007世代

2016年09月14日 07:09



半世紀前、私が中学から高校に上がる頃に、ビートルズと加山雄三と007が一挙に出現した。

その007をゴルゴ13のさいとうたかおが劇画化していた。
1964年に「死ぬのは奴らだ」「サンダーボール作戦」「女王陛下の007」「黄金銃を持つ男」の4作品を書いている。
日本では同年に映画第2作の「ロシアより愛をこめて」が公開され、シリーズ全作の翻訳がやっと出揃ったところだった。

看板のゴルゴシリーズは4年後の1968年に第一作が発表される。
貸本専門の作家から雑誌に足を移した頃だった。

更にこの後0011ナポレオンソロシリーズも劇画化している。
0011シリーズは古本屋で入手したが、007シリーズは古書店でも見かけなくなって久しい幻の作品だった。

昨年12月に復刻されたことを遅まきながら知った。

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ゴルゴよりずっと甘い顔で、佐藤まさあきの「影男」(判る人は殆どいないだろうが)に似ている。


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原作の内容は知っていたらしいが、ストーリーは別途組み立てたオリジナルになっている。
発表誌が中学生を対象としていた為なのだろうか、「青年」ボンドがやたら格好をつけるのと、ご都合主義のストーリー展開が目につく。
ま、あの頃の漫画や少年向け読み物は押並べてこういう調子だったが。




真田太平記から真田丸まで

2016年06月10日 09:56



池波正太郎作「真田太平記」は1982年に9年に及ぶ「週刊朝日」への連載を完了した。

久しぶりの大河小説だった。
2段組900ページのハードカバーで全3巻は寝転んで読むには少々重すぎた。

歴史小説は結末が判っているが、真田太平記は一気に読んでしまう面白さがあった。
これを原作とするNHKの大河ドラマが、85-86年に創られていて、現在CSで全45話が何度目かの再放送されている。
一方同じテーマで、今年の大河ドラマ「真田丸」が好評放送中である。

以前の大河ドラマ「真田太平記」は原作にほぼ忠実なドラマ化だった。
「真田丸」はオリジナル脚本だが、ストーリーの展開はほぼ同じで、下敷きにしているのは間違いない。
まあ同じ史実に沿った物語だから変えようがないのかもしれない



85-86年のドラマでは昌幸に丹波哲郎、信之に渡瀬恒彦、幸村は草刈正雄、秀吉に長門裕之、昌幸の妻に小山明子。
これ以外に架空の人物が登場する。
草の者として、お江を遥くらら、向井佐助(猿飛佐助を彷彿とさせる)を10数年後に毛利元就を主演する中村橋之助、頭領の壺谷又五郎を夏木勲が演っていた。
他に信之、幸村の腹違いの弟(実は偽りだったが)樋口角兵衛(ドラマでは榎本孝明)、滝川一益の孫の滝川三九郎等々登場人物が極めて多い。
当時の大河ドラマらしく豪華なキャストだった。

原作の複雑なストーリーを紹介するのは厄介だが、一言でいうと、2人の兄弟がいて片方は若くして戦死してしまった物語である。
これに3人目の主人公として架空の人物、お江が絡んでくる。これは信之、幸村を食ってしまう程出番が多い。
この草の者の女キャラを使って、原作者は歴史の影のストーリーを自在に紡いで物語を膨らませていく。
お江が、単身戦場で家康暗殺を謀るように、真田太平記の忍者は自分の考えで行動する。
それが他の草の者とは違う、よりヒューマンなのだと池波正太郎は何度も繰り返す。





「真田丸」は面白い。
1回完結の連作短編集を見ているようだ。コミカルにさえ感じる。
実在の人物でも、史料が少なければ自由度なキャラクターを与えて、ストーリーに組み込んでいける。
真田家では昌幸の時代までの史料が少ない。徳川幕府が意図的に事跡を消し去ったのかもしれない。
叔父の真田信尹が昌幸に劣らぬ策士だったりと、真田丸ではそれを巧みに利用している。
却って自由にストーリーを組み立て易くなっている。

真田丸では、寺島進演ずる出浦昌相が忍者の頭領として登場する位で、個々の草の者はこれまで登場していないのが大きな違いだ。
真田太平記から人間ドラマの要素をそれだけ欠く事になる。
コミカルで毎回盛り上がりがあるが緊張感は少なく、ロールプレイングゲームのムービーを見ているような印象を与える要因なのかもしれない。

