山陽・九州新幹線「さくら」

2009年02月28日 00:22

大阪-鹿児島を走る新幹線が「さくら」と命名されるように決まった。

最近まで長崎行きの寝台特急に使われていたが、「さくら」は国鉄から続く歴史有る列車名だった。
九州内を走る新幹線は「つばめ」と、客車列車時代の最速列車の名を復活させている。
JR東日本の新幹線は皆新しい名前を使っているのに、JR九州は国鉄時代の列車名がお好きなようだ。この分だと長崎新幹線には「ふじ」が復活するかも知れない。

新幹線の名前も増えた。
「こまち」は秋田こまちで秋田新幹線、「つばさ」は山形新幹線くらいは記憶にあるが、「はやて」になるとイマイチ馴染みが薄いし、「たにがわ」「あさま」「なすの」に至ってはローカル色を強く感じる。また「あおば」「あさひ」のように早くも消えた名前がある。

東京-大阪間の最速列車は「こだま」→「ひかり」と来て、ひかりより早いのは何かと思えば「のぞみ」と肩すかしに合う。「のぞみ」の先のリニアは何になるんだろう。尤も乗れるかどうか判らないが。



終着駅

2009年02月27日 00:37

shuuchakua.jpg
宮脇さんの「終着駅へ行ってきます」の写真入り版である。
永いこと、カメラマンの名を住夫でなく佳夫と覚えていため検索で引っかからなかった。

「終着駅へ行ってきます」は文章だけでも成立している本であるが、写真があると聞かされるとどうしても見たくなるのが人情だろう。
写真があると文章も又、印象が違ってくる。写真に縛られるのを嫌った宮脇さんは常に文章だけで勝負していた。文章だけなら普遍的なものとして伝えられるイメージが、写真があるとその映像のローカルな世界に閉じこめられてしまう。その事をこの本は、まさに一目瞭然に教えてくれる。


奥付を見ると昭和60年の出版である。実際に撮った時期からすると25年、四半世紀が経っている。そこにある風景や服装を見ると、それ以降の25年とは大きな隔たりがあるが、それ以前の25年と比べと然したる変化がないように思える。この25年間にバブルが興りはじけた。その間に日本人の生活スタイルやモノの考え方が大きく変わってしまった事を、図らずもこの写真集は伝えている。

そして今、又もや大きな経済的転機を迎えようとしている。
私が、その結果を見届けられるかどうか判らないけれど。

ツインクルブラザ北海道 大阪支店

2009年02月26日 00:24

へ北海道&東日本パスと青春18切符を買いに行った。

JR西日本は、何故か周遊券の後継商品であるゾーンチケット以外のフリーチケットを発売していない、発売していないどころか、他社の切符も販売しない。例えば東北の特定地域を対象としてフリーチケットは東日本以外の北海道や九州、四国でも発売してる。分割される以前は日本全国で、総ての切符を購入できたのだから、当然のサービスだと思う。しかし、西日本だけは、販売コストを節約しようというのか、一切発売しない。かくて、東日本や北海道を対象とした切符はこえした出先機関へ買いに行かざるを得ない。青春18切符は西日本でも買えるが、わざわざ又みどりの窓口で並ぶ必要もないからここで買った。

以前はOBPにあったが大阪駅前第1ビルに移転してきた。ここには各地の出先機関が入居しており、ツインクルプラザも北海道の観光振興団体と同居していた。家賃の問題だったのだろう。

ここで、北海道道フリーパスのグリーン車用が3/31使用開始をもって発売中止になり、普通車用も25000円程度に値上げされると言うことを聞いた。北海道をグリーン車で乗り回そうと思っていたのに残念。

亡くなった母がよく来ていたという、第4ビル地階の手芸材料店「大阪サンセイ」を覗いてみた後、堂地下のインデデアンカレーで昼食。
「since1949」と誇らしげに看板が掲げてある。以前は「大毎地下」に店があったと記憶している。
大毎ホールというのが毎日新聞大阪本社(今は、ヘーベルハウスのショールーム等が入っているビルに建て変わった)に隣接しており、先々代の戎橋ビルと同様の名画座があった。「太陽がいっぱい」等を高校の時にここで観た。映画の帰りによく立ち寄っていたのがインデアンカレーであった。
ルーの味は変わらないけど、ご飯が多い上に全部にルーをかけて出される。昔はルーだけ別の容器に入れてくれた。昼飯時には待ち客が並ぶ状態では、手間をかけてはおられないという事なのだろう。スバゲティカレーのスバゲティも大盛りだった。

