西国33箇所 その6 後編 第30番 巌金山宝厳~只今工事中

2015年10月10日 01:42



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唐門と観音堂は、「平成30年」まで屋根の茅の葺き替え等の補修工事が行われている。
外からは全く見えないよ。
おいおい、この写真をHPに貼って置いてくれたら無駄足を踏まずに済んだのに。
ま、貼っていたら客足は激減するだろうな。



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国宝「唐門」の扉。

豊国廟にあったのを移築したとされているが、更にその前は大坂城にあった事が最近になって判った。
秀吉時代の大坂城の唯一の遺構という事になる。


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唐門とその直後の観音堂は独立している。
ここからは観音堂。


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本当の本尊は出していない。これは身代わりの本尊。

ここで問題発生。
ここでは、ご朱印はもらえない。
上の弁財天の横で、弁財天と観音の両方の分をやっているという。

やれやれ、またあの石段を上るのか。

そりゃ、書き手は一箇所に集めて置いた方が効率が良い。けどな・・・・・。



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唐門、観音堂、舟廊下は秀頼が片桐且元に命じて、移築させた事になっている。
むろんその大元は、家康の意向に違いない。
秀吉の遺産を大衆の目から遠ざけるために、こんな辺鄙な島に移させたのだろう。

観音堂や舟廊下は重文で、国宝になっていない。
多分、出所や建築年代を示す古文書が残っていないからだろう。
しかし、この派手で豪華な造りを見れば、桃山時代に秀吉が造らせたオリジナルであるのは明らかだ。


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舟廊下は、秀吉の御座船(軍船)を使って(という事は解体して)造られている。
これも豊臣家「武装解除」の一環だったのだろう。

寺では「国宝」に格上げしている。


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急傾斜地に造られているので、一部舞台造りになっている。


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舟廊下は観音堂とこの竹生島神社を結んでいる。
この本殿は国宝になっている。


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本殿の向かい、湖側に立派な建物が・・・・。


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「かわらけ」投げをする場所だった。
願い事を書いて投げ、鳥居の下を潜れると願い事が叶う「らしい」。
相当の腕力が無ければ鳥居まで届かない事は、この残骸を見れば明らかだ。

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下からシンボルのように見えた三重の塔は2000年に再建されたもので、文化財としての値打ちはないらしい。


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反対にこの石の五重塔は、鎌倉時代の物で、重文の指定を受けている。

ようわからん。


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今津行きの船が来るまで、まだ暫く時間がある。
遍路の格好していたのはこの人だけで、経をあげる人も少なく、殆どは観光客だった。
そういえば我々も輪袈裟を持っていたのだが、本堂、観音堂とも掛けるのを忘れたままお経をあげた。



[α7R2+SEL24240]





西国33箇所 その6 前編 第30番 巌金山宝厳寺~船で行く寺

2015年10月09日 01:33



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10/6
本来ならもう既に第3回目の四国88箇所車遍路を終えているはずだったが、今日は滋賀県の今津から船で西国33箇所札所の宝厳寺に向かう。

2週間ほど前に家の階段から落ちた。
落ちた時の記憶が飛んでいるのと、その後2日間は吐き気と頭痛が強かった。
それでも、踊り場のある階段なので、普通の半分の落差で済んだ。
まだ眼精疲労がするので、一気に長時間運転の四国ではなく、比較的近場でテストする事にした。

京都東ICからの湖西道路は一般道だったが、高速道路の出来損ないのような道で、信号はなく制限速度は70キロ。
家から2時間程で今津の遊覧船乗り場に着いた。

今津は若狭から京都へ繋がる「鯖街道」の中継地で、荷物はここで船に積み替えられて大津を経由して京都へ向かった。

宝厳寺は琵琶湖の北辺に近い竹生島にある。

今津、竹生島と言えば、聞き覚えがある。
旧制三高(現京都大学)の寮歌「琵琶湖周航の歌」の3番に「今日は今津か 長浜か」とあるし、4番には「古い伝えの 竹生島」がある。
似たような歌に「琵琶湖哀歌」があるが、こちらは旧制四高(現金沢大学)のボート部が遭難した事件を歌っている。
この事件を扱ったミステリ-が「浅見光彦」シリーズにあったなあ。

