全線完乗を終えて その1 宮脇ワールドありき

2010年04月30日 17:07

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ここ数年、この2冊は常に枕元にある。


一昨年の11月以来、1年半でJR全線を乗り尽くした。
それ以前に乗っていた箇所も改めて乗り直した。

学生時代には、周遊券を駆使して北海道を除く全都府県を旅した。
社会人になってからは、ご多分に漏れず、まとまった休みを取りにくくなって旅行の機会は激減した。
部下が居て自分自身も上司が居る、所謂中間管理職になると、自分で自分のスケジュールが決められなくなった。

そんな時に宮脇さんの著作に出会った。
最初に買ったのは「時刻表2万キロ」で、昭和59年の角川文庫の初版本だった。
これは「日本ノンフィクション賞」受賞作という腰巻きの挙げ句に引かれて買った。
しかし「ノンフィクション」という文字が重くて、長い間積ん読になっていた。
タイトルから、全路線2万キロの事が書いてあるのかと思ったら、最後の10%についての話だった事も響いた。

次に買ったのは「最長片道切符の旅」で、新潮文庫の平成4年の六刷だった。
この本は、買ってすぐ一気呵成に読了した。
ずっと忙しいのでないが、何かが降りてくると即座に対応しなければならないという厄介な立場で、その日の帰りも何時になるか判らない状況だった。
そんな中、宮脇さんの作品は、読んだだけで旅行に行ってきたような気にさせてくれた。
この前作があった事を思い出して、「時刻表2万キロ」を読み返した。
私以上に忙しそうな人が、週末の時間を遣り繰りして出掛ける。時には2泊とも夜行という事もある。当時、これは今以上に大変な贅沢で、私なぞは勿体なくて文字通り指をくわえて、読むしかなかった。そうして出会える北海道の夜明けの素晴らしさが、自分がその場所に立ち会っているかのように伝わってくる。観光とは縁のない九州の炭鉱線巡りでさえ、この上無く魅力的な行き先のように思えてくる。

「途中下車の味」「旅の終わりは個室寝台車」「終着駅へ行ってきます」と読むほどに、宮脇ワールドに引き込まれ、遂には「読んだから行かなくてもイイヤ」とさえ思うようになる。自分では実行できなくとも、読めば行った気になって、気分爽快になった。ストレスでずたずたになった神経を癒してくれる、精神安定剤のようなようなものであった。

幸い当時は、宮脇さんの著作がどんどん文庫本化される時期だった。新潮社の分が一通り出ると、文春、集英社、角川と探せば幾らでもあった。そして、最後の歴史紀行シリーズではとうとうハードカバーで新作を読むようになった。

2000年の「室町戦国紀行」では、体力の限界から絶筆宣言をされた。
2003年には宮脇さんが永眠された。

やがて私も退職した。しばらくは大人しくしていたが、
「宮脇さんの行ったのは、実際にはどんな所だったのだろう」から
「自分の目で少し見て来ても悪くはないだろう」と考えるようになった。

西日本のローカル線の中では木次線が、最も日本の農村の原風景を残していると言われている。
門司発福知山行きの最長鈍行列車824列車は既に無いが、山陰本線も走り通してみたい。
それで一昨年の11月に、新幹線ならたった2時間半の下関まで、福知山から、途中木次線往復を入れて、山陰本線2泊3日の旅をした。観光地は松江城ぐらいで、ただ列車に乗っているだけの旅だったが、不思議に飽きなかった。

自分にも宮脇さんのような旅かできるかもしれない。そう思った。

決定的になったのは、翌月の九州行きで、翌年には廃止になるブルートレイン「はやぶさ」に乗車した時だった。
宮脇さんの作品には、至る所で寝台列車が出てくる。本のタイトルにもなった個室寝台車に乗ってみたかった。


九州から帰ってきて、JR全線完乗をスタートする決心をした。
宮脇さんが見たであろう車窓風景を、追体験するのが目的になっている。
そういう訳で、宮脇さんの著作あっての旅だから、毎度毎度、頻繁に著作からの引用をして来た。



