母のキャリーバック

2018年04月20日 07:43



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このキャリーバックは母が使っていたもので、その後は妹が毎日使い続けて来た。
さすがに古ぼけてしまったので、処分する事になった。

こんなモノを盗られる事はないだろうに、後ろに住所と妹の名前が書いてある。
父の「仕事」だろう。


母が76歳で亡くなって18年経つ。
パーキンソンで動けなくなる前に使っていたものだから20年以上働いてくれた。

ごくろうさん。




春の台風一過

2018年04月02日 08:08



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週末に次男一家が来て、8ヶ月の孫がやって来た。
上の女の子の時は「あいつ」の病気があって小さい時は見ていない。

まだ歩けないが、それでも動き回って、何でも味見する。
くたびれると、機嫌が悪くなって泣いて、寝てしまう。
1時間もしないうちに目を覚ましてまた動き回る。
是の繰り返し。

先輩方の話の通りだ。
子供の成長は速い。もう2度と来ない瞬間だと思うと
こちらも精一杯対応するが、これを毎日は続けられない。



帰ると忽ち元の静寂がもどってきた。

あいつが生きていれば、子供の頭数も増えて騒ぎも倍になっていただろうか。


[GX7mk2+DG NOCTICRON 42.5mm/F1.2]



19年間ありがとう~日立全自動洗濯機NW-7S2

2017年10月23日 11:43



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この洗濯機が我が家に来たのは1998年1月17日だった。
まだ両親共に健在で、あいつは大学入試に合格した。続いて翌年次男も。
「孫が2人とも現役で志望校に入学できてよかった」と喜んでいた母はその翌年に亡くなった。

我が家の最も良い時期に来て、家を建て替えた後も10年間頑張ってくれた。
その間、モーターのVベルトを2度取り替えた。
排水ホースがひび割れて交換部品を用意していたが、テープ巻きで保っていたのでそのままになっている。

モーター等は全く問題ないのだが、ホース以外の場所から水漏れしている。
後1年で「成人」になったのに、残念ながら後継に道を譲る事になった。


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こちらが後継のBW-V70B-A
容量は同じで少しスリムになっている。
国内メーカーのものは値段が倍以上に上がっていた。
ハイアールなら1/3の値段で買えるのだが、アフターケアに不安があるので今度も日立にした。
それでも「国産」にはなっていない。
海外部品を使っているからという事らしいが果たして耐久性は・・・・・。







30年ぶりの旧我が家

2017年07月19日 18:05



ふと思い付いて、古市(羽曳野市)のかっての我が家へ行ってみた。
電車の窓越しやグーグルマップで見ることはあっても、実物は30年ぶりだ。

富嶽鉄道の車窓撮影~アクションカムHDR-AZ1 を使って撮ったビデオ(4Kではない)から切り出した画像なので、解像度が低い。


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羽曳野市役所の前を通り、近鉄古市駅の通りを過ぎると、国道170号線は急な上り坂になる。
ありゃ近鉄の車庫の辺りに、こんな大きなマンションが出来ているぞ。


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石川と近鉄長野線の間の坂道は、昭和苑が外部と繋がる唯一のルートだ。
住んでいた頃は何ともなかったが、今なら毎日苦痛を感じずには居られない。


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坂道を降り、道路は線路に沿って第2期工事の区画へ入っていく。
道端に滑り台とブランコだけの小さな公園が今も残っていた。


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公園の角を曲がると・・・・,
30年前から変わらぬ家並みが続いていた。



30年前の「あいつ」。
補助輪の付いてない自転車に乗って、大声を出しているほう。


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この角の家が我が家だった。
角のガレージに屋根を後で作り付けた。それを支える柱が濃い色で塗り重ねられているだけだった。

家はお隣に売った。家の姿は変わっていないが、表札の名前は変わっていた。






のり兄い

2017年04月23日 08:27



先週、壬生川へ行った。

来年は70才。
そろそろ終活に入る。こちらも、向こうも。
お互いこれが今生の別れになるかもしれぬ。


叔父の家を訪ねた。
母の末弟で、叔父・甥と言っても10才しか違わない。
功雄という名前だったので「のり兄(に)い」と呼んでいた。
(本当は造りは力でなくて刀だが、漢字表にない)

よく海で遊んでもらった。
カブトガニを捕ったと思ったら抜け殻だった。
模型作りを教えてくれたのはこの叔父だった。
一緒に、便所にスイカで作ったお化けを吊して、2人ともこっぴどく怒られた事もあった。
一月分の給料をはたいて、水月焼を買わせた』のも、この叔父だった。



15年前に64才で亡くなった。


自分が末っ子だから年下の私を可愛がってくれたと思っていたが、
叔母さんに「よく似ていたので仲が良かった」と言われた。

え、そうだったの?

