たつの市散歩

2015年06月10日 09:22



書写山円教寺を見終わってまだ午後1時だったので、車で30分ほどのたつの市へ向かった。
数ある「小京都」の一つで、脇坂家龍野藩5万石の城下町でもある。
揖保川の右岸が城のある旧市街で、観光スポットが集中している。


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「武家屋敷ゾーン」に入った。雰囲気はあるものの、それらしき外観の家は無い。
ただ、驚いたのは街路が綺麗に掃除されている事。植栽のある家が多いが木の葉一つ落ちていない。
道路に白い点がいっぱいあるので、花びらが落ちているのかと思ったら舗装の装飾だった。
こんな所に住んだら、気苦労が多いのだろうなと思う。


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綺麗に整備されていて、外観からは旧い武家屋敷と思えないけれど、「武家屋敷資料館」に入ってみた。入場料無料。


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建物だけで家具等は無い。住人は居なくて、整備保存しているだけという。
京町家同様、間口より奥行きの深い家で、明かり取りの中庭がある。
とは言っても戸建てで、裏には離れもあるので敷地は100坪はある。
パンフレットには二人扶持とあるが、そんな下級武士の屋敷とはとても思えない。



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ちり一つ落ちていないし、人っ子一人居ない。眠ったような町をぶらぶら歩いていたら、龍野城があった。
ここからの映像しか見ないので、ここだけだろうなと思ったていたら、案の定この隅櫓だけが再建されていた。


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最も長く統治した脇坂家は外様だったので、城郭は再建せず陣屋だけの城だった。
この本丸御殿のも再建されたもの。ここも入場料無料。


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明かり取りの中庭は石庭になっている。


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豪華な金箔張りの部屋は「ヒガシマル醤油」寄贈。
もとは花鳥風月が描かれていたらしい。



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城の正門を出て


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左に行くと三木露風の生家があった。
龍野市は「赤とんぼ」の町をウリにしている。
ここも無料でPRに勤めているが、露風は幼い頃に両親が離婚し、祖父に育てられたはずだし、歌人としての活躍は
早稲田卒業後の東京なので龍野とは縁が薄い。

「負われて見たのは」が母親の唯一の思い出だったのかもしれない。
ここはパス。


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ヒガシマル醤油の旧本社社屋が、醤油資料館となっている。
この建物自身、登録有形文化財となっている。


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同じ醸造なので、置いてある物は造り酒屋と変わらない。
薄暗くして雰囲気を出しているが、α7Sなので気にせずシャッターが押せる。


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旧そうな町並みを撮って龍野はオシマイ。

名前に惹かれて来たものの、旧い家並みが固まって残っているわけではないので、観光客を集めるのは難しいという印象だった。



撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正

走行距離251km


旧谷汲駅から奥の細道むすびの地へ

2015年06月03日 09:09



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谷汲山の参拝を終え、山門を出て50メートルばかり行くと谷汲駅が現役時代と変わらぬ姿で現れた。

かって谷汲山へは、名鉄が岐阜市内から延びていたが、今は総て廃線となった。
その最終ランナーが黒野-谷汲間11.2キロを結ぶ谷汲線だった。
谷汲山参拝のための寺社線として開業したが、参拝客の足が車に変わり乗客が減少した。
2001年廃線となった後、名鉄バスが同じ経路で走っていたが、それも乗客数が少ないために2004年に廃路線となり、
その後は樽見鉄道谷汲口からここまで、コミュニティバスが出ている。


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無人となった「改札」を入ると、一段下がったホームに2両の電車が保存されている。


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中に入って待っていれば、今にも運転手がやって来て発車するのではないかと思う程、現役の状態を保って保存されている。

宮脇さんの処女作「時刻表2万キロ」に登場したのはこの車両ではないだろうか。

『二つ目の木知原を過ぎると根尾川の谷が狭くなる。突然、対岸の斜面の樹間から赤一両・緑一両の小ぢんまりした二両連結が現れ、
こっちと平行して走り出した。私は狐火でも見たようにはっとしたが、これは名古屋鉄道谷汲線に紛れもない。
暗緑色に翳った樹林に隠顕する二両の配色が絶妙で、名鉄というと赤いパノラマカーばかりを思い浮かべてしまうが、
こんな電車を山間に走らせていたのかと感心した。国鉄にばかり乗っている私でも乗りたくなるような電車であった。』