中国地方ローカル線の旅 計画編

2009年02月25日 00:45

中国地方の陰陽連絡線は、大雑把に言うと ||×|×||になっている。
|は左から美祢線、山口線、伯備線、播但線、加古川線+舞鶴線である。
西の×は三次を中心に北西から左回りに三江線、芸備線、塩福線、木次線
東は同様に津山を中心として、北西から南東に姫新線、南西に津山線、北東に因美線。

このうち木次線は昨年乗った。最も厄介なのは三江線である。日のある内に完乗できるのは上下合わせて3往復ある。ただし江津からは6:02の始発、三次からは更に早い5:48になる。
当初は新幹線から岡山で特急やくもに乗り換えて江津発15:08か、江津前泊で6:02を考えていた。しかしそれでは三次から先の乗り継ぎがもう一つになる。
芸備線も備後落合を挟んだ区間はなかなか手強いのである。

直通に拘らずに三次側から乗れば、石見川本で2時間近い待ち時間があるものの、2泊3日で三次を中心にした×を一網打尽にできるばかりか、津山を中心とするもう一つの×の半分と伯備線、おまけで境港線にも回れることが事が判った。青春18切符を使ってみる事にする。

2009223a.jpg

JRの営業方針

2009年02月24日 00:12

が漸く解りかけてきた。

1.長距離も短距離も、旅客も貨物もではなくて、短距離の旅客に「選択と集中」する。
2.縮小均衡を目指して、最小の投資で最大の収益を上げる。

特急も各停も2時間程度の運転をして、需要の多い区間での折り返し運転で列車の利用効率を上げる。日帰り客だけで充分という訳だ。旅行シーズンになっても客が殺到することはない。そのようなダイヤにしてあるのだから。大都市近郊以外は土日ダイヤになっていないから、日祝日はむしろキャパシティに余裕がある。空気を運ぶより安い単価でも旅客を運んだ方が得だ。故に、青春18切符や、各種の乗り放題切符が旅客の多いシーズンや連休・正月に発行される。

ならば、こちらも昔の常識を捨てて、土日にスケジュールを組もう。


ただ、いくら私企業になったからといって、収支の落ちる新幹線併走区間を、第3セクター(=地方自治体)に押しつけるのは、あまりにも身勝手だ。
鉄道も公益事業である。電気会社やガス会社が、「あなたの地域は採算が悪くなりましたので、サービスを停止します」と言ったらどうなる。
東北本線や鹿児島本線の第3セクターが撤退したら(「夕張市」以降、地方自治体も親方日の丸でははいられない)、車両のやり繰りや貨物の輸送に忽ち支障をきたす。旅客列車を走らせなくてもメンテナンスコストは懸かってくるが、再び自社路線にするのだろうか。

雪の東北冬の旅  第4日 花巻から仙台へ

2009年02月23日 01:04

               バス        8:07    8:33
花巻ー一関        東北本線     8:45    9:35
一関ー気仙沼      大船渡線     9:53   11:12
気仙沼ー前谷地     気仙沼線    11:27   13:16
前谷地ー石巻      石巻線      13:31   13:51
石巻ー松島海岸     仙山線     13:55   14:34
松島海岸ーあおば通  仙山線      16:33   17:08
仙台-仙台空港    仙台空港線   17:29   17:52
仙台ー伊丹       JAL2233      19:05   20:30
 

花巻から仙台空港を経て帰宅するが、東北本線経由でなく、大船渡線、気仙沼線、石巻線、仙山線を経て、最後は2007年に開業した仙台空港線に乗る。


R0011334a.jpg

R0011340a_20150530154546e31.jpg

R0011337a.jpg
朝一番に、この温泉自慢の露天風呂にはいる。
湯治客用に自炊部というのが残っている。この風呂はその自炊部に所属している。自炊部の建物は、木造の昔ながらの温泉旅館である。長い廊下を歩いていると底冷えがしてくる。所々石油ストーブ臭いがする。
気温は-8度、誰もいない。貸し切り風呂の贅沢を楽しんだ。

R0011342a.jpg

R0011344a.jpg

自炊部は玄関も別になっている。これがここの元々の玄関だったのだろう。


R0011345a_201505301548045cb.jpg

R0011347a_2015053015480402e.jpg
山水閣の方は全客室が渓流向きになっている。自炊部へは左の坂を降りていく。
満室だと言うが、とても静かでぐっすり眠れた。団体と子供がいないとこんなにも違うモノか。


