西国33箇所 その10 第3番 粉河寺

2017年09月11日 08:11



根来寺の後、粉河寺に向かった。


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大門(重文)の横を通り抜けて駐車場に行ける。


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河沿いの参道にお堂が並んでいる。
門の格子の間から綺麗な庭が見えるが、ここは公開されてないようだ。


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やや荒れている大師堂、ではなくて太子堂だった。
天台宗だから大師堂はないか。


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豪華な中門(重文)。


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仁王像は既に大門にあるから、ここは四天王。


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ここの石庭には、15番国分寺~背筋がゾクッとする庭 と同じような感激が得られるかと期待していたが、
あれほどの緊張感は無く、単に庭石が密集しているだけだった。


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石庭の横の階段を上がって見た、本堂(重文)の姿に唖然とした。
唐破風があって、破風があって、その向こうに唐破風をもった屋根が・・・・・。。
何という贅沢さ。
屋上屋を架すとは将にこの事だ。


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横から見ると複雑な屋根組がよく分かる。


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入り口の天井に本尊の千手観音のレリーフ(懸仏)が飾ってある。
ここの本尊は火事に遭わぬように地中に保管され、前仏さえ一般に公開していない。
多少なりとも信仰の対象となっている仏の姿を出しておこうと言う事か。


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400円の拝観料を払うと内陣に入れる。


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正面の祭壇に仏像らしき物はないが、左右は賑やかである。
12神将の倍以上の28部衆と風神雷神が左右に15体ずつ飾られている。


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十六羅漢像


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伝左甚五郎作「野あらしの虎」とあるが、どう見ても野良猫だ。


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内陣の廊下には他にも多数の仏像がおかれているが、千手観音が2体もあった。
「裏観音」と呼ばれている。

こんな所に置かずに内陣正面に前仏として飾れば良いのに。


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善光寺の阿弥陀如来のレプリカ?


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鬼子母神か。


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この不動明王はダイナミックで迫力がある。


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奈良時代に遡る寺の創建伝説に関わるクスノキだが、
樹齢は300年程度と推定されている。


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50円を払って鐘を突いた。

男性の参拝者に「十六羅漢はどこですか」と聞かれたので、本堂の中と答えると
「金を取るのですか」と残念そうな声が返ってきた。
関東の板東33観音や秩父34観音は無料だという。

しかし、四国88箇所も含めて観光寺が金を取らずに運営できるわけは無い。
入山料として500円程度払えば駐車場から拝観まで総て込みという所が多かった。(ご朱印は別)
これまで西国33箇寺では谷汲山華厳寺が無料だったが、あそこは門前町が大きくて寄付が見込める。
それでも内陣は普通有料だ。

この人は、まだ京都へは行っていないらしい。行ったら腰を抜かすのではないか。


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本堂の奥に竜宮造りの門がある。
十禅律院という。
粉河寺の塔頭のように見えるが、独立しているらしい。
檀家は殆どないのではないか。


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「動員学徒殉難碑」とある。
学徒動員で戦場に駆り出された人々の碑なのか。
それとも、勤労奉仕に駆り出されていて空襲に遭ったのか。
遺族の悲しい想いは永劫に続く。


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本堂は小振りだが、重厚で品の良い造りだ。


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本尊は阿弥陀如来か。


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蓮池の向こうの塀はかなり傷んでいる。


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これは江戸時代の消防ポンプではないか!


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寺の境内に産土神社が神仏習合の証として鎮座している
ここは寺も神社も繁盛しているようだ。


この後紀三井寺へ行く予定だったが、疲れたので帰宅する。
お四国の時は1日8寺をノルマにしていたのに。
何時でも良いとなると中々前へ進まないものだ。


[α7S+SEL24240]


根来寺~秀吉と闘った鉄砲の寺 

2017年09月09日 08:09



8/4 西国33箇寺に入っていないが、以前から行ってみたいと思っていた根来寺に行った。


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根来寺は12世紀、興教上人が興した新義真言宗の総本山である。
16世紀に最盛期を迎えたが、天下統一を目指す信長、秀吉とぶつかる事になる。
信長とは友好関係にあったが、秀吉とは小牧長久手の戦いの際に家康に味方した事から、雑賀、粉河、高野山と共に紀州討伐に遭う。