夕暮れ、辺りがモノトーンに沈みつつある時に、突然川の向こうに赤と緑の電車が現れる。
際立った色彩の対比の瞬間を捉えた見事な描写ではないか。


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もう一台は、より旧い型のようで丸窓がある。
丸窓というと上田電鉄別所線の別所温泉駅に保存されいる「丸窓電車」を思い浮かべるが、これは前面がカーブしてより手が込んでいる。



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『国鉄にばかり乗っている私でも乗りたくなるような電車であった』と書いた宮脇氏は、
その後「終着駅へ行ってきます」で谷汲駅を取り上げている。

『ホームに立って終着駅谷汲を眺める。電車の鼻先は行き止まりで、木造の大きな駅舎がある。
そして、ホームには鉄骨の丸屋根がかけられている。二〇〇人ぐらいは雨宿りのできそうな屋根で、谷汲線としては異色の立派な駅だ』
丸屋根は撤去されたのか?

『けれども、それほどの寺があるというのに、いまの電車から降りた客は、わずか数人にすぎない。』
車掌の話
『でも、きょうは多い方ですね』
『いまは名鉄の社員が乗る時期なんですよ』
月ごとに社員に配布される無料乗車券の消化に使われる路線だった。

廃線になる20年前からこんな状態では、無くなっても仕方ないのだろう。


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ホームを出て暫くはレールが残されているが、ガソリンスタンド付近で途切れている。
その先、根尾川まで行って川沿いにカーブし、黒野で揖斐線に合流していた。


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予定を終了したが、まだ陽は高い。
谷汲から真っ直ぐ南に向かうと大垣に至る。大垣から名神に乗る事にして、芭蕉が奥の細道のゴールとした「むすびの地」へ行ってみる事にした。
大垣は以前「JR完乗」の時に下車したが大垣城だけでタイムアップになっている。
わざわざ出かけていく程の事は無いが、帰りがけにいくなら手頃な所だ。

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芭蕉は大垣から船で揖斐川を下って桑名まで行き、故郷の伊賀上野に帰っている。
「水門川」は大垣城の外堀で揖斐川に通ずる運河でもあった。
ここ船町湊の「住吉灯台」は元禄年間に建てられ、明治時代に再建されている。


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水運は明治になっても盛況で、昭和26年まで蒸気船が運航していた。
こんな市街地の中を蒸気船が走っていたとは。
街中の川とは思えない清流で、大きな鯉が遊泳していた。
道路の反対側には2012年に建てられた「むすびの地記念館」があるが、広大な無料駐車場に一台も車が停まっていない。
面白くないのだろう。
パスして帰途につく。


走行距離380km

撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正


朝来市の産業遺産 その2 神小畑選鉱所 生野銀山

2010年05月07日 17:03

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神子畑橋から更に県道を進むと、突然左手に巨大なシックナーが現れる。神子畑選鉱所跡だ。
山の反対側の明延鉱山から、ほぼ直線に鉱山軌道が敷かれていた。鉱山関係者以外の便乗も認められていて、一円で乗せたので「一円電車」として有名であった。「途中下車の味」の冒頭「松葉ガニと一円電車」で取り上げられているが、「松葉ガニ」にスペースを取られて、当時の様子についての記述が殆ど無い。どのあたりに神小畑側の駅があったのか判らないが、山の中腹にコンクリートの足を持った軌道敷のような構造物が見える。



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このコンクリートのひな壇に、明延鉱山から運ばれた錫鉱石の選鉱設備が並んでいた。残念ながら2004年に全撤去されてしまった。


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鉱石運搬に使用されていたインクラインのレールがまだ残っている。明延側にも同様の設備が残されている。




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ムーセ旧邸には当時の写真が展示されているが、入り口は閉じられていた。休日にしか開かれないようである。

出発の前夜、タイミング良くNHKの「クローズアップ現代」で明延鉱山跡が紹介されていた。それによると、明延側は坑道入り口と一円電車が保存されているだけのようなので、ここから引き返す。

