山陽・四国の旅 第6日 その2 広島-和田山

2010年03月31日 16:57

可部行きの列車は広島駅を出ると、太田川の大きな堤防沿いに走る。どこかで見たような風景が続く。あれこれ考えて、芸備線では対岸を走った事を思い出した。芸備線は太田川の支流に沿ってどんどん山の中へ入っていくが、可部線は途中で左にカーブして太田川から離れていった。

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終点可部に到着。かっては三段峡まで、ここまでの2倍以上の距離があったが、2003年に廃止された。子供の頃から「三段峡」という名に、滝が三段になって流れている風景を想像していた。いつか行ってみたいと思っていたが、列車で行くことは叶わなくなった。



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ところが三段峡行きに使用されていたホームから見ると、レールはずっと先まで伸びている。どこまで伸びているか確かめてみたかったが、まだ播但線という大物が控えているので、残念ながら時間がない。バスで三段峡まで行く時に見に行こう。何時のことやらわからないが。



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可部線は途中の大町駅でアストラムラインという新交通システムと交差している。


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札幌地下鉄のようにゴムタイヤで案内軌条上を走る。


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新広島球場は山陽本線のすぐ傍にある。


大阪-姫路は新快速が頻繁に走っていて便が良いが、その先姫路-岡山間は列車の本数が急に少なくなる。走っている列車の数は多いのだが、中途半端な区間を走る列車が多くて直通は限られている。山陽本線を青春18切符で抜けようとすると、姫路-相生か相生-岡山間を新幹線でショートカットしなければ、うまく抜けられない仕組みになっている。今日は相生-岡山を予定している。糸崎で岡山行きの列車に乗り込み、飲み物を買いに行こうとしたら、車掌が発車の合図をしている。まだ発車時間ではないはずなので訊いてみると、この列車は一本前のが遅れていて、今から折り返すという。やれやれ2日続きでJR西日本の遅れに付き合わされるハメになった。しかし今度のは悪い話ではない。予定より早く発車するので岡山で40分近い余裕が生じる。実は岡山城に行ったことがない。岡山はいつも乗り換えだけだった。岡山駅から路面電車で5分行くと城下という最寄り駅に着く。5分間隔で走っているから、最悪でも20分で往復できる。城下駅から岡山城までの距離が問題だか、天守閣を瞥見するだけならなんとか時間が有りそうだ。


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路面電車の架線は、電柱等を利用して張り渡されるのでゴチャゴチャした印象があるが、岡山電気軌道は中央分離帯にデザイン性の高いポールが立っている。スッキリしていて見晴らしも良い。


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地図では城下駅を降りれば直ぐにでも見える距離なのだが、大きな建物に邪魔されて真下まで来ないと天守閣が見えない。黒い外壁の岡山城は烏城と呼ばれる。白い姫路城と双璧をなし、戦前は国宝とされていたが戦災で焼け落ちた。子供の頃、岡山駅の手前で、あれが岡山の烏城と教えて貰った記憶がある。平城なので今は到底駅から見えない。あの時はここまで焼け跡が続いていたのだろうか。それなら、よっぽど早く再建天守閣が建てられたことになる。


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岡山城は旭川を挟んだ後楽園から見るのが良いとされている。しかし城下時間がないので、対岸へ向かう橋の上から写真を撮ると、城の中へは入らず急いで引き返した。本当に瞥見だった。


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姫路に近づくと既に黄色く変色した高架線が途中で切れているのが見える。手柄山まで僅か1.6キロだけの姫路モノレールの廃線跡だ。廃止になって30年経つのにまだ撤去されないで残っている。


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姫路駅の「えきそば」が名物になっているらしい。ラーメンをうどん・そばの出汁で食べ、大阪では「きいそば」と呼ばれている。名物に美味いモノ無しの言葉通り、それぼと美味しいものではない。

播但線は姫路-寺前間と寺前-和田山間では様相を異にする。寺前までは電化されており、姫路市内を高架で走り抜ける。姫路城がいつもと違うアングルで、しかも可成り長い間見続けられる。寺前からはディーゼルでコトコト坂道を上りながら、山の中へ入っていくローカル線になっている。


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竹田駅から山の尾根づたいに築かれた石垣が見える。天空の城とも呼ばれる竹田城跡である。山頂からは幾重にも連なった石垣が延々と続いているという。黒澤明の「影武者」や、角川映画の「天と地と」に使われた。神小畑にある日本で最も古い鉄製の橋や、生野銀山跡と一緒に訪ねようと思っているが、中々機会がない。


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駅の裏手が登山道の入り口になっている。


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この竹田駅も、豊後竹田駅のように城をイメージした建物になっている。
次の和田山が播但線の終点だ。陽は既に山の向こうに消え、冷え冷えとしてきたが、交換する特急がなかなかやってこない。



JR全線完乗率 92.18%


山陽・四国の旅 第6日 その1 徳山-広島

2010年03月30日 16:58

2010/03/08

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徳山は周南市という馴染みのない名に変わったが、山口県の中核都市である事に変わりない。山陽新幹線に乗ると唯一この辺りだけが海が見える。工場が建ち並んでいるが、それでも海が見えると何故かホッとする。ホテルの窓からも、徳山駅の向こうに瀬戸内海が拡がっているのが見渡せる。


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徳山から7つ目、高水駅は岩徳線のほぼ真ん中に位置する。本州唯一のナベヅル飛来地である周南市八代地区最寄り駅である。ホームに鶴の剥製が飾られているのは、全国でもここだけだろう。