遺影を見上げると、懐かしい顔が微笑んでいた。



水月焼の蟹

2016年12月01日 00:32



母及びカミさんの里の壬生川は、小学生のころは愛媛県周桑郡壬生川町であった。
その後、東予市壬生川となり、現在は西条市壬生川になっている。

西条市は水の豊富な所として売っているが、それは辺り一帯同じことで、打ち抜きと呼ばれる湧き水が各家庭にあった。
水源は地表近くの真水の層で、潮の満ち引きで水位が変わる。
道路脇にはその水を川に導く水路が流れ、家の三和土をこんな沢蟹が走るのが見られた。

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これは松山の好川恒方という人が創始した「水月焼」という焼きものだ。



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小学1年か2年の時に、叔父(母の末弟)に連れられて松山に行った時に買って貰った。
買って貰ったと言うより、どれにするか散々迷って結局全部買わせたというのが真相だ。
叔父の一月分の給料が総て飛んだという。勿論後で母が返していた。

小学生の分際で銚子、猪口、ぐい飲みを揃えるとは・・・・。



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好川恒方は明治、大正、昭和に活躍し、昭和53年に95才で亡くなった。
これらを買ったのは昭和35、6年なのでまだ恒方が活動していた。
その後夫人である恒悦が継いだが、今は閉釜してしまって作られていない。
2種類の刻印がある。右が恒悦のものなので、左の銚子は恒方の作品だろう。


叔父は歳が近い(10才年上)こともあってよく遊んで貰ったが、18年前に60才で亡くなった。



[NEX5R+LA-EA4+SAL50M28]撮って出し





本家が消滅した

2016年03月23日 09:37



先日49日の法要があった。
カミさんの書道の先生であったが、同時に私の本籍地に住む本家の最後の人だった。

祖父は次男坊だった。
祖父の兄の家系は、孫即ち私の代には女ばかり3人姉妹になった。
その末っ子が未婚で家を継いでいた。

餅つきに行っていた親類(祖父の妹の嫁ぎ先)程ではないが、1m程の石垣の上に母屋が建つ古い家だった。
代々の墓は、我が家のような共同墓地ではなく近所の寺の境内にある。

仏壇と墓を引き継いでくれる事が故人の希望だったが、
家と、駐車場にしていた土地を引き継ぐ事になった甥は、墓や仏壇はいらないという。
墓も仏壇も無くすという。
墓じまい、仏壇じまいと言うらしい。
永年ご先祖の供養してきたのに、自分は位牌も墓もなく、永代供養されて終わりとは。


諸行無常。



祖父と扇風機

2015年07月29日 10:46

祖父は頑固な明治人間だった。
頑固と言うより頑迷と言った方が正確だ。

エアコンが普及する前だった。
祖父に扇風機を買ったら、使う時に戸襖を全部閉めさせた。
「風が逃げる」という。
エアコンと同じように、風を「生成」する機械ととったようだ。
当然室温は上がり、祖母は文句を言う。
父が説得したが頑として受け付けない。
そのうち扇風機は押し入れに突っ込まれて使われなくなった。


無知程強いものはない。



親父の影

2015年06月19日 10:04

夢のなかに、父が出てきた。
いつまでも、元気でいてくれよ!

と、思ったら眼が覚めてきた。

親父はどこに居る・・・・・

5年も前に死んでしまった。


いつまでも親がいるものだと思って生きてきたから、
死んでからも、それが意識下に残っている。

「親を空気みたいに思ってやがる」(居て当然)と言ってた事もあったなあ。


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親父が育てていた南天の花が咲いていた。
一度枯らしてしまったが、根が生きていて復活した。


撮影[α99+Sigma MACRO 50mm F2.8 EX DG]Capture oneで補正



変わり餅

2015年03月20日 10:06

先週、もちつき について書いたら、餅を送って下さった方が居た。

ネコと通称される、ナマコ状の細長い楕円形に伸ばした餅をスライスした切り餅だが、色んな物が入っている。

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右から、たかきび、蓬(よもぎ)、薩摩芋、塩を混ぜてついている。

他のはほのかな味だが、薩摩芋入りは直ぐにそれと判る程甘い。

何も入っていない餅を真空パックにしたのはスーパーでもよく見かけるが、こんなのは見た事がない。
昔の味を楽しむ需要があるようだ。

色んな物を混ぜるのは、今は違った味を楽しみたいからだが、
米を充分に食べられなかった時代に、雑穀類を混ぜて増量したというのがルーツかもしれない。


食感は真空パックの餅と同じで凄く柔らかい。
手でついた餅と違って、機械で完全に捏ねてしまうからだろう。


そう言えば、あいつの49日の餅もまだ残っていたなあ。