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古代大和川 追記
地図上の○、△は液状化の履歴がある地点。

○は 1662年の山城・大和・和泉等の地域で発生 M7.5
△は 1854年の伊賀・伊勢・大和での地震 M8

なお1854年(安政元年)はいわゆる安政の大地震の年で、
これとは別に12/23(安政東海地震)と翌日(安政南海地震)に渡って、2回M8クラスの地震と津波が起こっている。この時大阪では津波で木津川が逆流したとか。
これが、世間を騒擾させている東海地震、東南海地震のベース。

私の視点 時事・社会・科学 | 17:08:27 | Trackback(0) | Comments(0)
古代大和川
Jukenseiさんのブログの中で、今川・駒川と西除川の関係が話題に乗りました。
鉄道路線の跡だと1/25000の地図を子細に眺めれば、見当がつきますが、河川の遍歴は一筋縄ではいきません。
以下、3枚の地図の大きめのサムネイルをくっつけて、一枚の地図に見えるようにしました。細部はそれぞれの原画を拡大して見てください。

chishitsu1a.jpg chishitsu2a.jpg
chishitsu3a.jpg

 
この地質図は古文書の記載を元に、洪水や地震が起こった地名の表す範囲から、そこがどんな地質の土地であったかを推定して作られた物です。
赤茶色は 山地・段丘・扇状地
黄緑は 自然堤防
黄色は 氾濫平野
ピンクは 砂州 を表します。

ここから大雑把に、有史以前の大阪平野の姿を描いてみます。
数千年前、大阪城−四天王寺を結ぶ「上町半島」が古代大阪湾に突き出し、その東側は生駒山麓まで内海でありました。やがて京からの淀川、奈良からの旧大和川がもたらす堆積土で内海は湿原へと変わっていきます。現在の釧路湿原のような状態であったろうと思われます。
R0010683.jpg R0010702.jpg 
湿原と水面がほぼ同じ高さで流れる河川は、氾濫の度に川筋を変え、あちこちに自然堤防を残しました。


話は飛んで、江戸時代に大和川の付け替え工事が起こりました。
旧大和川は、3枚目の地図の右端から段丘に沿って、北西へ流れていました。現長瀬川がその川筋であったと言われていますが、それ以外にも何本もの河が「半島」の突端を目指して流れていたでしょう。
新大和川は段丘を切り裂き真西に向きを変えられます。ところが、杉本町の大阪市大キャンパスあたりの岩盤が固く開鑿が困難なことから、南側へ迂回しまています。
 さて西除川ですが、自然には有り得ない方向へ流れを変えられています。本来は、ここから真北へ流れていたと思われます。その先に新大和川を隔てて、「上町半島」に平行して小さな細長い丘陵があります。この丘陵の東沿いに今川、西沿いに駒川があります。この先は平野川と合流しています。東除川は、大和川沿いに水路を変えられていますが、曲がらずに真っ直ぐ北へのばすと平野川に接続しそうです。杭全から北の平野川は、不自然な程直線的に大阪城西側に伸びており、秀吉が大阪城の外堀とするために造らせた、人工の河ではないかと思っています。


3枚目の地図の左下をよく見てください。住吉神社です。かって灯台があったように、ここは波打ち際でした。その西の御堂筋は海の底でした。そんなに遠い昔ではありません。地震がおきれば、液状化の被害の最も大きい所でしょう。近頃は高層マンションも建っていますが、この地質図を見ていると、とても移り住む気にはなれません。谷町筋沿いの方がまだ良さそうです。


面白い事に、「上町半島」の真ん中を河が流れていたようであり、JR阪和線と環状線がその川底を走っています。川底だったから水はけが悪く、土地買収がし易かったのでしょうか。


また、天王寺駅の直ぐ北に「半島」が最も切り込まれているところがあります。その先は川底池です。現天王寺駅の切り通しは、和気清麻呂が大和川付け替えのために開鑿した跡と言われていますが、こっちのほうが遙かに開鑿しやすそうです。あるいは開鑿の跡でしようか。千年も前の切り通しが、あんなにシャープに残っているのは不自然です。和気清麻呂が手を付けたのは、こちらの箇所ではなかったでしょうか。


半島のほぼ付け根に長居競技場があり、災害時の集合場所になっています。地質図からしても理になかっています。大阪市を褒めてあげたいところですが、実はここは臨南寺の境内でした。今は競技場の中にちんまりと本堂だけ残っていますが、かっては競技場全体を占めていました。やっぱり、寺社仏閣は、伝承を元に水害や地震に強い場所を占めています。


上町断層が癌のように言われていますが、断層は岩盤で形成されており、動いて被害がでるのは断層そのものではなくて、その周辺の堆積地です。

私の視点 時事・社会・科学 | 06:47:08 | Trackback(0) | Comments(0)

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