やりっ放しでは、時間が経つにつれて記憶から消えていく。
また、行った先で入場券を買ったり、駅名標を入れた写真を撮るのは面倒だ。
それで証拠の為の現地写真を入れて、旅行後速やかにブログに書き綴る事にした。

いくつか方針も決めた

1.一日中列車に乗っているばかりでは、鉄道マニアが記録のために乗るのと変わりない。
  汽車旅をするのであってハードとしての鉄道には興味はない。だから「観光」もできる限り入れていく。

2.ブログは読者がある事を前提にした自己表現である。語りかけにはもっと柔らかい語調が適切で、
  そのような文体で書かれているブログが多い。けれど、これは自分が何を見て、何を感じ、
  考えたかの記録あるから、思想を表現しやすい「だ」、「である」で統一した。

3.写真はできるだけ入れる。行った事の証でもあるが、宮脇さんと違って写真が邪魔になるほどの
  表現力は持ち合わせていない。素人が書いた旅行記を文章だけで読むのは苦痛である。
  偉そうな口調で、勝手な事を書き綴るのだから、せめて写真でどんな所へ行ったのか見て貰い、
  万一興味が湧けば、本文の片言隻句なりとも読んで貰えればというスタイルにした。

  お陰でカメラはリコーのR7から、パナソニックのLX3、さらには一眼レフまで買い込むようになった。

(この項続く)

全線完乗へ、ラストラン その3 最後の一線 参宮線

2010年04月29日 16:22

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松坂を出て、多気駅の手前で櫛田川を渡る。左窓に櫛田可動堰が見える。堰の上は遊歩道になっいて単車や自転車も通れるという。赤川仮橋のような景色が見えるのだろうか。もっとも赤川仮橋は、あくまで歩道で自転車の通行は禁止という事になっているが。


多気から参宮線にはいる。田丸城の脇を通り抜けると、城山の桜が満開だった。石垣しか残っていないが、信長に滅ぼされた北畠氏の本城だったので規模は大きい。


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伊勢市、五十鈴ヶ丘、二見浦と過ぎ、やがて列車は海岸線を走るようになる。


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養殖筏が見える。伊勢志摩名産「あおさのり」だろうか。



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突然、海岸線との間に、複線の線路が不躾に割り込んできた。近鉄鳥羽線である。それまで山中の最短コースを走り、ここで一気に海岸に出てくる。この線には乗ったことがない。伊勢・鳥羽へは会社のグループ旅行等で来る機会が多いが、鉄道で来たのは小学校の修学旅行以来である。上本町から近鉄に乗って伊勢まで来た。当時はまだ鳥羽線は建設されて居らず、次の宇治山田が終点だった。隣の国鉄ホームに、長い客車列車を引いた蒸気機関車が停まっていたのを覚えている。
その時の宿は、二見浦の夫婦岩の見える旅館だった。天皇陛下も泊まられた由緒正しき旅館であるが、消灯後は当然枕投げが始まった。忽ち明かりがついて、「首謀者」とおぼしき者は廊下に座らされる。全く悪びれることなく、にこにこして座っている。200人を越す男子を大広間に詰め込んでおいて、温和しく寝ろというのは無理な相談である。
伊勢神宮から、その二見浦までどうして行ったのか記憶がない。今なら当然バスをチャーターするだろうが、当時は公共交通機関の使用がメインであった。伊勢から二見浦のでは国鉄で行ったのだろうか。すると帰りは国鉄を使って、関西本線経由で天王寺へ帰着したのだろうか。何故か小、中、高とも修学旅行の2日目以降は、記憶が定かでない。夜明かしすると、翌日の記憶力も低下してしまうのだろうか。




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終着駅鳥羽に到着。J近鉄との共同使用だが、JRは1、2番線だけで、3~6番ホームは近鉄が使っている。あちらは複線電化で黄色のアーバンライナーが次々に発着するのに対して、単線非電化のJR側は、乗ってきた2両のディーゼル列車が折り返すまで列車の発着は無い。ホームは、乗ってきた客が去ってしまうと、無人になる。