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錦川鉄道の分岐駅、川西が近づくと横山山上に岩国城が見えてくる。この下には有名な錦帯橋がある。昨日乗った錦川鉄道は、錦帯橋の下を流れる錦川に沿って敷かれている。
岩国藩は、毛利元就の次男吉川元春の子、広家が祖であるが、3万石の石高にかかわらず、明治まで毛利家が大名と認めなかった。関ヶ原の戦いで、南宮山に布陣した毛利本家の動きを封じて、結果的に東軍勝利に導いた事が原因とされている。明治になって、岩国藩は大名に列せられたが、直ぐに廃藩置県で消滅した。

「僅か」3万石にもかかわらず、山上に戦時の城を築き、麓に城館を設けた。川の両側に街が発展するように、あの錦帯橋を架けた。当時の武家屋敷の一部を三井化学が保有しており、招宴にあずかった事があるが、錦川を借景にした庭園の眺めは素晴らしかった。大名の財力は石高だけでは測れないようだ。


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列車交換の間に西岩国駅の写真を撮った。現在はローカル線の駅だが、岩徳線が山陽本線であった時は、ここが岩国駅であった。


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さて、昨日中に呉線を済ませたため、今日はスケジュール少し余裕がある。この余裕をどこに振り向けるか。久しぷりに、宮島でも見て行こうかと宮島口で降りた。しかし、こんな寒い日に浜辺をウロウロするのは気が進まない。


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渡船場のすぐ後ろにある、広島電鉄の宮島口駅から路面電車で広島まで行くことにした。


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3線有るホームに停まっているのは、路面電車というよりLRTと言ったほうが合っているような、新しい車両だった。先発に左側の車両に乗った。3両繋いでいるが、客は各車両に2~3人だけで、これで大丈夫かいなと思う程閑散としていた。運転席右側の「特等席」に陣取る。

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線路は山陽本線より海側に敷かれており、堤防の直ぐ内側を走ることもある。


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殆どの駅に、路面電車用のホームと、郊外型車両用の高いホームが有る。福井鉄道のように、両方の車両があるらしい。しかし頻繁に行き違うのは低床ホーム用の車両ばかりだった。


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広島電鉄の電車は、真横を走る山陽本線の長い列車と競争しているかのように、スピードを出す。運転席のメーターをのぞき込むと60キロも出ている。専用軌道だから出来る芸当だが、左右だけではなく上下にも激しく揺れる。乗客はいつしか満員になっていたが、慣れているのか転倒するように人は居ない。


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広電西広島駅に到着。ターミナルになっていて各方面別のホームがある。専用軌道はここまで、ここからは車に混じって信号で停まりながら、ゆっくりと進む。速度は20~30キロに落ちる。乗客も乗ってくる人より、降りる人の法が多い。


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上町筋を市電に乗って走っている。そんな錯覚に陥る程よく似た風景に出遭った。


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原爆ドームを右に見ながら、相生橋を渡ると市街地に入る。


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行き違う電車のデザインが皆違う。全国の路面電車を集めて、博覧会をやっているかのようだ。
これが広島電鉄の標準型らしい。


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これは京都の市電ではないか。

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このカラーは、まさか大阪の市電がまだ現役で動いている?!


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これも相当ベテラン


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「エビスチョウ」というので、恵美須町がここにもあるのかと思ったら、こんな字を書く。


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宮島口で右側に停まっていたのと同じ型のグリーンムーバーと呼ばれる車両で、路面電車なのに5両も連結している。政令指定都市だが、地盤が緩くて地下鉄を建設できない広島市では、路面電車が重要な移動手段である。


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こちらは更に新しいグリーンムーバーマックス


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終点広島駅到着。1時間10分乗って、お代はたったの270円だった。


山陽・四国の旅 第5日 その2 三原-徳山

2010年03月29日 17:33

修正後のスケジュール
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呉線を2往復している「瀬戸内マリンビュー」が折返しでホームに入ってきた。2両編成で前側1両は座席指定車になっている。観光客しか座席指定車に乗らない。観光客は殆どいない。必然的に、ホームで待っていた人の殆どが2両目の普通車に乗る。実質的には1両で運転しているようなモノだ。終点の広島まで常に何人か立っていた。


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外観だけでなく内部も少し凝っている。丸窓のところにはカウンター席を置いて、窓を向いて座れるようになっている。


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岡山駅で仕込んでおいた、駅弁「桃太郎祭りずし」を開ける。「ままかり」や「しゃこ」等の岡山に因んだ具が載ったちらし寿司だが、酢がよく効いたすし飯が美味しかった。最近は、寿司屋でも酢の効いていないスメシを握る。寿司が女子供の食い物になってしまった。


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観光列車を走らせている割には、呉線の景色が冴えない。見慣れた瀬戸内の風景である。


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次々に現れる小さな造船所のほうが面白かった。尾道や呉から離れて操業しているが、結構大きな船を造っている。


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仁方-堀江間に、国鉄が連絡線を運行していた。今治に出張する事があって、この航路を利用しようと思ったが、ストで竹原へ回った。駅は海岸線から少し奥まった所にあり、港までは少し距離がありそうだ。「にがた」と濁ることを、この駅標で初めて知った。JR化後も今治までフェリーが出ていたが、既に廃止になってしまった。


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広島駅を出て暫くすると、海岸線側に複線のレールが現れる。広島電鉄の宮島口線だろう。路面電車がトロトロ走っている姿を勝手に想像していたが、複線の専用軌道とは。


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岩国駅の0番ホームに錦川鉄道のレールバスが停車していた。
数年前からこの新しい車両4両で運行している。資金が潤沢らしい。