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本堂であった大伝法堂は焼けなかったが、解体されて大阪に運ばれた。
その資材は使われる事なく朽ちてしまい、その場所は「伝法」と呼ばれた。
確か此花区の新淀川に面した一帯が伝法と呼ばれている。
また、阪神なんば線の西九条から1駅尼崎寄りの駅の名が伝法だ。


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内陣には、大日如来を本尊に金剛薩埵、尊勝仏頂の2体の脇侍の、いずれも3mを越える座像が安置されている。
堂は江戸時代の再建だが、これらの像は15世紀の作で重要文化財である。


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大伝法堂も大きな建物だが、それを上回るのが隣の大塔だ。


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日本最大の多宝塔で国宝になっている。


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紀州討伐の際に受けた鉄砲玉がいまだに残っているという。


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1階の外観は方形だが、内部は2階と同じく円形になっている。


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本尊の大日如来を囲むように複数の仏像が安置されている。
作業されているようで内部には入れなかった。


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大塔の隣に大師堂があって、真言宗の寺だという事を思い起こさせる。
この建物も戦火を免れたもので重要文化財になっている。


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駐車場から来たが、本来はこの竜宮城のような鐘楼門が正門らしい。
残念ながらこの鐘は突けなかった。


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門を入って正面は光明殿で、紀州徳川家ゆかりの建物のようだ。


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左に行くと池があって、お堂が見える。
光明殿から建物伝いにあのお堂まで行ける。


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厨子の中には紀州徳川家代々の位牌が並んでいるのか?


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部屋の中から庭を眺めながら進む。
結構な風情だ。


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向こうが見える屏風?


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部屋の中に井戸が。お茶をたてるのに使うのか?


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ここが終点。池の中にあったお堂の中だ。

これだけ見せて貰って、駐車場代も含めて500円とは根来寺は太っ腹だ。
京都の寺なら其々別料金で、ご朱印までもらってたら2千円位に直ぐに踏んだくられる。
その上庭では写真を撮るなとくる。


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鐘を突き損ねているので、駐車場に近い受付の横を上がる。
割れ鐘なのでソロッと突けとある。
その通りにしたが、特段変な音はしなかった。


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鐘楼の側にあるのが不動堂。


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本尊の「きりもみ不動」はこの八角堂の中らしいが、今日は御開帳日ではない。


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街道筋に出る直前に旧和歌山県の議事堂があった。

これで全部見たぞと次の粉河寺へ向かったが「大門」を見忘れていた。
この議事堂の向こうにあるはずだ。
歩いて行きかけたのだが、遠いので帰りに車で寄る積りにしていて忘れた。
根来寺の寺領の広さを思い知らされた次第。



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西国33箇所 第31番 長命寺~ミッションインコンプリート

2017年09月01日 08:34



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寺への山道に差し掛かると車福制限のポールが行く手を阻んでいた。
間は2m程だろうか。

車幅に対してOKの積もりなんだろうが、ドアミラーが問題だ。
普通ドアミラーの両端距離は2mを越えるが、閉じると2m未満になる。
ところがこの車はドアミラーが分厚くて、閉じても結構出っ張っている。


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上空から見ても、ギリギリ


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四国88箇所でも、こんな事をしている寺がある。
28番 大日寺~車難所の寺  四国88箇所車遍路(22)


この道は行き止まりなので、寺に用事の無い車は入ってこない。
寺の私道になっていないので市の名目でポールを立てているが、寺側の意思だろう。

環境問題と捉えているオバカなブロガーもいるが、寺は大型観光バスが大好物のはず。
観光バスはここからタクシーに乗り換えるオプションを設けているから問題ない。
トラックは寺の普請用ばかり。

とすると対象は住職が主宰兼運転手をしているような(四国ではよく出会った)小規模ツアーのマイクロバスだろう。
マイクロバスが来ると、寺の車と対向できない道幅なのだろう。
寺にしてみたら、自分達の生活道路の往来を確保するという事か。



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「危うきに近寄らず」で、808段の階段を登るという予定外のアクセスになった。