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そんな状況を予想したわけではないが、幸い三脚を持参しているので、記念撮影に支障は無かった。
人の流れの邪魔にならないよう、ホームの端にある、二本足の「国鉄タイプ」と呼ばれる駅名標の前で撮るつもりで用意してきた。しかし、人の流れも、「国鉄タイプ」の駅名標も無い。長いホームに、つりさげタイプのが一つあるだけだった。
かって東京、大阪からの直通急行で賑わった面影はどこにも無い。それどころか、伊勢商工会議所会頭が、自動車での観光客誘致に「参宮線が大きな阻害要因」になると主張し、2013年の第62回神宮式年遷宮で予想される交通渋滞の緩和のためとして、参宮線の廃止と伊勢市駅構内にある車両基地用地の駐車場への転用を提案した。怪しからぬハナシである。
それにしても地元から出て行けと言われるようになるとは、鉄道の凋落も極まった感がある。JR東海は、名松線で明らかなように、新幹線以外なら廃線に前向きである。この提案を奇貨としてJR東海が参宮線を廃線にするような事態になれば、事は伊勢市だけの問題ではない。周辺自治体にとっては、大迷惑な発言だろう。
この商工会議所会頭とは「赤福」の会長で、こんな自分勝手な事を言える人だから、製造月日や原材料の偽装事件を引き起こしたのだろう。


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駅の外へ出てみる。近鉄線を跨ぐ大きな建物であるが、主な施設は近鉄側にあり、バスターミナルも反対側の近鉄改札側に設けられている。元は国鉄しか無かったが、後からやって来た近鉄に母屋を取られ、今ではJRが居候しているような格好になっている。


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完乗の旅を始めてから、車窓のちょっと変わった建物に目敏くなった。来る時に、二見浦駅の山側に金色に光る屋根が見えた。新興宗教の寺でも建っているのかと思ったが、形は城の天守閣に近い。しかし、こんなところに城があった史実は無い。帰ってから調べてみると、「伊勢・安土桃山文化村」というテーマパーク内にある安土城の模擬天守閣だった。熱海城と同じだが、写真を見るとなかなか立派な城になっている。 テーマパークがブームになっていた頃、「伊勢戦国時代村」というのがあったが、直ぐに破綻した。経営者を変えて再建したようだが、伊勢のイメージとマッチしないコンセプトが、マイナスになっている。考証に忠実に造られているらしいので、寒いアトラクションなぞ止めて、模擬天守の展示を中心にやれば、どうだろうか。・・・矢っ張り、駄目だろうな。今の日本は、何もない所にドッと建物を造って人集めする、万博型のビジネスモデルが成り立つ状況にない。あれは中国やドバイのような右肩上がり経済の所でないと駄目だろう。昔のモノを大事に残すヨーロッパ型が現状には合っていると思うが、あれはあれで「サアどうだ、お前等に我々の文化の高さか理解できるか」という排他的、独善的な所があって好きになれない。



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津で、停まっている伊勢鉄道の電車を見て、少し考えさせられた。伊勢鉄道のレールの上は通ったが、JRの列車で通過しただけだ。伊勢鉄道の電車には乗っていない。その線路を所有している鉄道会社の車両に乗って、はじめて、その鉄道に乗ったと言えるのではないだろうか。智頭急行「線」や北越急行「線」をJR西日本の特急で通過しても同様で、その鉄道に乗ったとは言えまい。JRと相互乗り入れしている3セク線は結構ある。JRの特急に乗れば、両方一度に乗れるので便利ではあるが、地の人や風景、その鉄道ならではのシーンを見ずに通過してしまうことになる。



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亀山から関西本線のレールバスに乗り換え、鈴鹿山脈を加太越えで越える頃、山の彼方に夕日が沈んでいった。中在家信号所では、廃線となったスイッチバック線が左の草むらに消えていく。三重では加太をカブトと読み、和歌山ではカダと読む。近いだけにややこしい。共にJRの駅だったらどう読ませただろう。