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中へ入って驚いた。床には九州の特急列車のような化粧板が貼ってあるし、クッションの良いクロスシートがゆったりと配置されている。3セク線を走る車両では、もっとも豪華なのではないだろうか。


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川西までは岩徳線を走る。川西駅では山頂に岩国城が見えた。川西を出てしばらくすると新幹線の高架が現れる。
次の御荘は新幹線との接続駅だが、国鉄の岩日線時代には敢えて公表されなかった。

「なぜ新横浜のような接続駅にしないのか、国鉄のやりかたが腑に落ちなかった。ひょっとすると、新幹線と正式に結びつけてしまったら岩日線を廃線にしにくくなるからではないかと勘繰りもした。岩日線など雨で流されてしまえ、と思っているのかもしれない」(「時刻表2万キロ」)

幸いに岩日線は錦川鉄道として存続し、当分廃線の心配もなさそうだ。



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「ローカル線らしい貧弱な無人駅」だが、「砂利のホーム」からは少し改善されて、ベンチと廃車を利用した待合室もある。


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これが「ホームの先端の頭のつかえそうな細い地下道」か。


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錦川鉄道は錦川の右岸を、どこまでもなぞるようにして走る。川幅は狭いが、四万十川に沿う予土線の景色とよく似ている。

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沈下橋もある。


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そろそろ終点かと思っているとトンネルに入り、出たところが終点錦川駅だった。


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その先にもうひとつ錦川駅がある。岩日線の岩は岩国だが、日は山口線の島根県側にある日原で、この間を結ぶべく計画された。線路があるのは錦川までだが、路盤はその先にも続いている。路盤を舗装してトロッコ列車ならぬ、トロッコバスが「とことこトレイン」という名称で走っている。駅を出て直ぐのトンネル内には、ブラツクライトがあたると蛍光を発する石で壁画が描かれているという。幸か不幸か、オフシーズンで運転されていなかった。


ホテルルートイン徳山駅前に投宿 朝食付き5800円

ルートインチェーンは大浴場が付いている。朝食も種類は少ないながら、どのおかずも美味しいので、あれば必ず宿泊している。エアコンが、部屋毎に完全に独立しているのも安心できる。夜中に冷たい空気を吹き出されては堪らない。ここも期待にたがわなかった。

山陽・四国の旅 第5日 その1 丸亀-三原

2010年03月26日 17:43

2010/03/07

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早朝、「現存12天守」の一つ丸亀城まで散歩する。


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この城を際だたせているのは、何と言っても四重の大石垣だろう。総高60メートルの石垣は日本一という。高松の生駒氏の支城だったが、出羽矢島へ大減封された後、山崎家治が入って丸亀藩が立藩した。この石垣は山崎氏の後に丸亀に入った京極氏によって完成された。


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三の丸の大石垣は、一段で22メートルの高さがある。


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頂上からは丸亀の市街が一望できる。


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天守閣というより櫓だが、江戸時代のオリジナルなので重文になっている。


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瀬戸大橋線への分岐駅、宇多津に特急は停まるが各停や快速は停車しない。坂出まで行って引き返さなくてはならない。予讃線と瀬戸大橋線が接続する部分は、高速道路のジャンクションのようになっている。

丸亀か坂出で最後の讃岐うどんを食べたいと思っていたが、駅前にも駅ナカにも開いている店が無い。早朝からうどんが食べられるのは高松だけらしい。



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瀬戸大橋を渡り、児島駅に着いた時点で四国全線完乗。岡山から吉備線に乗り換える。日本三大稲荷のひとつ高松最上稲荷の鳥居が見える。


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総社から清音まで一駅だけ伯備線に乗って、3セク線の井原鉄道(いばらてつどう)に乗る。国鉄の計画線で、工事途中で廃線になる運命だったが、3セク線として開通した。病的な人は、総社-清音間を井原鉄道とJRの両方に乗らないと気が済まないらしいが、伯備線の同じ線路の上を走るだけなので、総社-清音間を乗り直すつもりは無い。


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伯備線に乗った時に、気になっていた高梁川にかかる鉄橋を渡る。赤さびに無惨にやられているように見えるが、鉄骨にあらかじめ安定錆を塗っておくという新防錆法を採用しているらしい。


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新線なので、土佐くろしお鉄道同様、畑の中でも高架で突っ走る。日曜なので高校生は乗っていない。グループでハイキングに行くシニアが目立つばかり。と、途中の井原駅で子供連れが大勢乗ってきた。ここが井原鉄道の中心駅らしい。増収策の一つなのか、大きな駅ビルの内外でイベントをやつている。


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列車は(と言っても一両だけのレールバスだが)平坦な平野部を淡々と走る。目立ったのは、この駅名くらい。


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神辺駅の0番ホームに到着。福塩線で福山に出て、午後のスケジュールをこなすだけと思っていたら、トラブル発生。福山駅のホームが見えてきたところで、接続する列車が横を通り過ぎていった。福塩線の列車が4分遅れたていたが、アナウンスもなにも無い。運転席の前の運行表に、各駅の通過時刻は出ているから、気がつかぬはずがない。ここでは、この程度は遅れとは見なさないのか。怪しからぬ運転手は、正常に乗務を終えたような顔をして、平然と降りていった。

新幹線で追いかけようかと迷ったが、今日のスケジュールを押さえている錦川鉄道は、もう一本遅れても陽のある内に終点に着ける。次発の列車で三原に出、待ち時間を利用して、明日乗る予定だった呉線に今日乗ることにした。


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しまなみ街道の尾道大橋の下をくぐると、間もなく尾道の街に入る。


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千光寺山ロープウェイが見えてくる。


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そして尾道城が。全くの観光城が使われなくなり、廃墟と化しているそうだ。