その竹生島へ渡るには今津からが、もっとも距離が短い。


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竹生島は思っていたより、ずっと小さな島だった。
近づくと柱状節理が見られる。玄武岩で出来ているようだ。
琵琶湖は断層で出来た湖であるが、玄武岩は火山性である。
湖底の地脈は複雑なようだ。


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右端へ回り込んだところに船着き場があった。


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船を下りると直ぐ目の前の絶壁に堂宇が展開している。


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あの三重塔までなら160段以上ありそうだ。


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鳥居の向こうには、早くも石段が待ち構えている。

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一段の高さが高くて見た目よりきつい。
こんな所で落ちたら、それこそ命に関わる。手すりを掴みながら進む。


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鐘楼も、石段脇にある。


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ようやく、大きな手水場の向こうに本堂が見えた。


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堂々とした立派な建物で、天井もこれまで見てきた寺より高い。
ただ、ぶら下がっている提灯には少し違和感がある。これまでの西国33箇所の寺は普通の丸提灯で、こんな四角のはむしろ四国88箇所でよく見る。


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小さな姫だるまの中に願い事を書いた紙片を入れておくらしい。



納経を済まして、一応「用事」は終わりと思ったら違った。

ここの本尊は弁財天で、西国33箇所の本尊は下の観音堂にあるという。

思いついて直ぐ出て来たので「予習」をして来なかった。
この竹生島には、宝厳寺(ほうごんじ)と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)がある。
神仏習合で、元々は一つの「寺」だったが、明治の廃仏毀釈で竹生島神社となっていたのを、
古来の名前である都久夫須麻神社に替え、宝厳寺は取り壊される事になった。
しかし全国の信者の反対で、それぞれ別の法人として残されるようになり、弁財天は宝厳寺に残った。
ここの弁財天は、宮島、江ノ島とならんで「日本三大弁才天」とされている。


お寺の本尊が弁財天なんておかしいと思ったていたが、そういう経緯があったのか。


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やれやれ、せっかく上がってきたのに、この急な階段でまた下へ戻るのか。

まいいか。秀吉ゆかりの国宝「唐門」や舟廊下は見に行くし、船に乗るには降りなきゃならない。

しかし、カミさんも私も石段上りで集中力を欠いていたようだ。
あの石段を2往復する羽目になるとは思っていなかった。

(続く)

西国33箇所 その5 第4番槙尾山施福寺~最難関札所

2015年06月12日 10:11



6/7
巡礼で先行しているカミさんが、ここと比べたら他の札所はたいしたこと無いと言い切る。
天気予報では明日から雨の日が多くなる。日曜日だが、この札所に一人で行っておこうと思いたった。
駐車場が混む前にと、6時半に家を出た。

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家から1時間で登山口に到着。
一番近い駐車場は20台くらい駐められそうだが、既に半分以上埋まっている。
寺はまだ閉まっている時間だ。33箇所巡りの人ではなく、地元の人が、早朝参拝をしているのだろう。
飲み物を用意しておきたいが、あてにしていた登山口の店はまだ閉まっている。自販機も無い。


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最初は舗装した幅の広い道だが、見た目以上に勾配がきつく、早くも息が切れる。


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仁王門に到着。ここから本格的な山道に入る。

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石段は不揃いだし、木の根っ子が張り出して歩きにくい。

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上へ行く程勾配がきつくなるが、石段は整備されてくる。
肺は酸素を求めて止まないが、足下は楽になった。
休みたいが休憩するような場所は無い。

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ようやくあと「一丁」の道標が出て来た。もう少し。

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勾配は少し緩んだが、また歩きにくい道に戻る。


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愛染堂。 空海がこの場所で剃髪、得度したという。


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この階段を登り切れば、ゴール。

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本堂到着。
8時丁度。「標準時間」の30分で登ってきた。


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正面
ベンチで呼吸が落ち着くまで休憩。濡れたシャツを取り替える。
以前は茶店があったようだが、無くなっていた。



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本堂前の広場の先に展望台がある。
手前右が岩湧山、向こうの少し霞んでいるが金剛山。
晴れた日に来て良かった。