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入り口近くは、奉仕活動で綺麗になっているが、


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少し入るとたちまち石組みが崩れた荒れた石段になる。
段高は高いものでは30センチにもなる。
その上、段も踏みしろもまちまちで非常に登りづらい。


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8月に入ってからは徒歩での外出はしていない。
一軒しかない茶店は店を閉め、自販機も停止していて水分補給用の飲料が買えない。
あまけに100段程上がったところで車をロックしたか気になって一旦下まで降りた。


ケッキョク、フセッセイなコキのロウジンはイシダンの1/3ホドのコノチテンでギブアップした。

「アイシャルリターン」「捲土重来」



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帰りに、「ラフォーレ琵琶湖」の前を通った。
7月末から「琵琶湖マリオットホテル」に名称が変わっている。
子供達が小さい頃、会社が直営保養所を閉めて契約保養所システムにした時に泊まった事がある。


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プラネタリウムも健在だ。
星空を見て、「あいつ」もちょっとビックリしたような顔をしていたっけ。



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部屋からこの水門が見えていたのを覚えている。
周囲に木は少なく、琵琶湖の浜辺が拡がっていた。




西国33箇所 その9 第29番 青葉山松尾寺~昔の光今何処

2017年08月24日 06:48



清水寺から舞鶴若狭自動車道に戻り一路北へ進む。
片側一車線の高速道路もオートクルーズで楽チン快適ドライブだ。
国道27号丹波街道に降りて暫くすると松尾寺への分岐が現れる。
坂道を登るにつれて幅が狭くなってくる。

カーナビでは松尾寺に到着しているのだが駐車場が見当たらない。
寺の脇の細い急坂を登って行くと、未舗装の5,6台止められそうな駐車場が現れた。
第4駐車場とある。
ここではなさそうだ。
再び下へ戻って辺りを見回すと、さして大きくない駐車場があった。
観光バスはとても入れない。もっと下へ停めるのだろう。


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道路から直で山門への階段が始まる。
扁額の青葉山の文字が痛んでいる。
仁王像は写真で代用している。

下に立つとなかなか立派な山門なのだが・・・・・。


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山門まではせせこましいが境内は思ったより広く、本堂は二重屋根に唐破風の凝った造りになっている。


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正面は立派な彫り物で飾られている。

いかし、何となく・・・・・。


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本尊は33箇所で唯一馬頭観音が秘仏になっている。
施福寺の馬頭観音も同じ3面だった。前立ちとはいえ本尊と同じ造型をとっている。


「本堂の解体修理」という文字が見えた。
確かにその時期であるのは素人目にも明らかだ。
しかし、普通より大きく凝った造りの本堂を解体修理するような資金が集まっているようには見えない。
周辺の集落は寄付や作業奉仕を引き受けるどころか、高齢者ばかりの限界集落に近い。
札所だけでは現状維持が精一杯ではないだろうか。
それ以外の、厄払いや安産祈願の「メニュー」を増やすとか、期間限定で秘仏の本尊を開帳するような事が必要ではあるまいか。


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ここにも施福寺や、88箇所の70番本山寺(馬頭観音が本尊)と同じように馬の像がある。


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本堂の右手に大師堂がある。
本堂と言っても良いぐらい立派な建物だ。
ここは真言宗だった。


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本堂と大師堂は優美に湾曲した屋根付の廊下で繋がっている。

これを見ると、かっては相当な経済力があったものと思われる。
元は廊下の下に池があったのではないか。


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鐘楼の鐘は突けなかった。


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大師堂の横というか裏手に六所神社がある。
六体の神様を祀ってあるという事か。

縁起は不明で、もはや扁額も読めなくなっているが、鳥居は脇柱付きの格式の高いものだ。
神仏習合の名残だが、社への参道は草が伸びて手入れされていない。



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境内から山門を見下ろす。
山の稜線が連なり、樹木の手入れが行き届いていれば、なかなかの絶景が見られそうだ。


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野生の猿が辺りの道路を横断する。
カメラを向けて近寄ると逃げてしまう。
人が餌付けしているのではなく、山猿の生息地域に入っているのだろう。

88箇所でも山深い寺は数あるが、猿が出てくるような寺はなかった。
ひょっとして、参拝者が居なくなると境内は彼等の天下なのか?


