私の知る最後の肉腫患者が亡くなった

2016年08月20日 08:34



Life is …〇〇な話 というブログを書かれていた「すぅ」さんが亡くなった。

高額なパゾパニブの代金を病院側がどう処理しているかを教えて頂いた事がある。
7年6ヶ月という、超長期サバイバーのお一人であった。

5月に亡くなった 心はいつも*笑顔日和*でありたいな(子宮平滑筋肉腫) の「ままたす」さんともう一人
(この方はブログを書いておられなかった)の3人で岡山大学病院の昴(ニックネームのようだ)先生の元で治療を受けて居られた。
この人ほんとに病人かいなと思うほどお元気で、いつも旅や食物の事を書かれていたのだが。




「あいつ」が肉腫になった時は、必死になってネットで情報を漁っていた。
同病の方のブログは、病気の進行状況やその時の対応を知る貴重な情報源だった。
「あいつ」が亡くなってからはブックマークは増える事がなく、一人又一人と亡くなっていくを見送るばかりで、この方が最後だった。



7月に亡くなった トトロの転移乳がん闘病記 の「トトロ」さんは肉腫ではなかったが、身寄りのいない所謂「おひとりさま」で、
仕事を続けながら闘病し、ブログを毎日更新するという事を自分に課しておられた。
ブログには年100万ものアクセスがあった。
この方も明るく、温泉やグルメの記事が多かったが、流石に最後の入院後は苦しい様子だった。
それでもギリギリまで自分でブログを更新して居られた。
ブログはこの方にとって「同行二人」と書かれた金剛杖だったのではないだろうか。


悪性軟部肉腫闘病記の「モンコ」氏は、私が知った4年前、既に腹部に大きな腫瘍があり「あいつ」より先になるのではないかと思っていた。
北海道へ移住し、ドラマ「北の家族」のような生活が生命力を活性化したのか、今年の1月まで頑張っておられた。
やっぱりあいつは殺されたで紹介したように、「緩和」という言葉に騙されて亡くなった。


少し前になるが、2014年5月に亡くなったLiveforever の「ナミ」さんは、先日の吉野ゆりえさんと並ぶ超長期のサバイバーだった。
看護師をしておられたせいか、冷静にご自分の状態を見極められて適切な治療を続けて居られた。
この人は寿命を全うされるのではないかと思っていた。亡くなった時は「あの人でさえ」という思いだった。


同じく2014年5月に乳がんで亡くなった「たぁ」さんのブログ 明日に架ける橋 ~がんと私…今ここ日記~では、
面倒が見られなくなって施設へ入れた、先天的疾患をもつ次男「ちぐ」君への母としての熱い思いにいつも感動を貰っていた。


プロフィールに「Author:疾走する狼  映画、文学、哲学、将棋をこよなく愛する下町のプチ知識人を」とある 余命1年 は、
末期の肺がんの方であったが、「我が輩は」と書き出してもおかしくないような、気骨のある方だった。
自分の身体は自分が1番良く知っているとばかりに、医者に自分の治療方針を認めさせ、最期まで自分を失わなかった。



これらの方々には力と知恵を貰った。ご冥福をお祈りします。





吉野ゆりえさんが亡くなった~肉腫の事

2016年08月08日 08:30



先週、「吉野ゆりえ ブログ」のキーワードで弊ブログに来られる方が多いと思ったら7月30日に亡くなっていた。

生前は派手なパフォーマンスで、日本に「サルコーマセンター」を設立する活動をされていた。
しかし、国立ガンセンターの元部長を引っ張ってくるのは良いが、ただでさえ自尊心の高い医者を向こうに回して、
自分が会長になっちゃいけないと思っていた。

また、国立成人病センターの高橋克仁医師の活動する「キュアサルコーマセンター」と同じ目的で別組織というのも、
患者数の少ない難病未指定の病気克服には好ましくない状況だと見ていた。


しかし、いずれにせよ私の中で肉腫は2年前に終わっている。



そういえば最近、肉腫患者や家族のSNSであるSarcomanetから再スタートするというメールが来た。

サーバーのトラブルでこれまでの過去の日記やコメントは消えてしまったという。
創設者のhiroさんを始めとするサバイバーの人達の記録が失われたのは大きな痛手だ。
治らない難病で死への道を歩まされる患者やその家族は、先人の示してくれる気構えによって、ある時は勇気づけられ、ある時は癒やされた。
これからも大いなる遺産になると思っていただけに非常に残念だ。





