北関東周辺を右往左往の旅 第4日 その1 弥彦からガーラ湯沢へ

2009年03月31日 06:39

弥彦      吉田     弥彦線        7:27  7:36
吉田      燕三条    弥彦線        7:44  7:57
燕三条     長岡     新幹線ときMAX310 8:10  8:20
長岡      越後湯沢  上越線        8:27  9:44
越後湯沢   ガーラ湯沢             10:31  10:34
ガーラ湯沢  越後湯沢  バス         10:45  10:50
越後湯沢   水上     上越線        12:00  12:39
水上      渋川     上越線        12:46  13:24
渋川      川原湯温泉 吾妻線       14:28  15:22
川原湯温泉  大前      吾妻線       16:15  16:45
大前      高崎      吾妻線-上越線 17:18  19:02

今日のスケジュールはできが悪い。ローカル線と化した上越線では、越後湯沢-水上間を走る列車が早朝を含めても4本しかない。その先にある吾妻線では、終点の一つ手前までは沢山便が有り、特急まで走っているのに、大前まで行く列車が4本しかない。このため途中の川原湯温泉で時間を潰してもなお、何もない渋川駅で1時間以上待たねばならない。その上ガーラ湯沢往復が入ってきた。宿泊地まで変えて何とか押し込んだが、1時間の乗り継ぎが更に2回増えた。

悪いことばかりではない。駅舎だけ瞥見するつもりの弥彦に泊まったので、弥彦駅を造らせる程の「越後一宮・名神大社 弥彦神社」とはどんな所か、早朝散歩がてらに行ってみた。

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弥彦の温泉街を抜けると朱塗りの鳥居が目に入る。脇柱が添えてあり、海中に建つ宮島の鳥居と形が似ている。弥彦山の向こうは日本海だから、海とも関係のある神社なのかも知れない。


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鳥居をくぐると左手に朱塗りの太鼓橋に、立派な屋根が付いている。神様専用の橋らしい。


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鬱蒼と茂る杉並木の参道を進み、左に曲がると石段の上に唐破風屋根の山門が現れる。


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霊山・弥彦山を背景にしたシンメトリックな美しい本殿だ。地元の人が朝の参拝に来ている。
こちらも清々しい気分になる。お賽銭をあげて手を合わした。


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弥彦線は地方私鉄の越後鉄道が現在の越後線の支線として、弥彦から信越本線の東三条に向けて建設を進めていった。この駅には単なる話題造り以上の意味が有ったのでないだろうか。出口の左側に手水場が見える。


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折り返しの電車が2両編成でやって来た。春休みなのに小学生が沢山乗ってくる。


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道路を跨いだ弥彦神社の大鳥居は、次の矢作駅を出たところにある。
大きさでは、かって千歳線で空港から札幌に向かうとき右窓に見えた鳥居の方が大きい。
もっとも、あれはドライブインの客寄せだったが。


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列車は2駅目の吉田までしか行かない。弥彦線は弥彦-吉田、吉田-東三条の2区間に分断されている。
4日前に降りた燕三条で新幹線に乗り換える。東三条行きの列車が信濃川の鉄橋を渡って去っていく。


長岡までの一駅だけ乗る。新潟-燕三条、長岡-浦佐には一日目に乗っているので、これで新潟-浦佐間を乗ったことになる。3回に分けても、隣駅までの特別運賃なので割高にはならない。

2階建て新幹線の1階には懲りているので、2階席に乗った。3人掛けの真ん中しか空いていなかったが、両隣と肩が擦れ合って何か窮屈である。ふと通路の向こうの席を見ると、そちらも3人掛けである。なんと上越新幹線の2階席は一列に6人も座らせているではないか。
身動きできないから、長岡が近づくと早々にデッキに向かった。ホームから指定席の2階を見ると誰も乗っていない。長岡ではかなりの人数が降りたが、グリーンでもないのに誰も乗っていないのは異常だ。
自由席に乗っていたのは新幹線通勤をしている人達ではないだろうか。定期代としては自由席分しか支給されない。自由席が混む。6人掛けでも、立つよりはまし。という訳で窮屈な車両が造られたのでないだろうか。しかし指定席では空気を運んでいる。通勤時間帯だけ自由席を増やす等の運用をすれば、車両の改造や増結、増発無しで定期客を捌けるのでないか。



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先頭車両のデザインは空力抵抗のシミュレーションから生まれたのだろうが、こうしてドッキングをしている様はワニがキッスをしているようだ。


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越後湯沢駅は、山の中に突然現れた巨人のような駅である。次々に観光バスが発着する。見上げれば谷の斜面には温泉ホテルの高層ビルが林立していた。川端康成小説「雪国」の鄙びた温泉町のイメージは何処にもない。現代の駒子は、オートクチュールを纏って登場して来そうだ。


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寒いので温泉街散策を止めて、待合室で高校野球を見て時間を潰す。
ウトウトしていたらしい。ガーラ湯沢行きの発車まで5分しかない。あわてて緑の窓口で切符を買う。100円の特急券は初めてだ。