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「西国第四番」の提灯が上がっている。
今までの寺より規模が小さい。
元は真言宗だったが、江戸初期に天台宗に宗旨替えしたという。
信長・秀吉の焼き討ちにもあった事となにか関があるのだろうか。
その後も火災に遭って、現在の建物は幕末の頃に建てられた。
そのためか建物や仏像で国宝や重文に指定されているものは無い。


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拝観料500円也を払って巡礼ツアーでは入らない内陣に入る。
本尊の弥勒菩薩。脇侍は向かって右に文殊菩薩、左が十一面千手観音
誰もこないので、ここでお経をあげた。
西国33箇所の札所としての本尊は十一面千手観音だが、これとは違うようだ。


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更に奥に入ってくと、本尊と同じくらいの大きさの「方違大観音」が置いてある。
異様なくらいの大きさだ。

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ちょっと見ると千手観音のような弁財天。

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馬頭観音。この逗子の裏に、年に一回開帳される十一面千手観音が治められているらしい。
くるりと回せばOKというわけだ。

これら4枚の写真ではα7Sの高感度特性の賜物だ。
上から、ISO12800、25600、40000,16000

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馬の象が境内に奉納されている。
馬頭観音と関係があるのだろうか。

台座には大阪市内の「萬野汽船」という会社名が刻んである。
ちょっとネットで調べてみると
『かつては外航海運業を行い、最盛期には貨物船17隻、総重量トンで70万トンを保有していましたが、
現在は海運業はお休みし、グループ全体の持株会社として活動しています。』。
また創業者が御堂筋に萬野美術館を建てて収集品を公開していたが、低金利で運営に行き詰まり、既に閉館したとある。
創業者の萬野裕昭という人は、高松の金刀比羅宮にも馬の像を奉納している。金比羅さんなら海運に関係があるが、この寺は・・・・・。



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右は登ってきた石段で次の札所「ふじいでら」とある。
左の道は「こうやさん」になっていた。ダイヤモンドトレイルという尾根の縦走コースになっているらしい。


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仁王門まで下山。
膝が笑う前に降りてこられて、ホッとする。

そろそろ9時になる。観光バスでやってきたらしい団体と出会う。
駐車場はほぼ満杯。
帰り道で10台以上の車とすれ違ったが、またバックしてこないと登山口近くに駐車場はない。早朝に来て正解だった。



撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正

走行距離74km


たつの市散歩

2015年06月10日 09:22



書写山円教寺を見終わってまだ午後1時だったので、車で30分ほどのたつの市へ向かった。
数ある「小京都」の一つで、脇坂家龍野藩5万石の城下町でもある。
揖保川の右岸が城のある旧市街で、観光スポットが集中している。


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「武家屋敷ゾーン」に入った。雰囲気はあるものの、それらしき外観の家は無い。
ただ、驚いたのは街路が綺麗に掃除されている事。植栽のある家が多いが木の葉一つ落ちていない。
道路に白い点がいっぱいあるので、花びらが落ちているのかと思ったら舗装の装飾だった。
こんな所に住んだら、気苦労が多いのだろうなと思う。


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綺麗に整備されていて、外観からは旧い武家屋敷と思えないけれど、「武家屋敷資料館」に入ってみた。入場料無料。


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建物だけで家具等は無い。住人は居なくて、整備保存しているだけという。
京町家同様、間口より奥行きの深い家で、明かり取りの中庭がある。
とは言っても戸建てで、裏には離れもあるので敷地は100坪はある。
パンフレットには二人扶持とあるが、そんな下級武士の屋敷とはとても思えない。



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ちり一つ落ちていないし、人っ子一人居ない。眠ったような町をぶらぶら歩いていたら、龍野城があった。
ここからの映像しか見ないので、ここだけだろうなと思ったていたら、案の定この隅櫓だけが再建されていた。


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最も長く統治した脇坂家は外様だったので、城郭は再建せず陣屋だけの城だった。
この本丸御殿のも再建されたもの。ここも入場料無料。


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明かり取りの中庭は石庭になっている。


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豪華な金箔張りの部屋は「ヒガシマル醤油」寄贈。
もとは花鳥風月が描かれていたらしい。