やっぱりあいつは殺された

2016年04月15日 09:44



自宅緩和ケアにご注意、殺される事があります
で「これまでに経験した事が無いほど、怠い」と言ってるのに、麻薬の量をどんどん増やされて、死んでいった事を書いた。

同じような目にあった人が居る。
あいつと同じく肉腫で、悪性軟部肉腫闘病記を書かれていた「もんこ」氏だ。


>新人ナースが 口を滑らした
>「あれだけの薬が入れば 当たり前ですよ」
>どういう事
>点滴の機械には 使ってる薬の名前と量が貼ってあるから…そんなに癌センターと変わらない薬(麻薬量)
>そう思ってたのに…
>え?これ以外にも入ってるの?
> 私は主治医に どういう事か聞いた…
>やはり 私には内緒で入れていたらしい
>本人や私がむしろ苦しまないように…
>あなたの為にって…
家族や本人が頼みもしないのに勝手に『短命措置』をするとはとんでもない話で、これは殺人だ。
刑事事件だが、そんな事をしても生き返るわけではないし、これ以上の精神的な負担には耐えられないので、遺族側は行動に出ない。


あいつの場合は、緩和ケア病棟へ入った時は「無事」だったが、
>病院から緩和ケアを「熱心に」している川合淳郎という開業医を紹介して貰って帰宅した。
緩和ケアの開業医にやられた。

折角病院で麻薬の適量を見つけてもらったのに、それを無視してどんどん量を増やされて、心臓麻痺で死んでしまった。


緩和ケアが広まって、それを専門にやる病院の中には病室不足でどんどん「処理」していかないと追いつかない所も出て来たのではないか。


あの開業医は、麻薬注入用の特殊ポンプを次の「客」に回したがっていた。
こちらで買っても良いと言ったのに。
数日おきに麻薬のパックを交換に来ただけなのに、
請求書は6月は半月ばかりで30万。7月はたった4日でも同じ30万だった。
勿論、保険控除後。
明細らしきモノは殆ど無かった。
1人の患者に長く関わっているより「件数」を増やした方が稼げる。

金儲けの為にあいつは殺された。
医者が患者を救うとは限らない。政治家並に信用できない世の中になった。






自宅緩和ケアにご注意、殺される事があります。

2016年02月06日 09:50



悪性軟部肉腫闘病記のもんこさん、2ヶ月ブログの更新が無かったが、緩和ケア病室に入られたようだ。
この記事を書くにも数日に分けてしかかけなかったとの事、状態は察するに余り在る。

いまだに毎日ブログを更新されているトトロの転移乳がん闘病記のトトロさんも緩和ケアに入る状態なのに、
一人で病気・病院と格闘としている。すごい精神力だといつも感心している。



息子の場合は、一旦緩和ケア病室に入ったが、どうしても家に帰りたいと言うので、
病院から緩和ケアを「熱心に」している川合淳郎という開業医を紹介して貰って帰宅した。

ところがこの医者、病院で丁度痛みが無くなるモルヒネの量を見つけて貰ったのに、毎回毎回量を増やす。

「これまでに経験した事が無いほど、怠い」というので、増量をストップするように頼んだが、
「病気の所為かもしれない」と聞き入れなかった。

最後は心臓麻痺だった。

麻薬を摂取しすぎたら心臓が停まる。
当然の結果だ。
後になって、何故もっと強く言わなかった後悔したが、患者側は医者と違って何事も「初体験」だ。
どうしても医者の言いなりになってしまう。

本人は全く痛みを訴えず、むしろ辛いほど怠いと言っているのに何故増量を続けなければならなかったか。
死期を早める為ではなかったのか



思えばこの医者最初からおかしかった。
微量の薬液を送り続けるポンプの数に余裕が無いという。
50万でも100万でも、こちらで買い取るから続けてくれと言った。
本音は患者の状態に拘わらず永く続けないという事では無かったか。
いつまでも一人の患者に関わって、往診を続けていたのでは儲からないという事ないのだろうか。



骨と皮だけにやせ衰えて、一人では起きる事も何も出来ない状態の息子を見ずに済んだのが、せめてもの慰めと思う他はない。


懸命に自宅緩和をサポートされているお医者さんが居る。
しかし一方で金儲けを優先する開業医が多いのも確かだ。
そのための医師免許なのだから。
家族は気をシッカリ持って、言うべき事を言わないと、患者を守る事ができません。






患者を人間と思わぬ医者

2015年09月02日 09:43



小説に続いて「あいつ」事でもう一つ。

「あいつ」が亡くなってから1年余が経った。
その間に無念に思う気持ちが強くなってきた事がある。
「あいつ」は横浜市立大学附属市民総合医療センターで人間と見なされていたのだろうか?