真田丸での防御戦は大坂冬の陣での幸村を一挙に有名するが、史実では戦闘の2週間後には和議に入ってしまう。
クライマックスは夏の陣での家康を追い詰めた戦闘になる。
そうすると主眼は真田丸ではなくて、幸村になってしまう。
これをどう捌くか、三谷幸喜の腕の見せどころかもしれない。





小説のラスト近く、登場人物のその後を書いて締めくくる段がある。
母や妹への思慕を押し隠して黙々と任務をこなしてきた向井佐助が、大坂夏の陣で重傷を負い、母が縫った子袖袖を形見に残して死んでいく様子が描かれる。
同じような歳で死んでいった「あいつ」と重なってしまい、読み進むのが辛くなってしまった。

それだけ、この小説が読む者を没入させる力を持っているという事なのだろう。





桑名正子著「女のアトリエ」~パリから見た日本とフランス

2015年07月24日 09:48



『桑名正子画伯は壬生川の人』の桑名さんが、エッセイを出していた。
新刊では無くて1994年の出版だが、Amazonで簡単に入手できた。

どんなエッセイか。
女史曰く。

パリは素晴らしい、汲めどもつきぬ深みのある素敵な所だ、あるいはフランス人はこういうふうに生活している、というようなエッセーは書きたくない。
パリに住む日本人は山ほどいるが、滞在が長いほど日本との縁が切れてしまい、フランス生活の感覚もマンネリ化して、
新鮮な切り口でフランスを見る事がむつかしくなってくる。
一方、自分は1年半毎に個展のため帰国して、3ヶ月近く日本に滞在する。
この繰り返しなので、問題意識も、フランス人を見る感覚も新鮮なままでいられる。

『18年余のパリ生活の中で出会った事、見た事、そしてその底に流れる本質的な意味でフランス人と日本人の違いはとはなんだろう。
これを日本人にとって最もピンとくる形で書いてみたい』




第2章「男と女の構図」の冒頭に置かれた「BBのその後」を例にとってみよう。
(「BB」というのはブリジット・バルドーというフランスの大女優の事。)
BBが50才を過ぎて初めてテレビ出演した時には、フランス中が大騒ぎした。
彼らは美醜・年齢と関係なく、BBを受け入れセックスシンボルとして憧れている。
BBやMM(マリリン・モンロー)はセックスシンボルだが、吉永小百合はそうではない。
ここから日仏の女性観の違いを切り出していく。

「日本は女性に対する文化的拘束が強く、枠にはまった女性像が確固としてある」
「彼等は女性を、熱い血が騒ぐこともある、性の異なる生き物としてとらえている」
ふむふむ、これは大議論になる。
「ほんでー」と次を読みたくなる。

文章は歯切れが良く、視点はシャープだ。
頭のいい人だなと思う。




本が出版されて19年経つ。その間に日本も変わった。
「32才でオバサン」や、結婚して子供を持てば「専業主婦」というような概念は崩れてきている。
このエッセイは『長年月かかって仕込んだタネを、じっくり寝かせ熟成させたエッセンス』であるが、
20年経ったので、次の仕込みと熟成ができて上がっているのではないか。第2作を期待したい。




閑話休題。
フランス人の女性観は本当に進歩的なのか?
『つれている女を見れば男の価値がわかる』
これは女は男の従属物という潜在意識なのではないか。
大昔に「進化」しただけに、中世的な保守性も多く残しているのではないか、と天邪鬼が首をもたげる。






「沙漠の魔王」完全復刻版が届いた

2012年08月10日 13:31

HMVから発売日の今日届いた。

「冒険王」に連載れさていた時分に飛び飛びに読んでいた。最後まで読みたいと思っていたが、全巻揃いは古書市で100万もの値が付いていて、とても入手てきる代物ではなかった。
「復刊ドットコム」への投票も参加したが、復刊の目途の100票を超えても一向にその兆しが無かった。
橋下がつぶした国際児童文学館で、何冊かのオリジナルを見られたのを眼福としていた。

それがとうとう我が家にやってきた。

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カートンボックス入り全10巻



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発色はオリジナルと同じで、紙質はオリジナルより遙かに上質。やや黄ばんだ地色になっている。原版は既に無いので、状態の良い合本から写真復刻したのだろう。