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城の正門を出て


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左に行くと三木露風の生家があった。
龍野市は「赤とんぼ」の町をウリにしている。
ここも無料でPRに勤めているが、露風は幼い頃に両親が離婚し、祖父に育てられたはずだし、歌人としての活躍は
早稲田卒業後の東京なので龍野とは縁が薄い。

「負われて見たのは」が母親の唯一の思い出だったのかもしれない。
ここはパス。


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ヒガシマル醤油の旧本社社屋が、醤油資料館となっている。
この建物自身、登録有形文化財となっている。


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同じ醸造なので、置いてある物は造り酒屋と変わらない。
薄暗くして雰囲気を出しているが、α7Sなので気にせずシャッターが押せる。


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旧そうな町並みを撮って龍野はオシマイ。

名前に惹かれて来たものの、旧い家並みが固まって残っているわけではないので、観光客を集めるのは難しいという印象だった。



撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正

走行距離251km


西国33箇所 その4 第27番書写山円教寺

2015年06月08日 09:57



一乗寺から円教寺のロープウェイ乗り場へ、地道を走って3~40分で着いた。

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山陽自動車道の下に広大な無料駐車場がある。
登山道もあるが、お参りの人もここは往復900円のロープウェイを利用する。
ゆるキャラも姫路城をあしらっている。

発車間際に団体さんが乗り込んできて満員になった。
JR東海のツアーなので名古屋からの観光客だ。ここは全国区らしい。


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371mを一気に駆け上がる。


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ロープウェイの駅を出ると直ぐにゲートがあって入山料500円を徴収される。
前回の観音正寺や谷汲山では境内に入るのに入山料を徴収されなかったが、今回は両寺とも必要だった。
京都の宗教的機能を失った観光寺のボッタクリ料金を思えば、どうと言うことのない「木戸銭」ではある。
取らない所は取ると益々客が減り、取る所は取っても減らない。USJやTDLが儲かっているのに、
更に値上げするのと同じ原理である。格差はより拡がる方向に動く。


本堂の摩尼殿までは15分の山道を歩く。500円払えばバスで送迎してくれる。
道の両側に西国33箇所の本尊の観音像が並べられて、ここだけで33箇所廻った事にできる。


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一括で鋳造したものではなくて、一体一体姿の異なる手の込んだ造りで見栄えがする。


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第33番谷汲山の十一面観音が終わると、直ぐに仁王門が現れる。



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そこから今度は長い下りの坂が続く。帰りが思いやられる。


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ようやく摩尼殿に到達する。ここも天台宗の別格本山である。
本山は勿論比叡山だが、ここは西の比叡山と呼ばれている。
それだけ規模が大きい。


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大きく空中に張り出すので、京都の清水寺のような舞台造りになっている。
大正時代に焼失し、昭和初期に再建されたので重文でなく登録有形文化財になっている。


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内部の造りは一乗寺と同じだが、新しいので木札は無い。


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人が多いので、お参りの邪魔にならぬようこちらの隅でお経をあげた。


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回廊の幅が広い。
しかし山の中なので見晴らしはあまりよくない。


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摩尼殿の裏から山道が本堂まで続いている。
摩尼殿は観音堂で、この大講堂が本堂である。


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左隣に食堂(じきどう)。二階建てなのは珍しい。


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更に左隣が常行堂。


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これらの3つの建物がコの字型に並んでいる。
3つとも室町時代に再建されたもので重要文化財に指定されている。
今立っている辺りには五重塔もあったというから、相当な大きな伽藍だった事が覗える。


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食堂は宝物館になっている。事情は不明らしいが姫路城の三代目鯱瓦が展示されている。意外と小さい。


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食堂の二階の回廊から見ると、常行堂の舞台が張り出している様がよく判る。


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反対の大講堂側。


この寺、確かに規模が大きくて立派な建物が並んでいるのだが、奈良の寺のように大事されて年月を経たというより、
使われずに放置されてきた感がある。

その答えは食堂の説明文にあった。
秀吉が播磨入りした時に黒田氏の姫路城だけではなく、この寺も接収した。
建物は打ち壊され、仏像は持ち出されて行方不明になったという。
比叡山を焼き討ちにした信長が睨んでいたから、秀吉も寺に甘い顔ができなかった。
寺領も2万7千石から、一気に5百石に減らされた。