加茂で改札を出て、近くのコンビニでビールを仕入れてきた。クロスシートの窓際に缶とつまみを並べる。ようやく、完乗したのだという、安堵感が湧いてきた。



JR全線完乗率 100.00%

全線完乗へ、ラストラン その2 名松線は代行バスで

2010年04月28日 17:18

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家城(いえき)までは乗降客が比較的多い。車窓も平凡な田園風景が続いた。
駅前には路線バスサイズの代行バスが待っていた。十勝三股のようなマイクロバスではない。高校生達は家城で降りてしまい、列車を降りて乗り込んだのは、地元の人が2人、2人連れのビジネスマン、私と同じ目的らしい人が1人で、私をいれても6人だった。
ワンマンではなくて、車掌役らしい女性が乗り込んでいたが、運賃はいちいちプラケースに入れた運賃表を見ないと判らない。バスがバックする時もカメラがあるので用はない。往き帰りとも最前列のシートにに座っているだけだった。臨時運行という位置づけ故の措置なのか、無駄なことではある。



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バスは一級河川雲出川沿いの県道を走る。名松線は対岸にある。護岸が崩れたような箇所がある。しかし線路が宙に浮くという程ではない。護岸の定期補修程度の工事で復旧できそうな被害だ。その気になればの話だが。


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道路は名松線と付かず離れずの所を走っており、まるで名松線見学ツアーに来ているようだ。


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終点の一つ前、比津を出ると、名松線は鉄橋で雲出川を渡河し、短いトンネルに入っていく。路盤下にレストハウスのような建物があるが、廃屋のようである。景色は良いので、商売になった時期もあったのだろう。


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県道が尽きて国道368号線になり、駅の周囲をぐるりと回って伊勢奥津駅前に到着した。
走ってきた県道15号線が松阪と奥津を結ぶ道路ルートになっている。国鉄時代に2度も、台風で名松線が不通になり、バス転換案が打ち出された事があった。その時は平行道路が整備されていないという理由で、復旧が優先された。こんな立派な道路を県が造ってしまっては、鉄道会社から「撤退します」といわれてもやむを得まい。
駅周辺は広い。盲腸線の終着駅だったから、蒸気機関車時代には転車台も備えていたのだろう。今は給水塔だけが往時を偲ばせる。


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立派な駅舎だが、大部分は津市の出張所や住民センタへが入っていて、右端だけが駅舎として使われている。



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6人の乗客の内、2人は奥津の集落の中へ入って行き、ビジネスマンは車で去った。もう1人の鉄道ファンは、折返しまで周辺を散歩するようだ。新しい駅舎を1人で占領し、松阪で買った弁当を使わせて貰った。



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駅の周辺を見て回る。タンクは赤く錆び、コンクリートの架台には蔦が絡まっている。蒸気機関車の怨念でも籠もっていそうである。この給水塔は有名らしくて、JR6社が協同で運営しているサイトで、余部鉄橋や碓氷第三橋梁等と並んで鉄道遺産として紹介されている。



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「構内は線路が三本に分かれ、ホームも片面と両面との二面がある。あらたまって呼べば、1番線から3番線までとなるが、そのうち二本は錆びていた。小さな木造の駅舎があり、」(終着駅へ行ってきます)
今は片面ホームと一本の線路しかない。その代わり駅舎は大きくなっている。駅舎を建て替えた時に、既に不要になっていた線路を整理してしまったのだろう。





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駅前の短いい坂道を下ると、「伊勢本街道」「奥津宿」の看板が立っていた。伊勢街道と言えば落語「東の旅」の舞台である。
「旅もいろいろで、なかでも一番陽気なんが東の旅、お伊勢参りです。ここに清八、喜六という大阪のウマの合った二人の若い男。ボチボチ陽気もようなったさかいに、お伊勢参りでもしようやないかと、黄道吉日を選び、赤いご飯のひとつもたいてもらい、親類や友だち、近所隣へ挨拶をすませ、大勢の者に見送られて安堂橋を東へ東へととってまいりましたが、なにしろ風体がよろしゅうございます。」(「米朝はなし」~玉造)。軽業のような前座話から、七度狐、三十石、宿屋仇のようなトリが務めるハナシまで、上方落語を代表するシリーズである。



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昔懐かしい店構えを残している店もある。




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列車が来なくなったホームのレールは既に赤く錆びている。松阪からここまで線路が延びて来てから、実に75年もの年月が経っている。その時既に、現近鉄ルートで松阪・名張間は開通していた。目の前の山を越えて線路が延びる可能性は、当時から非常に小さかった。