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西国33箇所 その8 第25番 御嶽山清水寺~もうひとつの清水寺

2017年08月23日 01:29



8月21日

25番播州清水寺と29番松尾寺に行く。
清水寺は京都のそれと区別する為に播州清水寺と呼ばれているが、こちらも大きくて繁盛している寺だった。


お盆が終った週明けの月曜なので、10時半すぎに出発して朝のラッシュを避けたのだが、
吹田から宝塚まで大渋滞で、舞鶴若狭自動車道の三田西ICを降りたのは12時半だった。

福知山線と別れるとくねくねした田舎道で方向感覚が無くなってくる。
10キロ程行くと高速の料金所のようなゲートが現れた。
ここで入山料を払う。500円だが、車の台数ではなくて人数あたりなので乗車人数を聞かれる。
寺の「私道」が3km続く。カーブが連続するがどこでも対向できるきれいな舗装道だった。

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山の中腹に広大な駐車場が拓かれている。
観光バスが数珠繋ぎになって来ても大丈夫だが、今は数台のマイカーがいるだけ。
夏の終りはどこも閑散としている。

車を降りると、突然「あいつ」が側に居るような気がした。
久しぶりの事だ。
初めての巡礼だった32番観音正寺で同じような感覚を経験した。
それがきっかけで四国88箇所を回ったのだが、そこでは感じる事ができなかった。


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仁王門から境内に入る。
車で通れるような参道の脇には、城跡か思うような石垣が続いている。
武力・経済力をもっていた寺である事が窺い知れる。


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大講堂。
ここが西国33カ所としての札所で、本尊の十一面観音が300円を払えば見られるようになっている。

前の池は極楽を表しているのだろうか。
緋鯉が灯籠の影に寄って夏の日差しを避けている。



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ここから寺の本堂である根本中堂までは一直線の石段で繋がっている。


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大講堂と池を挟んで反対側に薬師堂があって、十二神将が本尊の薬師如来を守っている。
このらしくない十二神将を制作したのは、奈良の「せんとくん」の作者、彫刻家の薮内佐斗司氏である。


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石段の途中に鐘楼がある。


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大きな寺では珍しく突けるようになっている。


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根本中堂到着。
本堂がこう呼ばれているということは、ここは天台宗のお寺だ。

下から心地よい風が吹き上げてくるが、誰も居ない。


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お堂の中へ入ってもOKだった。
広い空間を独り占めして贅沢なお勤めをさせて頂く。


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お灯明も、お線香も堂内であげられるのは有り難い。
四国88箇所では何度もお灯明が風で消されてしまった。

にしても無人なのは大胆不敵である。


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灯を須弥壇からとっても良いとあったので、格子戸を開けて入る。
本尊は秘仏で厨子の中に収まっている。
前仏を撮ったが、帰ってからよく見ると手前のロウソクの炎に焦点が合っていた。



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根本中堂の裏に「大塔跡」がある。
「五間四面二層」とあるから、一辺が9メートルの大きな多宝塔だったのだろう。


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天守閣のような礎石が残っていた。


「あいつ」が横にいるような、ふんわりした気分で廻っていたら、お賽銭をあげるのを忘れていた。
あいつの「飛乃剣弥作品集」の出版・配付を終えて、気が抜けていたのかもしれない。


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西国33箇所 その7 第28番成相山成相寺

2017年07月21日 21:30



2年振りに西国33箇所札所巡りを再開した。


車が新しくなってナビの地図が最新のものになった。
これまで画面にでて来なかった京都縦貫自動車道を通って宮津の成相寺に行く。

乗り換えのインターを行き過ぎてUターンというアクシデントがあったが、
自動追尾のレーダークルーズで快調なドライブだった。

最後は細い山道だったが、四国程ではなく、まだ車幅感覚のない車でも容易に上れた。

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正面には唐破風


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四方に切妻を持つ入母屋造りの立派な本堂だ。


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軒の彫り物も豪華なものだ。


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本尊の聖観音。
「本物の本尊」は秘仏で容易に見られないが、前仏もなかなか立派だ。


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この青銅の壺はお線香用。左右にお燈明立てと全部に屋内にある。
風が強いと吹き消されてしまうので、この配慮は有り難い。
火の気が屋内にあるのを嫌うのだろうが、他の寺でも取り入れて欲しい。


