ゴルゴ13

2008年04月29日 16:24

BS7チャンネルでゴルゴ13の放送が始まった。

昔々、静止画でゴルゴ13が放送されていた事があった。
アニメにするには必要な画の枚数が多すぎて、工房方式の「さいとうたかおプロ」でも負担が大きかったのだろう。
ゴルゴ13の声は日下武が演じていて、音付き紙芝居と思えば結構楽しめた。

今度のは動画である。しかし、ゴルゴ13の顔がイマイチ。緊張感が無いのだ。
コミック版でも、さいとうたかお氏は眼しか描かないとの事。制作を丸ごと、海外へ発注しているのだろうか。

男の寿命は金で買う

2008年04月25日 08:57

昨夜のWBSで、市区町村別・男女別の平均寿命を報じていた。
最近発表された、平成17年の 市区町村別生命表 がベースになっている。

男性のベスト5には
1 神奈川県 横浜市 青葉区 81.7
2 神奈川県 川崎市 麻生区 81.7
3 東京都 三鷹市 81.4
4 東京都 国分寺市 81.4
5 東京都 練馬区 81.2
と都市部の住宅地が並んでいる。
(女性は沖縄県の市町村が上位を占めている。)

ワースト1は
1 大阪府 大阪市 西成区 73.1
実に 8.6歳もの差がついている。
ちなみに女性でも西成区はワースト4である。


「国民皆保険」と言いながら、資産・金がないと充分に医療が受けられず、寿命が縮んでしまうのか? 西成区というと釜ケ崎のイメージが強いが、大阪市内の高級住宅地である阿倍野区帝塚山は道路一本で西成区と接している。実質的な生活条件・状態が道路一本で変わる訳がない。西成区=貧乏とはいえない。

もう少し大きな枠で比較して見る。
東京都 79.4
東京都区部 79.1
横浜市 79.8
に対して
大阪市 77.0
と全国平均の78.3を下回っている。

地域景気の悪さが、寿命統計にまで表れてきている。
命は金で買う時代になった。

札幌「一徹」のポテトアミー

2008年04月23日 15:22

「吉田類の酒場放浪記」再放送で見た店で、一度行ってみたいと思っていた。

昨年札幌を訪れた時は、まだ9時だというのに既に閉店していた。6時半に狸小路7の店へ入ると、今度は早すぎたのか?ラーメンをすすっている学生さんが1人居るだけだった。

カウンターのメニューにはラーメンしかない。壁にお品書きが貼っていない。「ラーメン以外のものは?」と訊くと、メニュー立ての後ろから居酒屋メニューが出てきた。

まず本マグロの刺身。さすがサッポロ、中トロで実に美味い。ビールでなくて最初から酒を頼むべきだった。

一品料理には「ポテトアンナ」「ポテトアミー」「イカバクダン」「たこのカルパッチョ風~」と、名前だけでは想像できない料理が並んでいる。説明を聞いてもまだピンとこなかったが、「オムレツのような~」という事からポテトアミーを注文。

兄ちゃんが、じゃがいもを千切りにしてプライパンで加熱。火が通ると店主にバトンタッチ。何度も中身を振り上げて「整形」している。味付けは、特性のソースが在るようで、調理中に穴あきスプーンでさっと振りかけていた。
出来上がりを見て驚いた。バラバラにプライパンに入ったはずの千切りポテトが、何度も振り上げる事によって全て平行に並び、ポテトのオムレツになっている。職人技に脱帽。
ちょっと焦げた千切りポテトが、ホカホカして美味しい。ポテトを片付けていくと、薄味のチーズのような物が出てきた。これでくっ付けるているようだ。

アミーはアーミーでなくフランス語の「仲間」を表す言葉と言う。スペイン語のアミーゴと同じだ。
何と何が仲間なのかは聞き忘れた。

チャーシュー塩ラーメンを食べたら、お腹が一杯になった。ポテトアンナや、ドアの向こうにあるジンギスカンは次回の楽しみにしよう。

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「原料炭」夕張炭の真価

2008年04月22日 09:09

「宮脇俊三を偲んで」シリーズで大夕張炭鉱跡を巡ったので、石炭について大雑派な話を書いてみる。


石炭には「原料炭」と「一般炭」がある。「原料炭の価格が、3倍になった」という報道で、多少はお馴染みになった呼称かもしれない。
原料炭と言われても、何の原料になるのか判らない。この種の石炭を「蒸し焼き」にしてコークスを作り、鉄鉱石から鉄を作るときの「原料」になるからこう呼んでいる。一般炭はそれ以外の石炭ということで、なおさら判りにくい。