円山川の対岸にある生野銀山跡に向かう。


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ここにも一円電車が展示されている。遊園地の電車並みの大きさである。大人はかなり窮屈な姿勢で乗っていなければならない。その上「トンネルのなかでゴトゴト揺られ」たら、「修行僧のような気分になって」もおかしくない。



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生野銀山は佐渡の金、岩見の銀と並ぶ江戸幕府の最重要拠点だった。明治維新後、政府直轄の鉱山として皇室の管轄下に置かれていたが、明治29年に三菱に払い下げられた。その為門柱に菊の御紋が刻まれている。


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時代劇のセットのような門をくぐって、観光坑道に入る。


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内部には作業の様子を表す人形が江戸時代のと、近代のが混合して置かれている。こいつが顔をこちらに向けた時はギョッとした。


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近代にはこの竪坑で800メートルの地下まで降りて採掘していた。観光用に使われている坑道は江戸期に掘られたが、トロッコの運搬用通路として拡張されている。坑道は長いが、通路を歩かされるだけだから、ハッキリ言って面白くない。少しで良いから更なる地下に行く工夫があれば、又別なのだが。



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帰りは、銀山湖の名前に惹かれて生野ダムを回った。


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ダム湖の真ん中に神社がある。満水に近いので下にある小島が隠れている。


朝来市の産業遺産 その1  日本最古の鋳鉄橋

2010年05月06日 17:26

2010/04/13

円山川の両岸には明延、生野という日本を代表する鉱山があった。製品を姫路飾磨港から出荷するために馬車道(「石の道」)が造られ、河には加重に耐えられるよう鋳鉄製の橋が架けられた。5つあった橋は流されたり、解体されたが、2つが現存しているという。竹田城からの帰途に、この産業遺産に立ち寄ってみることにした。



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羽淵鋳鉄橋は、現存する鋳鉄橋としては神子畑鋳鉄橋とともに最古のもので、日本の鉄橋としては3番目に古いとされている。ちなみに、1番目の明治6年に架けられた大阪の心斎橋は錬鉄製であり、2番目の明治11年に架けられた東京の弾正橋は錬鋳混用である。この2つの橋は全鋳鉄製の橋としては日本最古の橋である。

羽淵のめがね橋という愛称のある橋は、長さ18mの二連アーチ橋で、明治18年頃に架けられた。洪水の被害のため何度か修復され、平成7年に国道312号線沿いの現在の位置に移動された。




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円山川の淵に、護岸の石積み、も元のように復元されている。

  
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元は100メートルほど離れた、国道から播但線を挟んだこの場所に架かっていたという。この道が「石の道」であった。


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現在の田路川の川幅からすると橋が短すぎるように思ったが、川幅は後に拡幅されている。


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国道の反対側に山口護国神社があった。護国神社は各県毎に建てられた。なんで山口県の護国神社がと思うが、この辺りの地名、山口に因んで付けられているようだ。右側の石碑に「生野義挙史跡」とある。幕末、生野代官所を占拠した事件をこう呼んでいるらしい。首謀者は長州藩出身であった。少し山口県に関係している。奉献額に「議論より実を行えなまけ武士、国の大儀をよそにみる馬鹿」とある。スローガンような直截な辞世である。



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国道から県道429号線に入り、明延方面へ向かう。神子畑鋳鉄橋は、道の左側の少し開けたところにあった。小さいが駐車場と休憩所も設置されている。




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現在も神子畑川に架かる橋として機能している。羽淵鋳鉄橋と同年の建造であるが、こちらは国の重要文化財になっている。


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橋に続く道は立ち入り禁止かと思ったら、出入り自由だが鍵をかけるようにとあった。最近は鹿に嚢作物を食われるという被害が増えている。


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この先にあるムーセ旧邸の前を、馬車にトロッコを引かせている写真が展示されていた。これは馬車でなく馬鉄ではないか。確かここは鉄道神小畑から生野に向かう鉱山鉄道が走っていた。その前身は馬鉄だったのか。



かんぽの宿有馬

2009年03月15日 10:03

いつも1人で旅行するのでたまにはカミさん孝行をと、昨日有馬温泉のかんぽの宿へ行った。



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有馬温泉は大阪から近く、「兵衛向陽閣」「奥の坊」「池之坊」等々の有名ホテルも多い。しかし、これまで一度も泊まったことがない。関西の温泉宿で一番高いから、グループ旅行でも幹事が二の足を踏んでしまう。