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操車場のような所を行き、僅か3分の乗車で終点ガーラ湯沢駅到着。席はガラガラだった。
季節開業の駅なのに新幹線の設備はフルに持っている。とても採算が合わないのではないだろうか。


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駅前は直ぐ下を魚野川が流れており、崖になっている。「駅からスキーを履いて」の雰囲気ではない。それでも、時々スキー板を担いだ客が降りてくるからリフトまでは近いのだろう。



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スキー場のシャトルバスで越後湯沢に戻る。
新幹線ホームの上がコンコースになっているから広い。これだけ土産物屋が出ている駅は他に無いのではないか。
奥に「cocolo湯沢」の看板が見える。



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こだは屋台ではなく恒久的な造りになっている。
駅中に温泉があり、しかも酒が入っているという。話の種と暇つぶしに入ってみる。
帳場で貸しタオル込み800円の料金を払って、階段を数段上がると脱衣場になっている。
湯船は意外と大きい。街中の銭湯並みである。酒の香りが微かにするが、湯に浸かってしまえば気にならない。10時半からの開業で、2,3人しか入っていない。初めは少し熱く感じるが、冷えた身体が温まってくると丁度良い湯加減になってくる。後で湯冷めしないように何回も入った。皮膚の血行が良くなったような気がする。微量でもアルコール成分が肺から吸収される為ではないか。



北関東周辺を右往左往の旅 第3日 会津若松と磐越西線

2009年03月30日 06:35

宇都宮    黒磯    東北本線                 8:45   9:35
黒磯     郡山    東北本線                 9:39  10:40
郡山     会津若松 磐越西線 あいづライナー1号   10:46  11:52
会津若松  新津    磐越西線                14:33  17:07
新津     東三条   信越本線 くぴき野4号       17:19  17:41
東三条    吉田     弥彦線                 18:13  18:33
吉田     弥彦     弥彦線                 18:45  18:53

二日かけて太平洋側へ横断してきたのに、今日は再び新潟へ戻る。

宇都宮-黒磯間はボックスシートだった。上りの上野行きも同じ車両で、同じ東北本線でも管轄する支社によって車両運用のポリシーが違うようだ。
野崎付近から東北新幹線の橋桁が現れて、黒磯までずっと視界を遮られる。考えてみれば、日本はこんな高架を延々2300キロも造り、まだまだ伸ばそうとしている。万里の長城の6000キロには及ばないが、それに匹敵する長さである。狭い国土によくぞこれだけと感心して良いのか、呆れて良いのか。

黒磯からはロングシートに変わった。盛岡-一関間もロングシートだった。ここからは福島=東北になるためか。何故、人口の少ない地方で逆にロングシートが使われるのか分からない。

黒磯から県境を越えた白坂辺りまでは平地でもなければ山地でもない。未利用の丘陵が延々と続く。平地でなければ山とハッキリ区別のつく関西から来ると、日本にもこんな風景が有ったのかと新鮮な驚きを覚える。
水利を改善するべく安積疏水が造られたのはこの辺りだったか?



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郡山から磐越西線に入る。乗り換え時間が短いので指定席券を買っておいたが、特急車両を使っているにも拘わらずガラガラだった。この列車のシートも新幹線同様前へ滑り出す機能が付いていた。

10年程前に磐越西線を通った時、中山宿駅で初めてスイッチバックを経験した。通過するときに目を凝らしたが、スイッチバックは解消されていた。その先の信号所での列車交換は前と同じだった。


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磐梯山が最初は左窓に、続いて右窓に現れた。尖った頂が、頂上が吹っ飛んでぶ噴火を思い起こさせる。噴火でできた檜原湖にも行ってみたいがレールが無い。


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一昨日に泊まった折りにはパスした会津若松の観光を今日行う。
駅と城や旧市街は離れているので、市内を循環しているボンネットバスを利用する。1回200円で、1日乗車券が500円なので1日券を買う。
定員は14人と少ない。駅を出て直ぐに満員となった。立つ人が増えて外がよく見えない。
列車は空いていても観光地は混んでいるというパターンだ。交通手段としての地位低下がハッキリ出てくる。

賑やかな通りに入ったので、振り向いて外を見ると「野口英世御洗礼の館(初恋館)」とあった。てっきり、登楼して初めてナニした場所かと思ったが、本当に洗礼を受けた教会が有るらしい。
子供の時に読んだ「偉人 野口英世」には初恋の話なぞは出てこなかった。
千円札になって今や野口英世の人気はたいしたものである。10年前には猪苗代湖へ行っても野口のノの字もなかった。はっきりとした研究成果が無く、売名の天才ではなかったかとの声もある。借金を踏み倒して豪遊するのは、明治維新以来の伝統ではあったが。
そんな事を知る由もなさそうな女の子たちがゾロゾロと街を練り歩く。


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鶴ガ城北口でバスを降りたが、城らしき建物は見あたらない。
角に土蔵造り店があり、標識でやっとそれと知れる。


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以前この城に来たのは何時だっただろう。10年前、磐越西線に乗った時は来ていない。それより更に前だ。駅から、古くて道幅の狭い商店街を歩いた記憶がある。西若松駅で降りたのかもしれない。

