投稿日:2007-06-14 Thu
続いて大阪歴史探索」 南海平野線編〜「股ヶ池・田辺」今昔 より。股ヶ池は当時、所謂市民の憩いの場で、

股の間の島になった場所は、結構広い(子供の感覚で)公園でしたし

池ではボート屋さんも繁盛しておりました。
屋形船が浮かんでいたこともありました。

池の近所に住んでいました。真ん中が、私が子供の頃住んでいた家です。既に、引っ越して十数年経っていましたが、殆ど変わっていません。変化したのは阪神高速建設後でした。
投稿日:2007-06-14 Thu
Jukensei さんの 「大阪歴史探索」 南海平野線編〜今船で立ち呑む で飛田駅の写真がありました。「そう言えば昔、あの辺りを撮った事があるなあ。」
引っ越しの段ボールを引っかき回して、ベタ焼きを探し出しました。

反対の方角から撮ったものですが、壁の右から2番目「吉村医院」の広告が共通しています。遊郭の南側に飛田駅がありました。

Jukensei さんの頃より少し前、昭和40年代後半です。後ろのビルはまだ建って居らず、駅の横は木造家屋で、道の右側に飛田遊郭の門柱が有ります。

こちらが、飛田遊郭の大門です。

ここも遊郭の門ですが、階段があるので東側だと思われます。

「トルコ温泉」の広告塔が上下2枚と共通して写っています。
南東の角、同サイトの東松田橋の反対側です。

東側は崖の上に更にコンクリートの塀がありました。大門や南門のように家を囲いの一部に出来ないので、崖があるにも拘わらず塀を造って、女郎の逃亡を防いだモノと思われます。
残念ながら? 昭和33年3月31日の売春禁止法施行時は小学生で、遊郭そのものは知りません。会社の諸「先輩」によると、その後も「しかるべき」飲み屋では、2階で「営業」していたそうです。
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