こういう言い方をするのは日本だけである。
原料炭はcoking coal  一般炭はsteam coal と呼ばれる。
coking coal はコークスになる石炭、steam coal は蒸気機関の燃料になる石炭という意味で、石炭が工業的に使い出された時からのネーミングである。
こちらのほうが直裁的で判りやすいと思う。
「コークス用炭」「蒸気用炭」では、有難味がないから日本だけ固有の名前にしたのだろうか。地震のP波とS波と同様、直訳の方が理解しやすい。とかく日本では、判りやすいネーミングにしては、学者や役人の「沽券」にかかわるのである。



原料炭の一番大切な性質は、酸素が入らないようにした状態で高温に加熱してコークスにする時、石炭粒子がお互いにくっいて塊になる事である。熔けると言っても過言ではない。一般炭にはこのように性質はない。これは、コークス製造時にも、製鉄時にも非常に重要な性質である。


サンドイッチを思い浮かべていただきたい。「食パン」が加熱板で「具」が石炭である。「具」の部分の大きさは高さ約5~10メートル、奥行き約10~15メートルだが、厚さは0.4~0.6メートル程度にすぎない。厚さを大きくすると熱が伝わりにくく、均一に高温に出来ないからだ。「食パン」は耐火煉瓦を積んで作られ、中は空洞でガスが熱源になっている。

石炭は上から投入され、蓋を閉めて空気の流入を防ぎ、900~1200℃に加熱される。実際のコークス炉は熱効率の点から「サンドイッチ」は1セットではなく、20にも30も「食パン」と「具」が交互に連なっている。

加熱していくと熱分解が始まり、ガスやコールタールの蒸気が出てくる。このガスを燃やして熱源にするが、余るのでガスとして売る。これが都市ガス事業の始まりであった。

石炭粒子は膨張して、お互いにくっ付き、壁の間で「羊羹」が出来上がっていく。この膨張圧が大きすぎると、壁を破壊してしまう。弱すぎると塊にならない。
24時間前後加熱したすとガスが出終わり、コークスが出来る。
塊は収縮していて煉瓦の壁から離れる。
プッシャーと呼ばれる巨大なトコロテン押し出し器で、コークスの塊を水平に押し出す。
この時もし塊具合が悪いと、砂を押すのと同じで圧力が両側の壁に掛かって炉が破壊される。また収縮率が低いと炉の壁に引っかかって押し出せなくなる。
プッシャーの反対側は貨車が来て、塊が崩れながら、落ちてくるのを受け、水を掛けて急冷する。塊が崩れなければ納まり切れず、押し出しが出来なくなる。

固まりかたは強過ぎても、弱過ぎてもいけない。コークス製造プロセスは原料炭の性質によって成り立っている。一種類の石炭ではうまく行かないから、数~十種類の石炭を混ぜる(配合と呼ばれる。ノウハウである)。



何故、こんな手間を掛けてコークスを作るのか。
刀等の武具や道具を手作業で作っていた頃は、木炭を使っていた。
高炉でコークスは、熱源、空気の通り道、溶けた鉄の流れ道、還元(酸化物である鉄鉱石から、酸素を奪い二酸化炭素となる)のための炭素源という4つの役目を果たす。自ら燃えつつも、崩れて隙間を埋めてしまってはいけない。
木炭では強度が保たないし、火力がコークスに比べて弱いため、体積的に多く入れねばならない。コークスは偶然、土の中で石炭が燃えて「炭」になっているのが発見された。使ってみると具合がよく、鉄の生産性が飛躍的に高まり、「原料炭」の採掘が世界的規模で始まった。




さて、夕張炭(北炭夕張新炭、大夕張炭、南大夕張炭も含めて)の原料炭としての「性能」で、世界に類を見ない面を持っていた。

石炭は炭化度によってランク付けされている。褐炭→瀝青炭→無煙炭とラング上がる程炭化度が高く、炭素の含有率が高い。原料炭は炭化度が高くても低くてもだめで、瀝青炭程度の石炭が良い。原料炭には粘結性というランクが適用される。微粘結炭→弱粘結炭→強粘結炭とランクが上がる程固化性が良い。

夕張炭は弱粘結炭である。単独でコークスにしてもあまり良いコークスにはならない。しかし、他の石炭と「配合」した時に、高密度で大きな塊(体積当たりの火力が強い)に特色がある。また、強粘結炭の中には膨張圧が強すぎて、単独では炉を壊してしまう石炭もある。こんな石炭も夕張炭を混ぜると品質の良いコークスになる。
流動性という指標がある。コークスになっていく過程での粘度を測定するのだが、夕張炭はコークスになる直前まで高い流動性を保っている。だから粒子の隙間を埋めて、粒子の接触面積を大きくする性質が高い。平たく言うと、他の石炭と「良く馴染み」、「糊」としての性能が非常に高い。名脇役なのである。

