炭は上から投入され、蓋を閉めて空気の流入を防ぎ、900〜1200℃に加熱される。実際のコークス炉は熱効率の点から「サンドイッチ」は1セットではなく、20にも30も「食パン」と「具」が交互に連なっている。
加熱していくと熱分解が始まり、ガスやコールタールの蒸気が出てくる。このガスを燃やして熱源にするが、余るのでガスとして売る。これが都市ガス事業の始まりであった。
石炭粒子は膨張して、お互いにくっ付き、壁の間で「羊羹」が出来上がっていく。この膨張圧が大きすぎると、壁を破壊してしまう。弱すぎると塊にならない。
24時間前後加熱したすとガスが出終わり、コークスが出来る。
塊は収縮していて煉瓦の壁から離れる。
プッシャーと呼ばれる巨大なトコロテン押し出し器で、コークスの塊を水平に押し出す。
この時もし塊具合が悪いと、砂を押すのと同じで圧力が両側の壁に掛かって炉が破壊される。また収縮率が低いと炉の壁に引っかかって押し出せなくなる。
プッシャーの反対側は貨車が来て、塊が崩れながら、落ちてくるのを受け、水を掛けて急冷する。塊が崩れなければ納まり切れず、押し出しが出来なくなる。
固まりかたは強過ぎても、弱過ぎてもいけない。コークス製造プロセスは原料炭の性質によって成り立っている。一種類の石炭ではうまく行かないから、数〜十種類の石炭を混ぜる(配合と呼ばれる。ノウハウである)。
何故、こんな手間を掛けてコークスを作るのか。
刀等の武具や道具を手作業で作っていた頃は、木炭を使っていた。
高炉でコークスは、熱源、空気の通り道、溶けた鉄の流れ道、還元(酸化物である鉄鉱石から、酸素を奪い二酸化炭素となる)のための炭素源という4つの役目を果たす。自ら燃えつつも、崩れて隙間を埋めてしまってはいけない。
木炭では強度が保たないし、火力がコークスに比べて弱いため、体積的に多く入れねばならない。コークスは偶然、土の中で石炭が燃えて「炭」になっているのが発見された。使ってみると具合がよく、鉄の生産性が飛躍的に高まり、「原料炭」の採掘が世界的規模で始まった。
さて、夕張炭(北炭夕張新炭、大夕張炭、南大夕張炭も含めて)の原料炭としての「性能」で、世界に類を見ない面を持っていた。
石炭は炭化度によってランク付けされている。褐炭→瀝青炭→無煙炭とラング上がる程炭化度が高く、炭素の含有率が高い。原料炭は炭化度が高くても低くてもだめで、瀝青炭程度の石炭が良い。原料炭には粘結性というランクが適用される。微粘結炭→弱粘結炭→強粘結炭とランクが上がる程固化性が良い。
夕張炭は弱粘結炭である。単独でコークスにしてもあまり良いコークスにはならない。しかし、他の石炭と「配合」した時に、高密度で大きな塊(体積当たりの火力が強い)に特色がある。また、強粘結炭の中には膨張圧が強すぎて、単独では炉を壊してしまう石炭もある。こんな石炭も夕張炭を混ぜると品質の良いコークスになる。
流動性という指標がある。コークスになっていく過程での粘度を測定するのだが、夕張炭はコークスになる直前まで高い流動性を保っている。だから粒子の隙間を埋めて、粒子の接触面積を大きくする性質が高い。平たく言うと、他の石炭と「良く馴染み」、「糊」としての性能が非常に高い。名脇役なのである。
投稿日:2008-03-06 Thu
大阪六低山というのがある。天保山をはじめとする、山と言う地名が付いているが標高が非常に低いものを指す。先日の真田山もその一つである。「今日は青空、お散歩日和り」ではないが、近くの「低山」を散策することにした。
聖天山は阿倍野区と西成区の境にある。何となく由緒正しそうな名前であるが、古墳があったと言われるだけで、確たる由来は見あたらない。近くに「晴明」小学校というのもある。阿倍野というのは安倍晴明の荘園であったから、地名として残っているのであろう。

松虫通りの歩道からすぐに、正圓寺への参道が始まる。

あっというまに、「山頂」の正圓寺に着いてしまう。以前は一帯に、ブールーシートのホームレス小屋が並んでいたが、今は全て撤去されている。

この「山」がどれくらい高いかというと、ここは表参道であるが、この程度である。
次に大正区の昭和山に向かう。
ここは、地下鉄工事で出てきた土を盛ったもので、天保山と同様に出来た元号を銘々てしている。