江戸時代になってようやく、ここに墓所をもつ本多家や松平家といった姫路城主が修復を行ったが、
西国の要所を固める城とあって、ひんぱんに転封が行われ大規模な修復は行われなかったのだろう。
また最後に入府して最も長く姫路を治めた酒井家の墓所が、ここにはない事も影響しているかもしれない。



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食堂の裏手から更に奥に行くと、開山堂がある。ここが奥の院だ。
祀られているのは、この寺を開基した性空上人。
江戸時代に再建されたもので、これも重文


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北西を除く三隅に力士像の彫刻があり、左甚五郎作と伝えられている。
立体感があって、日光の眠り猫よりよっぼど「らしい」作品である。
千社札を剥がした跡がある。


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開山堂の右手に茅葺きのお社が、並んでいる。
性空上人に仕えた「童子」を祀ってあるという。これも重文。
童子ってお稚児じゃないの・・・・・・・。


撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正




西国33箇所 その3 第26番法華山一乗寺

2015年06月05日 09:35



6/2
順番だと第31番長命寺&30番宝厳寺になるが、共に滋賀県にあり前回と同じコースで行く事になる。
という事で反対の西に向かう事にした。兵庫県にある一乗寺とラストサムライのロケで有名になった円教寺を目指す。


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中国縦貫の加西ICで降りて一乗寺に向かう途中に、3セク線の北条鉄道の無人駅で、「法華口」という駅がある。
5年前に通った時は、近くに寺なんか無い畑の真ん中の駅なのに何故こんな名前がと不思議に思っていた。
法華口という駅名は、これから行く法華山一乗寺への入り口という事で付けられている。
しかしバス停は駅前には無くて国道沿いにあるし、一乗寺は5キロ先にある

この駅舎自身が国の登録有形文化財だが、ここで面白い光景に出会うことが出来る。


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「三重の塔」がある駅だ。


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3年前に、地元の大工さんが法華山一乗寺の国宝三重の塔を参考に造って、寄贈したものだ。
以前は本当に何も無い駅だったが、今はこの三重の塔があり、駅舎内にはパン工房が開設されている。


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以上撮影[NEX5R+SEL28F20]Capture Oneで補正


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駐車場(料金300円)を出ると山門も仁王門もなく、いきなり急な階段がある。
入山料500円を払って階段を登る。
山腹に下から上へと、直線状に堂宇が連なっているらしい。天台宗の別格本山である。


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中腹に、平安期建立の国宝三重の塔があり、その先に本堂が見える。


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本堂は大悲閣とも呼ばれている。

SEL24240の広角端では入りきらない。今日はサブカメラにNEX5Rを持ってきたが、レンズは単焦点のSEL28F20である。
超広角ズームのSEL1018を付けてこなかったのが悔やまれる。


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振り返って三重の塔を見る。


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本堂は傾斜地に建っているので回廊が高く造られている。


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参拝者は多くない。
下手な般若心経でも落ち着いてあげられた。


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天井には、びっしりと木札が張り付けられている。昔は紙の千社札より木の方が安かったらしい。



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回廊に出ると下から吹き上げる風が心地よい。

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眺めも素晴らしい。



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本堂も、この姿の良い鐘楼も江戸時代の初期に姫路藩主本多忠政によって再建された。
忠政は徳川四天王の一人、本多忠勝の長男である。
外様大名の池田輝政に姫路城を造らせた後、孫の代に体よく山陰の鳥取に追いやり、信頼できる譜代大名に後を任せたわけだ。



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山門が無い寺かと思ったが、帰り道にこんな建物があった。
来る時にも同じような建物を見たから、この間が寺領という事だったのだろう。



撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正


旧谷汲駅から奥の細道むすびの地へ

2015年06月03日 09:09



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谷汲山の参拝を終え、山門を出て50メートルばかり行くと谷汲駅が現役時代と変わらぬ姿で現れた。

かって谷汲山へは、名鉄が岐阜市内から延びていたが、今は総て廃線となった。
その最終ランナーが黒野-谷汲間11.2キロを結ぶ谷汲線だった。
谷汲山参拝のための寺社線として開業したが、参拝客の足が車に変わり乗客が減少した。
2001年廃線となった後、名鉄バスが同じ経路で走っていたが、それも乗客数が少ないために2004年に廃路線となり、
その後は樽見鉄道谷汲口からここまで、コミュニティバスが出ている。