かんぽの宿ならリーゾナブルだろうという訳で、3月末に看板を下ろすまでにと申し込んだ。
かんぽでも有馬となると高かった。普通の温泉宿に充分泊まれる料金だった。余り安価に設定すると他の旅館からクレームが出るからなのか。

「黄金湯」と呼ばれる含鉄強食塩泉の茶褐色に濁った湯にどっぷり浸かる。
建物の割に浴室は小さいし露天風呂もないが、源泉掛け流しである。

コストの大部分は食費に回っているのではないかと思われるほど食事は堪能できた。
肉、刺身、天ぷら、魚のしゃぶしゃぶ、焼き物と数々出たが、前菜の筍が美しく盛られていたのが最も印象に残る。

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翌朝、金の湯等の温泉街を見物した。ここには古い公衆浴場が建っていて、ハイキングの帰りに利用したが、最近建て替えられた。

LX3の16:9を使ってみたが、24ミリ広角の威力で結構ワイドな感じが出るようだ。

タウシュベツ橋梁がグーグルマップで見られる

2008年11月11日 08:55

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糠平と入れると糠平湖が出てくる。その北東部分にタウシュベツ橋梁が出ている。
渇水期だと湖底と区別が付きにくいし、増水期は沈んでしまって見えない。
橋脚だけ水に浸かっているという、際どいタイミングで撮られている。既に多くの写真がアップされている

北海道の山の中、こんな携帯電話不通地域も、高解像度のデータでカバーされるようになった。
もっとも湖の北端からは、ぐっと解像度が落ちるが。

今年4度目の北海道は炭鉱跡巡り その3

2008年10月29日 09:35

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幌内立坑から更に東へ進み、住友奔別の立坑櫓を目指した。
国道から少し入ったところに有るが、遠くからもよく見える。幌内と違って櫓は工場の屋根から聳えている。
残念ながら建物の傷みが激しく、構内は立ち入り禁止だった。
この後も裏山の中に立て坑以前の奔別炭鉱跡を探したが、緯度の高い北海道では4時半になると街に灯が点り、
5時で完全に日が暮れる。捜索を断念して引き返した。

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そんな中で露天掘りの鉱区の出会った。霞んでいるのは粉塵のせいである。
ここはヤードで、堀上げた石炭の場替えをしているらしい。掘っているのは更に奥だろう。

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帰りに通った岩見沢駅は、大きく変貌していた。


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翌10/23は朝から雨で、風が強い。しかし、一日中ホテルに居るのもつまらないので、室蘭の地球岬へ向かった。
車から出ると傘をさせないほどの強風である。地球儀のようなものは電話ボックス。

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展望台では吹き飛ばされそうで、辛うじて2枚シャッターを切った。
灯台は展望台より上にあるものと思うが、ここでは逆で灯台を見下ろせる。
アイヌ語の発音から昭和60年代にここを地球岬と名付けた時に、新しく展望台を造ったためと思われる。

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帰りの飛行機から撮った室蘭市。赤い>印の所が地球岬。

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札幌と室蘭を結ぶ国道36号線、通称室蘭街道は海岸線を国道とJR室蘭本線が併走している。北海道らしく、鉄道も道路もどこまも一直線に走っている。室蘭本線が複線だとは知らなかった。


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今回の宿となったメッツホテル。北18条で北大に近く、元々は女子大生専用のワンルームマンションとして建てられた。
シングルなのにソファがあり、キッチンや洗濯機も付いている。
北大へ出張で来た時はよく利用していた。10年振りに来てみると、さすがに古さは否めない。
ロビー横でLANに繋がるが、ADSLらしく非常に遅く感じる。



今年4度目の北海道は炭鉱跡巡り その2-幌内炭鉱

2008年10月28日 08:32

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重要文化財の旧花田家番屋の前を通って、留萌から中央道へ。
本来の行程では留萌、増毛とオロロラインに沿って小樽まで走るはずだった。
明日は大荒れという予報に予定を前倒しし、三笠を本日に回し、美唄は割愛した。

三笠インターで降り、国道116号線から道道1129号線へ入ると、道の右側に線路が現れる。
北海道で最初に建設された幌内線である。
幌内炭鉱で掘り出された石炭は、列車で小樽の先の手宮まで運ばれ、そこから船で国内各地へ搬送された。