(以下不愉快と感じられるかもしれない内容があります。おそれのある方はこの先の記事を読まないで下さい。)



消化器センター大島貴准教授

その1)治療拒否
ここしか頼るところが無いという土壇場になって
「以前トラブルがあり、ここで手術しないのがお互いに良いのではないか」と治療を拒否した。
素晴らしい病院と許せない医者 その1

その2)パワハラ事件
そのトラブルとは医者の患者に対するパワハラ
「30にもなって親に付いて来てもらうのか」などと、1時間も動けない患者にパワハラ。
こんな事言われて、黙っている方がおかしい。
流石に温厚な息子も腹に据えかねて、「もう2度と目の前に現れない事を約束して」欲しいと言った。
素晴らしい病院と許せない 医者 その2 


その3)患者の命より症例を優先するノーリスクの医者
大島貴准教授は「あいつ」の病気を平滑筋肉腫ではなくてGISTにしたかった。
患者にとっても、GISTならある程度延命の希望がある。
しかし、即刻肺の手術をしないと手の施しようがなくなるという位腫瘍が大きなっている時に、のんびり検査を待っていられのは、「他人の命」だからだ。
GISTで、薬が効いて縮小し、片肺の全摘出を免れたら治療方針を提案した消化器センター大島貴准教授が賞賛され、あちこちのペーパーに術例として投稿する。
縮小しなかったら。
彼は何もしない。患者は緩和ケアのある病院へ転院させられて、もっと短い余生をベットの上で呻吟するだけだった。
誤診ではないので大島貴准教授にリスクはない。その上彼は手術をしない外科医だから、そこでのリスクもない。
最終的なリスクは総て患者とその家族が負う。

大島貴准教授はこれを「特別な扱い」と言った。
何のことはない自ら担当医となる事で「症例」を他の医者に取られない、自分の為の「特別な扱い」だったのだ。
素晴らしい病院と許せない医者 その3~人の命を弄ぶ


その4)初めて会ったとき。
看護婦の雑談の声で説明が聞き取れないので、「静かにさせて欲しい」というと、「聞こえるような声で話してる」と取り合わない。

その5)カルテ改竄
病棟を担当しない医者。すなわち手術をしないのに、直前まで自分が執刀するかのような言動で誑かす。
実際手術は別の医者が行ったのに、カルテには大島貴准教授が執刀したと書かれていた。

その6)別の医者から「医者と相性が合わないときは「曜日が合わない」と言えばわかる筈」とアドバイスを貰った。
しかし、「曜日を変えてくれと言われても、別の曜日には手術がある」。
いけシャアシャアと嘘をつく。

その7)私はいまでも「まとめ」という言葉を聞くとゾッとする。その原因は大島貴准教授にある。
ある日、判りにくい説明が終わった後、「まとめると」「こういうことですね」と言うと、いきなり激怒した。
訳が分からない。
ようやく激怒が収まって曰く「まとめると言ったから」
自分が理解しているのは、こういう事だという意味で「まとめる」と言ったのだが。


ただでさえ、精神的に参っている患者とその家族に対して、よくもこれだけ自分勝手な言動がとれるものだ。
呼吸器センター大島貴准教授とって、自分の言葉に総て「ハイハイ」と言わない輩は「人間ではない」「死んでも構わない物体」だった。

最後の診察で大島貴准教授に「ガンセンターに紹介したろか」(言葉通り)と言われた。
こんな言い方をされるほど親密な間柄ではない。
私達3人は無言だった。それぞれがそれぞれの判断で決めた行動だった。
大島貴准教授にとっては、これも「トラブル」だったのか。
不敬罪というわけか



整形外科 伊藤医師

昨年1月(まだ、こんな最近事だったんだ)、急に尿が出なくなって日曜日に市民総合医療センターに駆け込んだ。
仙骨内の腫瘍が原因だろうという事で緊急手術になった。
本人は気が進まないようだったが、一日の遅れで下肢が麻痺するというので手術をする事にした。
問題はその後。
やっと普通の世界に戻ってきた
実際はこんな綺麗事ではなかった。
患者側が生きている間は、どんな害が及ぶかも知れないので何があっても我慢せざるを得ない。
書き方もマイルドになっている。

その1)患者を眠らせないのがルール?