山陽・四国の旅 第4日その3 松山-丸亀

2010年03月25日 17:19

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高松駅や高知駅は大変貌を遂げ、徳島駅も近代的に駅ビルに変わった。しかし松山駅だけは昔のままだった。


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駅前から伊予鉄で大街道へ向かう。この車両の床や窓枠は木製のままである。
松山はこの数十年の間変わっていないのか。

大街道で降りてロープウェイ駅に向かう。ロープウェイと新しく出来た(といっても昭和41年の事だが)リフトが並んでいる。子供の頃、松山の叔母によく連れて貰って乗ったロープウェイにした。叔母が亡くなって3年になる。母と同じくパーキンソン病だった。10万人に1人といわれるパーキンソン病に近親者が2人罹るなんて・・・。


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太鼓櫓が見えてくる。本丸の城門はもう直ぐだ。少し肌寒いが、土曜日なので人出は多い。これまでの城廻りしは大分勝手が違う。


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戸無門

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筒井門と抜けて


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太鼓門をくぐると天守閣が見えてくる


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一番最初、幼稚園の頃に来た時は、天守閣がポツンと建っていたような気がする。来る度に増築されているように思える。大天守はオリジナルなので重要文化財だが、小天守やそれを囲む櫓は戦後の復元だと思う。
ここに城を構えたのは賤ヶ岳7本槍の加藤嘉明だが、現在の天守閣が建てられたのは幕末の黒船来航の翌年、1854年だった。それ以前の天守閣は落雷により焼失している。


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天守閣に登るには金を払わなくてはならないが、本壇の周りはフリーである。この天守閣には何度も上がっているが、周りからジックリ眺めたことは無い。料金所の横を抜けて紫竹門から城内に入る。


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乾櫓と乾門。櫓は重文である。乾は戌亥だから北西の方角にある。本壇を挟んで対称の位置に艮(うしとら=丑と寅)櫓と門がある。


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乾門からは、街の北西部古町に至る登城口がある。そこから登城して来れば、このような景色に出会う。


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西側から北隅櫓と南隅櫓を眺める。ここ一年、全線完乗のついでにいろんな城を見てきたが、松山城は大城の部類に入ると思う。その上オリジナル、復元取り混ぜていろんな構造物が天守閣の周りに残っているから、往事の様子を思い浮かべ易い。人気の高い城の一つだろう。

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これも重文の野原櫓。日本に唯一現存する望楼型の二重櫓で、天守閣の原型といわれている。


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北側に回って天守閣を仰ぎ見る。


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帰りは黒門口登城道から二の丸の横を通って降りた。


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山道をかなり下りてきたつもりだが、まだまだ大きな石垣が続いている。平山城だから、城山全体を石垣で要塞化している。それにしても20万石にしては規模が大きすぎる。熊本城には「招君の座」があり、清正はイザとなれば秀頼を向い入れて徳川と一戦交える積もりだったという。その際には、松山の加藤も広島の福島正則と共に一翼を担う構想だったのだろうか。西国VS東国、幻の第二次関ヶ原か。



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と悠長な事を考えていたが、行けども行けども電車通りに出られない。急いで降りてきたので汗もかいた。一列車遅らせて、道後温泉で一風呂あびていくか。と思っていたら、城の中が車の抜け道になっているらしく、空のタクシーがやって来た。


岡山行きのうずしおが5両、高松行きのいしずちが3両の混成だが、うずしお側の自由席が満員でも、いしづちの車両はガラガラだった。瀬戸大橋完成後の、高松の経済的地盤低下を象徴している。


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菊間付近は、道路も鉄道も海岸線に沿って走っている。同じ愛媛県でも高縄半島の東と西では潮の流れが違う。この辺り沖の流れが速く、水がきれいなので、道路脇に車を止めてよく泳ぎに来た。


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今治の手前で、山の上に城のようなモノが見える。行ってみたことがあるが、城の形をした展望台だった。あんな人の来ない山の中に、鉄筋の展望台をつくるよりマシな金の使い方を思いつかなかったのか。


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壬生川で途中下車。ホームの景色は昔と変わらないけれど、


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国鉄時代の木造駅はもっと大きくて天井が高く、大きな広告の額が飾ってあった。名産品を売る売店もあった。JRになって建て替えられた駅舎は見窄らしい。


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特急から降りてこられたのは、このトイレのお陰らしい。国鉄時代はまず準急が、東予市になって急行も停まるようになった。にもかかわらず、JRになって暫くしたら、四国は特急を通過させると言ってきた。特急を止めて貰う代わりに、JR四国のファミリー企業にこのトイレを造らせたという。代金は何と3千万円。 民営化したら、ヤクザまがいの商売をするようになった。JRの立場を悪用した話は、ここに限らずあちこちで聞く。



所用を済ませて、しおかぜ/いしづち22号で、丸亀へ向かう。
明日からは四国完乗を終えて、山陽本線沿いのローカル線を片付けにかかる。



アパホテル丸亀駅前大通に投宿    素泊まり5600円

アパホテルにしては値段が高い。建物が古いのかドアの建て付けがよくない。廊下の物音がよく聞こえてくる。


山陽・四国の旅 第4日その2 大洲

2010年03月24日 17:18

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大洲駅を出ると市内循環バスが停まっていた。100円均一で、臥龍山荘の近くまで行く。
大洲神社の険しい石段の手前がバス停だった。案内板もなくウロウロしていると、Uターンしてきたバスの運転手が窓から首を出して裏手の川沿いの道を教えてくれた。なだらかなスロープを一旦上がって、降りていくと臥龍山荘の横に出た。