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双六(裏にもあり)

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合本には入らなかった雑誌掲載時の扉画集

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凧にカレンダー
と付録も復刻されているのは嬉しい。


「ジャーロ」というミステリー誌

2012年06月24日 14:04

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「EQ」という隔月刊の翻訳ミステリー誌の後を受け、2000年冬号から季刊として光分社から発刊された。

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翻訳ミステリー誌の歴史は古く、早川書房が1956年に月刊誌「エラリークィーンズ・ミステリマガジン」を発刊した。誌名から判るように米国の同名誌と特約を結んで、その翻訳作品を独占的に掲載していた。

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英国のヒッチコックマガジンと契約していた「マンハント」という雑誌もあった。



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しかし1966年に「ミステリマガジン」に改正し、1977年には本家「エラリークィーンズ・ミステリマガジン」との特約も解消してしまった。現在は「ハヤカワ・ミステリマガジン」になっている。
この切れた特約を光文社が取って、前記の「EQ」を創刊した。早川書房の轍を踏むまいとしてか、当初から翻訳ものと日本人作家の2本立てだった。
しかし当初から隔月刊だった事もあり、特約料が重荷であり、季刊誌へと縮小したのがジャーロだった。
21号の2005年秋号からは更に縮小されて、日本人作家だけのミステリ誌に変わった。

私もミステリーには翻訳物から入ったが、だんだんと邦人作品のほうがしっくり来るようになり、この変化は望む所であった。
しかし昨今の掲載作品の対象年齢低下について行けず、とうとう36号で定期購読を打ち切った。


柴田よしき、若竹七海、歌野晶午、近藤史恵等の作品には、この雑誌が無かったら出会っていなかっただろう。また「EQ」から継続して連載されていた高橋克彦の「新フェイク」が、いつの間にか途切れてしまったのは残念である。作家の創作意欲が無くなってしまったのなら仕方ないが。

図書館に40号以降が蔵書されている事を知り、借りてみた。
年3冊体勢へと更に縮小され、風前の灯火状態になっている。
薄っぺらになったジャーロの中で、門井慶喜の「小説あります」と道尾秀介の「光」の2作は最早ミステリではなく優れた長編小説だった。


沙漠の魔王 完全復刻

2012年05月24日 07:30

時々、当サイトへのアクセスキーワードを見る。
「砂漠の魔王(沙漠の魔王)」は以前から毎月ある程度の数がある。
「砂漠の魔王」のオリジナルを手に取る等で、何度か取り上げてきたからだろう。

しかし今月は異常に多いので、その内の「砂漠の魔王 復刻」でグーグルを検索してみたら・・・
ビンゴ。「沙漠の魔王」完全復刻へ

遂に、当時の出版元の秋田書店が単行本未収録部分を加え、全9巻を事前予約販売で復刻するという。
1万7850円だが、古本市場ではその100倍もの値段なのだから決して高くはない。

「復刊ドットコム」へ復刊希望の投票をしてきたが、復刊の目安になる100票は何年も前に超えているのに、一向に動く気配がなかった。原版を提供しようという人はあるのに、どうしてなんだと催促のメールも送った。

災い差転じて福となす。今度はコピー綴じではなく、本物のカラー印刷(といっても原版は4色刷だが)で見られる。

半世紀を経て福島鉄次の傑作に再会できる。8月10日が待ち遠しい。

秋田書店のHP


「目白三平 駅弁物語」

2011年11月16日 15:36

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白土三平は知ってるが、目白って?という人が多いだろう。
昭和30~40年代に流行した、ペンネームと同名の主人公が登場するサラリーマン小説で人気を博した作家で、本名を中村武志という。

事の起こりは宮脇さんの「鉄道が好き」だった。
内田百間の「阿呆列車」の随伴者として登場するヒマラヤ山系こと平山三郎氏の小品「でさえ」、「鉄道が好き」に収められている。なのに、百間の弟子であり、平山氏の国鉄での上司で作中では百から「見送亭夢袋」(見送りばかりなので)と呼ばれた、この人の作品が何故入っていないのか。仲が悪かったという話も出てこない。それで、国鉄マンと作家という二足の草鞋を履き通した目白三平が、鉄道に関してどんな事を書いているのか読んでみたくなった。