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本堂の隣に神社。熊野権現が祀られている。
成相寺は真言宗だが高野山から独立した単立寺院である。
それでこれだけの規模を保って来られるだけの力を持っている。
明治初期の神仏分離なぞどこ吹く風だったのではあるまいか。


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本堂から降りていくと、悲しい伝説を持つ突かずの鐘の鐘楼がある。


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かっての栄華を彷彿とさせる五重塔


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その下に山門があった。
駐車場が本堂の横にあるので参拝者は殆ど来ない。


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と、その山門の脇をバスが上って行った。
下の傘松公園と成相寺を結ぶ路線だ。
天橋立へ来た観光客が、却って本来の参詣路を上がって来る。


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境内にある弁天展望台から天橋立がよく見える。
傘松公園は股覗きで有名だが、高度が高い分こちらの方が見晴らしが良い。


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高三の夏休みに天橋立へキャンプに来た。
受験勉強が忙しかったが、大学受験は二人に一人は浪人なので中三の時より気楽だった。

そこで幼稚園からずっと同志社で、受験知らずという連中に会った。
親が京都で会社を経営をしており、何をしていても食うには困らないという御坊っちゃま達だった。
こんな人生もあるのか・・・・・。

夜になって雨が降りだした。
砂浜のあちこちに川ができる程で、とてもキャンプをしてはいられない。
結局、国民宿舎に飛び込んで一夜を過ごした。

その浜がこの何処かにあるのだが、全く思い出せない。




PS.その後、会社へ入ってからもキャンプに行った事がある。
この時も雨に降られて、夜中にスコッブで懸命に排水路を作った。
キャンプとの相性は頗る悪いようだ。




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西国33箇所 その6 後編 第30番 巌金山宝厳寺~只今工事中

2015年10月10日 01:42



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唐門と観音堂は、「平成30年」まで屋根の茅の葺き替え等の補修工事が行われている。
外からは全く見えないよ。
おいおい、この写真をHPに貼って置いてくれたら無駄足を踏まずに済んだのに。
ま、貼っていたら客足は激減するだろうな。



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国宝「唐門」の扉。

豊国廟にあったのを移築したとされているが、更にその前は大坂城にあった事が最近になって判った。
秀吉時代の大坂城の唯一の遺構という事になる。


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唐門とその直後の観音堂は独立している。
ここからは観音堂。


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本当の本尊は出していない。これは身代わりの本尊。

ここで問題発生。
ここでは、ご朱印はもらえない。
上の弁財天の横で、弁財天と観音の両方の分をやっているという。

やれやれ、またあの石段を上るのか。

そりゃ、書き手は一箇所に集めて置いた方が効率が良い。けどな・・・・・。



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唐門、観音堂、舟廊下は秀頼が片桐且元に命じて、移築させた事になっている。
むろんその大元は、家康の意向に違いない。
秀吉の遺産を大衆の目から遠ざけるために、こんな辺鄙な島に移させたのだろう。

観音堂や舟廊下は重文で、国宝になっていない。
多分、出所や建築年代を示す古文書が残っていないからだろう。
しかし、この派手で豪華な造りを見れば、桃山時代に秀吉が造らせたオリジナルであるのは明らかだ。


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舟廊下は、秀吉の御座船(軍船)を使って(という事は解体して)造られている。
これも豊臣家「武装解除」の一環だったのだろう。

寺では「国宝」に格上げしている。


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急傾斜地に造られているので、一部舞台造りになっている。


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舟廊下は観音堂とこの竹生島神社を結んでいる。
この本殿は国宝になっている。


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本殿の向かい、湖側に立派な建物が・・・・。


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「かわらけ」投げをする場所だった。
願い事を書いて投げ、鳥居の下を潜れると願い事が叶う「らしい」。
相当の腕力が無ければ鳥居まで届かない事は、この残骸を見れば明らかだ。

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下からシンボルのように見えた三重の塔は2000年に再建されたもので、文化財としての値打ちはないらしい。


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反対にこの石の五重塔は、鎌倉時代の物で、重文の指定を受けている。