R0011348a.jpg

R0011350a.jpg
一関駅では、中尊寺が車体のデザインになっている列車を見かけた。東北随一の名所だからだろう。窓の部分がUSJのように内側から外の景色が見えるようになっているのか、単に窓を一つ潰しただけなのだろうか。

大船渡線でやっとボックスシートに戻った。これでないと旅をしている気分になれない。
大船渡線は「なべづる線」として有名だ。本来真っ直ぐ東に進むべき路線が、途中で北→東→南と向きが変わり、この部分では3倍も遠回りしている。「我田引鉄」と言われた鉄道路線の引っ張り合いの結果だ。リニア新幹線では、長野県が「おらが県へ」と路線の遠回りを主張して顰蹙を買っている。
 そのカーブを確かめてやろうと窓からレールを睨んでいたが、列車はしょっちゅう右へ左へとカーブして、真っ直ぐ進むと言うことがない。これがそのカーブかと思うと直ぐに反対側へ曲がって修正する。
陸中門崎駅に入るといつの間にか列車が北を向いていた。駅の手前にトンネルがあったから、その中で方向転換したものと思われる。暗闇で人知れず「犯行に及んだ」訳である。こうなると次にはどんな手を使ってくるのかと意地になる。
 陸中松崎辺りで東に向かいそうだが、それらしきカーブは無い。次の猊鼻渓も過ぎた。
と、突然右へ右へと急旋回し始めた。今度は開き直って白昼堂々と披露して見せた。
 後半の2つのカーブは摺沢駅ー千厩駅間にある。こうなれば逃げも隠れもしませんと言うように、カーブしていったが、それでも未練たらしく直後には反対側へ少し修正した。


R0011351a.jpg
なべづる線を楽しんで気仙沼駅に到着
 駅は気仙沼湾の奥にあり山の中の駅のように見える。
 その屋根にミスマッチのように「いるか」が描かれている。


R0011353a_20150530154916f10.jpg

R0011354a.jpg
気仙沼を出てしばらくすると太平洋が見えてくる。もはや雪はなく穏やかな春の海だ。
大谷海岸駅(上)は、駅の反対側が直ぐ砂浜の海水浴場になっている。


前谷地は鉄道がクロスしている駅だが、平凡な小駅だった。
石巻線にちっょと乗って石巻で仙石線に乗り換え。石巻は石ノ森章太郎の故郷で、原画を数多く保有する記念館がある。仙石線は仙台の近郊線でロングシートの電車だった。
日本三景松島に最も近い、松島海岸駅で途中下車。
3つの朱塗りの橋が目的だ。

R0011357a.jpg

R0011370a_20150530154920a72.jpg
渡月橋を渡って雄島へ。
一応最も「らしい」風景を撮っておく。


R0011367a_20150530154915dfb.jpg

R0011377a_20150530155048986.jpg
かっては多くの堂宇が勧進されたと言うが今はない。死者を弔う岩窟だけが残っている。


R0011374a_20150530155049774.jpg
石碑(「頼賢の碑」重文)を収めた六角堂見て、ここへ以前来た事を確信した。


R0011383a_201505301550517e1.jpg

R0011386a_2015053015505258d.jpg
2つ目の橋、五大堂(重文)。雄島からここまでは観光船がぎっしりと海岸を占有している。
島の数より舟の数の方が多い。
梯子に渡り板を置いたような橋にも記憶がある。前に来たときはこんなにも鮮やかな色ではなかった。


R0011389a_2015053015504704d.jpg
3つ目の橋、福浦橋。この橋だけ記憶が無いし、いささか勝手が違う。
有料でどうも個人の所有らしい。200円が高いわけではないが、入り口をフェンスで厳重に囲ってある。興醒めして引き返してきた。前にもそうしたのかもしれない。歳を取っても人間の行動基準は不変のようだ。



R0011404a_20150530155236a02.jpg

R0011397a_2015053015523343d.jpg

R0011401a.jpg

R0011398a.jpg

以前行ったことのない場所へ行くことにした。
大高森、富山、扇谷山、多聞山の景観は、それぞれ壮観、麗観、幽観、偉観とされ、「松島四大観」と称されている。新富山展望台というのが「北の富山」らしい。「麗観」を愛でてみる。