平城なのに松江城のような高い石垣を築いてない。防御の重点を堀に置いていたのだろう。現在の堀の外側に、更に二重三重の堀があったに違いない

この天守は昭和のものだが、元の城郭は会津戦争に耐えて残っていた。明治に入って跡形もなく徹底的に取り壊された。新政府の薩長人の遺恨か。

城内の至る所に「天地人」の幟が翻っている。景勝-兼続は秀吉によって越後から移封されたが、関ヶ原後に米沢に移された。滞在期間は僅か10年程度なのだが。
野口と同様に商魂が優先する。

今では誰も来ないが、天守閣の裏手に「荒城の月」の碑が建っている。
作曲は竹田城で決まりなのだが、土井晩翠の詞の舞台で仙台青葉城と、ここ会津の鶴ガ城が本家争いをしている。


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最も長く支配した松平の武家屋敷を集めて復元しているらしい。
新手のテーマパークのようで、馴染めない。


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飯盛山に着いた。先にこっちへ来たかったのだが、循環バスが反時計回りなので会津若松駅に近いここが後回しになった。
面白そうなので、250円を払って「動く坂道」に乗ってみた。
ベルトコンベアを坂に置いてあるだけ。手すりをしっかり持っていないと身体が後ろに傾く。

もう少し先の坂道から登れば階段も動く歩道も要らない事が、帰りに判ったが手遅れだ。



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白虎隊切腹の地。
鶴ガ城を見やる像が置いてある。手を翳す彼方を同じようにして見るが、城は見えない。遠くの森の中が城のある場所らしい。白虎隊の悲劇の一因は低い天守閣にもある。



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会津若松でのお目当てはこの「さざえ堂」である。
内部が二重螺旋の階段で出来ていて、上り下りが一方通行になっていると言う。
どんな構造なのか実物で確かめたかった。
こうして見ると成る程サザエをふせたような形をしている。



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横の売り場で400円の券を買うと土足で上がれる。重文にしては緩い管理だ。
歴代の天皇が皇太子時代に訪れている。

内部にはスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、一挙にお参りを済ませられるようになっていた。しかし明治の廃仏毀釈で取り壊され、さざえ堂の持ち主であった正宗寺も廃寺となった。


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堂の中心は空洞になっており、向こう側のスロープへすり抜けられる。
試しにショルダーバッグを置いて反対側に出てみた。
上下共に一周してみたがショルダーは無い。
向こう側は、別の螺旋になっているようだ。
一旦頂上まで上がってから、降りてみるとショルダーが有った。



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頂上部の天井からすると、この堂は六角堂になっている。
平面図は六角形で、立面図は定勾配の傾斜、どんな風に設計図を書いたのだろうか。
ダヴィンチも真っ青だ。



磐越西線で新津に向かう。会津若松までは電車だったが、ここからはディーゼルカーになる。


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喜多方の手前で、階段ピラミッド発見。なんだろう。


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磐越西線は新津まで阿賀野川に沿って走る。
福島県では阿賀川又は大川と呼ばれており、昨日の会津鉄道・野岩鉄道もこの川沿いに敷かれている。
喜多方で只見川も合流する。
飯豊山地と越後山脈の間を通り抜け、新潟市にそそぎ込む。
メチル水銀による新潟水俣病(第二水俣病)でも有名になった川だ。


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上野尻ダム。水量が豊富で、途中水力発電所を3カ所通過した。


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時には隘路も形成する。
銚子の口の景観。


新津で信越本線に乗り換えて東三条へ。
この区間の快速「くびき野」号も特急車両を使用していた。


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弥彦線の終点弥彦駅。今日はここで泊まる。
LX3を使ってみた。午後7時前で雨、しかも手持ちでここまで撮れれば言うことない。



駅前の冥加屋ハウスに投宿。一泊二食で8650円(食事のランクは中。入湯税150円を含む)
「温泉」は25度の冷泉に加水、加温している。これで循環したら街中の温泉と変わりない。
和室でバス・トイレ・洗面無し。石油ファンヒーターで就寝前には消火。限りなく民宿に近い。

山行きの中年グループが同宿していた。
山から下りてきて一服するには手頃な宿かも知れない。


北関東周辺を右往左往の旅 第2日 その2 華厳滝/戦場ヶ原/東照宮

2009年03月29日 01:31

東武日光駅で「戦場ヶ原フリーパス」を買ってバスを待つ。他に方面でも同種のフリーパスが売られている。単純に往復しても、こちらの方がその都度料金を払うより安い。バス会社の方も料金の支払いで乗り降りに手間取ることが無い。双方にメリットがある。



馬返しから第2いろは坂を上がって、明智平まで来た。ここからロープウェイで展望台まで登る予定だったが、強風の所為で運転がストップしていた。前に来た時には展望台から中禅寺湖と華厳の滝を一望に出来たが。

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明智平から屏風岩の断崖を望む。


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男体山の麓で「第1いろは坂」が、のたうっているのが見える。