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無人となった「改札」を入ると、一段下がったホームに2両の電車が保存されている。


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中に入って待っていれば、今にも運転手がやって来て発車するのではないかと思う程、現役の状態を保って保存されている。

宮脇さんの処女作「時刻表2万キロ」に登場したのはこの車両ではないだろうか。

『二つ目の木知原を過ぎると根尾川の谷が狭くなる。突然、対岸の斜面の樹間から赤一両・緑一両の小ぢんまりした二両連結が現れ、
こっちと平行して走り出した。私は狐火でも見たようにはっとしたが、これは名古屋鉄道谷汲線に紛れもない。
暗緑色に翳った樹林に隠顕する二両の配色が絶妙で、名鉄というと赤いパノラマカーばかりを思い浮かべてしまうが、
こんな電車を山間に走らせていたのかと感心した。国鉄にばかり乗っている私でも乗りたくなるような電車であった。』

夕暮れ、辺りがモノトーンに沈みつつある時に、突然川の向こうに赤と緑の電車が現れる。
際立った色彩の対比の瞬間を捉えた見事な描写ではないか。


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もう一台は、より旧い型のようで丸窓がある。
丸窓というと上田電鉄別所線の別所温泉駅に保存されいる「丸窓電車」を思い浮かべるが、これは前面がカーブしてより手が込んでいる。



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『国鉄にばかり乗っている私でも乗りたくなるような電車であった』と書いた宮脇氏は、
その後「終着駅へ行ってきます」で谷汲駅を取り上げている。

『ホームに立って終着駅谷汲を眺める。電車の鼻先は行き止まりで、木造の大きな駅舎がある。
そして、ホームには鉄骨の丸屋根がかけられている。二〇〇人ぐらいは雨宿りのできそうな屋根で、谷汲線としては異色の立派な駅だ』
丸屋根は撤去されたのか?

『けれども、それほどの寺があるというのに、いまの電車から降りた客は、わずか数人にすぎない。』
車掌の話
『でも、きょうは多い方ですね』
『いまは名鉄の社員が乗る時期なんですよ』
月ごとに社員に配布される無料乗車券の消化に使われる路線だった。

廃線になる20年前からこんな状態では、無くなっても仕方ないのだろう。


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ホームを出て暫くはレールが残されているが、ガソリンスタンド付近で途切れている。
その先、根尾川まで行って川沿いにカーブし、黒野で揖斐線に合流していた。


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予定を終了したが、まだ陽は高い。
谷汲から真っ直ぐ南に向かうと大垣に至る。大垣から名神に乗る事にして、芭蕉が奥の細道のゴールとした「むすびの地」へ行ってみる事にした。
大垣は以前「JR完乗」の時に下車したが大垣城だけでタイムアップになっている。
わざわざ出かけていく程の事は無いが、帰りがけにいくなら手頃な所だ。

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芭蕉は大垣から船で揖斐川を下って桑名まで行き、故郷の伊賀上野に帰っている。
「水門川」は大垣城の外堀で揖斐川に通ずる運河でもあった。
ここ船町湊の「住吉灯台」は元禄年間に建てられ、明治時代に再建されている。


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水運は明治になっても盛況で、昭和26年まで蒸気船が運航していた。
こんな市街地の中を蒸気船が走っていたとは。
街中の川とは思えない清流で、大きな鯉が遊泳していた。
道路の反対側には2012年に建てられた「むすびの地記念館」があるが、広大な無料駐車場に一台も車が停まっていない。
面白くないのだろう。
パスして帰途につく。


走行距離380km

撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正


西国33箇所 その2 第33番 谷汲山華厳寺

2015年06月01日 09:44



関ヶ原ICで降りて新幹線のガートを潜り、東へ向かう。
既に岐阜県に入っている。
県道53号線は新幹線と平行に走っている。700系の白い車体が、通勤電車並みの間隔で次々と走り抜ける。