タイトルは「駅弁物語」になっているけれども、駅弁に関するエッセイは2割程度で、その後に続く「旅先の変わった話」「旅先の食べのも」「旅先で一言」という3部のエッセイ集がメインコンテンツになっている。
書かれたのは昭和40年代で、宮脇さんの頃より10年ほど前の高度成長期の「旅」が描かれている。観光地はどこもごったがえしているし、大きなホテル・旅館は団体さんで満杯という、今では考えられない状況がベースになっている。宮脇さんの著作で言えば「汽車との散歩」や「旅は自由席」のようなエッセイ集である。

6つの仏壇と暮らす飲み屋の女将を書いた「心身ともに冷えた沢渡りの夜」には、「渋川から長野原線に乗り中之条まで行き-中略-途中、近くの吾妻川沿いにある関東の耶馬溪といわれる渓谷美をほこる川原湯温泉が、近くダム工事のため湖底に沈むことになると聞かされた」という一文がある。昭和45年から50年にかけての「時刻表」への連載が初出だから、以来40年もの間『近く湖底に沈む』という状態がいまだに続いている。
ちなみに、この頃はまだ大前まで開通していなくて、吾妻線でなく長野原線だった。


目白三平がどうして「鉄道が好き」に採り上げられなかった。
宮脇さんの作品と比較すると、何時どんな列車に乗ったのかという記述が無い。
それだけで「旅」はあっても「鉄道」は無いという事になるのだろうか。

他に鉄道関係では「目白三平 鉄道物語」という著作もあって、横浜・新橋の鉄道開通から百周年を記念して、明治初年から新幹線開通までをエピソードで俯瞰するという、国鉄博物史のような内容になっている。


何故採り上げなかったのか、答えは出なかったけれども、この目白三平や、「大番」の獅子文六、「河内風土記」の今東光、源氏鶏太といった同時代の作家の作品を読んでみたいと思うようになった。

いとせめて

2011年10月24日 15:01

小松左京の「女シリーズ」の中に「待つ女」という作品がある。

その中で、
昔、女学校の寮で寝巻きをわざと裏返しに着て、『いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る』という歌を三度唱えて寝ると、好きな人、恋しい人の夢が見られる、というまじないが流行ったという件がある。
彼女らの間では「"いとせめて・・・"ですか?」で通じている。

永年、小松左京の法螺だと思っていた。


最近、田辺聖子(あの文体に馴染めず、これまで未読だった)の「小町盛衰抄」を読んで、

小野小町の「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る」
『古今集』恋歌の中でも絶唱である。
衣を返して着て寝ると、思う人を夢にみるという俗信があったという説明がされている。

という記述に出遭った。


試みにネットで「いとせめて」を検索してみると、

『万葉集』に「袖を返して寝て夢を見る」という歌がある」とあり、
この小町の歌では "返してぞきる" となっているので、袖だけではなく衣全体を裏返していると考えられる。俗信・おまじないの類はどんなものがあっても不思議ではないが、「袖を折り返すぐらいなら、いっそ全部を裏返しに着た方が効果があるのではないか、独り寝の夜は誰が見ているわけでもないのだから」という発想と見ても面白いような気がする。

とある。


ルーツを探れば、万葉の時代にまで遡る「由緒」正しい「まじない」だったのか。
ただ小松左京はこの歌を素姓法師の作としている。
古今集では小野小町のこの歌の次に、素性法師の歌が並んでいるので作者を取り違えたのだろう。法螺ではなくとも、小耳に挟んだ位の話だったと思われる。


ちなみにカミさんにこの話をしてみたら、「そんなもん知らん」という予想通りの答えが返ってきた。



宮脇俊三編「鉄道が好き」

2011年10月11日 15:15

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まだ読んでいない「宮脇本」があった。

昭和60年刊の文庫本で、集英社の日本名作シリーズの内の一冊。Amazonで新品同様の中古本が1円(但し送料250円)で入手できた。
表紙には宮脇俊三・選とあるが、実際には作品の選択から著者への依頼まで「中央公論社の名編集者宮脇俊三」が取り仕切っている。
編集後記に「私が欲したのは、『文学にあらわれた鉄道』ではなく、『鉄道に惚れた人たち』を一堂に会させてみたいということであった。」と書いているように、内田百間に始まり国鉄職員、教授・教諭、判事、会社役員、イラストレイターと多種多彩のテッチャンによる40作品が集められている。
私が知っていたのは、内田百間、阿川弘之、種村直樹以外では、音楽評論家の堀内敬三、北杜夫の実兄斉藤茂太、廃線跡歩きの堀淳一、鉄道写真の神様広田尚敬、「最長片道切符11195.7キロ」の原口隆行ぐらいだった。百間の阿房列車に登場する「ヒマラヤ山系」こと平山三郎氏も入っている。