次のバスを待つためにレストハウスへ入る。道路と反対側の窓からケーブルカーの駅跡が見られる。
1970年までは動いていたと言うから、前に来たときはこれに乗ったのかと思う。


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次のバスで中禅寺湖へ向かう。
1000メートル以上もの高所に、こんなに大きな湖があるのが不思議だ。水の出口が華厳滝しか無いためだろうか。



トイレ休憩の後、鳥居を潜って戦場ヶ原へ向かう。


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戦場ヶ原へは始め来た。
風が非常に強く、山の周りでは雪煙が俟っている。
あたかも本当に古戦場であったかのような写真もある。腕の違いだ。


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寒いので三本松の茶店に入る。
店の裏手の駐車場から見た男体山。
丁度、WBCで日本がアメリカに9対4で勝ったところだった。


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観瀑台から華厳滝を見る。
以前、山の上から見たときは箱庭のようだった。
今、正面から見ると、雪解けの季節という事もあって、ゴウゴウと音を立てて落下する様はなかなか迫力がある。
充分堪能したので、エレベータで下へ降りるのは止めた。


スイッチバックなら何十段にも相当する「いろは坂」を下りて、東照宮へ向かう。



徳川幕府の陰の部分を取り仕切った南海坊天海の像が、東照宮の方を向いて番人のように立っている。


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神橋も初めて見る。以前来た時は、どこを通ったのだろうか。


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短いが急な坂道を上がると、輪王寺の巨大な堂宇が目に入る。
陽明門が見られればいいな位にしか思っていないので、ここの拝観はパス。


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広い参道の両側に杉の巨木が立ち並ぶ。



正面左に何故か五重塔が建っている。神社に五重塔とは、ハテナである。


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これが陽明門ならスッと帰れるところなのだが、唯の表門。

しようがないので1300円也を支払って中へはいる。



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境内に入ると他の盆百の寺社とは異なる唯ならぬ気配を感じる。
京都や奈良の寺のように規模で圧倒するのでは無いが、大名や公家達に徳川家の支配者としての権威を感じさせる演出がある。


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学生の時来た折りには悪趣味な過剰デコレーションとしか感じなかったが、今見ると黒を巧みに使って豪華さをより引き立てている。
豪華→真似できない→神秘性・神聖→権威・権力という図式か。


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唐門は修理中だった。


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眠り猫は、張り紙がなければ気がつかない。なんでこんな物が有名なのか。
この下を潜って200段の階段を登り、家康の墓に辿り着くからからなのか。


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たった200段と思ったが、段差が少し大きくてバスの時刻が気になる身には結構キツイ。
「家康め」と思いながら登る。
この鳥居を潜ると拝殿があり、その裏に家康廟がある。
鳥居の「東照大権現」の扁額は後水尾天皇の筆と説明札にあった。
何事に付け幕府と対立したにも係わらず、昭和天皇に破られるまでは、実在の天皇最長寿の記録を持っていた化け物のような後水尾天皇が、どういう経緯でこの扁額を書くことになったのか。



ようようの事で辿り着いた家康廟は、小振りな基壇がポツンと立っているだけだった。
本当にこの中に家康の遺体を安置したのか。
こんなに毎日観光客に押し寄せられては、おちおち眠ってなんか居られまい。


特売場のように混んでいた本地堂の「鳴龍」見物もそこそに、最後のお目当てを捜す。



入り口直ぐ左の建物の上に「見猿、言わ猿、聞か猿」の彫り物があった。
他の変な動作をしている猿の彫り物と一緒に並んでいた。それらが何を指し示しているのか。説明をユックリ読む間もなく東照宮を後にする。


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東照宮の横を通って、最後の二荒山神社に急いだ。


大猷院二荒山神社のバス停からは直線の長い下り坂になっている。普通に参道を通るとこれだけの坂道を登らされる。先にバスで二荒山神社まで上がった方がずっと楽だ。40年前祖母が私と来た時には、今の私より歳を取っていた。気がつかなかったが随分とシンドイ思いをさせた事だった。ゴメンナ、バアチャン

北関東周辺を右往左往の旅 第2日 その1 会津・野岩鉄道で日光へ 

2009年03月28日 12:09

会津若松        鬼怒川温泉 AIZUマウントエクスプレス   7:00   9:11
鬼怒川温泉      下今市    特急 きぬ108号    9:15   9:34
下今市         東武日光                 9:41   9:49
東武日光        明智平     バス          10:06  10:36
明智平         中善寺温泉  バス          10:59  11:19
中善寺温泉      三本松     バス          11:54  12:12
三本松         神橋       バス          12:48  13:44
大猷院二荒山神社  JR日光     バス          15:02  15:16
JR日光         宇都宮     日光線         15:20  16:02
宇都宮         宝積寺     東北本線       16:10  16:23
宝積寺         烏山       烏山線         16:36  17:10
烏山           宇都宮     烏山線         17:38  18:33