5月というのに真夏のような日差しが照りつける。
揖斐川を渡ると「谷汲山」の道標が次々に出てくる。県道だが、谷汲山の参道の様相を呈している。
つづら折れの山道を上がると再び平地に出た。周りを山に囲まれて盆地のような地形だ。
この「盆地」の田畑は、かって谷汲山華厳寺の寺社領だったのではないだろうか。

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左側に「谷汲山」の扁額が掛かった山門が現れた。
ここから十丁(約1キロ)の参道が続く。
参道の左右に無料駐車場が拡がっているが、どこも空だ。
バスは走れないが自家用車は奥まで進めるので、入り口近くの駐車場には誰も止めないのだろう。

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モミジと桜の新緑が強い日差しを遮ってくれる。
車道も歩道も敷石で装飾された参道を楽しみたくなって、手前の駐車場に車をいれた。
昼時で食べ物屋を物色したがどこも休んでいる。平日は客が少なく、仕込みが無駄になるので閉めているのだろうか。

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うやく仁王門に到達。
大門からここまでの道は、寺の私道ではなくて県道251号線だった。
ということは特殊な舗装等はすべて岐阜県の観光対策予算から出ていたのか。


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門を拡大すると、天井から床まである有名な「巨大わらじ」が、左右の壁にぶらさがっているのが見える。



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千社札が装飾のように綺麗に貼られている。
濡れ手ぬぐいに糊のついた面を上にして載せて投げ上げ、手の届かない天井や柱に貼り付けるという事をきいている。
ここのはどうもそういう事では無くて、梯子をかけて丁寧に貼ったように見える。
寺の方で綺麗に並べて貼り、その後は千社札を貼る事を禁止しているのかもしれない。


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仁王門を入ってからも、参道は続く。


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ようやく本堂のへの階段が見えてきた。


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急な階段を数十段登ると本堂が姿を現す。


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観音正寺ほどではないが、参拝客は多くない。
観光客はいなくて、33箇所巡りをしている人ばかりのようだ。


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奥の院

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納め札は、本堂では無くてこの満願院に納める決まりになっている。
本当の満願の後でもう一度来る事になるかもしれない。


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境内はモミジが多い。

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いろはモミジの緑色と、ノムラモミジのように最初から紅葉しているモミジの赤色の対比が鮮やかだ。




画像[α7s+SEL24240]Capture oneで補正



西国33箇所 その1 第32番繖(きぬがさ)山観音正寺

2015年05月29日 09:50



カミさんが四国88箇所の前に、西国33箇所巡礼をやるという。
既にバスツアーに2回参加して、青岸渡寺、紀三井寺、粉河寺、施福寺と1番から4番まで廻っている。
しからば、32番観音正寺と結願の33番華厳寺から「逆打ち」を平行してやってみようと思い立った。

5/26
名神高速の八日市ICから出て、一般道を小一時間ほど走り、裏参道の山道に入る。
標高346mの観音正寺に至るルートは3つ、1200段の石段で登る表参道、
800段目辺りまで行く表参道林道、平坦な山道を10分程歩くだけの裏参道林道。
腰痛が続いているので最後の最も楽なルートを選んだのだが・・・・・。

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途中「四辻の跡」というツツジが満開になった広い場所がある。
これ以降は、林道というより山道を舗装しただけの細い道で、車一台で道幅一杯になる。

料金所で「観音正寺林道車両整理料」という名目の通行量600円を支払う。
「後すぐですよ」と言われたが、道幅はより細くなったような気がする。
所々に行き違いのできる場所が設けてあるが、真っ直ぐな部分が全くない道なので、バックで戻る等という事は考えたくも無い。
対向車がありませんようにと、ひたすら願いつつ登るばかりだった。

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ようやく車が10台程停められるような駐車場に着いた。
ここから、平坦な山道を10分程歩くと観音正寺に至る。


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道幅は広く、舗装していないだけなのでこの道も車で行ける。関係者は車で入っていくのだろう。

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観音正寺のある繖(きぬがさ)山には、佐々木六角氏の居城観音寺城の城跡がある。
佐々木城は観音寺城の別名。

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ねずみ岩

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ようやく観音正寺に到着。山門や仁王門は無く、鐘楼の向こうで一対の仁王様が迎えてくれる。