作品の分類・章立てが無意味なので単純に「年齢順」に並べたとあるが、1889年生まれの内田百間から1949年の松尾定行氏まで40作品の20番目に1926年生まれの宮脇さんの作品(「時刻表2万キロ」から左沢線・長井線・赤谷線・魚沼線)が入っている。
丁度真ん中に自身の作品が来ているのは偶然だろうか。
著者略歴では、生没年、出生地、学歴、職業、主な作品が全員「公平」に、2行に纏めて書かれている。東大卒が11人と最多数を占めているのは、同窓の誼で依頼しやすかった為だろうが、ご自身がこれまた真ん中の6人目になっている。ここまで来ると、自分の「前」と「後」を俯瞰するという意図を強く感ずる。こんな芸当が出来るのは、相当数の作品を集めて、その中から厳選したからだろう。まさに「珠玉」のアンソロジーである。



少々長いけれど、収録作品中のエピソードを一つ引用しておきたい。

万年車掌とミズバショウと花嫁と~壇上完爾「みちのくローカル線の春」より

私と同期の車掌であったTは、その日、上り貨物四六列車に宮古から乗務した。暦では春
を迎えていたが、横なぐりの吹雪であった。大志田駅で下り貨物列車と交換のため緩急車
(車掌車)からホームヘおり立った。あたりはすでに夕闇に閉ざされていた。そのとき雪を
かきわけるようにして、黒い影が転げるように近づいてきた。角巻をかぶった女性だった。
「車掌さんっ、お願いす。盛岡まで乗せてけろっ」
 彼女の背に赤ん坊がくくりつけられていた。
「子供のあんべぃがわるくてよ、はやぐ盛岡の病院さいがねば……」
 女性の背で赤ん坊の顔があえいでいた。
「だども、これ貨物列車だっす。お客は乗せてはならねぇのしゃ」
「つぎの上り列車まで三時間もあるのっしゃ、これに乗らねば、この子は……」
 彼女は雪のホームにひざまずくと、食い入るような目でTを見つめた。まばたきもしなか
った。Tは緩急車のドアをあけた。貨物匹六列車は発車した。赤ん坊は母親の背でぐったり
していた。
 (ひょっとしたら……)
Tの頭を不吉な予感が走った。万一、車内で取り返しのつかないことが起こったら……。
つぎの上米内駅は通過だった。通過監視のためドアをあけたとき、列車はポイントを渡っ
た。緩急車は大きく横揺れすると、子供を背からおろしかけていた母親の足もとをすくった。
思わず身がまえたTの腕をすり抜け、親子はもんどり打つようにドアから転げ落ちていった。
 T車掌が業務上過失致傷に問われたのは、それからまもなくのことだった。
 さいわい、親子の命はたすかった。深い雪が衝撃をやわらげたのだった。しかし、子供の
右足は複雑骨折で、もとどおりにはならなかった。
 それと同様に、Tは車掌として、致命的な焙印を背負うことになった。一般客を貨物列車
に乗車させたうえ、不注意にも転落させてしまったという過失は、弁解の余地がなかった。
それでも当時の経緯から情状酌量され、ふたたび車掌として乗務することは許されたが、
Tの前途はこの思いがけぬ事故によって閉ざされてしまった。
 それから二年がたった。その日もTは山田線に乗務していた。大志田駅が近づき、緩急車
の窓からなにげなく外の景色に目をやった。新緑の季節を迎えていた。カラマツの新芽が萌
えていた。根方ではミズバショウが、ひっそりと純白の花をひらいていた。
 人家らしい人家はなく、新緑の山並みがつづくばかりだった。その山懐にしがみつくよう
に、一軒の藁葺き屋根が見えた。庭先で女の子がひとり遊んでいた。子供は列車が近づくと、
こちらに向かって手を振りながら走り出した。足を引きずっていた。Tは、はっと息をのん
だ。
 それ以来、Tは山田線に乗務するたびに、その家を見つめるようになった。庭先の洗濯物
が、年を経るごとに成長していった。子供服からセーラー服になり、はなやかなワンピース
になっていった。すでに二十数年もの歳月が過ぎていた。Tの目もとのしわも深くなってい
た。だが、左腕の腕章の文字は、相かわらずの「車掌」であった。若い後輩たちは、かげで
Tを「万年車掌」と呼んでいた。それでもTは黙々と乗務をつづけていた。
 また二、三年がたった。山田線は蒸気機関車の牽く列車から気動車にかわっていた。
 その日も新緑の萌える日だった。ミズバショウが咲いていた。Tの乗務する気動車が大志
田駅に着いた。いつもは数人の客しかいないホームがざわめいていた。人垣の間から純白の
綿帽子が、ひときわ鮮やかにTの目をひきつけた。
「ほう、花嫁さんか……」
 Tがホームに立ったとき、花嫁と視線が合った。Tはそのまま立ちすくんだ。母親らしい
中年の婦人が、花嫁の手を支えていた。花嫁は裾模様の足もとに気を配りながら、ゆっくり
と歩を運んでいた。右足を引きずっていた。そして力強くステップを踏むと気動車に乗り込
んだ。
 Tの姿が山田線から見られなくなったのは、翌年の三月末からだった。定年退職の日まで、
Tは車掌であった。その年も雪は深く、四月を過ぎても、ミズバショウは春を待ちわびるよ
うに、雪の下で眠っていた。