ようわからん。


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今津行きの船が来るまで、まだ暫く時間がある。
遍路の格好していたのはこの人だけで、経をあげる人も少なく、殆どは観光客だった。
そういえば我々も輪袈裟を持っていたのだが、本堂、観音堂とも掛けるのを忘れたままお経をあげた。



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西国33箇所 その6 前編 第30番 巌金山宝厳寺~船で行く寺

2015年10月09日 01:33



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10/6
本来ならもう既に第3回目の四国88箇所車遍路を終えているはずだったが、今日は滋賀県の今津から船で西国33箇所札所の宝厳寺に向かう。

2週間ほど前に家の階段から落ちた。
落ちた時の記憶が飛んでいるのと、その後2日間は吐き気と頭痛が強かった。
それでも、踊り場のある階段なので、普通の半分の落差で済んだ。
まだ眼精疲労がするので、一気に長時間運転の四国ではなく、比較的近場でテストする事にした。

京都東ICからの湖西道路は一般道だったが、高速道路の出来損ないのような道で、信号はなく制限速度は70キロ。
家から2時間程で今津の遊覧船乗り場に着いた。

今津は若狭から京都へ繋がる「鯖街道」の中継地で、荷物はここで船に積み替えられて大津を経由して京都へ向かった。

宝厳寺は琵琶湖の北辺に近い竹生島にある。

今津、竹生島と言えば、聞き覚えがある。
旧制三高(現京都大学)の寮歌「琵琶湖周航の歌」の3番に「今日は今津か 長浜か」とあるし、4番には「古い伝えの 竹生島」がある。
似たような歌に「琵琶湖哀歌」があるが、こちらは旧制四高(現金沢大学)のボート部が遭難した事件を歌っている。
この事件を扱ったミステリ-が「浅見光彦」シリーズにあったなあ。

その竹生島へ渡るには今津からが、もっとも距離が短い。


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竹生島は思っていたより、ずっと小さな島だった。
近づくと柱状節理が見られる。玄武岩で出来ているようだ。
琵琶湖は断層で出来た湖であるが、玄武岩は火山性である。
湖底の地脈は複雑なようだ。


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右端へ回り込んだところに船着き場があった。


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船を下りると直ぐ目の前の絶壁に堂宇が展開している。


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あの三重塔までなら160段以上ありそうだ。


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鳥居の向こうには、早くも石段が待ち構えている。

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一段の高さが高くて見た目よりきつい。
こんな所で落ちたら、それこそ命に関わる。手すりを掴みながら進む。


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鐘楼も、石段脇にある。


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ようやく、大きな手水場の向こうに本堂が見えた。


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堂々とした立派な建物で、天井もこれまで見てきた寺より高い。
ただ、ぶら下がっている提灯には少し違和感がある。これまでの西国33箇所の寺は普通の丸提灯で、こんな四角のはむしろ四国88箇所でよく見る。


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小さな姫だるまの中に願い事を書いた紙片を入れておくらしい。



納経を済まして、一応「用事」は終わりと思ったら違った。

ここの本尊は弁財天で、西国33箇所の本尊は下の観音堂にあるという。

思いついて直ぐ出て来たので「予習」をして来なかった。
この竹生島には、宝厳寺(ほうごんじ)と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)がある。
神仏習合で、元々は一つの「寺」だったが、明治の廃仏毀釈で竹生島神社となっていたのを、
古来の名前である都久夫須麻神社に替え、宝厳寺は取り壊される事になった。
しかし全国の信者の反対で、それぞれ別の法人として残されるようになり、弁財天は宝厳寺に残った。
ここの弁財天は、宮島、江ノ島とならんで「日本三大弁才天」とされている。


お寺の本尊が弁財天なんておかしいと思ったていたが、そういう経緯があったのか。


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やれやれ、せっかく上がってきたのに、この急な階段でまた下へ戻るのか。

まいいか。秀吉ゆかりの国宝「唐門」や舟廊下は見に行くし、船に乗るには降りなきゃならない。

しかし、カミさんも私も石段上りで集中力を欠いていたようだ。
あの石段を2往復する羽目になるとは思っていなかった。

(続く)