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肱川の崖っぷちのこの地に庭園を造ったのは大洲藩主だが、山荘は明治後期に神戸の貿易商であった河内寅次郎が、建てさせた。入り口を入って直ぐの石積に臼が埋め込まれている。茅葺きの屋根といい、この石臼といい、実に臍曲がりに出来ている。小難しい屁理屈だらけの京都の庭にはない、自在さが愉快である。


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「本邸」にあたるのが臥龍院で、昭和50年代までは寅次郎の甥で養子となった人が住んでいた。ここでも松の一枚板に筋を切り込んで廊下として使うという事をやっている。


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お目当ての不老庵に行く。



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渡り石には普通自然石を使うものだが、細長く切り出した石材や灯籠の台座のような石が使われている。



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天井は網代編みで、中央に丸く湾曲している。十五夜の日に、肱川に映る月影が反射してこの天井に映るのだという。風流の極み!!


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この建物は崖にせり出して建てられており、肱川が真下を流れている。ここからの眺めが臥龍山荘の眺望として、放送等でよく見かける。


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外へ回ってみる。槙の木が捨て柱として使われている。今でも枯れずに生きているという。



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山荘を出て、グーグルマップにある直線の細い道を辿ると、「明治の町並」に出た。
右手の家に吊り上げられた床几が見える。大きな庇がついている。夏の夕涼み時に出して使うのだろう。


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「おはなはん通り」は、「明治の町並」と直交する通りとは一筋違いに平行に走っている。
掘り割りには花も生けられて、ここだけ観光用に整備されている。


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一軒だけ崩れかけた土蔵壁の家があった。これがオリジナルの町並み?


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「おはなはん通り」と平行する、現行の生活道路にも古い家が並んでいる。


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途中で右に折れると赤レンガ館があり、その先は川沿いの遊歩道に続いていた。
左側の石組みと武家屋敷風の塀が、延々と橋の向こうに小さく見える大洲城まで続いている。
大洲城の復元天守閣と合わせて造ったのだろうか。観光客には有り難いが、街の規模からするとやり過ぎではないかと思う。こんなに使う金があるなら、もっと市民生活に直結した事業に投ずるべきではないか。


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やっと城の下まで来た。屋形船が並んでいる。そういえば、大洲では夏に鵜飼いが行われる。


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肱川側から見上げる。本丸に天守台を設けて天守閣が建っている。なかなか良い姿だ。


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天守台の横を通って頂上を目指す。この櫓はオリジナルで重文に指定されている。


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ムム。天守閣が剥き出しで建っている。復元天守閣は眺めるだけで入らない事にしているが、木造で復元されているので入っても良いかと思っていた。けれど、マンションのモデルルームのような佇まいにすっかり白け、早々に立ち去った。


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川縁と反対の市民会館の方へ降りて仰ぎ見る。やっぱり城は下から仰ぎ見るものだ。


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時間はあるれけど、くたびれたのでタクシーを呼んで駅に戻った。
来た時は気づかなかったが、メインストリートの入り口に大きな鳥居が立っている。
額を見ると「少彦名神社」とある。大国主命側の神様であるが、日本書紀や古事記で大いに活躍する。大阪の道修町では薬の神様して祀られている。それにしても市を代表するような神社とは・・・。少彦名命はここで死んだ事になっているらしい。



山陽・四国の旅 第4日その1 内子

2010年03月23日 16:49

2010/03/06

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目が覚めて、窓から下を見ると特急列車が停まっていた。まだ薄暗く小雨が降っている。朝の内に宇和島城の城山に登る予定をしていたが、変更して停まっている列車で出発することにした。


予讃線の新線が大洲から向井原まで開通したのは昭和61年で、以来それまで予讃線だった伊予長浜を回る海岸ルートには各停しか走らなくなった。新開通の部分全体を内子線と呼べばスッキリするが、この内の内子-新谷間だけが内子線になっている。他の部分は予讃線で、旧ルートも予讃線のままなのでややこしい。割高な運賃を取るために、内子-新谷間を地方交通線としていのが原因だ。
それはさておき、今日は新線で松山まで行ってから、旧線で大洲に引き返し、再び新線で松山に行く事になっている。乗り潰し故のアホらしい行程である。


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予讃線の新線に乗るのは初めてだし、新しい内子駅も勿論初めてだ。以前はもっと町中にあったのだが、町外れの素っ気ない高架駅になっている。駅の看板は上がっているのだが、左隣の売店の方がそれらしく見えてしまう。


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駅前はSL広場になっており、昔の内子線時代に終着駅だった駅名標が、一緒に展示されている。


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タクシーで「歴史地区」の端まで行き、歩いて駅まで戻る。早朝なので開いている店はおろか、人っ子一人通らない。保存が行き来届いていて、静かな街を一人歩いていると、本当に人が住んでいるのかと思う。


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屋敷の入り口のように見えるが、内子中学校の入り口である。土曜日なので登校する生徒もいない。


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内子は「芳我」一族が、ろうそくで財をなした街だという。ここは本芳我家とあるから、本家なのだろう。


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入母屋屋根の破風に、桁の端を風雨から守るための懸魚(けぎょ)という飾りが施されている。ここのは職人が漆喰でこしらえたもので鏝絵と呼ばれている。鏝絵は上芳我家のものが有名だが、生憎と修理のために家全体がシートで覆われていた。鬼瓦も頭の上に兜を被ったような変わった形をしている。


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商家風の店が開いていた。無料で開いている町家資料館とは、ここの事らしい。