「伊勢奥津は山間のささやかな終着駅ではあるが、さすが「名松線」だけあって、駅前から名張行きのバスが出ているのが嬉しい。「時刻表」には載っていないが、一日六本ある。片道だけで名松線と別れるのは申しわけない気もするが、アマゴを食べたあとは、せめて、このバスに乗って首尾を完結させようと思う」(終着駅へ行ってきます)

今も名張行きのバスはあるが、朝7時の1便だけになっていた。


(この項続く)

全線完乗へ、ラストラン その1 関西本線 紀勢線

2010年04月27日 16:46

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最後の一線をどこにするか。どうでも良い事だけど、なかなか楽しい悩みである。
東海道線や山陽本線の一区間というのは宜しくない。短くとも一路線全線が良い。それも太多線のような幹線の連絡線ではなくて、行き止まり盲腸線の終着駅が望ましい。けれど余り遠くでは、達成の瞬間を味わう前に疲れてしまいそうだ。名松線は早くから目を付けていた。同じ盲腸線でも和田岬線や武豊線のような近郊通勤路線でなく、長い歴史を持つローカル線であり、鄙びた風景にも出会えそうだ。
名松線と参宮線を組み合わせた日帰り案はずっと前から検討していた。参宮線はフェリーで伊勢湾を渡り、武豊線と組み合わせるという魅力的な案もあったが、先に武豊線が片付いてしまったので、ますますこの案が有力になる。距離は長いが、優等列車なぞ走っていないから、青春18切符の期間に行くことになる。

ところが名松線に異変が起こった。昨年の台風で路盤が流されて、なかなか復旧しないなと思っていたら、JR東海がバス転換を申し出た。新幹線で大儲けして、自力でリニア新幹線を建設する大金持ちの会社が、ローカル線の僅かな区間の復旧が出来ないはずが無い。赤字のJR西日本さえ、同じ台風でやられた姫新線を10月に復旧させた。復旧困難は口実で、この際お荷物ローカル線を廃線にしてしまいたいという腹が見え見えである。正直に復旧させてバカをみたJR西は、今度は災害に遭っていない路線までバス転換すると言い出した。

名松線を最後の一線にしてしまったら、鉄道路線がバス路線に変わりかねない。現に家城から先はもう列車は走っていない。JRバスの路線は完乗の対象にならない。今は代行バスで、正式にバス路線に転換したわけではないから、グレーだが名松線は松阪~伊勢奥津という事になっている。何はともあれ、名松線は一刻も早く片付けてしまわねばならない。



2010/04/05
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関東東征の旅からまだ一週間しか経っていないけれど、青春18切符の期限もあるので、天気が崩れないうちに出発することにした。スタンプの押印欄が残り1つになった青春18切符を持って家を出た。




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JR難波発の奈良行き区間快速はロングシートの車両で、気分が出ない。
奈良・加茂間は新快速車両の転換クロスシート。ガラ空き列車で落ち着かない。
加茂からはレールバスの2両連結で、ボックスシートはたった4つしか無い。席取り競争が厳しい。
加茂を出てしばらくすると、左窓に木津川が現れる。ようやく旅に出たという心地がする。


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次の笠置駅は、普段は何と言うことのない駅だが、今は桜の名勝スポットだ。
ホームの外側に桜が何本も植えられているというのは、よく有るケースだ。通り過ぎた来た河内堅上駅も、そんな桜のスポットだった。ここのは規模が大きい。ホームから木津川の蛇行で大きく張り出した河原の先まで、一面桜で埋め尽くされている。ここなら、わざわざ花見に出掛けて来る値打ちはある。


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笠置を出ると、対岸が大きく迫り出してきて、暫く渓谷の様相を呈してくる。

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木津川を鉄橋で渡ると、まもなく大河原駅に到着。ここで木津川と別れて伊賀盆地へ向かう。


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関西線は木造駅舎が数多く残っている。さすがに創業時の建物ではないだろうが、汽車が走っていた頃の雰囲気は残っている。伊賀上野駅も木造瓦葺きの、そんな駅の一つだ。