宮脇俊三を偲んで。北海道廃線跡の旅 その2 大夕張鉄道(続編)

2008年04月20日 00:44

アナログハイビジョンの時代に、NHKから「消えた鉄道を歩く」というシリーズで、「汽笛が響いた街夕張」が放送された。録画してあったのを、見直したのが今度の旅のきっかけである。
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宮脇俊三氏が出演している。保存された客車に入って、ストーブ列車について説明しているシーンだ。
氏が亡くなったのは2003年だから、10年近く前の制作だろう。
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国道452号線沿いの南夕張駅跡に、放送時と同じく6両編成の列車が保存されていた。
残念ながら先頭のラッセル車上部と、3両の客車はブルーシートで覆われていた。
放送時には、NHKの「ご威光」でシートを外したのだろう。
ラッセル車はともかく、客車の塗装がボロボロに剥がれているのが、映像でよく判った。
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後部の2両の石炭用貨物車は、オープンしてある。元々石炭輸送用の鉄道だから、貨物車両は多量に残ったが、客車は少数しか無かったのだろう。
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3両の客車のうち、最前部の1両以外は中が物置代わりになっていた。ダルマストーブは、どの車両にも無かった。
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ダムの堰堤付近の国道トンネルの外側に、崖を回り込むように造られた小さなトンネルがある。鉄道用のトンネルだろう。立ち入り禁止になっている。
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国道トンネルを抜けると、先程のとは反対側に短いトンネルがある。鉄道の雪避け用だったのだろうか。
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国道の山側に続く線路跡に、コンクリートの囲いを発見。対向線の中のホームへ入る地下道らしい。線路跡はサイクロードなっているが、全くメンテされていない。所々
このような柵が残っている。
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辺りには、ふきのとうが春を告げていた。
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更に進むと鉄橋があった。沢が在ってどうしても回り込めず、やむを得ず造ったような趣だ。
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カーナビには、鹿島がつく町名が次々と表れるが、建物の痕跡すら無い。ずっとこのような荒れ地しか見えない。
炭住も、鉱山の設備も完全に撤去されている。
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山側に、頂部に三菱のマークが入っている抗口跡を発見。やっと炭鉱の「遺跡」を見ることができた。
ここで引き返すことにした。
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帰り道、町の体育館の裏にある殉職者慰霊碑に立ち寄った。
1985年、炭内のガス爆発で62名が亡くなった。
これが元で三菱南大夕張炭鉱は閉山することになる。
1981年にも、こことは別の北炭夕張新炭鉱でガス爆発があり、多数の死者を出して北炭は倒産・閉山に追い込まれた。鉱内の火が消えず、生存者未確認のまま坑道に水が入れられた。その時の模様は、テレビで見た記憶がある。
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廃線跡紀行としては順序が逆かもしれないが、ここが三菱大夕張鉄道の起点である清水沢駅だ。石炭用の線路が主役で、旅客用の線路は一番向こうに追いやれていた。
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夕張方面。
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清水沢から2駅先のJR終点夕張駅。駅舎は手前にある、ちっちゃな緑色の屋根の建物。
ホームも駅舎同様、終点とは思えないほど小振りになっている。
 宮脇氏によると、これは3度目の夕張駅だそうだ。
最初はもっと先の炭坑跡で、本物の坑道を使った石炭博物館がある。
炭鉱が閉山になると、手前の市役所前へ移転。
今度は、後ろのホテルへのアクセスが便利なように、更に手前に移動した。
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ホテルマウントレースイからは、シェルターでシホロカベツ川を渡って直接スキー場に行けるようになっている。、以前来たときは、川の向こうの冷水山の山腹に、北炭の炭住がまだ多く残っていた。今は影も形もない。
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清水沢から夕張とは反対方向へ、3駅行くと新夕張駅に着く。元の「紅葉山」駅標が駅前駐車場の反対側に立っている。旭川を回らずに帯広、釧路方面に行ける石勝線が開通する前は、ここから夕張へ行く夕張線が本線であった。乗っ取られた形で、今は石勝線支線となっている。
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宮脇俊三を偲んで。北海道廃線跡の旅 その2 大夕張鉄道

2008年04月19日 01:08

2008/4/16 名寄グランドホテルメープルを出発。
旭川、富良野を抜け237号線、234号線経由で452号線に入り、シューパロ湖を目指す予定だが、
上川へ寄り道をして層雲峡へ行く。
層雲峡へはこれまで2度行った。
1度目は冬でバスガイドが「あれは~の滝・・・」と説明してくれるが、雪ばっかりで崖と滝の区別が付かない。
2度目は時間が無くて滝まで行けず、黒岳の展望台に上ろうとしたが、ロープウェイが途中で隠れてしまうほど雲が掛かっていて断念。
3度目の正直なるのか、2度あることは3度あるになるのか。