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誰もいないが、入らせて貰う。


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箱階段がある。昔住んでいた家も、階段は造り付けであったが、横面は全て引き出しになっていた。
ちょっと登ってみる。上の階は、京都でよく見る天井の低い中二階になっていた。


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内子座は「歴史地区」から少し離れた、駅に近い住宅街の中にあった。



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周りに家が建て込んでいて、LX3の広角をフルに使っても正面から全体を撮すのは難しい。芝居小屋なのだから、こういう町中にあるのが本来の形なのであって、琴平の金丸座のように恭しく奉る方が不自然なのだろう。


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松山まで行って、旧線を走る各停に乗る。松山-向井原間も改修されたようで高架になっていた。向井原を出て、新旧の分岐点はどうなっているのかと、運転席横から見ていると、新線はそのまま高架を走り続け、旧線は下へ降りていった。


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旧線と並行して走る国道378号をドライブした事がある。ローソクの様に長く切り立った岩の辺りまで舗装が出来ていた。道路から階段が付いていたので下へ降りて、岩まで泳いでいった。遊んで腹がヘッたので、集落の中へ入り込み、よろずやのような店でパンを買ったら、びっくりする程綺麗な人が出てきた。連れと「アレは狐か狸かではないか」と交々言い合った。
その岩を探してみたが、見つからなかった。「灘」の付く無人駅が続くが、生憎と小雨が寒々しく降り続いている。
時間があっても途中下車してみる気にはなれないだろう。


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伊予長浜で、現存する最古の開閉橋である、長浜大橋の真っ赤な鉄橋がちらっと見えた。
五郎を過ぎて新線と合流する。しばらくすると、肱川の対岸に大洲城が見えてきた。


関東東征の旅

2010年03月22日 17:16

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残ったのは緑の円内だけになった。関東圏が大きなエリアとして残ってしまった。

「ローカル線をゆく第5巻、関東甲信越」の巻頭に宮脇さんが、
「鉄道旅行が好きで全国のローカル線を小マメに乗っている人でも、関東のローカル線となると意外に乗っていない。一生懸命に関東のローカル線に乗るのは、国鉄完乗、あるいは私鉄を含めての全線完乗を目指す人たちだけではないとさえ思う。その全線完乗を目指す人にしても、えてして関東は後回しになる。日本交通公社の石野さんの調査によると、国鉄全線完乗達成者達の「最後の一線」は関東が多い。ちょっと考えると、北海道の盲腸線あたりが乗り残しの最後になりそうだが、そうではなくて、関東が断然多く、全体の四割ぐらいを占めている。最後の終着駅が日光、あるいは奥多摩、という人が案外に多いのである。北海道や九州は、ワイド周遊券を活用して一気に乗り潰すが、関東は、いつでも行ける所だと軽く扱っているうちに後回しになる、という事情もあるだろうが、関東のローカルが魅力に乏しいことのあらわれでもあろう」と書かれており、自身の最後の一線が足尾線であったこと、種村直樹氏も足尾線になりかけたが、それではイカンと計画を変更して盛線になったことを付け加えている。

確かに魅力が無い。その上
ロングシートの通勤電車に延々と乗らなくてはならない。
路線が錯綜しているから、頻繁に乗り換えねばならない。
山手線はじめ、高崎線、根岸線と黒字線が多く、何時も混んでいる。
等々の理由で、在京者でなくとも後回しになる。


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これは「大回り」として最短区間の切符で乗り尽くせる「東京近郊区間」であり、100キロを超えてていても「途中下車前途無効」の範囲である。この区間を乗り尽くさねばならない。考えだけでウンザリするが、最後のハードルである。ブルーが既乗区間、赤は今回付け加える3セクや私鉄の区間である。

少ないように見えるのは、距離が正確に表されていない為で、乗り尽くすには6日間を要する。往き帰りにも乗っておきたい路線が幾つかあるので、丸8日間の旅になる。

さてどんな切符を使うかだが、一筆書きではとても収まらないし、ホリデー・チケットでは曜日が限られるしカバーエリアが足りない。青春18切符しな無いかと思っていたら、こんな切符があった。

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JR東日本のツーデーチケットの使用範囲だ。予定より何倍も広いエリアだし、新幹線にも特急券を買えば乗れる。青春18切符では運賃も払わなければならないのと大違いだ。その上、鹿島臨海鉄道、小湊鐵道、銚子電鉄等の他の私鉄がにも乗れる。オマケに「大人の休日倶楽部」会員なら1日当たり2000円と青春18切符より安い。これを使わない手はない。

関東地方完乗の最後の長旅に、今日出発する。



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山陽・四国の旅 第3日その2 中村-宿毛-宇和島

2010年03月19日 17:01

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中村で土佐くろしお鉄道に乗り換え。太平洋へ注ぐ四万十川を渡って市街地を抜けると、畑の真ん中をどこまでも真っ直ぐに高架の線路が続く。北海道の鉄道に乗っているような気分になる。


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長いトンネルをこえて終点宿毛に到着。


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3セクローカル線の駅とは思えない立派な橋上駅だ。一階は地元の物産直売場になっていて、大きなハマチが一匹まるごと売っていたりする。駅弁は食べたが長時間の乗車で小腹がすいた。駅前のセルフうどん店に入る。漁師町らしくエビ天が驚くほど大きかった。


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中村まで折返し、中村からはJRの特急で窪川まで戻る。土佐白浜-土佐佐賀間は海岸線を走るが、短いトンネルが多く、アングルを狙っていたのでは忽ちトンネルに入ってしまう。