会津若松から鬼怒川温泉までは、1本の列車がJR只見線、会津鉄道、野岩鉄道、東武鉄道と4つの鉄道会社を乗り継いで行く。
この区間は国鉄が日光線今市駅と会津線会津滝ノ原駅を結ぶ野岩線を建設していた。「野岩」は栃木県の旧国名である「下野国」の「野」と、福島県会津地方の旧国名である「岩代国」の「岩」とから来ている。
東武鉄道の藤原まで来たところで建設中止となり、第3セクター野岩鉄道に引き継がれた。東武鉄道と並行する藤原以降は建設されず、直接東武鉄道鬼怒川線と結ばれた。その結果、JRと私鉄を直接結ぶという面白い路線が出来上がった。この路線は宮脇さんの本に出遭う以前から注目しており、出来上がったら東京の浅草から福島県の会津若松まで直通で行けるなと楽しみにしていた。残念ながら直通列車は運転されず、会津線もJRから切り離されて西若松-会津滝ノ原間は会津鉄道という3セク線になった。 その後、会津滝ノ原は会津高原尾瀬と改称された。



朝早く眼が覚めたので、発車の30分も前の6時30分にホームに行くと、既に2両編成のAIZUマウントエクスプレスがエンジンの点検をしながら待機していた。



車内にはいるとデッキのドアが自動で開く。2人がけのリクライニングシートで窓も大きい。元は名鉄特急の車両だそうだ。一番乗りなので最前列右側の特等席に座る。
会津若松を発車したときには私を含めて3人しか乗車していなかったが、西若松から増えてきて20人程になった。春休みなので高校生がいない。まあまあまの乗車率ではないだろうか。

「快速」にはなっているが会津高原までは各駅に停まる。



昨日の巻き戻しのような景色を経て、阿賀川沿いに山間部へ入っていく。短いトンネルが断続的に続き、川はトンネルや切り通しの切れ目でチラリとしか見えない。

途中に「塔のへつり」という景勝があるので、目を凝らしていたが寝覚ノ床のように列車から鑑賞という訳にはいかなかった。

会津田島を過ぎると直線区間が多くなる。会津線でも後期に敷かれた部分なのだろう。
会津田島で運転手が交替した。会津鉄道の区間内なのでオヤオヤと思っていたが、その後は野岩鉄道、東武鉄道の区間も同じ運転手が乗務した。


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会津高原駅を出て、トンネルを抜けると福島県から栃木県に入る。
野岩鉄道の区間にはいると、浅草から来た東武鉄道の電車と行き違う。下町を走っている電車でこんな所まで来られるとは、東武鉄道というのは面白い会社だ。


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右手の切れ込んだ谷を追っていくと、対岸に鬼怒川温泉の大きなホテル群が現れる。


鬼怒川温泉で東武鉄道の特急「きぬ」に乗り換える。全席指定の特急券は会津若松駅では売っていなくて、車掌から手書き券を購入するようになっていた。昔のように一定枚数を車掌に持たせているようだ。
母方の祖母を日光に連れて行った時、ここの特急のトイレが洋式で用を足せないとこぼしていたのを思い出した。40年前の事だ。JRは今でも和式が多いから、東武のトイレだけは相当に進んでいた。


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鬼怒川を渡る時、日光の男体山、大真名子山、女峰山が見えた。まもなく下今市で東武日光線に乗り換える。




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JR日光駅を跨ぐようにして終点東武日光駅に到着する。出雲大社同様、私鉄は国鉄より目的地に近くに駅を設けて競争に勝っている。


ここからバスで日光、華厳の滝、戦場ヶ原を巡るが、それは後回しにして鉄道旅行の部分を先に進める。


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工事中なのは残念だが、JR日光駅は洋館風の凝った建物だった。駅舎内の天井も格子天井で風格がある。かっては、この駅が日光の玄関口だったのだ。日光線も参宮線の位置づけだったのだろう。

ここが循環バスの終点だが、殆どの客は一つ手前の東武日光で降りてしまった。
入ってきた折り返し電車はロングシートだった。
沿線風景は下今市-東武日光が野原だったのに対して、こちらは小綺麗な住宅が並んで建っている。東武は観光客、JRは沿線住民の足という棲み分けが出来ているようだ。

発車して暫くすると杉並木が近寄ってくる。幹が太いから、日光街道の杉並木が保存されているのだろう。


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宇都宮駅はメインストリートから少し奥まった位置にある、JRの駅によく見られるパターンの駅だった。駅前の大きな歩道橋の下をバスターミナルに利用している。

今日は早朝からよく乗ってきたが、まだもう1線残っている。
東北本線で2駅先の宝積寺に向かう。





宝積寺駅の跨線橋は変わっている。
全体が白と黒のモノトーンで、線路の上を跨ぐ部分が半シースルーになっている。
天井には広幅の合板で作られた格子がぶら下がっている。
特に観光を目指した様子は無い。この街に有名なデザイナーが住んでいるのだろうか。
ここから烏山線に乗り換える。


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2両編成のディーゼルカーに30分程揺られて烏山線の終点に到着。
烏山駅は何となく懐かしさを覚える駅だった。


