投稿日:2007-06-30 Sat
荷物を整理していると、こんな本が出てきました。

大阪市拡張前、「田辺町」というのは独立した自治体でありました。
大正14年、その解散に際して纏められた本です。

「町域」は、近鉄北田辺から、今の地下鉄西田辺あたりまで。現在の区で言えば、東住吉区田辺、北田辺、東田辺、南田辺、山坂、駒川、西今川と阿倍野区昭和町を含んでいます。
旧南海平野線田辺駅が町の中心です。
「省線」(国鉄の前、鉄道省線と呼ばれた)も走ってなかった。
長池は今よりもっと大きく、股ヶ池と元は繋がっていたのか?
昭和中学は股ヶ池を埋め立てて造られたことが判ります。

当時の田辺駅。電車が大きなスカートを履いています。電車のスピードに慣れず、撥ねられた歩行者を拾い上げるためのモノだったとか。

股ヶ池とその周辺。植えられているのは「田辺大根」でしょうか。

近鉄(当時は大鉄)の北田辺駅。柏原駅を起点としていた河南鉄道が、阿部野橋まで開通し大阪鉄道と改称した頃です。この北田辺駅ができのは僅か2年前。今川駅は更にその後、昭和になってからでした。こちらはポールではなく、既にパンタグラフが使われています。

山坂神社の門と拝殿。小学校の頃の景色と同じですが、拝殿は残念ながら焼失しました。

田辺尋常小学校とその講堂。プールが出来て、校歌に「水泳田辺とうたわれし」なんて文言が入る以前の校舎。校門をくぐった直ぐの校庭のようで、この写真の真ん中にプールが出来たのだと思います。レイアウトは同じですが、私達の頃とは建物の外壁が違うようです。

法楽寺。キンキラの二重の塔が出来る前。子供の頃の風景そのままです。一心寺同様、坊主が金を持つと禄でもないことをする。
投稿日:2007-06-30 Sat
川沿いの散歩コースで、5ヶ月の「留守」の間に更地が増えました
ここも

ここも

ここも

ここにも。

そして、京セラのCMみたいですが、ここも。

相当に大きな「アパート」でした。スレート瓦葺き(我が家のトップハットも同じですが(笑))の木造2階建て、ほぼ全室西向きの部屋に入居する人はいないでしょう。

年梅邸の解体も終わったようです。
おや、向こうにヘーベルハウスが見える。

計画時に、見て回ったお宅の一つでした。後ろに見えてたのは年梅邸の蔵と屋敷だったんですね。大きなブロックなんですが、裏と表が二軒の家で繋がっていたとは。こちらも、隣接する空き地を駐車場に貸しておられるようです。我々庶民には縁のない世界。
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