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三笠鉄道文化村に到着。
旧幌内駅を使用し、かなり大きな規模だが、降雪シーズンを迎えて既にブルーシートで養生されていた。
カーラジオでは、明日から知床横断道路の夜間通行止めをアナウンスしている。
北海道の観光シーズンは終わったようだ。

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文化村から奥へ一本の線路が延びている。幌内炭鉱へと繋がる線路だ。道路の舗装もここで途切れ地道になった。

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ほどなく右手の原っぱに石炭処理設備の遺構が見えてくる。
金属製の構造物は運び出されコンクリートの台座だけが骸を晒している。

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シックナー(沈澱槽)の土手。シックナーとは選炭作業で使用した粉炭混じりの排水を貯めて沈澱させる装置。

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.炭鉱跡は景観公園として保存され、幅の広い踏み分け道で一周できるようになっている。ここから谷間に下っていく。

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巻揚げ機の台座と、谷の向かい側にある原炭ポケット。

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常磐坑の封止口。ガス抜きのパイプが付いている。

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レンガ造りの安全灯室。

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炭鉱跡を一周して出てくると、右手に大きなレンガ造りの建物がある旧北炭幌内変電所とある。
変電設備も残っており、保存状態はよい。

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変電所の脇に石造りの階段がある。榎本武揚の扁額が掲げられている幌内神社とある。
階段は立派だったが本殿は無惨にも倒壊していた。


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三笠市への戻り道をクロフォード公園手前で右折、しばらく行くと右手に幌内炭鉱立抗櫓の巨大な姿が見えてくる。
この立坑は昭和41年に、発祥の地本沢地区と唐沢地区に出来た新幌内との中間部に建設され、
設備系統、資材搬送の一元化が行われた。
幌内炭鉱は1989年に閉山し、明治から111年に渡る活動を終えた。
現在は北海道プラスという会社の敷地内ある。

今年4度目の北海道は炭鉱跡巡り その1-羽幌炭鉱

2008年10月27日 07:17

夕張以外の炭鉱跡も見たくなって、また旅に出た。

10/23 札幌から中央道で留萌へ。日本海側へ出て、オロロンラインを北へ走る。

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羽幌を過ぎて暫くすると「曙」への分岐点が現れる。この辺りの海岸は海蝕台が多い。


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築別川に沿って道道356号線を走ると、羽幌炭鉱鉄道の鉄橋跡が現れる。

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2つ目の橋梁跡

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3つ目の橋梁跡。。「鉄道廃線跡を歩くⅣ」(宮脇俊三・JTBキャンブックス)で、『桁にあわせてピアを立てた橋梁』として紹介された。

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成る程長さも、厚みも違うガーダーに合わせてピアが建っている。
鉄橋も自然に帰りつつあるようだ。

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曙で左折して、なおも356号線を進む。国道を走っていると鉄道跡が見つけにくくなる。

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分岐を過ぎて、少し坂を登ると国道脇に巨大なホッパーが現れる。羽幌鉱業所の看板が残っている。
堀上げた石炭は、ここから羽幌炭鉱鉄道で積出港まで運ばれた。

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天井の穴から貨車に石炭を落とす。現物の積み出しホッパーは初めて見る。列車が2編成入る巨大なものだ。

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ホッパーから築別川を見ると川の中に橋脚が立っている。線路はここで川を渡って炭鉱へと向かっていた。

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ホッパーから暫く進むと、道路はかって病院であった建物脇で終わる。右へ橋を渡るとここで働いていた人々の街があった。

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消防署の廃墟の向こうに、発電所の煙突が見える。

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煙突を目指して歩く。映画館の映写室だけが残っている。木造の建物は崩れ落ちてコンクリートのこの部分だけが残っている。

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煙突の反対側にコンクリートの無人の炭住が、右に4棟左に1棟。ゴーストタウンを目の当たりにする。

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建物の脇に植えられた木立がベランダを突き破り、辺りを自然に帰そうとしているかのようだ。

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建具・畳は回収されており、暮らしの痕跡は残っていなかった。

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帰りに道道から分岐する橋を渡り、丘の上の太陽小学校跡に立ち寄った。校舎や円形の体育館は健在である。