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駅の向こうでは車止めの代わりに線路を交差してあった。
対面ホーム線路の踏面が赤く錆びている。終点だが、この駅に対向列車が入ってくることはない。
そして、この景色も二度見ることは無いだろう。


この日は宇都宮ステーションホテルに宿泊。朝食付きで6615円だか、ハズレだった。
大浴場付きと言うことで選んだが、家庭風呂の大型版で大人が3人も入ればいっぱい。
ホテルとしては年季の入った建物で、廊下や隣室の音が丸聞こえになる。

北関東周辺を右往左往の旅 第1日 只見線 

2009年03月27日 14:30

2009/3/22

伊丹    新潟    ANA  513便          8:10   9:10
新潟空港 新潟                      9:20   9:45
新潟    燕三条  上越新幹線とき320      10:10  10:23
燕三条   東三条  弥彦線             10:31  10:39
東三条   長岡                     10:57  11:24
長岡    浦佐    上越新幹線ときMAX322   11:34  11:49
浦佐    小出                     11:53  12:01
小出    会津若松 只見線            13:17  17:18


新潟発11:05の信越線普通列車で旅を開始するを予定していた。
長岡で乗り換えると只見線の出発駅小出着は1308、乗り換え時間は9分である。只見線は4時間と五能線並みの長丁場である。座席が悪いと却ってフラストレーションが溜まる。念のため小出駅に問い合わせてみると12:55にドアが開いて乗り込めるようになると言う。発車の20分以上も前である。9分の乗り継ぎでは「同好の士」が席を占有してしまう可能性がある。青春18切符のシーズンであるし、3連休の最後の日でもある。なんとか、それより早く小出駅に着く方法を算段しなければならない。

その前の新潟発10:00発の列車に乗れても、長岡から乗れる上越線の列車は変わらない。
あれこれ弄くっていると、新幹線で浦佐まで行き過ぎてから下りの列車に乗ると、1時間以上早く小出に着けることが判った。

天候は曇り。朝から風が強く飛行機の延着は無かった。
空港からのバスでは日本語と英語の後で、韓国語とロシア語のアナウンスがあった。新潟は、西に開いた貿易港でもある事を思い起こす。


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新潟駅は日本海側で最大の拠点である。確かに建物は大きいが、駅の表示が広告と見分けが付きにくい。便・不便の問題でなく駅の「格」が損なわれている気がする。


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ホームでは10:00発の列車が6両編成で待機。間に合ったけれども今はこれに乗らない。

7番ホームから階段を登って新幹線ホームへ。


駅員がこれで新幹線に乗れるなんて言うものだから時間をロスした。
長岡駅でも同じ事を言われた。青春18切符に比べて認知度は低いようだ。

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時間的には新幹線に乗る必要は無い。けれど乗り潰しには新潟-燕三条間を今乗っておくと、飛び地の未乗区間が出来なくて好都合になる。あほらしい動機だが上越新幹線に初めて乗る。肘掛けの内側にボタンが2つあって、リクライニング以外にシートを前へ滑り出せる。


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一駅乗っただけで燕三条で弥彦線に乗り換え。駅構内なのに乗り換えの改札前に鳥居が有り、弥彦神社をアピールしている。
ロングシートの電車で東三条へ向かう。
東三条で、新潟駅では見送った普通列車に乗車。


長岡から今度は乗り換え必須の新幹線に乗る。2階建て新幹線の1階席は防護壁に視界を遮られて景色を見ることが出来ない。席は満員だし、貨物列車に積み込まれて運ばれていく荷物になったような気がする。15分の乗車で「解放」された時はホッとした。


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12:01に小出駅に到着すると13:17発の只見線の列車が待機していた。隣には次の16:10発の列車も同様にエンジンをかけて待機している。狭いホームの両側でディーゼルエンジンを回しているので五月蠅い。五月蠅いだけなら良いが、4時間も無駄にエンジンを回して燃料を浪費し、盛大にCO2を撒き散らす。只でさえ少ない運賃収入がこれで消えてしまうだろうし、単位重量距離当たりのCO2排出量が最も少ない交通機関というアピールが虚しくなる。


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荷物を置いて席を確保した後、駅前を散策する。
駅と小出の街との間には魚野川が流れている。雪解け水で推理用は豊富だ。
小出橋の上から越後三山が眺められる。新潟百景に選ばれているそうだ。
木立の左から、八海山、中ノ岳、左端で頂上が雲に隠れているのが越後駒ヶ岳。


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列車は2両編成で、1両はロングシートでもう1両がボックスシートとの混在タイプ。定刻に発車した時には各ボックスに1名が座っていた。当初スケジュールでも慌てることはなかった。
この辺りの家は物置のような1階の上に、2、3階を建ててある。少々雪が積もっても出入りに困らないように出来ている。


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豪雪地帯らしく、対岸を行く道路も延々とスノーシェルターを被っている。

短いトンネルを幾つか抜け、今度はなかなか出ないなと思っていると六十里越トンネルだった。すると突然エンジン音が静かになった。峠を越えたのだ。越後山脈を抜けて福島県へ入った。