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伊賀鉄道の単行列車が発車していく。忍者電車とは違う濃いグリーンの地味な塗装で、近鉄に見捨てられてた3セク線を細々と走っている。後ろ姿には哀愁が漂っている。あれにも何時か乗ってやらねば。


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関西線に急行が走っていた頃は、この柘植駅も活気があって、駅弁が販売されていた。先日柘植駅開業120周年の日に、一日だけ復刻発売されたという。現在は草津線との乗り換えに利用されるだけで、駅を出ても空き地が拡がっているだけで、駅前に造られた「庭園」を訪れる人も居ない。

ここまでは、昨年の7月に 全線完乗 大回りで柘植へ で来た。ここから先、亀山までが関西線の未乗区間になっている。





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亀山駅は紀勢線の起点であり、名古屋-天王寺結ぶ関西本線は東海道と並ぶ幹線であった。昭和48年に亀山をバイパスする伊勢線(現伊勢鉄道)が開通すると、優等列車は新線を通るようになり、亀山駅の凋落は決定的になった。広大なヤードと転車台が、僅かに昔日の繁栄の名残を留めるばかりである。


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堂々たる駅舎はファミレス風の建物に建て替えられた。駅前の石鳥居は日本武尊御墓を守る能褒野(のぼの)神社のものである。神社は明治以後、政府の天皇家の神性化策に沿って建てられた。紀勢線が全通するまでは、亀山から鳥羽までが参宮線だったから、伊勢神宮参拝の木戸口でもあったのだろう。



南紀周りで新潟へ各駅停車で日本縦断の旅 の時は特急が伊勢鉄道を経由したため、関西線の亀山-河原田間と、紀勢線の亀山-津間が未乗区間で残っている。
亀山-河原田間を折り返さないといけないが、名古屋直通するようにダイヤが組まれているために、うまい帰りの便が無い。かといって帰りに津から伊勢鉄道経由で河原田へ出て、この区間に乗ったのでは、ここが「最後の一線」になってしまう。後先を考えずに下手に往復すれば、名松線か参宮線が日暮れ以後になってしまう。
3/19のダイヤ改正が転機であった。ウィークデー限定であるが、亀山から河原田へが6分の接続、河原田からの折返しが6分、亀山からは僅か2分の接続で松坂へ行く。松阪から名松線へも16分の待ち合わせで、一日4.5往復しかない路線への乗り継ぎにしては短い接続時間になっている。



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河原田で亀山方面へ折り返すためにホームへ跨線橋を上がっていくと、その先に伊勢鉄道の河原田駅があった。時間短縮のために造られたバイパス線だから、路線内の乗り降りの利便性は二の次になっている。
名古屋・鳥羽を結ぶ快速「みえ」は、伊勢鉄道を通過するから、名古屋や四日市から津・松坂へ向かう乗客は、伊勢鉄道分の490円を別途払わなければならない。呉線に乗った時も、510円の座席指定車はがら空きで、自由席は満員だった。僅かな金額かも知れないが、用事があって乗る人にはハードルが高い。これでは横を走っている近鉄に客を取られるばかりである。

河原田からの車中で、「人ごと」を呑気に考えていたら我が身に火の粉が降りかかってきた。
今日のスケジュールの中で、この列車から亀山で乗り換える2分が最も危険なステップである。失敗すれば以降の乗り換えがガタガタになって、関西線の最終時間を気にしなくてはならなくなる。ところが、どうも定刻より遅れて走っているようである。まもなく「対向列車の遅れのため、3分の遅れ」というアナウンスが流れてきた。万事休すか。車掌が乗っているなので、車掌室まで行って「亀山発10:07の鳥羽行きに接続するのか」と問いただした。「今から連絡すれば間に合うと思います」という嬉しい返事が返ってきた。席に戻って待っていると、まもなくその旨のアナウンスが流れてきた。何事も言ってみるものである。
亀山から乗り換えた列車は、津で8分も停車する。4分後に発車する快速「みえ」と接続するためである。ところが私の一言で亀山での発車が遅れたため、4分あるはずの乗り換え時間が殆ど無くなり、構内アナウンスが乗り換え客を急がせていた。3分以上の遅れであったら、私の申し出は却下されただろう。