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脇の戸が開いていたので、校舎内に入った。こんなものがあって一瞬ドキッとさせられた。

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こんなものも置いてある。数年前までは「緑の村」として、キャンプ場兼資料館として利用がなされていたらしいが、それもやめて放置されたままになっている。





三度北海道へ その4 第3-4日目 知床~釧路湿原

2008年09月27日 13:02

知床自然センター発の循環バスでカムイワッカの滝へ向かう。
バス内の放送を聴いていると、秘湯として有名な四の滝へは落石のためいけない。
一番下のカムイワッカの滝と、その上の一の滝までという。
外に行くところもないので、次のバスまで待たずに来たバスでとんぼ返りすることにした。

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一の滝から下を見る。
傾斜のきつい所滝で、緩いところが瀬らしい。流れは浅いが酸性が強くHP1~1.5もある。
そのため川底にコケ類が育たず、流れの真ん中をあるいた方が滑りにくい。


帰りに知床五湖で下車。
前回はひぐまが現れて五湖へは一歩も入れず、入り口の展望台で門前払いを食った。

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一の湖の水際にエゾシカが現れた。

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二湖

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三湖


まだ釧路へ向かうのは早いので、知床峠を通って羅臼岳の雄姿を楽しんだあと、羅臼から反対方向の北を目指す。
ヒカリゴケの洞窟は落石のため立ち入り禁止になっていた。ここは前回見たので更に北を目指す。

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知床半島の太平洋側の端近くに、セセキ(瀬石)温泉という海岸に沸く露天風呂がある。
潮が満ちると波に洗われて入れなくなるという。
見たところ大丈夫のようだが、上がって来た人がぬるくて入れないと言う。
もう少し行ったところアイドマリ(相泊)という似たように所がある教えて貰った。
相泊は無事入浴できたが、女風呂を併設しているためブルーシートで囲ってある。
また目の前に波よけのテトラポットがあり、景色を楽しむにはイマイチであった。

羅臼から約3時間で釧路湿原の入り口に着いた。


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391号線と釧網本線が交差する辺りのカーブに「サルボ展望台」の看板が見える。
きつい階段を上って、右へ行くとサルボ展望台、左へ行くとサルルン展望台。
サルルン展望台は崩れた崖の上にあって展望が開けている。真下にサルルン沼が、左に塘路湖が見える。



午後4時頃、急に霧が出て来た。細岡展望台を再訪したが、全く何も見えなかった。
細岡展望台から林道を通って岩保木水門を訪れた。

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(上)旧水門付近、(下)新水門から釧路川を見る。
旧水門と手前の木橋。霧の中に幻想的な風景を見た。


第3日目は、釧路市内の幣舞橋袂のビジネスホテルに宿泊。
最近はビジネスホテルにも屋上に大浴場・露天風呂を備えるところが増えた。
その代わり客室はシャワーのみ。狭いユニットバスにはいるより、のびのびと広い湯船の浸かる方が疲れがとれる。
ラヴィスタ釧路でも温泉を楽しんだ。ここの湯は塩分濃度が非常に高い。
過って口に触れたらビックリする程塩辛かった。


翌日再び釧路湿原へ。今度は釧路川の右岸。

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釧路市展望台のサテライト展望台。こちらも細岡展望台に劣らない雄大な景色。

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温地内地区。木道遊歩道で湿原内の散策が楽しめる。


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コッタロ展望台からコッタロ湿原。灌木が多く釧路湿原とは別扱いのような湿原になっている。

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時間があるので、前日霧に妨げられた細岡展望台へ。釧路川の蛇行が見られる分、サテライト展望台より有利か。

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細岡展望台より、岩保木水門方面を望む。新水門が小さく見える。


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展望台の下の釧路湿原駅。駅前が展望台へ上がる入り口になっているが、道路から車では入れない。展望台専用の駅。

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達古武沼

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シラルトロ沼

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関空からはラピートに乗ってみた。鉄人28号の外観が有名だが、内部も断面が卵形でユニークに設計。
なにより空いている。発車時にも各シートに一人しか乗っていなかった。
関空で電車に乗りかえるといつも思うが、鉄道は飛行機より、静か・揺れない・広い。