「時刻表2万キロ」はどれ位の乗車距離だったのか

2009年04月30日 01:02

「時刻表2万キロ」は、宮脇俊三さんが当時の国鉄の全営業距離2万795キロの内、最後の1981キロを走破した記録である。幹線は既に乗り終え、出てくるのはローカル線ばかりでだ。しかし、全国に散らばってしまったローカル線に乗るためにはもう一度幹線に乗らないと行けない。

「数字の上では九合目まで登っているが、現実の私は、時刻表を抱いて三合目付近から富士山頂を見あげている。」と嘆息がもれる。

実際にどれだけの距離を乗る必要があったのか、現在全線完乗進行中の私は興味があった。幸い乗りつぶしオンラインという便利なサイトがあって、電卓を持ち出す必要はない。乗車駅と降車駅をにチェックを入れるだけで乗車距離の集計と路線図の作成をしてくれる。私の完乗記録もこのサイトに拠っている。


3章4208.2km (乗車率: 21.21%)
5章6794.1km (乗車率: 34.24%)
7章8436.6km (乗車率: 42.51%)
9章9468.2km (乗車率: 47.71%)
11章9741.0km (乗車率: 49.09%)
13章10407.9km (乗車率: 52.45%)


目的とする路線の総延長の5倍、既乗車区間の半分に乗り直さなくてはならなかった。更にこれらの路線には複数回数の乗車があって実乗車距離はもっと長い。三合目と言うのは案外当を得た表現であった。


とにかく1万キロ以上の旅を、昭和50年9月24日から52年5月28日の2年足らずの期間に、出版社に勤務しながら成し遂げた。この本は、それだけの旅の結実だった。

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LX3 旅カメラとしての評価

2009年04月28日 08:35

3月の「北関東周辺を右往左往の旅」と4月の「九州完乗を目指す旅」では、LX3とこれまで使っていたリコーのR7の2台併用した。

3月は殆どR7で撮って、LX3はR7が苦手な暗い場所でしか使わなかった。4月は反対にR7の出番は少なく、200ミリの望遠が必要な時や突然現れた車窓の景色を撮るときしか使わなかった。

画質の差は歴然としている。縮小画像で比べてもLX3は解像度が高い。R7のリリーフとして購入したがすっかり主戦投手になった。

ウェブでいろいろ言われている欠点が使っている内に顕在化してきた。
○スイッチのクリックが弱いのでカバンやポケットの中で動いてしまう。
撮影モードは勿論、レンズの上に付いてるアスペクト比切り替えでさえ動いてしまう。フィルムカメラを作ったことのないパナソニックの欠点が露呈しいてる。
○ポケットから出す時に、出っ張っているレンズが引っかかりやすい。
初めは丁寧に扱うので気がつかなかったが、ポケットに常駐させるようになると確かに気になる。
○ズームの倍率が低い
意外と気にならなかった。ズームしている間にシャッターチャンスを逃がしてしまうシチュエーションが多い為だろうか。ズームを伸ばして画質が少しでも落ちるなら、このカメラの出番はない。

反対に問題になっていない点で気がついたのは
○自動ホワイトバランスはアテにならない。
R7と同程度のレベルで、自分で設定した方が良さそうだ。屋外でも薄暗いと蛍光灯の発色になってしまう。違っていたときはRAWでなくとも付属のソフトで修正できる。
○ISOは自動で充分
R7は200で固定していたが、LX3は明るいレンズを武器に低いISO値で高画質に撮ってくれる。
○電池の保ちはR7より劣る
R7とだけの比較であるが、感覚的には半分くらいしかない。撮りっぱなしなら300枚はいけるが、再生すると保たない。R7なら500枚くらいはこなせた。これまで充電器を荷物に加える必要がなかったがLX3は必須である。今回の旅行でも途中で1回チャージした。
○撮影・再生の切り替えスイッチが余計
R7では電源を入れたら撮影モードになるが、LX3はスイッチの位置によって異なる。このため電源オンと同時にシャッターを切ろうとして慌てることが何度もあった。再生したら常に撮影モードに戻しておく事を忘れないようにしないといけない。
○レンズキャップのチェックが邪魔
チェックしてくれるのは良いが、キャップを外すだけでは駄目で一旦電源オフにして再投入の必要がある。


いろいろ有ってもカメラは写りが一番。次回はLX3だけを持っていく事になるだろう。

九州完乗を目指す旅  6日目その2 三角線・博多南線

2009年04月27日 01:15


熊本駅は新幹線の工事でややこしい運用をしている。三角線は4番ホームからの発着であるが、実のところは3番ホームの途中に停車する。0番線がA、B、Cと3つもあるのはここだけだろう。
やってきた一両のディーゼルカーは、後藤田線や筑豊本線の原田線でお馴染みになった車両だった。可倒式クロスシートで1列・2列の座席配置は関空快速と同じだ。乗車率はよい。




宇土で鹿児島本線から離れると、やがて島原湾に出る。遠浅の海は瀬戸内海で見慣れているが、こんなに沖まで干上がる事はない。



海岸線から中へ入ると、民家の裏側の軒を掠めるように走る。ローカル線の雰囲気が強く漂ってくる。


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赤瀬駅は、かって海水浴客で賑わった駅だが、今は訪れる客も無く秘境駅の一つになっている。



三角到着。まだまだ走り足りないぞと言いたげに線路が続いているが、ここで終点である。




駅の前面に「展望台」が作られて、「灯台のある駅」舎を覆っている。客待ちのタクシーがズラっと並んでいるが誰も乗らない。観光地としての命脈は絶たれているようである。






駅前が三角東港である。かっては島原行きフェリーが出ていたが、橋が整備されたために今は廃止されている。円錐形の建物は海のピラミッドと呼ばれて港のシンボルマークとなっている。今やバブルの遺産である。歴史遺産である三角西港は大分離れているので、折り返しの時間ぐらいでは見ることが出来ない。




踏切の傍にこんなレンガ巻きのトンネルが残っている。三角線の歴史を感じる。




三角線の路盤は全般に薄低い。海岸部では57号線と同じ高さで走っている。私鉄ローカル線のようだ。


予想外の三角線の変化を楽しんだ。熊本駅へ戻ると、ホームの反対側にリレーつばめが停車している。後続の特急有明に乗る予定だったが、昼の空席状況を思い出して乗り込んだ。ところが意に反して殆ど満席だった。先頭車両まで行ってようやく窓際の席を見つけられた。朝夕は新幹線も混んでいるらしい。