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境内からの眺めは絶景だが、この高さまで1200段の石段で登ってくるのは「修行」である。
寺の住所が安土町になっているので安土城を探したが、案内図には無い。
斜めの直線で横切っている線路を新幹線の真っ白な車体が走り抜けていった。
そうか、安土城は反対側の在来線側だからここからは見えないのか。


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清楚で感じの良い参道の奥に本堂が見える。
この寺は用明天皇の命で聖徳太子が建立したとされている。



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この本堂は平成5年に火事で全焼し、16年に再建された。
他に参拝客はいない。
中で、カミさんとお経をあげる。
『経文を唱えている今だけ、あの世の「あいつ」と繋がっている。』
ふとそんな考えが頭を横切り、目頭が熱くなってきた。


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本堂の横の山腹は、石が積み上げられて奇妙な風景になっている。
仏の世界を模しているのだろうか。

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これは観音か、それとも右手に持っている道具は弁財天を表しているのか。


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本堂から境内を眺める
いかにも山腹を切り開いて造った寺という感じがある。


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書院

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北向地蔵尊
これが北向きなら、眼下の風景は西側で安土城が見えるはずだが。はて。


参拝者が次々にやって来る。
駐車場へ戻ると、大きなワンボックスワゴンが停まっていた。
あんなのが鉢合わせしたら、双方とも身動き取れなくなるのではないか。
帰りも「対向車が来ませんように」と祈りつつ下山した。

鶯がうるさいくらい大きな声で鳴いていたのが、印象的だった。

八日市ICに戻って第33番谷汲山華厳寺へ向かった。

画像[α7s+SEL24240]





朝来市の産業遺産 その2 神小畑選鉱所 生野銀山

2010年05月07日 17:03

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神子畑橋から更に県道を進むと、突然左手に巨大なシックナーが現れる。神子畑選鉱所跡だ。
山の反対側の明延鉱山から、ほぼ直線に鉱山軌道が敷かれていた。鉱山関係者以外の便乗も認められていて、一円で乗せたので「一円電車」として有名であった。「途中下車の味」の冒頭「松葉ガニと一円電車」で取り上げられているが、「松葉ガニ」にスペースを取られて、当時の様子についての記述が殆ど無い。どのあたりに神小畑側の駅があったのか判らないが、山の中腹にコンクリートの足を持った軌道敷のような構造物が見える。



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このコンクリートのひな壇に、明延鉱山から運ばれた錫鉱石の選鉱設備が並んでいた。残念ながら2004年に全撤去されてしまった。


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鉱石運搬に使用されていたインクラインのレールがまだ残っている。明延側にも同様の設備が残されている。




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ムーセ旧邸には当時の写真が展示されているが、入り口は閉じられていた。休日にしか開かれないようである。

出発の前夜、タイミング良くNHKの「クローズアップ現代」で明延鉱山跡が紹介されていた。それによると、明延側は坑道入り口と一円電車が保存されているだけのようなので、ここから引き返す。

円山川の対岸にある生野銀山跡に向かう。


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ここにも一円電車が展示されている。遊園地の電車並みの大きさである。大人はかなり窮屈な姿勢で乗っていなければならない。その上「トンネルのなかでゴトゴト揺られ」たら、「修行僧のような気分になって」もおかしくない。



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生野銀山は佐渡の金、岩見の銀と並ぶ江戸幕府の最重要拠点だった。明治維新後、政府直轄の鉱山として皇室の管轄下に置かれていたが、明治29年に三菱に払い下げられた。その為門柱に菊の御紋が刻まれている。


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時代劇のセットのような門をくぐって、観光坑道に入る。


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内部には作業の様子を表す人形が江戸時代のと、近代のが混合して置かれている。こいつが顔をこちらに向けた時はギョッとした。


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近代にはこの竪坑で800メートルの地下まで降りて採掘していた。観光用に使われている坑道は江戸期に掘られたが、トロッコの運搬用通路として拡張されている。坑道は長いが、通路を歩かされるだけだから、ハッキリ言って面白くない。少しで良いから更なる地下に行く工夫があれば、又別なのだが。



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帰りは、銀山湖の名前に惹かれて生野ダムを回った。


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ダム湖の真ん中に神社がある。満水に近いので下にある小島が隠れている。