城を形取った悪趣味な展望台の横を通り、瑞巌寺への分かれ道を右へ取ると坂道になる。
住宅街を通り抜けて、小高い丘の頂上に至る。
道々危惧していた事であるが、やはり海岸のホテル等の建物が景色を損ねている。

東屋の向こうに石碑があった。外人が松島を称えた文章を和訳してある。裏を見てみたが来歴等は記されていなかった。
ここで振り返ると、ようやく建物に損なわれない景色が見られた。


R0011404a_20150530155236a02.jpg
瑞巌寺は修理中であった。参道の杉並木だけでも見事ものだ。
京都や奈良にも劣らない程の大きな寺だった記憶している。
並木の脇に大きな石碑があった。鉄道殉職者の碑だった。碑の両側には脇士のように機関車の動輪が2つ並んでいた。


R0011407a_2015053015523152f.jpg
瑞巌寺の隣は円通院で小堀遠州作の庭がある。
門から中を覗くとそれらしきものが見える。写真を撮ってパス。
立ち去り際に、前もこんな風だったのかなとフトと思った。


仙石線、気仙沼線、花輪線、五能線完乗

60才からのJR全線完乗率 28.1%





雪の東北冬の旅  第3日 五能線 花輪線

2009年02月22日 00:15

能代-東能代  五能線                7:34  7:39
東能代-弘前  五能線                7:55  12:14
弘前-大館   奥羽本線              12:46  13:28
大館-盛岡   花輪線/いわて銀河鉄道    13:49  16:41
盛岡-花巻   東北本線              16:42  17:19


R0011236a_20150529125225d6e.jpg

R0011238a.jpg

R0011239a.jpg

能代の街は市政を布き、旧制中学もあったこの辺りの中心都市であるが、ただっぴろい道路に低層階の家並みが続き、最果ての街という雰囲気が漂う。鄙びた駅舎もそのイメージに輪をかける。
ホームの向こうに見える4本足の火の見櫓が、度々火災に遭った事を思い起こさせる。

能代発東能代行きの、一駅しか運行しない列車で東能代まで引き返すと、ホームは高校生で溢れていた。改札で五能線の列車の入線時刻やホームを尋ねると、何と能代から乗ってきた列車がそれだという。
2両編成の赤い列車の腹を見ると、確かに弘前行きになっている。
通路に溢れていた高校生は既に乗車している。せっかく始発駅から乗るというのに。
奥羽本線の上り下りに付いては車内放送があったのに五能線だけは無かった。少し後から発車するからだろうと解釈していたが、引き返す客はいないという前提だったのか。
あいかわず旅行客には不親切なJRだ。観光列車ではなく定期列車でローカル線の味を賞味しようとしたのが裏目に出てしまった。



R0011254a_201505291252234c9.jpg

R0011261a_201505291252290a1.jpg

R0011269a.jpg

R0011273a.jpg
結局車両の真ん中付近に席を見つけた。仲間が居ないボックスには立ち入らないという高校生達の習性で、そこだけポツンと空いていた。座っていたのは84歳には見えない元気なお爺さんで、向能代までお孫さんに会いに行くという。
能代と向能代で高校生の全員が降りると、後は夫婦ずれの旅行者が居るだけだった。隣の車両も似たようなモノだった。
これから約4時間の五能線の旅が始まる。


五能線には、昔、夏に乗ったことがある。その時に行った十二湖は水たまりみたいなモノでたいした事は無かったし、五能線自体もあまり印象に残っていない。しかし今日は前日に続いて海は大時化で沖まで白波が逆巻き、どんよりとした雲が空を覆っている。時折雪とも霙とも付かぬモノが舞っている。只でさえ淋しい沿線を冬の厳しさが襲う。夏の観光シーズンとは全く違う。これが五能線本来の姿ではないかとさえ思う。



R0011283a_20150529125235bdd.jpg

R0011284a.jpg

R0011287a_20150529125239765.jpg

R0011288a_20150529125249f70.jpg

R0011290a_20150529130457c14.jpg

深浦で団体が乗り込んできた。ツアー客ではなくてグループ旅行のようだった。この季節に全線を走りきるのは、一往復の観光列車「しらかみ」を除けば上下線を通じてこの列車しかない。流石に全員海側の席に座る。