JR九州の路線は三角線で完乗したが、九州完乗はまだである。
博多南線は博多駅と車両基地を結ぶJR西日本の路線である。
越後湯沢-ガーラ湯沢間同様、100円の特定特急券を買って新幹線ホームから乗る。
博多駅で客を降ろした直後の車両にそのまま客を乗せる。
帰りのラッシュとあって8両編成でもほぼ満員になった。



熊本方面へ進延する本線と分れ車両基地への進入路を降下し10分で博多南駅到着。
改札は歩道橋と直結している。みどりの窓口もない。新幹線の駅とは思えない質素な駅だ。
博多行きの列車が入ってきた。こんどは4両編成だった。この列車は博多駅で、そのまま各停の「こだま」として使われる。
博多南線は、帰ってきた新幹線に客を乗せて車両基地に運び、車両基地から出てきた新幹線に、本来の客を乗せる前に通勤客を乗せる。手間いらずで運賃だけが入ってくる旨い運用になっている。

博多南線で博多へ帰ってきたがまだ「完乗」ではない。
19:35発ひかりレールスターは博多駅を発車する。
もう真っ暗で景色は見えないが、この区間は何度も乗っている。ただし60歳になってからは初めてだ。
19:52小倉到着。ようやく九州完乗を果たした。


60才からのJR全線完乗率 44.19%

九州完乗を目指す旅  6日その1 吉都線・鹿児島本線・九州新幹線

2009年04月25日 11:20

九州2-6


窓を激しく叩く雨音で眼が覚めた。
駅へ行くと、鹿児島中央発の宮崎行き特急が1時間遅れている。大雨の為徐行運転しているとの事だった。鹿児島から都城までは1時間20分だから20キロ以下の徐行運転なのだろう。本当に、今から鹿児島を回って今日中に家に帰れるのか少々不安を覚える。
幸い吉都線は都城発である。単行ディゼルカーは各ボックスの1人の高校生と私を乗せて定刻に発車した。




列車(一両だけなのだが)は霧島連峰の山裾、えびの高原を走る。左車窓に高千穂岳や韓国岳が姿を現すが、低気圧による怪しげな雲に覆われて頂上は見えない。
途中に小林という駅がある。駅伝で有名な小林高校が有るから、彼等は小林高校の生徒かと思っていたら、高原という駅で全員降りてしまった。



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定刻9:03に吉松駅到着。1分の接続だが同じホームの反対側で人吉行きが発車を待っている。これに乗れば真幸のスイッチバック、矢岳の大観望、大畑のループ線とスイッチバックという肥薩線のハイライトを楽しむことができる。肥薩オレンジ線で引返して鹿児島新幹線に乗れば、川内ー鹿児島往復という芸のないルートを取ることもない。さんざん迷ったが、結局見送った。
昨年人吉から吉松へ向かったときは私も含めて2両に3人乗った。今発車していく単行ディーゼルカーは乗客無しで、虚しく発車していく。もっとも、3人ともまともな客ではなかったから、これが普通なのかもしれない。




駅の外へ出てみると、右手に暖簾の架かった入り口がある。付近には温泉があるから駅でもやっていのかと思ったら、トイレだった。
この駅でも志布志駅と同様にSLが静態保存してある。屋根を付けてあるから保存状態も良い。4/25から人吉線にSLが復活するが、二度も引退した古参の機関車が使われる。状態の良い機関車が幾らでもころがっているように思うのだが。




大隅横川駅、嘉例川駅で明治時代から存続している駅舎を見て隼人到着。再び日豊本線に出る。隼人から鹿児島中央までは特急霧島85号に乗るが、これも一つ手前の国分始発だから遅れはない。ダイヤの乱れはすでに収束に向かっていた。長距離運転の列車が無くなり、せいぜい2時間の距離で運転しているから、徐行運転の指示が無くなれば回復は早い。

重富から海岸沿いを走る。竜ヶ水からは桜島が真正面に見える。昨年満員電車に乗り合わせた時、運転停車で少し長いこと停まっているので、外へ出みたら目の前に桜島があった。



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未乗の伊集院ー川内間に乗る。
この区間は湯之元から串木野までが単線、複線に戻ったかと思うと木場茶屋を過ぎてからまた単線とややこしい。八代まで単線と複線が交錯する。川内-八代間をJRが放棄したのも、こういう路線の状態が一因であったかも知れない。
川内駅からは肥薩オレンジ鉄道の線である。線路は続いているが、この線だけは一応車止めが付いていて終点の恰好になっている。






再び鹿児島中央駅に戻る。広木と鹿児島中央の間の崖の上に天守閣が建っていた。上野城という建設会社の建物らしい。
ここから新八代まで九州新幹線に乗る。博多まではJR西日本なので、今はこの区間だけがJR九州の新幹線と言うことになる。勢い余れば直ぐにビルからダイブしそうな景色だ。
2年後には博多から全線開通するので、それまで待っても良かったのだが、「九州完乗」に惹かれて今乗る。



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グリーン並みの2列・2列の配置だ。ここでも在来特急同様、木材がふんだんに使われて高級感を醸し出している。
乗客は私を含めて、この車両に8人しか居なかった。新八代で乗り換える際に自由席に入っていたら、こちらは更に少なかった。部分開通という事も有るだろうが、ちょっと酷すぎる。
トンネルばかりで、トンネルを抜けても山の中なのに目障りな防音壁がしつこく付きまとう。水俣付近の高架から断崖を見下ろすのが唯一楽しめた景色だった。

JR九州全般に言える事だが、日本語とそれ以外の3カ国語(英語、朝鮮語、中国語)で表示する面積が等分になっている。特に中国語は文字数が少ないから、字体が大きい。赤い字で書かれていると一体どこの国の鉄道だか判らない。その上この列車では、中国語の車内アナウンスの発声が歯切れが良すぎて耳障りである。短い乗車時間の初めと終わりに長々とやられるのは苦痛だった。全線開通してもあの声は変わらないだろうが。
ネガティブな印象が強い九州新幹線体験だった。




新八代での乗り換えは面白い。在来線とは立体交差なのだが、「リレーつばめ」だけは新幹線ホームまで上がって来て、同じホームの両側に列車が停車して乗り換えられる。当初は座席も同じと言われていたが、元々列車の長さが違うのであり得ない。それでも6両と7両だから、近い場所にある。