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トンネルを出て、3/31まで「冬眠」中の田子倉駅を通過すると、目の前に満々と水をたたえた田子倉湖が見える。
ハズだった。
水位は低く、湖面はずっと向こうに僅かに顔を覗かせているだけだった。


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只見駅を通過すると駅名の殆どに「会津」が付く。
そんな会津大塩駅付近に来ると、幾重にも堰きとめられた只見川が湖のように寄り添ってくる。


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会津川口駅は、そんな湖と化した只見川に最も近い駅だった。
会津川口から会津水沼まで、列車の左窓に湖沼のような只見川が続く。


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只見線は会津坂下(あいづばんげ)から南へ方向を変え、会津若松の市街地を避けるようにU字型に進む。会津盆地の何の変哲もない夕暮れ時の車窓をLX3で撮ってみた。R7と比べると解像度感がある。


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午後5時過ぎに会津若松駅到着。城を模した屋根の前で白虎隊が出迎えてくれる。
明日は7時の列車で会津若松を立つ。会津若松の観光は次にここを通る明後日になる。


今夜は会津若松ワシントンホテルに泊まる。
ワシントンホテルは札幌駅前の、狭い天井の低い部屋のイメージが強かったが、ここは結婚式場も併設しており部屋も建物もランクが上だった。

素泊まり4300円のリーゾナブル価格。大浴場無し。


北関東周辺を右往左往の旅

2009年03月22日 06:00

2月の雪の東北地方を回る旅では計画から外した只見線に乗りたい。会津若松へ行くとなると磐越西線や、珍しい国鉄-私鉄にまたがって建設されていた野岩線にも乗りたい。これに上越線を加えて今回の旅行の骨格は決まった。また高崎を通るとなると信越本線の碓氷峠跡にも行っておきたいし、これらの線に接続している盲腸線も加える。

場所がJR東日本内なので、青春18切符ではなく北海道&東日本パスを使う。連続5日間使うならこちらのほうが安い。

飛行機で直行するポイントは新潟に定めた。
ここから磐越西線や只見線に乗るとなると、新潟-新見-磐越西線-会津若松-只見線が普通のルートだとろう。ところがこれでは全く接続が悪い。只見線は1日3往復だが、現実に使えるダイヤは上下とも13時頃に発車する1往復しかない。最初に磐越西線に乗ってしまうと只見線に上手く接続できない。
さらに時刻表をめくって行くと、上越線も大変なローカル線になっている。「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」の清水トンネルを擁する幹線で、何本もの特急が走っていたはずなのに。水上-越後湯沢間が特にレアで使えそうな定期列車は4往復しかない。これでは長い階段の土合駅に降り立つ等と言う事は不可能だ。
又盲腸線にも猛者が居る。烏山線や弥彦線、日光線は可愛いモノだが、吾妻線とわたらせ渓谷鉄道(旧足尾線)は、俺に乗るなら1日をかけて乗れと主張してやまない。特に吾妻線は終点の一つ手前までは沢山の列車があるのに、大前へ行く列車は1日3本しかなく、現実的なのは1本のみである。


これらを勘案して出来上がったのが下図のルートである。



新潟に着いたら、信越本線で小出まで南下して只見線に乗り会津若松へ。
翌日は磐越西線を捨てて、会津鉄道-野岩鉄道-東武を通って日光を抜け宇都宮まで行く。
3日目東北本線で北上し、ようやく磐越西線に乗る。
吾妻線は4日目、わたらせ渓谷鉄道は5日目に振り分けた。
ルートではなくて乗り継ぎを優先したら、同じ所を行ったり来たりするようなスケジュールになった。
旅行先は新潟、福島、栃木、群馬、長野に跨るが、この域をどう呼べば良いのだろうか。
信越&南東北&北関東??


一応旅程がフィックスし、宿も予約した後で3月号を眺めていると、上越線に盲腸線が出ている。
ガーラ湯沢という冬期にしか列車が来ない駅である。まったく見落としていた。次回に回すとなると、この線の運行時期に合わせないといけない。今は上越線に余裕はないしと困った。
結局新幹線を一駅だけ使うと、予定より一列車早い列車に乗れる事が判った。


とうとう雨が降り出してきたけど、それでは今から行ってきます。



宮脇俊三鉄道紀行全集 第5巻

2009年03月21日 06:28

今回読んだのは「台湾鉄路千公里」 

この巻には他に「椰子が笑う 汽車は行く」(「時刻表のない旅-フィリピン」では車内に石を投げ込まれあやうく大怪我をしそうに)、「汽車旅は地球の果てへ」(マチュピチュよりラオロラ鉱山行きの方が面白そうな「アンデスの高原列車」)及び「韓国・サクリン鉄道紀行」が併録されている。

海外の鉄道紀行モノには少しスタンスを置いてきたが、この巻に収録された作品群以外はすべて読んでしまった。これが最後である。読み終えてしまうのがもったいなくて、何度も中断した。その度に返却しては又借りてくる事を繰り返してきたが、とうとうこれが最後の作品になってしまった。もう「宮脇俊三著」の文章にはお目にかかれない。