深浦駅を出ても徐行を続けている。この辺りの海岸は赤茶けた奇岩が屹立し、○△地獄とか、××仏浦という名前が付いても不思議ではない、五能線随一の景勝である。

それにしても、定期列車のサービスにしては長すぎる徐行だ。
車掌が通路を慌ただしく行き来する。

雪がレールと車輪の間に咬みこんでスリップするという。汽車は車より雪に強いのでは無かったのか。生憎と急勾配の箇所に差しかかっている。ゴンとクラッチを入れては外し、又入れては外ししている。逆走しないようにと運転手は必死なのだろうが、乗客は絶景を超スローで走る車窓から思う存分楽しめる。幸い旧式のディゼルカーなので、窓が上下分割で開けられる。デジカメ、ケイタイと思い思いに撮影を楽む。

結局、深浦から次の駅まで7分の所を30分かかった。



R0011294a.jpg
広戸~追良瀬間は線路が波打ち際を通っている。波で道床がさらわれた所へ列車が突っ込んで転覆事故を起こしたことがある。波消しブロックを厳重に積んである。


R0011298a.jpg

R0011295a_20150529125252fee.jpg
最も字画の多い駅名ではないだろうか。「驫木」も一太郎で出てくる。


R0011305a_20150529125247f6f.jpg
千畳敷は深浦と並ぶ五能線のハイライトだが、深浦の奇景を堪能した後では影が薄い。
女性連が山側の窓を開けてしきりにシャッターを切っている。


R0011304a.jpg
何事やアランと振り向いてみると、崖にツララがびっしりと生えている。
強い風によるものなのだろうか。オバチャン達の情報網はたいしたものである。

2017/2/5追記
「氷のカーテン」と呼ばれているらしい。


R0011306a_20150529125302eba.jpg
五所川原からは津軽鉄道が出ている。意外と新しい車両で、シャッターチャンスを逃してしまったが、車体には「走れメロス」とあった。


R0011310a_201505291253036b3.jpg

R0011309a_201505291253056e9.jpg

R0011311a_201505291252592d7.jpg

R0011312a.jpg
弘前駅も本当に久しぶりだ。駅舎は見違えるように立派になったが、構内は昔の雰囲気色濃く残しており、ホームに接していない線路を貨物列車通過していった。この線路を撤去している駅を数多く見てきたが弘前は健在であった。
跨線橋を渡って私鉄線へ入るのは五所川原駅と同じ構造である。折しも弘前鉄道の黒石行きが、長い発車ベルとともに出て行った。


R0011313a_201505291253148cc.jpg
弘前で奥羽本線に乗り換えて、大館で花輪線に乗り換える。
乗り換え列車に荷物を置いて駅の外へ出てみる。
大館駅の外に忠犬ハチ公の銅像があった。どういう関係かと銘板を読んでみると、ハチ公は秋田犬で大館出身だとある。そんな事まで判っていたのかと感心する。

再び列車に乗ろうとすると、「改札待ち」と称して入構を制限している。
「車内に荷物を置いている」と言っても、駅員は無視して事務所内へ行ってしまう。
大勢の客が、寒いのに待合室を出て改札口に屯している。
そう言えば、横手駅でも改札口を一時閉めていた。
JR東日本秋田支社では、未だに国鉄時代の因習を継承している。
ホームにも待合室はある。随時改札を通せば良いではないか。
列車は既に入線していて私も荷物を置いてきた。
他の客にも一刻も早く温かい列車に入って貰おうと考える当然だろう。
それなのに客を寒いところへ立たしておいて、自分たちは温い室内に籠もっているのはケシカラヌ。
客にアレコレ指図して平気なのは、国鉄時代のノセテヤルの感覚が残っている証拠である。
いくら新幹線を引いてきても、こういう事がまかり通るようでは、秋田という所はまだ閉鎖社会なのかと思う。


R0011317a.jpg
十和田南で方向転換する。この感覚にかすかな記憶がある。この線にも乗ったことがある。
湯瀬温泉を過ぎると、花輪線は山岳線の様相を色濃く呈してくる。


R0011315a.jpg
雪に撓んだ木々を気持ちよく眺めていると、突如頭上に巨大なコンリートの固まりが現れる。東北自動車道も米代川に沿って走っている。ローカル線を走ってとろーりとなっているのに、一挙に現実に引き戻される気分がする。