同じホームにレールの幅が違う列車が並ぶのはここだけという記述を見かけるが、新庄駅でも見られる。1,2番線の山形新幹線と並行に、狭軌の陸羽西線東線用の5番線がある。もっともこちらは新幹線と言っても列車のサイズは在来線と余り変わらないが。




新幹線はそのまま高架を走り、リレーつばめは地上へ降りてくる。全線開通後このレールはどうなるのだろう。周りは畑ばかりだから車両基地でも作れば改軌して連絡線として使えるが。


九州完乗を目指す旅 5日目  日南線・宮崎空港線

2009年04月24日 06:46




今日は大分から宮崎に移動して、日南線と宮崎空港線に乗る。日南線は長いローカル線で宮崎から志布志まで2時間半かかる。往復はさすがに応えるので、志布志から都城へは旧志布志線跡を走るバスに乗る。



日豊本線のにちりん3号は僅かの客を乗せて大分を出発した。宮崎までの区間は昨年、逆方向ではあるが乗った。それと同じ時間帯だが大分→宮崎ではより客が少ない。都市の経済規模がそのまま反映されるようだ



津久見付近で、灰色の山肌を無惨に剥き出しにされた断崖が現れた。ここも筑豊辺りと同様に山が石灰岩で出来ているのだろう。
石灰岩は海中生物の死骸が堆積たものだから、これらの山は海中から隆起して出来たものだ。ここや筑豊地帯だけが隆起したとは考えにくいから、九州全体が元は海の底であったのだろう。しかし石炭があると言うことは、植物が育っていたことを示す。隆起と沈没を繰り返したと言うことか。いつかまた、この風景ごと海底に沈むのだろうか。



佐伯(さいき)を過ぎれば列車は山の中へ入っていく。「重岡」「宗太郎」と合わせたら人の名前になりそうな駅が続くが、今回も駅標をちゃんと撮すことが出来なかった。
その代わり、昨年来た時は見とれている間に過ぎ去った沈下橋を捉えることが出来た。



宮崎県に入り延岡を過ぎて日向市に停車。この駅は木材の巨大なドームで覆われている。




やがて左車窓に廃墟と化したリニアー実験線跡が現れる。
下の田んぼは田植えが済んでいる。宮崎は二期作だった。田んぼの向こうには海が見える。




線路と海の間の田んぼもなくなり、車窓に太平洋が拡がる。特に堤防もない。台風の高波に、これで耐えられるのかと思うが、大丈夫なのだろう。




大淀川の河口を、トラスのないガータ橋で手軽に渡る。
にちりん3号の終点は宮崎ではなくて宮崎空港である。
昔ハネムーン客で賑わった事もあるが、今は単なる地方空港に過ぎない。
終着駅だが、都市近郊の私鉄駅のような雰囲気だ。


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日南線の快速、日南マリーン号は単行ディーゼル車だった。
青島付近で、この辺りの奇景「鬼の洗濯板」が見える。


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海岸線は単調ではなくて、深い入り江が何度も現れる。遠浅の砂浜が多く港になりそうなのは少ない。家族で潮干狩りにでも来ているのだろうか。


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フルムーンと思しき夫婦連れが串間で降り、乗客は数えるばかりになる。
ようやく終点志布志に到着した。
志布志からは、西都城までの志布志線と国分までの大隅線が出ていた。その名残で広いヤードを持っているが、線路は雑草が花をつけている。



志布志駅は小振りな駅に建て替えられていた。無人駅で、バス停を尋ねようにも人がいない。




駅前から始まる広い道路を少し歩くと、左側にSLと気動車が保存してあった。ここが旧志布志駅かと思うが、それにしては車輪の下の線路が、舗装道路の上に取って付けたように置かれている。今の駅は少し後退した場所にあるから、この辺りに元の駅があったのは間違いない。


教えられたドラグストアの前のベンチでバスを待つ。隣のベンチでは昼間から缶ビール片手に談笑している。声をかけられたが、絡まれては敵わないので知らんぷりした。ここも景気は良く無さそうだ。


志布志高校前で数人の高校生が乗ってきたが、大型路線バスはガラガラだ。
テープが「次は○○駅跡」というので目を凝らすが、乗降客がいないとどこがバス停か判らない。それでも畑の中に白いガードレールのサイクリンロードが続いてる。あそこを志布志線が走っていたのだなと見つめる。
末吉駅跡では立派な駅舎とSLの動輪が保存してあった。余りに保存状態が良いので後で調べると、駅舎ではなくて廃線後に建てられた記念館だった。


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「駅舎は改築され、宮崎より立派な駅になっている。駅前にも新しくて小ざっぱりしたビジネスホテルが何軒か建っている。もう夕暮れだし、都城に泊まりたい衝動に駆られる。私は都城という城下町について何も知らない。郷土料理も豊からしく、一度泊まってみたいと思っていた町である。」(最長片道切符の旅)
爾来30年、都城の駅は早くも朽ち始めている。この駅の姿を見たとたん、微かな期待は霧散してしまった。




駅舎ばかりではない。ヤードも雑草が生い茂って、これが都城盆地の中心都市で日豊本線上の吉都線の分岐駅かと思う。


駅前のホテル、アルファーワン都城に投宿。朝食付き4810円。内装がけばけばしくて、他の目的にも使われるのではと勘ぐるが、室内は「小ざっぱり」としていた。朝食はビジネスホテルと思えない程種類が多く、カレーライスまで選べた。大浴場が無いのは残念だが、コストパフォーマンスは非常に高い。

九州完乗を目指す旅 4日目その2 眼鏡橋と通潤橋と日本一美しい滝

2009年04月23日 06:18

国道218号をそのまま進めば高千穂峡に着くのに、カーナビは細い道ばかり選択する。
何度も農道に迷い込んだ挙げ句、高千穂峡からの帰途に予定していた国道325号線からのアクセスとなった。



後で立ち寄る予定だった「トンネルの駅」に先に到着。
高千穂線と高森線を繋ぐトンネル工事中に、高森側で予定外の大量の出水に遇って断念を余儀なくされた。高森線は3セク線南阿蘇鉄道となり、高千穂線は3セク線高千穂鉄道となった後に廃線となった。そのトンネルが焼酎の長期貯蔵庫として利用されている。
トロッコ列車の前に高千穂鉄道の花形列車だった車両もレストランとして利用して、道の駅が運営されている。長期貯蔵焼酎を試飲してみたいが、運転中なので断念。