兎に角、これで紀勢本線の未乗区間も乗り終えた。



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津付近で「宮脇書店」を見かけた。山陽・四国の旅 で見たのと同じ店のようだ。こんな所にまで出店している所を見ると、香川県と関係のないチェーン店なのかと思った。しかし帰ってから調べてみると、「宮脇書店」は香川から始まっており、店舗のない府県が殆ど無い程チェーンを展開させているとあった。


(この項続く)



関東東征の旅 第8日 その2 愛知環状鉄道 明知鉄道 太多線

2010年04月26日 17:19

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浜松から。掛川発豊橋行きの普通列車に乗る。ホームでは大勢の乗り換え客が居るのに、入ってきた列車は3両しか繋いでいない。新快速が走っている豊橋-大垣間とは大違いだ。
ロングシートで、立ち客も多いから景色は殆ど見えないが、さすがに浜名湖を渡るときは「気配」でそれと知れる。


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豊橋から新快速で岡崎へ。岡崎駅の0番ホームに愛知環状鉄道の列車が停まっていた。
「白赤青の三色に塗り分けられた派手なもので」(車窓はテレビより面白い)は無かった。昭和62年の開通から早くも四半世紀経つ。宮脇さんの頃とは異なるデザインに変わった三セク線は多い。



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矢作川の支流乙川を渡って岡崎市の市街地に入る。


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中岡崎で名鉄と交差するが、こちらは高架なので岡崎城の復興天守閣が見える。


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愛知環状鉄道は岡崎と多治見を結ぶ岡多線として昭和51年に新豊田まで開通した。その時の様子は「時刻表2万キロ」に書かれている。名鉄との競合の為に収支係数が悪く、廃線指定を受けたが、三セク線として昭和62年全線開通した。終点は多治見ではなく名古屋寄りの高蔵寺に変更されている。「新幹線後」の新線だから、平野部は全て高架になっている。しかも、大都市近郊の幹線として計画されたから複線仕様になっている。橋もトンネルも複線の幅があるのに、レールは実情に合わせて単線で敷かれているから、閉まりが悪い。


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三河豊田付近でトヨタの豊田本社が見えた。アメリカで叩かれて大変なことになっているが、そもそも日米貿易摩擦や円高、プラザ合意は殆どこの会社が引き起こしたようなものだ。トヨタは更に大きくなったが、潰れて消えていった企業の経営者や従業員の怨念が、未だに成仏しきれず彷徨っている。景気が悪くても、何かあると円高になるという後遺症にも悩まされ続けている。多少冷や汗をかいても罰は当たらない。



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高蔵寺で中央本線に乗り換えて恵那で下車し、明知鉄道に乗る。3セク線になって、線名が全く別物に変わってしまう事が多い中で、明知線から明知鉄道と非常にシンプルだ。
恵那を出ると直ぐに、25パーミルの勾配で谷間を右に左にカーブしながら山峡に入っていく。蒸気機関車の時代には難所だったのだろうが、単行のディーゼルカーは事もなげに登っていく。



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山峡を抜けると徐々に傾斜が緩くなり、段々畑一枚のサイズが大きくなっていく。


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明知鉄道沿線には「農村景観日本一」の美しい田園風景が広がっている・・はずだが、私の目には極く在り来たりのローカル線の沿線風景にしか映らない。「在り来たり」でも、典型的なのが良かったのだろうか。


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極楽という名の駅があった。由来は知らないが、この無人駅の入場券でも(そんなものは必要ないが)発行すれば売れるだろうと思う。


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明知に着くと、誰しも考える事は同じらしく、チャンと明知鉄道グッズとして売られていた。入場券ではたいした金額にならないから、恵那-極楽間の乗車券を420円で、シニゼロと語呂合わせしてある。一枚上手だった。