センチメンタルかもしれないが、常に他人に責任を転嫁しようとする今の世の中には無い優しさが、登場人物ばかりでなく描く人の心の中にもあった。


「時刻表地図から消えた街」~福田宏年

2011年08月12日 15:32

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何やら曰わくありげなタイトルに惹かれて買ったが、ずっと「積ん読」になっていた。
昭和56年の初版本で、「'81年12月の新刊」という集英社文庫の案内が挟まっていたから、出たてで平積みになっていのを買ったのだろう。以来30年間本棚の肥やしになっていた。

取りだしてみる気になったのは福田宏年という名に覚えがあったからだ。
調べてみると宮脇さんの「時刻表おくのほそ道」で解説を書いていた。
汽車ポッポの旅行作家ではなく登山やドイツ文学の研究で有名な方だったようで、学生時代お世話になった大独和辞典の相良守峰のお弟子さんだった。

タイトルからすると廃線になった駅のある町の訪問記と思ってしまうが、第2回(「旅」に1年間連載)のタイトルがそのまま本のタイトルになっている。
「綾」(あや)という街が時刻表のバス路線地図には載っているのに、巻末の時刻表には無い。この事を指摘されたJTBが路線図から削除した。その綾へ言ってみようという話だった。広尾や熱塩という今では消えた駅(当時はバリバリの終着駅だった)への旅行記もあるから、まあよしとしよう。ちなみに現在の時刻表では綾行きのバス路線が「復活」している。当時も時刻表に載らなくてもバスは走っていた。このタイトルは編集者が悪知恵を働かせたのだろうか。

目的の街に着くと酒を飲んで数日間逗留する。歩き廻った跡は漫画的なイラストで説明される。
元々辺鄙な場所を選んでいるが、単なる物見遊山の旅ではない。
宇和島の先、城辺では旧制高校の悪友が辿ったであろう遍路道に友の影を重ね、広尾では山岳事故で亡くなった学生の遺族を訪ねる。
現在の画一化された街と違った濃い地方色が描かれると共に、著者の人生と世界観が浮かび上がる。

大竹は学徒動員先だった。投下直後の広島の地獄を彷徨った記憶が生々しく描かれている。
『「原爆許すまじ」という歌がある。私はあの歌が嫌いである。唄っているのを聴くと、怒りが衝き上げてくるのを覚える。あれほどの悲惨を小綺麗でセンチメンタルな歌にまとめて、心理的な玩具にしているが、どうにも許し難いのである。』

この人がもし、現在のクソ菅から市井のプロガーに至るまでのヒステリックで短絡的な反原発の言動を見聞していたら、どんな見解を述べただろうか。「千年に一度の大津波と原発事故を一緒くたのイメージにまとめて、言論の玩具にしているのが、どうにも許し難いのである」とでも言っただろうか。