カーナビに「駅通り」が現れた。これは多分・・・。橋の下を覗くと、高千穂駅だった。
このホームにもう列車が停まることはない。




観光地の雰囲気がどんどん濃厚になって来る。
観光ホテルが次から次へと現れる。
高校の修学旅行以来の高千穂峡だが、この景色を見に来たわけではない。



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駐車場がどこも満杯で行きたいところに着けられない。
最も奥まった場所に誘導された。

これこれ、この風景。
欄干の見える石橋が神橋。日光東照宮の神橋と同じくシンキョウと読む。大正時代の作
その上に架かる橋が、昭和の鉄橋、高千穂大橋
更にその奥に、空高く架かるのが平成のコンクリート橋、神都高千穂大橋




ちなみに神橋も、石のアーチ橋。



これで高千穂峡はお終い。
時間は午後2時前。通潤橋と並ぶ本日のもう一つの目玉、日本一美しい滝の白水ダムへと向かう。
通潤橋は熊本県、東へ向かって高千穂峡は宮崎県、北へ向かって白水ダムは大分県と、3県に跨る阿蘇の麓をドライブする。
白水ダムはバスも走っていない。最後はカーナビにも載っていない細い道へ入り込まねばならない。
この記事だけが頼りだが、豊後竹田駅からアクセスするコースで、そのままトレースする事はできない。「Aコース」と「Bコース」があり、ダムの直下まで車で行けるAコースで行きたいが、目印がいまいち確かではない。Bコースの交番がカーナビマップに現れたので、そこをマークして進む。

小一時間で交番到着。直ぐ脇の道を左折すると、行き違いの出来ない地道に入る。
道なりに進むと進入禁止の交通標識がでてくるが、その手前を右にはいると駐車場がある。
3~4台の車が停めてあり、ここで合っている事を確認。
農道のような散歩道を下っていくと、上がってくるグルーブに出遭った。皆さん満ち足りた表情だ。
鬱蒼とした杉林の左側に水面が見え隠れする。これが白水溜池だろう。

行き止まりの道の先に一軒の民家がある。立ち入り禁止の看板。
歩いてきた道をそのまま下ってしまうと、この民家の敷地へ入ってしまう。通り抜けようとして入り込んでくる人が絶えないのだろう。右に寄って民家を避ける。この家のものと覚しき墓地の横を通って、その先に白水ダムはあった。



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堰堤から溢れ出る水が計算された水面を造り出す。
常に水がダムの表面を洗うので、その勢いを均等に分散させる為にこのようなパターンを刻んである。




処理の仕方がダムの左右で異なる。
左側は複雑な曲面で。



右側は襞で。
来る前は「日本一美しい」なんてオコガマシイと思っていたが、じっと流れる水を見ている内に納得した。


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堰堤の下へは保守用の階段で降りていくことが出来る。ということはダムの下まで車で来て階段を登れば、上からの景色も楽しむ事ができる。現に上から降りるのは私だけで、下からは女性も含めて何人もが上がってくる。勿論自己責任。あの手すりのない通潤橋でも、これまで落ちた人はいない。

しかし、もし誰か落ちたらどうなるだろう。下の川は浅いのでまず助かるまい。行きたくて行って、落ちたのならその当人が悪い。これが万国共通の認識だが、日本だけは違う。新聞は村の管理を責め立てるのだろう。あの自動ドアに子供が挟まれた事件も、テレビでニュースを見た後の我が家の判定は息子達も含めてチョカチョカした子供か、手を離していた親が悪いというものだった。ところが、あれよあれよと言う間に、自動ドアを作った会社が倒産するハメになってしまった。マスコミによる倒産被害だ。世間には多くの危険が潜んでいると新聞は書く。にも拘わらず、何か起きると誰かに責任があるという前提で書く。話を大きくしないと新聞が売れないからだ。
自分が悪いのでは無い、他の誰かが悪いのだ。こんな妄念に取り憑かれた亡者がいたる所で徘徊している。こんな事を考えていると、下から上がってくる人も「亡者」に見えてくる。




去り際にもう一枚。


これで充分なのだが、竹田の駅でレンタカーを返すにはまだ時間が余っている。
大分県の「眼鏡橋」を探索する。


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県道8号線を竹田方面に進むと、六連のアーチ橋が道路を横断している。
明正井路一号幹線一号橋という名が付いている。
国内で最大規模の水路用石造アーチ橋である。



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玉来駅の手前で国道57号線に入り、竹田駅を通り過ぎて豊肥本線沿いに走る。
使われなくなった隧道の脇に大きなアーチ橋がチラリと見えた。
若宮井路笹無田石拱橋、2連アーチの大きな水路橋である。



水路橋の上に登ってみたが、水は枯れていた。




57号線を戻り、竹田市会々七里交差点を右折すると、先ほどの無田石拱橋の水路の上流に当たる場所に鏡石拱橋がある。道路と川の幅が異なるのでアーチの径も変えてある。
この2つの橋の正確な場所は、ALL-Aというサイトの「若宮井路笹無田石拱橋」にグーグルマップが貼り付けてある。



駅でレンタカーを返したのは16時25分。駅員が傷のチェックも無しに、キーと満タン証明を受け取って返却完了。
ホームからふと大分方面を見やる。これを見て「溶岩の絶壁の下にあるおしつぶされそうな駅」(最長片道切符の旅)と書いたのか。明るい駅なので、絶壁が覆いかぶさってくるような印象は無かった。
丁度九州横断特急6号がやってきた。予定より一列車早く大分に着ける。通潤橋での五老ヶ滝への上り下りや白水ダムへのハイキングですっかり疲れしまって、竹田城を見物に行く元気はない。一刻も早くホテルに入って風呂に浸かりたい。



大分駅前のコモドホテルにチェックイン。朝食付き5190円は日曜日プランでは無くて、全曜日この価格なのには驚いた。部屋もパブリックスペースも安っぽいところは無い。最上階にはジャグジーとサウナの付いた大浴場がある。おまけに屋上にも露天風呂がある。湯が少しヌル目だが、360度の眺めは良い。