手術後2日目。激痛と、それによるパニックでベッドに手足をぶつける。
少しでも気持ちがいいというので身体を指先で軽く敲いてやったり、さそってやったりするが「殺してくれ」と叫ぶ。

疲れと眠剤でようなく眠った(意識を失った)と思ったら、夜の12時頃に看護婦が点検に来る。
カミさんと息を潜めて、起こさないようにしている。
拒否した。

夜中の3寺に別の看護師がまたやってきた。
やむを得ず部屋に入れたが、点検がしつこい。目視だけで無く身体の向きを変えようとする。
とうとう目を覚ました。
また地獄の始まりだ。

手術の翌々日になって、やっと病室に来たと思ったら開口一番、「看護師の点検をいつまで邪魔する積もりですか」

患者の苦痛が全く伝わっていない。
点検の時間が、午前0時と午前3時になんて無茶苦茶だ。
苦痛を与えて眠らせない。
拷問だ。

大方ワッチ間の連絡ミスが原因なのだろうが、その尻を患者や家族に持ってくるとはどういう事だ。


その2)「麻薬が効かない痛さ!」そんな事最初に言えよ

とにかく痛みを何とかしてくれと言うと
「何時効くようになる(痛みが軽くなる)か判らない。待つしか無い」
絶句
「麻薬が効かない痛みがあるなら、最初に言え!!」

人の足は3年踏まれても痛くないというが本当だ。


手術そのものも、数年生きるのでないと意味が無い。
本人は最初から乗り気で無かった。
術後半年で死ぬなら、手術そのものも、やらんほうが良かった。
尿閉が治ったと言っても、目一杯キバッてやっと出る程度で、直ぐに再発した。
痛い目をした「あいつ」だけが、総てをひっ被された。



結局、伊藤医師も手術の実績を積んでおきたかったのではないか。

仙骨切除手術は成功、だが痛みは術前よりひどくなって」のようにハッキリ言う医者も居る。
酷い話だ。量子線が使えるなら手術は必要ない。


患者側は、生きている間は、どんな仕打ちをされるか判らないので我慢する。
それを逆手に取って、人を人と思わない医者が居る。
治療に競争のない健康保険制度がこんな医者を生み出した。








あれから2年~迎えられなかった誕生日

2014年10月15日 10:23

100ヶ日の法要も済み、肉腫と言われてから2年経った。
いろんな闘病記を読んで、平均寿命を「足かけ3年丸2年」と見ていた。
今日35歳の誕生日は何とか迎えられると思っていた。

残念ながら、途中ではスローになってくれたのだけれど、何もない無いところから巨大肉腫に成長するまで
たった5ヶ月しか掛からなかったという性悪さは保持していて、再発後は急激に腫瘍が肥大した。
何時、どんな事があったのか。記憶が少しずつ消えていく。
反対に医者や病院に対する不信感は、日に日に増幅してくる。


一昨年の発症から今年3月中旬までの受診メモを時系列的に纏めました。
これ以降の経過はブログに詳しく書いています。

✱「限定記事」のチェックを全て外しました。
✱下書きのまま、アップロードしていなかった平滑筋肉腫カテゴリーの次の3つの記事を、元の日付でアップロードしました。
2013/6/7 CT検査
2014/4/30 MRI ができない
2014/6/8 内科と外科



[2012]
10/23 病院に呼び出されて、肉腫を告知される。
    病巣は胸部と腹部に有り、大きさは5cmと3cm。   
    胸部は気管に近いので左肺全摘出(呼吸器センター内科 新海先生)

10/30~31 受診 呼吸器センター外科/荒井先生初受診 手術日仮押さえ。
          腫瘍が血管を巻いているので緊急を要する。
         消化器センター外科/大島准教よりGISTなら薬が先で手術は後と。困惑する。
          病理検査を急ぐように依頼
http://fugaku2.blog74.fc2.com/blog-entry-1935.html
      
11/6~7  受診 呼吸器センター外科/手術日決定
         消化器センター外科/GISTでなく肉腫と決定
11/9   入院 術前説明?
11/12  呼吸器センター外科で左肺全摘出手術(執刀 荒井先生) オンコール(最初の手術が終わるまで待機)  
11/20  退院
11/27  受診 呼吸器センター外科/術後の経過観察 
12/5~6 受診 呼吸器センター外科/術後の経過観察
        消化器センター外科?
12/20  受診 消化器センター外科?
12/26  受診 呼吸器センター外科/PET結果(2回目) 手術箇所以外は手術前のPET検査と同じ