シャッタースポットだが誰もいない。
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銀河の滝を見る!
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一部雪が解けて滝が流れている!
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しかし、ここから先への道路が神威岬と同じように閉鎖されている。
残念ながら雲井の滝やライマンの滝は見られなかった。

大函。ここも貸し切り。北海道の春は5/1からのようだ。
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閑話休題。シューパロ湖へ向けて出発進行。

今、何故大夕張鉄道跡が気になるか。
これが大夕張ダム。それによってできた人造湖はシューパロ湖と呼ばれている。
このダムのすぐ下流に、もっと大きな「夕張シューパロダム」建設されようとしている。
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湖岸を走っている現在の国道452号線も湖底に沈む。上方に見えるのは建設中の「新」452号線である。
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大夕張ダムの補償工事として建設された、シューパロ湖対岸の大夕張森林鉄道も沈む。
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日本では珍しく、景観に配慮した設計で有名な、この三弦橋も姿を消す。
橋は強度を保たすために、鉄骨を三角形に組む。
橋の長さ方向に三角形が現れるのは、どの橋でも同じだが、三弦橋では断面方向も三角形になっている。
この点が値打ちのあるところで、この角から撮っても意味はなのだが、橋の出入り口には近づけないのでやむを得ない。
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この白銀橋を渡って10数キロ行くと駐車場があり、夕張岳の登山口になっている。これも無くなる。
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白銀橋から見た、「新」452号線橋脚
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これらは大夕張ダム建設時、代替インフラとして整備された。それを再び無にしようというのだ。
経済的後背地である夕張市の破綻は、全く考慮されていない。


この項続く。

宮脇俊三を偲んで。北海道廃線跡の旅 その1

2008年04月18日 12:44

私はいわゆる「鉄ちゃん」ではない。しかし、故宮脇俊三氏の鉄道紀行文は好きだ。
そこへ行ったような疑似体験をさせてもらえる。
さらに「行ったからもういい」と思う「副作用」さえある。

これまで「サボ」っていた「実旅行」をしたくなった。
まずは、北海道北部の海岸線の路線。見事に消えている。
朱鞠内湖を回っていた深名線も今はない。

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2008/4/15 前泊のアパホテル&リゾート札幌を出発。
車で札幌から留萌までは、高速道路であっという間に着いてしまう。
そこからは羽幌線跡に沿って、国道232号線を北上。線路の形跡は全くない。
所々に浜辺が見えるが、見事に何もない単調な海岸線が続く。

今年は異常に暖かく、桜開花が一ヶ月も早くなると予想されている。空には雲一つ無い。
どんよりと曇り、荒涼たる景色を見に来たはずなのだが、そういう気分にさせてくれない。
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国道は天塩で鉄道跡を手繰るように内陸へ入ってしまうが、海岸線に沿って道道が続いてる。
サロベツ原野の原生花園の中を走ると利尻富士が見えてきた。雲が少しかかったが、成る程見事な姿である。
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まもなく野寒布岬に到着。北海道の4月はオフシーズンらしく誰もいない。
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この辺りの丘の上には、緑色のドームがやたらに設置されている。
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稚内には陸海空の3自衛隊の基地が置かれている。
ドームの中にはパラボラアンテナが入っていて、対ロシア諜報活動をしているのだろうか。
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まもなく最北端の駅稚内に到着。失礼だが、 思ったより活気がある。
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天北線は内陸へ入って行ったが、宗谷岬へ向かうために海岸沿いの国道238号線を走る。
ここいらは、風力発電の風車が数多く設置されている。オホーツク からの北風利用か。
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ほどなく宗谷岬到着。
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最北端の碑の手前には、間宮林蔵がカラフトを向いて立っている。
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天北線は浜頓別で分かれて興浜北線に入る。
宮脇氏の著作には「浜頓別の急カーブを思い出す」という表現にお目にかかるが、その線路跡は確認できなかった。
国道を車で走る限りは、どうということのないカーブであった。

線路は神威岬を回って造られていた。しかし、無情にも4/30までは通行止め。
雪は解けて、通行には全く支障はないのだが。やむなく国道のトンネルで通過。
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トンネルを過ぎると、南側から神威岬を眺める公園があった。
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興浜北線は枝幸(えさし)まで建設され、南から延びてくる興浜南線と繋がる予定であった。
興浜北線の終点付近には「ウスタイベチ千畳岩」という観光スポットがある。
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看板に従って、階段を下りてみると
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なかなかの絶景である。自分以外には人っ子一人いないので不気味ですらある。
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この後、道道を通って国道275線へ入り、この日は名寄で宿泊した。
道は広いが、人通りが無くゴーストタウンのような町であった。