ホテルのパンフレットにあった居酒屋は日曜日定休。「ふくやラーメン 大分駅前店 」へ入ってほろよいセットを注文した。ラーメン(勿論トンコツ)、餃子半皿、生ビールのセットで980円也。惜しいことに麺もスープもいけてるのに、4人だけで切り盛りしているのでなかなかオーダーが廻らない。

ホテルといい、ラーメン屋といい、大分駅前は価格競争が厳しそうだ。

九州完乗を目指す旅 4日目その1 眼鏡橋と通潤橋と日本一美しい滝

2009年04月22日 06:21



「見るは蒸気、乗るは電車」と言う言葉があるが、「乗るは鉄道、見るは車」でもあると思う。
観光スポットを見るなら車の方が良いという意味でだ。鉄道は酒を飲んだり居眠りをしていても目的地につけるが、駅は景勝地とは無縁に作られている。車はその逆で小回りが効くけれど、帰路の長時間運転は特に疲れる。長距離は鉄道で移動して、「現場」付近は車で廻るというのが、最も楽に多くの観光スポットを旅行できるのではないだろうか。

今日はレンタカーで、熊本の通潤橋と竹田の日本一美しい滝と呼ばれる白水ダムを訪れようと思う。また道中、熊本と大分に多数存在する石のアーチ橋(眼鏡橋)や高千穂峡に立ち寄る。



熊本駅前の横断歩道の脇に、柄のとれたポンプがある。散水栓の代わり?



駅レンタカーの営業開始の10分前に行くと、既に手続きをしている人がいた。デジイチを持って写真を撮りに出かけるようだ。それでも8時10分頃には出発できた。



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国道445号線で御船川を遡る。熊本から30分程で下鶴眼鏡橋に到着。
国道と並行して架けられているのですぐ判った。

立札には「東京の旧二重橋や日本橋、矢部の通潤橋など数多くの石橋を架設した名工橋本勘五郎、弥熊父子によって明治15年から4年の歳月をかけ明治19年に完成した」とある。更に、車社会になってからも90有余年国道橋として使われてきた(驚くべき事だ)が、平成14年に代替橋を架けたとある。


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欄干の袂が、とっくりの形に抜かれている。



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少し戻って、国道443号線を南下。218号線との交点の少し手前で川沿いの脇道に入る。珍しい川の交差点に架けられた石橋で、二股五橋と呼ばれている。
出発してから約1時間経過。



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国道218号線に入って東へ進む。左側を注意していると、ほどなく馬門橋の案内板が見えた。
辺りを見回すが橋らしきものは見えない。案内板の指し示す、川とおぼしき方角に歩いたが農道は行き止まり。国道にそって戻る方向へ歩くと石柱があり、ようやく橋への道を発見。

橋全体に苔むしており、今では人も通らないような場所ではあるが、作られた当時(文政10年 1827年)は、集落間の重要な通行路だったのだろう。川は細いが谷が深く、下へ降りて又上がってくるのは大変難儀であったろう事は想像に難くない。



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馬門場からそのまま国道218号線を東へ15分程進むと、カーブの先に緑川に架かる霊台橋が見えてくる。
アーチの大きさ(成る程アーチ橋は、この径の大きさで比べられるのか)では日本第3位だが、明治以前(弘化4年 1847年完成)に架けられた石橋としては日本一の大きさだという。
今では重要文化財に指定されているが、ここも昭和41年に国道橋ができるまでは、中央に繊細なふくらみを持つこの橋をバスやトラックまで通していた。荷車の時代にはオーバークォリティだったろうが、車の振動でも緩まなかった石組みは立派なものだ。


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更に218号線を30分程行くと通潤橋に着く。こちらは道路標識にも出てくるから見逃す心配はない。
道の駅をパスして国民宿舎の前を通っり、布田神社の駐車場に車を止めた。ここから少し下れば通潤橋の上に出られる。

橋の両端の基部は下へ程拡がり、城の石垣のような形をしている。大きな力に耐えられる構造になっている。霊台橋のような通行用の橋ではないので、どちらが大きいという比較したデータは無いが、周りがオーブンなだけに、感覚的にはこちらの方が大きいと感じる。



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水路は3本もあり、手前の台地から川を隔てた向こうの台地へ水を送っている。水路は一旦下って向こう側でまた上がる。サイフォンを利用して送水するだけに、橋上水路は密閉性を要求される。初めは木製の樋を使ったそうだが、水圧で割れてしまい、四面とも石製の水路になったという。

大地を割って川が流れ、その上を巨大な水路橋が跨いでいる。川面からは段々畑が台地の上まで続いている。水が台地の上から流れ落ちてくれるのと、下の川まで降りて汲み上げるのとでは大違いだ。こんな壮大な潅漑工事を計画し、実行に移したのは藩=政府ではなくて、庄屋を筆頭にした住民達であった。霊台橋や無数の石橋を造ったのも、切実な願いを持った地元の住民達だった。今も昔も官はアテにはならない。


ここまで来て、通潤橋の中央からの放水を見ないのでは画龍点睛を欠くというものだ。
この水路は今でも現役であるが、田植えの時を除いて土日祝日の正午に15分だけ放水される。
幸い今日は日曜日だが、正午までまだ1時間以上有る。近くにある五老ケ滝へ行ってみる。



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徒歩10分というので来てみたが、通潤橋の上から階段の連続であった。帰りが思いやられるが、4,50メートルも落差のある立派な滝だ。滝は先ほどの通潤橋の下を流れていた川から落ちている。
滝から下流では、ここまで降りてこないと水が汲めない。ここから滝の上、さらに台地の上まで水を運び上げるのは本当に苛酷な労働だったろう。




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ひいこら言いながら、又通潤橋の上まで登ってきた。
正午近くになると、この付近にこんなに人が居たのかと思うほど沢山の人が集まってきた。



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栓が抜かれて放水開始。それぞれ3本の水路に対応しているだろう、川の上流側へ2本、下流側へ1本、豪快に水の柱となって落ちていく。


(この項続く)

九州完乗を目指す旅  3日目 大村線・佐世保線・筑肥線・唐津線

2009年04月21日 06:30

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6:58発のシーサイドライナーは諫早まで長崎本線の新線を走り、佐世保へ向けて大村湾の渚を快走する。大村湾は外洋側を西彼杵半島がスッポリと覆い、広い湖と言っても良い静かな海である。線路は波打ち際ギリギリに敷かれている。水は琵琶湖よりも澄んでいる。



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8:18ハウステンボス着。まだ朝が早いのか、それとも観光客がいないのか乗降客は殆ど無い。