千鳥公園そのものが、盛り土で出来ているが、その真ん中に一段高いところがある。

ここが昭和山の「頂」らしいが、看板も何も無い。標高33Mだが、木立が伸びすぎて眺望が開けない。
投稿日:2008-03-04 Tue
JR鶴橋駅と玉造駅の中間、玉造筋を西へ入ると、一体が小高い丘になってる。真田山である。北側が宰相山公園、南側が真田山公園になっている。宰相山公園の東端に三光神社がある。

小松左京がよく小説に書いていた、真田の抜け穴が在る神社だ。

鳥居の脇にいきなり「国家安康」の文字が。徳川方の言いがかりで、大阪夏の陣に至ったあの熟語である。


境内は、思ったより広い。

本殿の下に真田幸村の像、その向こうに「抜け穴」蹟があった。抜け穴の奥は殆どなく、全く埋め立てられている。小松左京の小説のように、タイムスリップを思い浮かべる縁なぞない。

神社の裏手へ階段を上がっていくと、「陸軍省所轄地」の石柱がある。真田山陸軍墓地である。


その向こうは、夥しい数の墓石が並んでいる。明治時代のものが多く、兵卒ばかりで、将校はおろか下士官のものすらない。石柱付近は明治十年が多かった。西南の役の年だ。軍従夫とあるのは軍属のものだろう。出身も関西とは限らず、東京地方の軍団名が入っているものもある。徴兵制度維持の為に、故郷に墓を建てられなかった一兵卒・軍属をも手厚く葬ったということなのだろう。ここには、まだ「富国強兵」の空気が澱んでいるかのようだ。
花入れはあるが、お参りされている様子はない。無縁仏ばかりである。大都市の真ん中にこんな風景が残っているのは、異様と言うしかない。


墓地を南へ抜けると、石畳で舗装された明るい坂道に出てほっとした。
道の南側は真田山スポーツ公園で、テニスコートやプール、アイスホッケー場がある。
投稿日:2008-02-26 Tue

「酒場放浪記」は、月の初めの一週間だけ新作で、以降は2年ほど前のリピートである。
リピート放送の中で先週の木、金からネクタイ姿の吉田類が見られる。
昨日も同じスタイル。今週は5本ともネクタイ姿が見られるかもしれない。
放送は週に5日だが、15分番組だから同じ日数をかけて収録することはない。これまではカジュアルなスタイルだから、同じ服装で2日ぐらいに分けて撮るのかと思っていた。しかし同じカッターシャツを着ているとなると、1日ということもあり得る。番組の最後には「あともう2〜3軒」などと言って去っていくが、案外本根かもしれない。好きな酒がタダで飲めるといっても、5軒ハシゴとなると、かなりきついだろう。
投稿日:2008-01-05 Sat
還暦を迎えて、気になるのは自身の健康である。平均寿命は延びているが、自分で自由にどこでも動き回れる「健康寿命」はそう長くはない。
最近、年寄りが都会の真ん中の高層マンションに住むという。医療のことを考えての事だという。しかし、本当に病院は大丈夫なのだろうか。
スタッフ不足で、夜勤明けのまま勤務する24時間勤務が常態化していると聞く。
疲れればミスが出る可能性は高まるし、高度医療の開発や研修に打ち込む余裕もなくなる。
シンドイ大病院の勤務医を辞めて、開業医になろうとするのは人情であろう。
これを助長しているのが「強制」保険システムである。
名医が手がけようが、藪医者がやろうが、同じ診療行為には同じ報酬しか支払われない。
開業医は自分の手に負えなければ、放り出しても良い事になっている。
事実、私自身、会社を休まねばならない程の不定愁訴に悩まされて、近所の開業医へ行ったことがある。いろいろ検査を外注してくれたが、最後に「私には原因は判りません」で終わり。それでも治療費は健康保険からキチンと支払われた。
会社で言えば、能率的にテキパキ仕事を片付けて定時に帰る社員より、ダラダラと残業を続けて成果の上がらない社員のほうが、残業代で得をするのに似ている。
これでは近い将来、マニュアルのない難病は、高い金を用意して自由診療のアメリカへでも渡らないと治療できない事態も起こりうる。
実は、小生の母は治療法の確立されていないパーキンソン病で亡くなった。その妹である叔母も昨年同じ病気で亡くなった。直接遺伝的要因は無いと言われているが、気休めにしかしていない。
これまでは、企業の手厚い定期検査システムで、「難」を逃れていただけだったのかもしれない。今後は、「予兆」があればいろんな可能性を想定して、紹介状不要の小病院の担当医にまずはチェックしてもらうしかあるまい。
団塊の世代であろうとなかろうと、自分の始末は自分でつけなくっちゃいけない。
なんで、こんな事を書く気になったかというと、昨日の年賀状の書き手から返事を貰った。
視点は若干違うかもしれないが、彼から添付されてきた新聞記事を掲載しておく。
![20061101大[1]..-1](http://blog-imgs-16.fc2.com/f/u/g/fugaku2/20080105094926s.jpg)
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