[2013]
1/1~2 正月
1/8  受診 消化器センター外科/腹部腫瘍の状況説明(渡辺先生)
1/24 入院 術前説明 執刀医がする術前説明が大島貴准教授でなかったので少し安心。
「消化器センター大島准教授は病棟を持たない=手術しない」と聞かされていたが、いつも自分が手術するような言い方を
するので心配していた。

1/25 消化器センター外科で腹部手術(執刀 土田先生) 腸間膜に付着していただけで剥がれた為、小腸切除なし。
2/5 退院
2/13 受診 重粒子治療を希望
2/28 受診 荒井先生転勤の為ラスト 重粒子の紹介状3通と予約を入れて貰う。素早い対応に感謝。
        PET結果(3回目) 手術箇所以外は手術前のPET検査と同じ
        組織解析の為、手術で摘出したサンプルの提出依頼 
 
3/18 受診 群馬大で重粒子線受診 経過観察
4/1 職場復帰
4/3  受診 呼吸器センター外科/乾先生初受診
4/5  受診 府立成人病センター/高橋先生に組織の解析結果を伺う 
5/1  受診 呼吸器センター外科/CTで胸部に3mmの転移有り

5/29 受診 呼吸器センター外科/CTのピッチを1mmにして前回の上下5cmを精査、2mmの転移有り 
6/6 受診 呼吸器センター内でのカンファの結果、2つの転移に対しては経過観察に決定
      自家がんワクチンの為、手術で摘出したサンプルの受け取り

6/6 銀座並木通りクリニックで自家がんワクチン申し込み

 注射/週1回を3回 150万+診察料

6/30 休職

7/4 受診 呼吸器センター外科/CTで両腎臓、膵臓に転移 
       
7/11 受診 呼吸器センター外科/PET結果(4回目)で、脊椎(頸椎、胸椎、腰椎)、
       肋骨、腸骨、恥骨に多発骨転移
    骨転移があっては、治る事は無い。

呼吸器センター内科/三科先生初受診
   抗がん剤使用を検討する。この病院では血管肉腫患者でパゾパニブの使用経験が一例ある。
   気胸の副作用あり、片肺では直ぐ生命の危機に至るが、この病院は重大な因子とは捕らえていないようだ。

7/17 入院
7/19 受診 呼吸器センター内科/MRIで骨転移箇所を確認

7/22 パゾ開始


8/6 退院
   受診 呼吸器センター内科/本人退院後、三科先生に特別に時間を取っていだたいて治療方針等を伺う  

血小板が10万を下回る事があったが自然回復
甲状腺刺激ホルモン(THS)が20異常になるが、F3やF4の値は正常の範囲なので異常とは判断されず。

8/20CT結果
肺上部に最初からあって変化しないので、経過観察になっているもの 約10mmx2 → 少し縮小
肺に4月末、5月末のCTで発見されたもの  約5mmx2 → 消滅
  (腫瘍の大きさとCTのピッチが同じなので、見逃している可能性あり)
腎臓 10mmx2(左右) → 不変
すい像 20mm → 少し縮小




9/2 受診 整形外科/病的骨折が起こった場合のサポートのようで、今積極的に治療に関与するスタンスでない。
9/3 受診 ランマーク注射(2回目) 

9/10 心電図でST-T異常が大きくなった為パゾ中止
直後から、冷や汗、腕の痙攣・違和感、不安・焦燥感、怠い/体力ダウン

精神的症状、甲状腺異常、狭心症のいずれか不明。いずれもパゾパニブの副作用に入っている。

9/11 未明に急患で駆け込む。偶々心臓内科の先生で心電図をとってくれた。この心電図ではほぼ異常はおさまっていた。
  
9/18 カミさんへSOSの電話。急遽横浜へ。


9/19 受診 主治医の時間が取れない為代診 睡眠薬や安定剤を処方

9/26 受診 主治医中止勧告するも、高橋先生のメールで減薬選択 200mgでパゾ再開

10/1 受診 呼吸器センター内科/パゾ200mgで継続 ランマーク注射(3回目)
      8/20と比べてCTに大きな変化無し

10/3 自主判断でパゾ中止
10/5 亀田京橋クリニック/高橋先生受診 
    酸化窒素またはカルシウム拮抗剤で狭心症の症状を押さえて、パゾパニブを続けられる。