早岐で列車交換のため8分停車。終戦後、引き揚げ者はここから列車で東京へ向かったという。
早岐からは10数分で佐世保到着。松浦線が第3セクターとなた今、ここがJRの最西端駅である。
松浦鉄道へと線路は続いており、いまいちピリッとしない終着駅だ。




距離的には久保田から唐津線へ入るのが順当なのだが、あまりの接続の悪さに一挙に博多まで戻ることにして、特急みどりに乗る。

佐世保駅に入線してきた列車のシートが反対向きになっている。松浦鉄道へ入っていくかのようだ。早岐で方向が変わるのだった。
この列車はドアが車両の中央にあり、一両が2つのコンパートメントに分かれている。
半分だけグリーンとか座席指定車にするには都合のよい構造である。その代わりデッキへ出ようとドアを開けても、出入り口がないので慌てる事がある。
走行中は時折左右に激しく揺れるので、乗り心地は余り良くない。佐世保線の路盤が悪いのかと思ったが、長崎本線に入っても変わらない。車両に原因がありそうだ。昨日のかもめは全く揺れなかった。




有田に入ると四角いレンガ作りの煙突が目に付く。私が唯一知っている香蘭社の煙突もあった。
山峡の落ち着いた雰囲気の街だ。次の機会には余裕を持って訪れたいと思う。




昨日はデッキの窓から眺めたが、今日は座席から吉野ヶ里遺跡を撮ることができた。
低い竪穴式住居なら、線路際に間近に見られる。



筑肥線に乗るには一旦地下鉄に乗って、姪浜に行かねばならない。時間があるので、福岡空港駅まで戻って始発駅から乗ることにした。それにしても都市の中央駅から地下鉄で3駅乗れば空港とは、福岡は随分と便利な都市になったものである。時間が不確実なバスか、高くて遅いモノレールしかない伊丹空港か、特急だけが早く着ける関西空港を選ばなくてはならない大阪とは大違いだ。

福岡空港駅で降りて、辺りを見回すが郊外電車らしきものは無い。ふと乗ってきた電車の前に廻ると、なんとこれが西唐津行きだった。とうとうJR九州の線路をロングシートの電車では走るハメになってしまった。


姪浜では地下鉄から一挙に高架になった。少しだけ海岸線を走った後は畑の中を走り、線路も元の筑肥線の地上線に戻る。
再び海岸線に近づき、虹ノ松原が近いことを感じる。しかし線路際は普通の灌木が茂っており、松林とは細い道路を介して隔てられていた。




唐津の手前で再び高架線となる。唐津城が遠望できる。ここからでは海に突き出た山上に建てらているように見える。橋桁の多い橋は松浦川に架かる松浦橋だろう。そして松浦橋の右に見える白い建物は、「時刻表2万キロ」に出てくる伊勢エビを食い損ねて、唐津-西唐津間も乗り損ねたシーサイドホテルではなかろうか。






街の中心は唐津駅だが終点の西唐津まで行って引き返す。
駅看板が勘亭流?で書かれている。
操車場は西唐津駅の更に奥にある。



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唐津駅に戻ってタクシーで唐津城へ行く。
斜めに上がるエレベーターに乗って天守台へ。
見たかったのは復元天守ではなくて、この風景。虹ノ松原が見られる鏡山展望台までは遠い。高い場所へ上がれば何とかなるだろうと見当をつけてやって来た。



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運転手が、桜が終わったら藤の花と言っていた。
24ミリの広角ではちょっと天守閣が傾いて見える。


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下へ降りて「城内橋」から天守閣を見ると、山城ではなくて平山城だと判る。



駅へ戻るときに勘違いして反対方向に行ってしまった。おかげで昼食の時間がなくなり駅のお弁当屋さんで、いかのゲソとおにぎりの弁当を買って乗車した。美味しい揚げたてのゲソが山盛りに入っていて350円。昨日も長崎の天ぷら屋でイカ天を食べたが、イカはイカでしかない。味に大きな差は無いように思う。値段の差は大いにあった。



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伊万里へ向かう。暫く唐津線を走った後、山本から再び筑肥線になる。駅を出ると暫くは唐津線と筑肥線が平行する。単線区間のはずなのに、一見すると複線区間を走っているように見える。単行ディーゼルカーは、唐津線の次の駅の本牟田部を猛然と通過する。少しずつ唐津線との間が拡がるとともに勾配を登っていく。やがて筑肥線は唐津線の上を通って右へカーブしていく。

時刻表の路線図の通りなのだが、えらく手の込んだ分岐の仕方をする。その答えは「時刻表2万キロ」の第3章の図にある。
唐津付近の路線は整理統合されたが、「時刻表2万キロ」の地図を見ると以前は松浦川の両岸に線路が走っていた。博多から来た筑肥線は東唐津でスイッチバックして松浦川右岸を走り伊万里へ向かう。西唐津から唐津を通る線路は、松浦川の左岸を通って久保田へ向かう。両線は山本で交差している。現在は松浦川右岸の線路を外して、東唐津と唐津間に新たな線路が敷かれている。このため、唐津-山本間は筑肥線一旦消滅して唐津線となり、山本以降で再び筑肥線が現れるという不思議な路線になっている。元の2つの路線が別々の私鉄だったと考えれば、至極当然な分岐の仕方である。




この辺りの筑肥線の駅標は、国鉄時代のものを、そのまま使っているようだ。



ごく普通の田舎の風景が続いて、終点伊万里に到着。佐世保と違って、ここでは線路が途切れている。伊万里で有田方面と佐世保方面に分岐しているので、JRが少し後戻りして分岐ごと松浦鉄道に譲ったようだ。駅舎も小振りなものに建て替えられていて、こっちのほうが3セクなのかと思う。

山本で降りても唐津から来る同じ列車に乗ることになるので、唐津まで戻る。
行きも帰りも、ボックスシートに各一名の客がいる。まあまあの乗車率だ。



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佐賀で特急に乗り換え昨日から3度目の吉野ヶ里遺跡を通る。
鳥栖のホームには何度も降り立ったが、下車した事がない。新幹線が伸びてきたら、この古い駅がどうなるか判らない。急に写真を撮っておきたくなって、長い長いホームを小走りに駆けた。