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土佐佐賀の湾に小さな島が浮いている。たぶん鹿島という名前だろう。岸に近い島は各地で鹿島と呼ばれている。どんな由来があるのか、興味はあるがよくわからない。茨城県の鹿島神宮の末社が祀られているのだろうか。茨城の鹿島神宮の祭神は、アマテラスやスサノオの兄弟で大国主命に国譲りをさせたタケミカヅチであり、大漁、海上安全の神としても信仰を集めている。


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窪川で下車。次の予土線の列車まで1時間以上有る。窪川の町を散策していて、水切り瓦のある建物に出会った。雨の多い高知では、漆喰壁に雨水が垂れて痛まないように、壁に何段もこのような庇を設けている。


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三十七番札所岩手寺。四国八十八カ所の巡礼で、なかなか繁盛している。駅に置いてあったパンフレットによると、今の時期は町をあげて「ひなまつり」をしており、この寺にも飾り付けてあった。お寺とお雛様、少々違和感があるが。


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寺の隣が役場で、その隣に旧都築邸というのがあって、ここでも雛人形を飾っている。


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この屋敷は百年前に都築半平という人が、今でいうゲストハウスとして建てたもので、中々凝った造りになっている。その後旅館になっていたが、それも廃業し四万十町が引き取って復元し、昨年から公開している。入場無料で町役場のスタッフが案内してくれた。敷地の裏を土佐くろしお鉄道の列車が通過して行った。


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四国は国鉄時代に殆ど全線乗っているが、この予土線だけは例外である。昭和28年に北宇和島から江川崎ので開通していたが、全通したのは昭和49年と遅かった。レールバス一両の単行で、乗客は4~5人しかいない。ループ線のコースも3度になるが、今度はループ線のトンネルに入らずに、左側の真っ直ぐに突き抜けるトンネルに入った。



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予土線は四万十川に沿って敷かれている。列車は山の中へ入って行くのだが、不思議なことに四万十川の流れは、列車の進行方向と同じ、つまり下流へ流れている。これは南へ下ってきた四万十川が窪川でUターンし、西北西に流れを変えているからだ。川の水は高きより低きに向かう。流域は山中でありながら海岸に近い所より低い。オカシなのは、川ではなくて四国山地の方なのだが。予土線はその四万十川の左岸を走り続ける。


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昔の路線なら四万十川の蛇行に否応なしに沿って敷設されただろうが、窪川から江川崎までは「新線」である。Ω型に蛇行するような場所は、鉄橋とトンネルで直進する。


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四万十川の「名物」沈下橋の向こうにバスがやって来た。

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全く躊躇することなく、車幅とほぼ同じ幅の橋を渡り始めた。

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スピードを落とす様子もない。

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あっさりと渡り終える。ここらの運転手には日時用茶飯事なのだろうが、見ている方がハラハラする。


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予土線には大正と昭和という駅があるが、珍駅名の白眉はこの「半家」だろう。これをハゲとはちょっと読めない。


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江川崎を過ぎると川の流れが列車の進行方向と逆になった。四万十川の支流の広見川に沿って上っていく。四万十川はここで再び反転し、南南東の方向に流れて中村(現在は四万十市)で太平洋に注いでいる。


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沈下橋でも、流されることはある?


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終点宇和島到着。予土線と予讃線は一つ手前の北宇和島で接続しているから、2線しかないがここも立派な端頭式の終着駅である。

街へ出て、名物「さつま汁」を食べたが、あまり美味いモノではなかった。「途中下車の味」では、「白身の魚を焼いてスリ身にして味噌ダレにつけて、それをご飯にかけて食べる」とあるが。また「焼甘鯛のスリ身、白ミソ、タイの骨のダシ、糸コンニャク。これらを混ぜ合わせたものを麦1割混入のご飯にかける」ともある。しかし、魚のすり身らしい食感は無く、かすかに味噌の味がする、少しだけ粘りのある白い汁が椀に入っているだけだった。



ホテルクレメント宇和島に投宿   素泊まり5400円

駅舎の一部がホテルになっている。出発の前日まで別のホテルを予約していたが、出発直前に一室空いたので、すかさず予約を入れた。暗くなってから見知らぬ土地に付く時は、より駅に近い方が安心感がある。



山陽・四国の旅 第3日その1 高松ー中村

2010年03月18日 09:20

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朝食に、駅の裏手にある「味庄」というセフルうどんの店に入った。朝5時半からやっているという。カウンターの後ろで主人がうどんを打っている。夫婦で切り盛りしている店だ。大と小で、中はないというので、小を頼んだ。それでも冷凍うどん一人前のボリュームは充分にあった。炒り子だしだったが、私には少し薄くて醤油を足した。ここでもわかめを入れて貰った。



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昨日、2分で新幹線と在来線を乗り継いだお陰で、今朝は余裕がある。どこに使おうかと迷った挙げ句、琴電の志度線に乗ることにした。より海岸線に近いところを走っている琴電に乗って、屋島や五剣山をもう一度見たくなった。終点志度で特急に乗って引き返せば、予定どうり坪尻駅に停車する各停に乗れる。


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琴電は、琴平線、長尾線、志度線の3路線が瓦町から別れている。琴平線、長尾線は高松築港駅から直通が出ているが、志度線は瓦町で乗り換えになる。動く歩道がでターミナルビルの2階を横断してホームへ降りると、3両連結の列車が待っていた。方向が逆なので、乗客は各車両に数人しかいない。一昨日と同様、運転席右の特等席を占領した。


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屋島を裏から眺めるが、生憎朝靄が懸かっていてクッキリと見えない。


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靄が晴れてきた時には、五剣山の麓を通り過ぎていた。


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それまでは住宅街の中を走っていたが、塩尾駅を過ぎると海岸線に出た。何を養殖しているのだろうか、沖まで筏が拡がっている。