R0011325a.jpg

R0011326a.jpg
岩手山が右に見えてくると、盛岡が近い。

かっての盛岡駅は、広々としていて岩手山も見えた。新幹線の出来た駅というのは在来線のホームからの視界が著しく遮られる。街の雰囲気が新幹線ホームで遮断されて伝わってこない。どこの駅に降りたのが判らない。人の後について黙々と駅を出る仕儀となる。もっとも、今や東北本線の電車は総てロングシートに変わり、旅情などの入り込む隙は無いけれど。



本日のお泊まりは、花巻温泉郷 大沢温泉・山水閣  2食付き¥15900


「完全恋愛」 牧薩次=辻真先

2009年02月21日 09:37

図書館で予約したこの本を手に取ったとき、おやと思った。
タイトルにも著者にも覚えがないのである。
個人のHPに掲載されている『週刊文春 傑作ミステリーベスト10』の2008年編が更新されたので何冊か予約した。しかし、馴染みのない著者の本でこんなタイトルなら借りるはずが無いと思ったのである。
表紙をめくって牧薩次が辻真先のアナグラムから取った別名だと知って納得した。

辻真先の迷犬ルパンシリーズは読んでいないが、「サハリン脱出列車」や「進駐軍の命により」でストリーテラーである事は知っていた。

本作も横溝正史を思わせるような、終戦直後の旧家での出来事から書き出される。
事件の経過と共に時代が進んでくるが、1932年生まれの著者には実体験の世界だから京極夏彦のような妙な誇張はない。
その雰囲気を保ったまま、解決まで進んでくれれば言うことはなかったのだが、途中からトリッキーな本格ものに変身してしまう。この辺りの筆致は趣が薄れてしまい、若手と変わらない。

タイトルの真意は最後の数ページで明かされる。
これはやられたと思った。



旅行から帰ってきたら、ディックフランシスの新作や、昨年の11月に予約を申し込んだ宮部みゆきの「楽園」の順番がやっと回って来ていた。暫く読書三昧が続く。



雪の東北冬の旅  第2日その2  秋田内陸縦貫鉄道 

2009年02月21日 00:51

R0011100a_201505291156121b4.jpg
奥羽本線は単線なので交換駅で対向列車の待ち合わせをする。相手の姿が後ろに消えて、いよいよ当方も出発だと思うと無意識にエンジンの騒音とガクンという振動に身構える。ところが、ここでは新幹線のように音も振動もなくスッと発車してしまう。雪が音をかき消すという事もあるけれど電化区間なのである。ロングシートオンリーの車両が多く、雪で痛めつけられた「顔」を除けば、都会近郊の快速電車と変わらない。


R0011102a_20150529115612340.jpg
大曲で田沢湖線に乗り換える。途中駅なのだが行き止まりになっている。秋田新幹線は奥羽本線から田沢湖線に入る為にスイッチバックで入り方向転換する。



R0011107a_201505291156147d2.jpg
角館駅到着。武家屋敷を思わせるようなデザインになっている。



R0011108a.jpg
JR駅の端っこに秋田内陸縦貫鉄道の角館線の駅がある。
角館から松葉までの角館線と、鷹ノ巣から比立内までの阿仁合線が繋がった。両線とも廃線対象路線だったので、秋田県を初めとする地元が出資金を出して第3セクター路線として開業した。しかし億単位の赤字で、再び廃線が取りざたされている。JR完乗の対象ではないが、乗れる時に乗っておきたい。


R0011115a.jpg

R0011116a.jpg
ホームもJRの隅っこを間借りしているかのような配置になっている。
急行列車が一編成有るが、普段は一両のワンマンカーで運行している。


R0011139a_20150529115624183.jpg

R0011149a_20150529115626360.jpg

前半の旧松葉線区間(上)は雄物川支流の桧木内川の、後半の旧阿仁合線区間(下)では米代川支流の阿仁川の流れに沿って走る。旧阿仁合線区間の方が山間を走っていて景色が良い。


R0011151a.jpg
列車が雪煙を上げて走る。パウダースノーだ。
こんな雪深いローカル線でも保線の作業に休みはない。


R0011157a.jpg

R0011158a.jpg

R0011159a.jpg
運転台横の「特等席」に立ってみる。こうして秋田杉の林やトンネルを駆け抜けて行く様を眺めていると、山岳鉄道を走っているような雰囲気がある。相当のスピードで走っているように感じるが、時速は40キロ程度に過ぎない。