ルートイン熊本駅前に投宿。朝食付きで6200円。ミネラルを入れて人工温泉にした大浴場がある。




熊本駅前は何もない。ホテルを出たところに開いている「ぼて」という居酒屋へ入った。
敷台があり土足のまま上がってよいものか躊躇っていると、中からそのまま上がってくださいとの声がかかった。場所柄、馴染み客ばかりでアットホームな感じが良い。ご夫婦だけで切り盛りしているようだ。マスターは時々マイジョッキを傾ける。居心地が良くて長居したくなるが、明日は車の運転がある。ほどほどで切り上げた。この米焼酎はその時に飲んだ。人吉産なら不味かろうハズがない。殆どロックの水割りでお代わりした。

九州完乗を目指す旅  2日目その2 久大本線から長崎本線

2009年04月20日 01:15




小倉から大分まで「白いソニック」に乗る。長崎本線を走っているかめと同型車で、シートにも「KAMOME」のロゴが入っている。木製の床に黒いレザー張りのシートで高級感がある。



昔、母と妹の3人で耶馬溪から湯布院へ旅行したことがある。その時はどういう訳か虫の居所が悪くて、母に当たってばかりいた。それ以後母が旅行に誘うことはなかった。ずっと後になって突然その時のことを思い出して、以来非常に気になっていた。しかし、その時母は病で衰弱していた。元気になってから話せばいいかと思っていたら、そのまま回復することなく逝ってしまった。
新幹線が出来ていたかどうか記憶にないが、小倉から大分、湯布院の区間で国鉄を使ったはずだった。今日は、晩年の母が趣味で手作りしていた革細工のコインケースを持ってきている。私はケースをそっと窓際に置いた。暫くは、母と2人でもう一度この区間を旅しようと思う。




大分駅付近に通天閣に似た塔がある。気になっているが子細は判らない。アサヒビールの広告が出ている。
(後日、別府タワーと判明した。)




久大本線は大分駅で最も奥の7・8番線を使う。昨年来たときは気がつかなかったが、大分駅も高架工事をしている。久大本線の列車は既に完成した高架ホームから発着する。
13:27発の「ゆふDX4号」の出発を待っていると、「ゆふいんの森」が入線してきてツーショットを撮る事が出来た。



ゆふDXは偶数日に運転されており、奇数日は普通の特急車両で、DXのつかないゆふ号が運転されている。車両の絶対数が不足しているわけでなく運航日は全列車がDX車で運転している。どうしてこういう運用をするのか理解できない。昨日、日田駅で見送ったゆふ号はガラガラだった。
 先頭車両は展望車になっているが、中間車両は一部に窓向きのデスクが着いている他に格別の特徴はない。展望車は前後とも指定席なので、ゾーン切符では乗れない。



列車はなだらかな九重連山の山峡を進む。先月までは枯れ木ばかりの山容を眺めていた。緑の濃淡で覆われた山々を見ていると、気持ちがゆったりとしてくる。河面が見えると、まだ花をつけている桜が有り、そこだけピンク色に浮かび上がる。昨日から葉桜ばかりだったが、日の当たらない山蔭では花が保っているようだ。




やがて湯布院の象徴由布岳が見えてくる。
由布院駅ではスイッチバックすると思いこんでいたが、進行方向は変わらなかった。
ここで大勢の客が乗り込んできた。昨日瞥見したのとは大違いだ。金曜日に観光地から帰るというのもおかしい。DX号に合わせて乗ってくるのだろうか。
ホームで足湯を楽しんでいる人達に見送られて発車。






豊後森駅には扇形機関庫が残っている。どちらの車窓から見えるのか事前には確かめられなかったが、運良く目の前を通過していった。



杉河内駅の慈恩滝も、一瞬見えた。



昨日は撮れなかった夜明けダムの堰堤。
回り込んでダムの正面に来てから撮ろう思っていたらトンネルが続き、やっと川に出たときにはダムから遠く離れていた。




田主丸駅は駅舎が河童を模しているので知られているが、ホームにも河童の像があった。この河童はしっかりヘソをつけている。


久留米から鹿児島本線に入る。この列車は福岡行きだ。この区間はビジネス客が多い。ローカル線からいっぺんに都市近郊路線へと様変わりする。



長崎本線との接続駅鳥栖到着。目の前に大きな鳥栖スタジアムがある。J2チーム、サガン鳥栖のホームグラウンドにしては立派なスタジアムだ。






鳥栖駅ではホームの支柱に使われている古レールに、こんな標識を付けている。
ドイツのクルップ社は知っているが、イギリスのキャンメル社は知らない。
こういうものに着目する鉄道ファンもいる。この2本のレールがどのように異なるのか、私には判らない。


鳥栖と佐賀の間にある吉野ヶ里遺跡の復元高楼を見て、現在の最長片道切符の終点肥前山口駅
を通過。このまま乗っていれば6時前に長崎に着くが、諫早で各停に乗り換える。長崎本線には海沿いの旧線と、山の中を走る新線がある。今日は先ず旧線を片付けてから長崎に入る。



この特急かもめ33号は博多発長崎行きで乗車率が良い。鳥栖から乗った時は、やっとのことで通路側の席を見つけた。デッキに立ったままの客も多い。ところが佐賀で大半が降りてしまい車内はがら空きになる。翌日の佐賀発博多行きの特急でも、始発時はガラガラで佐賀から退去して乗り込んできた。九州は巨大都市博多を中心に動いており、そのビジネス圏は佐賀までのようである。そこから先へは行っても空気を運ぶだけになる。
長崎新幹線の建設も進められているようだが採算性はあるのか。長崎本線は筑前山口以遠は殆ど単線でしかない。地元も肥薩オレンジ線の状況を見て、現行路線を維持せよと要求している。少ない乗客を在来線と新幹線で奪い合うだけの事ではないか。現状の乗車率を見る限りでは、特急で15分の鳥栖-佐賀間に新幹線と連絡した快速を走らせば充分ではないかと思う。長崎新幹線は現代の我田引鉄ではないのか。




旧線は大村湾の景色の良いところを走る。大草付近でそろそろ日暮れが近づいてきた。




終点長崎駅到着。かもめ33号は20分程先に着いている。ここから先はどこへも行けない。








駅広場は巨大な歩道橋が覆っていて、その下が市電のターミナルになっている。



長崎というと坂道のイメージがあるが、平坦な市街地は意外に広くて徒歩ではしんどい。100円でどこまでもいける市電が便利だ。市電と言ったが実は長崎電鉄道という私鉄なのだ。自治体からの補助が有るのか無いのか知らないが、この料金で走っているのは立派だ。