10/8 受診 再びパゾ中止勧告 転院迫られる 高橋先生にメールで亀田病院転院を依頼
10/15 受診 呼吸器センター内科/治療継続に一変 
心臓血管センター内か/永嶋先生受診
     (入れ違いに高橋先生から亀田病院入院のOKのメールが届く)

10/16 府立成人病センター/高橋先生に謝罪




11/5 入院
11/6 安全管理委員会よりストップ
CT検査。前回から変わらず。
11/7 条件付き承認

11/9 治療計画説明
12/11 CT 異常なし
12/18読影より2センチの転移あり
    8/? 10/1 2~3mm
  11/6 1cm
  12/11 2cm
12/20 退院
    退院の数日前から右足の痛み増大 フェンストテープ2mgから3mg
それでも24時間保たず。

12/21 亀田京橋クリニック受診
    冠動脈造影を勧められる。

12/24 受診

12/27 消化器センター大島准貴授に手術を拒否される。
http://fugaku2.blog74.fc2.com/blog-entry-1931.html
http://fugaku2.blog74.fc2.com/blog-entry-1934.html

主治医は、手術は患者の利益にならないと別の外科医が言ったという。
消化器センター大島貴准教授の身勝手な感情論だけではないと言いたいのだろう。
別の医者の見解をもちだして病院の総意と錯覚させる。 訴訟を避ける見事な連係プレーだ。この主治医は出世する。

1/6 拒否再確認
  市大の冠動脈造影の見解:太い血管が詰まっているような症状ではなくステントは不要な為冠動脈造影はしなかった。
整形:足の痛みしびれは腫瘍の増大によるものではない
    ?ならなんでなんだ

1/6高橋先生に大野先生の手術を依頼するが、市大でやるべしとの返事。
他の病院(キュアサルコーマグループ)では、片肺での麻酔はできないという

1/9 CT 新腫瘍増大と他の場所も増大

1/12 昨日から小水が出ず、膀胱が痛む
   休日に横浜市大、に駆け込み導尿により排出。通常400mlが漏らす限界の所600ml
 CTとMRIから仙骨の腫瘍が増大。原因は馬尾神経の腫瘍による圧迫と推定。
   整形外科の伊藤先生による緊急手術にて仙骨切除、除圧。

1/13 朝から痛みが激しく。午後オキノーム散を使っても痛みが軽減せずパニックに。
   気持ちはこの上なく暗いのに、手足を動かさざるを得ない焦燥感。右手が自分の手でない。
   術後で動き回る事が出来ずにベッドに手足をぶつける行動が続く。
   夕方個室へ移動。
   眠剤で眠らせても目が覚めると発作で手足をベッドにぶつける。本人に制御が出来ない。
1/14 朝、手術主治医の伊藤先生、抗がん剤の主治医三科先生にも来て貰うが、痛みが引くまで待つしか無いとの事。
   その後オキノーム散が効き始め徐々に落ち着く。
昼前食事開始

   精神科の森野先生に新しい安定剤と眠剤を出して貰う。コントミンは心臓のST-T異常に鋭気用があるため増量
   できずソラナックス。眠剤はレンドルミン。最近は病院でもこんな軽いのしか使えないのか。
 
   看護師さんの夜間点検の協力があり(起こさないよう)この夜は眠れてた。

オキノームが効くようになったのは、そのレベルまで痛みが下がったという話と、麻薬系の鎮痛剤で効かないのは
   手術の痛みではなく、精神的な作用があるがのではないかという話がある。

1/15 2夜続けての介助が終わる。2人に幅の狭い一台では殆ど眠れず疲れた。勿論一番しんどかったのは息子だ。
   帰阪してテレビを付けると大相撲春場所が始まっていた。もう四日目だったが、全く気が付かなかった。
   この4日間はそんな生活だった。

1/16 オシッコでたよのメールに安堵

1/28 退院

頻尿

2/4 三科先生最終診察

2/6 整形外科、伊藤先生最終診察 泌尿器科最終診察

2/8 大雪の中、大阪へ移動

2/10 西宮病院 楢原先生初診。

2/11 高橋先生にメール

2/16 吐き気がとまらない
   左足が痛くなってきた。右足の痛みは手術後は少しまし。オキノームは飲まずに居られる。

2/20 西宮病院入院
    吐き気はメジャートランキライザーで治る。
2/21 CT

2/21~2/23 外泊
2/24~2/27 ダカルバジン点滴
3/3~3/5 外泊

3/10 西宮病院 尿閉と右足の痛み フェントス8mgに
3/11 フェントが効いていいても、5分と立っていられない。座っていても痛い。3/9こごろから。急激に食欲低下。