R0011142a_20150529115637bda.jpg
「阿仁マタギ」は新線区間の駅で、
 この奥にマタギの里の打当がある。
 マタギの湯「打当温泉」からの送迎バスも来る。


R0011164a_20150529115639c2c.jpg
旧阿仁合線区間にはいると笑内(おかしない)というオカシナ名の駅が現れる。
北海道と同様、アイヌ語の音に漢字を当てはめた結果である。
どうせ当てるなら、もっとマシな字にすれば良いのにと思うが、命名権は最初にここへ来た人間のモノである。


R0011182a.jpg
秋田内陸縦貫鉄道の中心駅、阿仁合に到着。
洒落た造りの駅で、スキー場がある。


R0011185a.jpg

R0011187a.jpg

R0011180a_20150529115650ed9.jpg
ここで急行「もりよし」と交換。2両編成だが前がオレンジで、後ろがベージュと色が違う。



R0011221-2a.jpg
終点「鷹巣」到着。なぜかJRは「鷹ノ巣」になっている。ここでもJRとは別駅舎。しかしホーム内は仕切りが無く、JRへの乗り換え客は秋田内陸縦貫鉄道の改札を通らない。



R0011118a.jpg
通過連絡運輸の設定が無いため、通しの切符を買うことが出来なかった。硬券なら記念に取っておこうと思ったが、自販機から出てきたのはこれ。
全線を乗る客は珍しいらしく、切符を渡すとホォという声が聞こえた。


R0011224a.jpg
今日は鷹巣から東能代まで約30分程乗って奥羽本線は終わり。
ところが、東能代まであと2駅という所で思いがけぬ事態が発生した。
強風のため25キロ以下の徐行運転をするというのである。30分の延着で倍の時間がかかってしまった。その上、ホテルに着くためにあと一駅だけ乗る予定の五能線は、強風のため運転取りやめ。
JRの代替バスでなんとか能代に辿り着いたが、これでは東能代-能代間が未乗になってしまう。
明日は、東能代まで引き替えさねばならない。



R0011225a.jpg
電車の窓から見ていると、どこに強風が吹いているのと言いたくなるような風景だったが、地上へ出てみると確かに強い。ホテルまでの短い下り坂を、向かい風のために下っていけない始末だった。
それはともかく、居酒屋へ入って濁り酒を一杯。突き出しもたこ、ほたて、わかめと海辺の町らしい。


R0011228a_20150529115658753.jpg

R0011231a.jpg
秋田へ来たからには「きりたんぽ」を食べなければと、鍋をたのんだ。
餅米を「ちくわ」のように成形してあるのが「きりたんぽ」らしい。炊いても崩れないが、味がしみこむ程のものではない。最初からご飯が入っている鍋なのでこれだけで満腹になってしまった。



能代タウンホテルミナミ 朝食付き¥6900
少しゆったり目の部屋に泊まった。通常のシングルなら朝食付きで¥5800

壮絶 マーラー交響曲第5番

2009年02月20日 12:31

2009/2/19
大フィル第425会定期演奏会
モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」
マーラー 交響曲第5番

ピアノ ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ
指揮 大植英次

響きを殺して、モーツァルト時代のピアノの雰囲気をよく出しているなと感心していたが、アンコールのドビュッシーも同じ音でがっかり。ペダルテクニックではなくて調律の助けを借りた音だった。

実はこの時まで指揮が大植英次だと気がつかなかった。
ほほの肉がげっそり落ちて、身体が一回り細くなったように見えた。
動作は相変わらず軽快なので、大事はないと思うが。

大植&大フィルのマーラーは6番に続いて二度目だ。
前定期同様に、コントラバス隊は最後尾に一列に並んでいる。
両翼のヴァイオリンは舞台ギリギリに辛うじて留まっている。
裏方の手違いで、指揮台の後ろの手すりが無い。指揮台も舞台ギリギリなのは大植も良く承知している。手すりが付けられるまで、何度も手振り身振りで裏方にサインを出す。


演奏は、壮絶の一語に尽きる。
緊張のあまりペットやホルンが、ソロの所で音を外す。
天井からは、何本もマイクが垂れ下がっていたからCD録音も兼ねている。
こう言う時良いところ取りの出来る、2日連続のスケジュールがものを言う。


不揃いなブラボーコールで終わったのは9時40分。
普通のコンサートより1時間近く長い。
ジュノムは番号は若いけれど長い曲で、大曲の前座には大きすぎたようだ。