普段と違ってお伴を連れない一人旅だ。宮脇さんは「まだ」53才。タフな旅も可能な年齢であった。行く先々で「ヒトリカ」「キレイナコ、イル」「スグネルカ。ワタシ、スグヨンデクル」「女ノコホシイネ」と誘われる。「欣欣大戯院」は乱交パーティ会場かと、入ってみれば映画館であった。

7日間の「冒険」のあと、帰りの機中でいつになく惜別の情が込み上げてくる。
何故中国青年は再見を再会と訂正したのか。石坂泰三に似た人は、「再見」に対してなぜ「北京へ行ったことがあるのか」と問うたのか。
再見と再会の違いは最後まで解き明かされることが無く、とうとう永遠の謎となってしまった。

台湾の東海岸は切り立った崖が太平洋に落ちており絶景が期待できそうだ。東海岸の北廻線とそれに続く台東線は面白そうだし、大理石の峡谷・太魯閣峡や清水断崖へも行ってみたくなった。

ヘーベルハウスの2重サッシ

2009年03月20日 07:00

引き違い戸は原則として2重サッシにした。

以前の木造では、露結は無くなるが、音に対してはあまり効果がなかった。
ものの本によると、それぞれ独立した窓枠に取り付けないと効果はない。窓ガラスも30センチ位離すのが理想的とある。1室だけならまだしも全室にこんな事はやってられない。

この経験から、無いより多少益しと思ってつけたが、期待に反して?かなり効果があった。
2重サッシだと、窓の外を車が音もな通りすぎていく。
ところが風呂(ここは小窓なので1重)に入っていると、家の奥に有るにもかかわらず、ハッキリと車の走行音が聞こえる。
壁の遮音性が高いとも窓も2重、1重の差かハッキリ付いてくるようだ。
断熱効果も大きい。

内窓は、少しのガラス代で済むので、標準の3ミリより5ミリを付けることをお勧めする。

LX3のズームは動作が逆

2009年03月19日 06:48

しばらく使ってみておかしな事に気がついた。

LX3のズームは普通のレンズと動作が逆で

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広角側で延びて

R0011797a_20150531152433f19.jpg
望遠側で縮む

何故こうなるのか、判らない。


以前からこうだったのか、とネットを探っているウチに面白い記事に出くわした。

LUMIX に還る

2005にLXシリーズが初めて登場した時のモノで、

「筐体そのものはコンパクトながら出っ張ったレンズが携帯性を悪くしているという評価もあり」
今と同じ。

「ノイズについては、評判通り結構出ます。ISO100を超えるとかなり目立ってきます。室内撮りはかなり厳しいです。」
「画質についてはノイズが多いとの「悪評」もありましたし」
今と正反対では?

「望遠端ですが、ここまで出てきます。」
記事の中に写真もあるが相当出ている。望遠端で延びるのも「正常」


「 LX3 辺りでは名機と呼ばれるようなカメラに成長してくれるのではないでしょうか。」
LX1の欠点を克服し、その間に失ったモノはズーム倍率が4倍から2.5倍になっただけ。名機への道を歩んでいるのかも知れない。



乗りつぶしオンライン

2009年03月18日 00:21

というサイトを見つけた。

私の乗車履歴を入れてみると

map20090317a.jpg
「乗りつぶしマップ」を描いてくれて、このサイトに登録しているメンバーの中で何番目かも表示してくれる。乗車キロ数が手元にあるデータと若干異なる。その結果完乗率に0.1%程度の差が出た。当方は時刻表から拾っているので誤差があるのかもしれない。その路線を完乗したときの距離は同じなので、そのうち合ってくるだろう。

9403人中の中程の順位である。完乗した人が1位で並んでいるので、最後にいきなり1位になる。1位になっても新線が出来るといち早く乗った者がトップに浮かび出るので、完乗してもウカウカできない。

トップの人の履歴を見てみると年月日が出ている最も古いデータが1998年で0000年(古くて記録が残っていない?)も若干ある。ここ10年間に完乗した人が156人、進行形の人が合わせて約1万人居ると考えても良いのではないか。この数多いのか少ないのか。


完乗の定義で一番頭を悩ますのは、イレギュラーな区間の取り扱いである。
例えば新大阪から貨物線を通って福島から環状線へ入り西九条駅を通過する線があり、「はるか」や紀勢本線の特急が通過する。時刻表の図にには描かれているが(JR発行の時刻表。JTB発行の時刻表では描かれていない。)、営業区間は大阪駅を通過するものと取り扱われていて、乗っても乗らなくても完乗率には影響しない。
時刻表に載っている限りは乗らなくてはいけないと思っているが、旅客線と接して敷かれている貨物線を走る列車まで含めるのかという気もする。上記の貨物線も吹田から始まっているが、吹田-新大阪間は線路が離れて敷設されている訳ではない。かといって大阪駅では離れているかのような貨物線も、元は貨物ヤードとして国鉄構内の同一敷地内にあった。
時刻表で非通過駅となる=のマークも一つの判断材料だろう。同一路線で=のマークがあれば別の線を走っていることになる。