3/13 西宮病院通院

   死の恐怖
    蓄尿感なし
   息子の部屋で3人で寝る


3/14 オキシコンチン、いきなりMAXの120mg/day

朝方近所の薬局で入手
朝60mg 夕40mg

横隔膜にくっついている転位腫瘍に痛みがあるという。

自分は情けない奴だと言うから、お前は立派な奴だと言った。
「考えても答のでない事は、考えるな
先の事は、考えずに今日の事だけを考えろ」と言った
本当に今までは、よくぞ冷静に過ごしてきたものだ。


3/15
昼まで眠る
傾眠が強い。

おしっこが少しでたが、夕方でず、パニックになる。
身体が
リスパザール、プラミテキソール、コントミン
恐怖が少しましになったら、不安が、強くなった。

オキシコンチンな朝40mg 夕方30mg


3/16
食が極端に細い。
麻薬の所為だ。

入院して、点滴をせんといかんと言ったら、無理にでも口に入れるようになった。
バナナ半分。ヴィダーinゼリー1本。どら焼き1個

オシッコが少しだけ出た。
もう3日も不安と恐怖が続いている。欝だ。

限られた余命なので、もっと楽に過ごして欲しいのに
をこんなふうに、無為より悪い状態で過ごさねばならないのが辛い。


21センチの巨大肉腫

2014年08月23日 04:29



http://www.yomiuri.co.jp/science/20140822-OYT1T50131.html

平滑筋肉腫のようだ。
「左右両方の肺と心臓、食道、肝臓に取り囲まれた隙間」とあるが、胸部と腹部は横隔膜で仕切られている。
どちらなのか不明だ。どちらかに出来た肉腫が巨大化し、膜を介して他の臓器を圧迫していたのだろう。
こんなに大きくなって臓器に浸潤していないとしたら驚きだ。


マスコミは相変わらずセンセーショナルな部分だけを取り上げるが、
こんなに巨大化していて、転移はなかったのだろうか。
今は無かったとしても、今後の経過観察が大事なので、巨大肉腫を取ったと言うより、
その方が患者にとっては大事な話なのだが。

息子の場合も、「ポロリと取れた」肉腫であっても、一年も経たない間に腹膜播種があっという間に拡がった。


予後の話がハッキリしない段階で手術結果だけを取り上げ、心臓手術のようにこれで一件落着的な発表で、
PR効果を狙ったのか。
まあ外科医にとっては手術結果が総てで、結果が全部出てからではアピールできないという事なのだろうが。



緩和ケアは在宅か入院か

2014年08月06日 12:07

在宅分の医療費を支払った。

iryouhia.jpg
「総医療費」で比較する。

6月は17日~30日の14日間
7月は1日~4日の4日間
こんなに日数が違うのに何故か医者の分は6月が¥348,500円、7月が¥381,430円と7月の方が高くなっている。
内訳は無く総て「診察料」になっている。

看護の分は明細も付いている。エンゼルケアというのは死後の清拭だろうか、保険の対象になっていない。
ただし保険内にもターミナルケアとして¥20,000円加算されている。よく判らない。
直後は眠っているいように見えたが、翌日、翌々日になると頬がこけてきて死顔になった。
含み綿をしていなかったか。ちなみに葬儀屋に頼むと¥40,000円になる。

医者の分はどんぶり勘定で全く判らない。
訪問回数では、医者は事前に病院へ来た分を入れても10回。看護師は延べ24回。
単純計算すると医者¥72,993円/回、看護師¥9,131円/回で桁が違う。1回の往診で7万円ですと!
トータル94万9080円、1日当たり5万2726円。ベッドやマットレスの賃料、院外処方での薬代は別。

緩和ケア科への入院では、トータル65万8070円(差額ベッド代と食事代は別)で、1日当たり5万620円


「実支払い」になると高額医療費の制度が効いてくるから、
医療費としては、入院の場合¥84,000円、1日当たり¥6,461円。個室料を入れると¥16,461円

在宅の場合はくトータルで¥237,904円、1日当たり¥13,216円になる。
18日間が2ヶ月に渡ったけれど、もし同一月内だったら高額医療費で頭打ちになるので同じく1日当たり¥6,461円になる。