グラバー亭や天主堂には行った事があるが、めがね橋は初めてだ。
ちっぽけな石橋に見えるが、河面は道路からは結構下にある。




夕食は、駅前のアーケードの中のてんぷら屋に入ってみた。
大衆的な店構えだが、意外とお上品な料理しか出なかった。


ホテルクオーレ長崎駅前に投宿。素泊まりで5800円。パブリックスペースに余裕をもたせた、感じの良いビジネスホテルだった。


九州完乗を目指す旅  2日目その1 西戸崎と若松

2009年04月19日 01:43






博多駅は2年後の九州新幹線全線開通を目指して、急ピッチで改装が進められている。
「平安京遷都」を刻んだ大木は見あたらなかった。

今日の目的地は長崎だが、反対方向の東に向かって出発する。昨日といい今日といい、できるだけ遠回りして目的地(本来の意味での目的地とは言えないが)に近づくいて行くと、最長片道切符の旅をしているような気分になる。盲腸線があると必ず入っていくから、時刻表2万キロとの両方を一度にやっているようなものだけれど。

10分程で香椎駅に到着。宇美方面から通勤・通学客が博多方面の列車に乗り換えていく。
松本清張の「点と線」の映画に出てきた香椎は、駅を出ても酒屋が一軒有るきりの淋しい駅だった。勿論、今はその面影もない大きな駅になっている。




香椎から25分で、終点西戸崎到着。昨日の宇美と合わせて香椎線完乗。
左手の高層ピルは鉄道とは関係のないリゾートマンションである。
右手の海側の空き地にもマンション建設予定地の看板がある。
賃貸ならちょっと博多から遠すぎるし、今時こんな場所のマンションが売れるとも思えないが。








博多港への渡船場が駅から直ぐの所にある。
春霞で対岸はもやっていて判然としない。

例の「漢の和の奴国の王」の金印が出た場所が金印公園となっているが、3センチ四方の金印は国立博物館に収まっている。その志賀島と西戸崎を結ぶ道路も、普通の砂浜の上を走っているようなので食指が伸びない。
西戸崎では海ノ中道公園での時間を少し取ってあったが、入り口が閉ざされている。
こんな事なら、船に乗って博多まで戻るようにスケジュールを組んでおくのだったと悔やまれる。




西戸崎での滞留時間を切り詰めて、帰途、一つ手前の海ノ中道という駅に降りてみた。
この直ぐ向こうは玄界灘が拡がっているはずである。



ところが駅から一歩外は海ノ中道公園として管理されているらしく、駅から出られない。
開園時間は季節によって8:00から10:00まで細かく区切られている。
今は9:30開園になっている。
施設ならともかく、野外の公園くらい全時間開放すれば良いではないか。いささか腹立たしくなってくる。
戦時中に即席で飛行場なったここは、米軍に接収されていた。返還後は国有地となったので、今は国土交通省が管理している。どの季節も夜間はクローズドになっている。折角の広大な公園をもったいないと思うが、街から外れた無人の公園では何が起こっても不思議ではない。



この子達も私と同様の被害者である。
4月も10日なので学校はどうしたのかと尋ねると、入学式で2年生と6年生以外はお休みなのだと言う。




再び香椎に戻って、鹿児島本線で折尾へ向かう。
JR九州の都市近郊では、この電車によく乗り合わせる。



合板製の腰板と背もたれに、黒のレザーのクッションはなかなかオシャレだ。
可倒式のクロスシートなのも旅人には有り難い。
また微妙に寸法を調整してあって通路が広い。通路のつり革も違和感がない。



このタイプにもよく出遭う。こちらの座席は赤モケットの可倒式のクロスシートになっている。
JR九州ではロングシートに出遭ったことが無い。





今度は本駅の方の折尾駅へ降り立った。
鹿児島本線のホームから改札への階段を下ると筑豊本線のホームになっている。
この立体交差はそうとう昔に行われたようだ。先ず石炭を若松港から積み出すために筑豊本線が敷かれ、しかるのちに鹿児島本線の小倉-博多間がその上を跨いで造られた。
ホームの屋根は蒸気機関車の煤煙でくすんでいるし、鹿児島本線の築堤の切り通しにレンガが積まれている。



筑豊本線の折尾-若松間は複線非電化である。若松駅は幅の広いホームの堂々たる終着駅であった。
右手に広い駐車場スペースがある。石炭積み出しで賑わった頃は、沢山の貨車が出入りする操車場だったのだろう。



今は片隅に機関車が一台ポツンと置かれているのみである。
野ざらしなので、かなり痛んでいる。



若戸大橋の見える方向へ海岸通りを歩く。
ここは人力で荷役をしていた浜の跡らしい。階段が海の中まで続いている。



橋脚の下にレトロというより、廃屋に見えるビルがあった。
前に廻ってみると、上野海運という会社の現役の社屋であった。しかし窓枠の一部は錆びて、ガラスが割れたままになり荒れている。はてさてどうする積もりなのだろう。


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LX3の16:9モードで撮ってみた。
今では珍しくもなんとも無いが、この橋が架かったときは記念切手も発売されたと記憶している。




ここから戸畑までは渡船で渡る。北九州市営だが、大阪のように無料ではなくて100円要る。




3分の船旅で対岸の戸畑に着く。
駅へ行く途中に蛭子神社があった。蛭子は恵比須と同音同義だが、神社の名には縁起がよさそうな後者が使われている事が多い。古事記にあるイザナギとイザナミの間に子供が出来たが、水子で海に流した。この水子が蛭子と呼ばれている。一方で恵比須=大黒天は大国主命の子供とされていて、鯛を釣り上げている図柄で有名だ。いずれにしても海に纏わる神様で、戸畑が漁師町だった頃から信仰されてるだろう。

戸畑の駅は、港と反対側にしか開いて無くて、地下道を潜って向こう側へ廻ってからでないと駅には入れない。ホームの真正面に若戸大橋が見える。見晴らしは良いが冬のホームはさぞ寒い事だろう。
まもなく有明10号が来て乗り込む。小倉まで僅か5分だが、九州ゾーン切符があるので平気だ。
JR九州で特急に乗ると、直ちに車掌が検札にやってくる。 この時も終点までわずか5分というのに早速車掌が現れた。