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まもなく終点志度駅に到着。民家の裏スレスレに停まる。通勤客が大勢乗って来るが、皆ゆったりとした足取りで都会のラッシュのような殺伐たる雰囲気は無い。


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ちっちゃな駅舎だが、天井が高くどことなく風格がある。


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開業当時は周りには何も無かったのだろうが、家が密集してきて正面に立たないと、ここに駅があるのが判らない程になっている。

50メートル程離れたJR志度駅に向かう。通勤時間帯に市内へ向かうから、混雑は覚悟していたが特急でも満員だった。殆どが通勤客だった。高松市の南端、栗林で大勢の客が降りる。栗林公園しか無かったところだか、オフィス街がここまで拡がってきたのだろう。


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高徳線は高松市の西外側をグルリと回って終点高松駅に向かう。途中ちらりと高松の守り神、石清尾八幡宮の豪華な連屋根が見える。


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坂出や宇多津は瀬戸大橋と繋がって高架駅になり「去勢」されてしまったが、多度津駅は広大な操車場を有し、古武士のような風格がある。瀬戸大橋が架かって直ぐの頃に来たことがある。ホームの屋根はボロボロで、構内には使われなくなった設備が赤錆びたまま放置されており、廃駅寸前の様相を呈していた。このまま朽ち果てしまうのかと暗澹たる気分になったが、今はすっかり整備された。
SLが静態保存されている。屋根付きで大事にされている。


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給水塔を発見。とくれば、もう一つ・・・


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あった。転車台も残っている。


琴平で降りて、坪尻駅に停車する各停に乗り換える。


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土讃線を敷くために川の流れが変えられて、坪尻駅はその川底に作られた。坪尻駅直前のトンネルに入る前に小さな川を短い鉄橋で渡った。これが流れを変えられた川なのだろうか。


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待避線で折返し、いよいよ坪尻駅に入る。谷底であった頃の地形そのままに、両側を険しい斜面に挟まれている。


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右側の本線より一段低い所に坪尻駅が見えてきた。古びた木造駅舎が秘境駅の雰囲気を盛り上げる。



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本線のトンネルが見えてきて停車。坪尻駅は新改駅のようにスイッチバックの奥に隠れていないので、本線を走っていてもチラリと見る事が出来る。


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駅舎の裏に回ってみる。この横に店があって、アイスクリームやラムネを売っていたこともあるらしい。まだ険しい山道を降りてくる乗客もいた頃だろだが、それだけで採算が取れるわけはない。冷房のない時代、スイッチバックしてこの駅で通過待ちをしている間に、高校生がドッと降りてきて買っていったという。


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駅舎の中は比較的新しい造りになっている。
「おつかれさまでした」の看板に送られて、短い坪尻駅訪問を終えた。



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長い鉄橋で吉野川を渡り阿波池田に到着。
特急南風に乗り換える。3度目の大歩危小歩危だが、陽ざしがきつくて谷底が見にくい。渓谷は曇りや小雨にけぶっている時の方がよさそうだ。

前に席で、ずっと眠っている若い人がいる。検札で起こされるのが嫌なようで、テーブルの上に切符を広げている。何気なくみると福岡-中村となっている。新幹線で岡山まで来て、この列車に乗り換えたモノと見える。乗り継ぎ割引をつかったにしても2万円はする。ノリテツでもなさそうだし、何の用かとよけいな詮索の一つもしてみたくなる。

高知で大半の客が入れ替わった。佐川で西から南に方向を変える。ここから須崎で海岸に出るまでの区間は台地から一気に海岸線まで駆け下りる絶景区間と、宮脇さんが絶賛している。しかし、絶景区間はまだかまだかと待っている内に須崎の港が見えてきた。一気に駆け下りる様は、先頭列車の最前列にでも座らなければ楽しめないのではないか。生憎、下り列車の先頭は座席指定車である。


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須崎で8分停車する間に列車の先頭に行ってみた。なんとも派手なデザインである。
車内放送でも「ぼくアンパンマンです・・・」とアナウンスがあったが、高知駅と終点の中村だけなので気にならない。境線のように各駅でやられたのでは五月蠅くてたまらない。



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須崎から土佐久礼までは海岸線を走る。土讃線で太平洋がみえる唯一の区間である。


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窪川を出て若井から山の中へ入っていく。予土線が分岐してしばらく平行して走る内に、左手の遙か下にこれから走るループ線がチラリと見える。ループ線は全国でも4カ所しかない。上越線の清水トンネルの両端、北陸本線の敦賀・新疋田間、九州の大畑、そしてこの若井-荷稲間である。

ここは土佐くろしお鉄道の線路でJRではない。昭和45年に窪川から中村までは中村線として開通した。中村は応仁の乱を避けて一条教房が下向し、京都風の町造りを行ったところで、元祖小京都である。私も国鉄時代にその風情を期待して行ったことがある。しかし、戦後まもなくの地震だったか大火に由緒ある建物は全滅していて、ガッカリした。その後分割民営化に際して、JR四国は中村線を手放した。ところが、予土線は若井の先、このループ線の見える信号所から始まっている。そこまでは中村線だったからだ。お陰で窪川から予土線に乗る乗客は、こ区間の運賃を土佐くろしお鉄道に払わなくてはならない。分岐点まで共同運行にしておけば問題なかった。一律に路線名で切ってしまう役所仕事のせいで、余計な負担を負わなくてはならない。私の四国ゾーン切符には、土佐くろしお鐵道もフリー区間に入っているので追加の費用は発生しないが。