緩和ケア科への入院と在宅の費用比較では、個室へ入るかどうかが別れ路になる。
しかし緩和ケアで4人部屋というのというのは、本人も同室者もどうかと思う。

在宅で幾ら訪問看護を密に来て貰っても、高額医療という強い味方があれば1ヶ月当たりの費用は頭打ちになる。
在宅での問題は患者の容体如何だろう。亡くたなった日も、自分で起きてベッドに腰をかけて用をたせた。
自分では何も出来ない状態だったら、入院しか選択肢は無かっただろう。







TOBYOというサイト

2014年08月01日 15:17

がある。
闘病記のブログを集めたサイトで、平滑筋肉腫のことを調べる時にお世話になった事もある。
http://www.tobyo.jp/library/1-1-1-b1.php

そのサイトにこのブロクがリンクされていた。
近頃「終の棲家」と「肉腫」という結びつかない組み合わせがヒットしていたが、ここが影響していたかもしれない。


新着順はまだしも、人気順評価順って、何ですか。人が病気で苦しんだり死んだりするのが面白いですか。

しかも、紹介では50~60代の管理者自身が平滑筋肉腫になっていた。私が????。少しでも読んでいれば判るでしょ。


リンクの打診も何も無かった。

闘病記のブログではないので「お問い合わせ」欄にリンクの解除を依頼したら、翌日には解除されていた。

これも、ノーレスポンスだった。



併せて、平滑筋肉腫のカテゴリーで、見世物になる可能性のある記事を限定公開にしました。





素晴らしい病院と許せない医者 その3~人の命を弄ぶ

2014年07月14日 10:39

仙骨に限らず、脊椎の手術は神経束を触るので非常に痛い。
30代の人間でも泣くほどだった。
それを60代で受けたら、その痛みが一ヶ月も続いたという。
しかも医者から、全部取り切れなかったので(神経は骨盤から前方にも伸びているので、当然!!)
重粒子を受けたらいいと言われている。
それなら初めから重粒子でやるように言ってくれればとブログで書いておられる。
http://plaza.rakuten.co.jp/ziisan70/diary/200904140000/
当然の事だろう。酷い話だ。量子線が使えるなら手術は必要ない。
この医者は「自分のやれる事をやった」と言うだろうが、本当に患者の事を考えたのか。
手術の為の手術ではなかったか。

これと同じような事を横浜市大の消化器センター大島貴准教授にされそうになった。幸いにして未遂に終わったが。
入院患者にパワハラを加るばかりか、その事を根に持って診療拒否をしたこの人については、2月にも書いた

最初に肺と腹部に腫瘍が見つかった。肺を担当する呼吸器センターでは腫瘍が肺動脈に絡んでいるから至急手術が必要言う見解だった。一方消化器センターの大島はGISTの可能性もある。GISTなら「薬が効く」から。、小さくなってから手術すれば良いと言った。こう言われるとそうかなと思ってしまう。「薬が効く」が曲者で奏功率100%の薬は無い。非常によく効く場合でもせいぜい60~70%しかない。今回の目的は「縮小」で「安定」ではない。もし縮小しなければ手術も出来ず、いきなり「緩和ケア」行きになる。

もしGISTで、薬が効いて縮小し、片肺の全摘出を免れから、治療方針を提案した消化器センター大島貴准教授が賞賛され、あちこちのペーパーに術例として投稿する。
縮小しなかったら。彼は何もしない。患者は緩和ケアのある病院へ転院させられて、もっと短い余生をベットの上で呻吟するだけだった。
誤診ではないので大島にリスクはない。その上彼は手術をしない外科医だから、そこでのリスクもない。成功すれば自分が執刀医、失敗すれば実際に執刀した医者の責任。
最終的なリスクは総て患者とその家族が負う。

しかも、この選択に患者側の意思は反映されない。

大学病院では、患者の為に医者がいるのではなくて、医者の為に患者がいると言っても、あながち過言ではない。
彼らは、リスクを負わずに論文ネタに出来る患者を狙っている。
人の足は3年踏まれても痛くない。
彼らにとって大事なのはたった数行の症例。患者を人と思っていたら論文なんか書けない。
患者を踏み台し、論文の数を稼がないと、院内の階層は上がれない。


いくら外見では立派で居心地が良さそうなに病院に見えても、バックヤードは魑魅魍魎。
大学病院は行かなくて済むのが一番。