西国33箇所 その5 第4番槙尾山施福寺~最難関札所

2015年06月12日 10:11



6/7
巡礼で先行しているカミさんが、ここと比べたら他の札所はたいしたこと無いと言い切る。
天気予報では明日から雨の日が多くなる。日曜日だが、この札所に一人で行っておこうと思いたった。
駐車場が混む前にと、6時半に家を出た。

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家から1時間で登山口に到着。
一番近い駐車場は20台くらい駐められそうだが、既に半分以上埋まっている。
寺はまだ閉まっている時間だ。33箇所巡りの人ではなく、地元の人が、早朝参拝をしているのだろう。
飲み物を用意しておきたいが、あてにしていた登山口の店はまだ閉まっている。自販機も無い。


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最初は舗装した幅の広い道だが、見た目以上に勾配がきつく、早くも息が切れる。


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仁王門に到着。ここから本格的な山道に入る。

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石段は不揃いだし、木の根っ子が張り出して歩きにくい。

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上へ行く程勾配がきつくなるが、石段は整備されてくる。
肺は酸素を求めて止まないが、足下は楽になった。
休みたいが休憩するような場所は無い。

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ようやくあと「一丁」の道標が出て来た。もう少し。

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勾配は少し緩んだが、また歩きにくい道に戻る。


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愛染堂。 空海がこの場所で剃髪、得度したという。


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この階段を登り切れば、ゴール。

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本堂到着。
8時丁度。「標準時間」の30分で登ってきた。


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正面
ベンチで呼吸が落ち着くまで休憩。濡れたシャツを取り替える。
以前は茶店があったようだが、無くなっていた。



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本堂前の広場の先に展望台がある。
手前右が岩湧山、向こうの少し霞んでいるが金剛山。
晴れた日に来て良かった。


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「西国第四番」の提灯が上がっている。
今までの寺より規模が小さい。
元は真言宗だったが、江戸初期に天台宗に宗旨替えしたという。
信長・秀吉の焼き討ちにもあった事となにか関があるのだろうか。
その後も火災に遭って、現在の建物は幕末の頃に建てられた。
そのためか建物や仏像で国宝や重文に指定されているものは無い。


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拝観料500円也を払って巡礼ツアーでは入らない内陣に入る。
本尊の弥勒菩薩。脇侍は向かって右に文殊菩薩、左が十一面千手観音
誰もこないので、ここでお経をあげた。
西国33箇所の札所としての本尊は十一面千手観音だが、これとは違うようだ。


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更に奥に入ってくと、本尊と同じくらいの大きさの「方違大観音」が置いてある。
異様なくらいの大きさだ。

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ちょっと見ると千手観音のような弁財天。

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馬頭観音。この逗子の裏に、年に一回開帳される十一面千手観音が治められているらしい。
くるりと回せばOKというわけだ。

これら4枚の写真ではα7Sの高感度特性の賜物だ。
上から、ISO12800、25600、40000,16000

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馬の象が境内に奉納されている。
馬頭観音と関係があるのだろうか。

台座には大阪市内の「萬野汽船」という会社名が刻んである。
ちょっとネットで調べてみると
『かつては外航海運業を行い、最盛期には貨物船17隻、総重量トンで70万トンを保有していましたが、
現在は海運業はお休みし、グループ全体の持株会社として活動しています。』。
また創業者が御堂筋に萬野美術館を建てて収集品を公開していたが、低金利で運営に行き詰まり、既に閉館したとある。
創業者の萬野裕昭という人は、高松の金刀比羅宮にも馬の像を奉納している。金比羅さんなら海運に関係があるが、この寺は・・・・・。



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右は登ってきた石段で次の札所「ふじいでら」とある。
左の道は「こうやさん」になっていた。ダイヤモンドトレイルという尾根の縦走コースになっているらしい。


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仁王門まで下山。
膝が笑う前に降りてこられて、ホッとする。

そろそろ9時になる。観光バスでやってきたらしい団体と出会う。
駐車場はほぼ満杯。
帰り道で10台以上の車とすれ違ったが、またバックしてこないと登山口近くに駐車場はない。早朝に来て正解だった。



撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正

走行距離74km


西国33箇所 その4 第27番書写山円教寺

2015年06月08日 09:57



一乗寺から円教寺のロープウェイ乗り場へ、地道を走って3~40分で着いた。

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山陽自動車道の下に広大な無料駐車場がある。
登山道もあるが、お参りの人もここは往復900円のロープウェイを利用する。
ゆるキャラも姫路城をあしらっている。

発車間際に団体さんが乗り込んできて満員になった。
JR東海のツアーなので名古屋からの観光客だ。ここは全国区らしい。


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371mを一気に駆け上がる。


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ロープウェイの駅を出ると直ぐにゲートがあって入山料500円を徴収される。
前回の観音正寺や谷汲山では境内に入るのに入山料を徴収されなかったが、今回は両寺とも必要だった。
京都の宗教的機能を失った観光寺のボッタクリ料金を思えば、どうと言うことのない「木戸銭」ではある。
取らない所は取ると益々客が減り、取る所は取っても減らない。USJやTDLが儲かっているのに、
更に値上げするのと同じ原理である。格差はより拡がる方向に動く。


本堂の摩尼殿までは15分の山道を歩く。500円払えばバスで送迎してくれる。
道の両側に西国33箇所の本尊の観音像が並べられて、ここだけで33箇所廻った事にできる。


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一括で鋳造したものではなくて、一体一体姿の異なる手の込んだ造りで見栄えがする。


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第33番谷汲山の十一面観音が終わると、直ぐに仁王門が現れる。



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そこから今度は長い下りの坂が続く。帰りが思いやられる。


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ようやく摩尼殿に到達する。ここも天台宗の別格本山である。
本山は勿論比叡山だが、ここは西の比叡山と呼ばれている。
それだけ規模が大きい。


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大きく空中に張り出すので、京都の清水寺のような舞台造りになっている。
大正時代に焼失し、昭和初期に再建されたので重文でなく登録有形文化財になっている。


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内部の造りは一乗寺と同じだが、新しいので木札は無い。


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人が多いので、お参りの邪魔にならぬようこちらの隅でお経をあげた。


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回廊の幅が広い。
しかし山の中なので見晴らしはあまりよくない。


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摩尼殿の裏から山道が本堂まで続いている。
摩尼殿は観音堂で、この大講堂が本堂である。


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左隣に食堂(じきどう)。二階建てなのは珍しい。


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更に左隣が常行堂。


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これらの3つの建物がコの字型に並んでいる。
3つとも室町時代に再建されたもので重要文化財に指定されている。
今立っている辺りには五重塔もあったというから、相当な大きな伽藍だった事が覗える。


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食堂は宝物館になっている。事情は不明らしいが姫路城の三代目鯱瓦が展示されている。意外と小さい。


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食堂の二階の回廊から見ると、常行堂の舞台が張り出している様がよく判る。


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反対の大講堂側。


この寺、確かに規模が大きくて立派な建物が並んでいるのだが、奈良の寺のように大事されて年月を経たというより、
使われずに放置されてきた感がある。

その答えは食堂の説明文にあった。
秀吉が播磨入りした時に黒田氏の姫路城だけではなく、この寺も接収した。
建物は打ち壊され、仏像は持ち出されて行方不明になったという。
比叡山を焼き討ちにした信長が睨んでいたから、秀吉も寺に甘い顔ができなかった。
寺領も2万7千石から、一気に5百石に減らされた。

江戸時代になってようやく、ここに墓所をもつ本多家や松平家といった姫路城主が修復を行ったが、
西国の要所を固める城とあって、ひんぱんに転封が行われ大規模な修復は行われなかったのだろう。
また最後に入府して最も長く姫路を治めた酒井家の墓所が、ここにはない事も影響しているかもしれない。



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食堂の裏手から更に奥に行くと、開山堂がある。ここが奥の院だ。
祀られているのは、この寺を開基した性空上人。
江戸時代に再建されたもので、これも重文


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北西を除く三隅に力士像の彫刻があり、左甚五郎作と伝えられている。
立体感があって、日光の眠り猫よりよっぼど「らしい」作品である。
千社札を剥がした跡がある。


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開山堂の右手に茅葺きのお社が、並んでいる。
性空上人に仕えた「童子」を祀ってあるという。これも重文。
童子ってお稚児じゃないの・・・・・・・。


撮影[α7s+SEL24240]Capture one で補正