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途中駅で駅員がいるのは、この岩村駅だけではなかったか。鄙びた、趣のある木造駅だ。
岩村城は信長と信玄の勢力圏の境界だった。城主の死後、妻で信長の叔母にあたる女性が治めていたが、武田二十四将の一人、秋山信友が入り婿に入って信玄の勢力下に入ってしまった。後に武田領へ攻め入った信長は、2人を逆さ磔にしたという。
城跡は駅から徒歩で行けるところにある。日本一高い所に有る城で、備中松山城・大和高取城と並んで日本3大山城の1つに数えられている。



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恵那から小一時間で、終点明智に到着。少し肌寒いが山里にも春が来て、桜は満開になっている。


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明智光秀の出生地とされるところで、本能寺の変以後は「智」を憚って「知」と変えていた。戦後になって「明智」に戻したが、戦前に開通した路線名は明知のままになっている。



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折返しの列車で恵那に戻る。
中央本線の列車を待つ間に、駅近くの阿木川に架かっている鉄橋から、再び明知へ向かう列車を撮ってみた。


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多治見まで戻って、太多線に乗る。
飛騨川との合流点のやや下流で木曽川を渡る。左側が飛騨川。河岸の桜並木が見頃になっている。
まもなく美濃太田に到着。これで今回の乗り潰しスケジュールは全て終了した。


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高山本線で岐阜に向かう。昨年11月に訪れた犬山城が左窓に見えてくる。この辺りは、その時に犬山公園から乗った名鉄各務原線が、直ぐ側を並行して走っている。


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これが岐阜市民に評判の悪い金色の信長像か。像は普通、建物を背に開かれたを向いているが、これは駅の方を向いている。地方議員達の選挙の目線ではないか。



JR全線完乗率 99.38%


12013人中336位
この上はもう100%の完乗者ばかりなのかと思ったが、99.9%以上が大勢いた。
ラストランは最後の楽しみに取ってあるという事か。

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関東東征の旅 第8日 その1 平塚-沼津 伊東線

2010年04月23日 16:53

2010/03/29

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とうとう最終日になった。帰阪するが真っ直ぐには帰らない。JRの支線2路線と3セク線を2本乗って帰る。

一週間前に関東圏に入って以来、連日のように事故やトラブルによる運転見合わせが起こっている。埼京線でのトラブルが、湘南新宿ラインを通じて、京浜東北線、横須賀線から東海道線へと関東全域に及ぶ。衛星放送のアンテナが落ちただけで東海道線が不通になったりする。精緻に組み立てたスケジュールは脆い。渦中に巻き込まれたら、どこか削って辻褄を合わせなければならない。これまでは既に通過した区間であったり、影響が及ぶ前にその日のスケジュールが終了していたりと、何とか火の粉を被らすに来た。「どうかもう一日幸運が続きますように」と願うばかりだ。


今日も早く眼が覚めたので、予定より一列車早い6:22発の静岡行きを待っていると、2ドアでやってくるというアナウンスがあった。隣で父親が女の子に「旧い電車がやって来る」と教えている。ところが入線してきたのは特急車両だった。残念な事に、早朝にかかわらず座席は全部埋まっている。全線完乗を始めて以来、短距離乗車以外は全列車座ってきたが、何事にも終わりはあるのか。
デッキに立っていても座れる可能性はない。車両の中程まで人をかき分けて行くと、幸運な事に次の駅で降りる支度をしている人がいた。
この列車は5:20に東京駅を出発している。朝早く都市と反対方向へ行く列車がこんなに混むとは、思ってもみなかった。青春18切符の期間で、テツと覚しきアンちゃんも乗っているが、殆どが通勤客だ。朝早くから長距離通勤してどこまで行くのかと見ていると、小田原で大勢降りた。まだ6:45だから更に乗り換えるのだろう。
この列車は快速に格下げされた旧い特急車両ではない。回送列車に客を乗せているようだ。静岡行きだから「ふじかわ」になるのだろうか。このまま静岡まで乗っていたいが、熱海から伊東線が待っている。実は伊東線にも楽しみな列車がある。


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相模湾が見えてきた。根府川駅が近い。
「根府川あたりでは、たまには新幹線でなく在来線に乗るのもいいものだ、などと話し合った」(時刻表2万キロ)
「小田原-熱海間での相模湾の眺めは国鉄の車窓なかでは屈指のものだろう。とくに海側に敷かれた下り線の窓から断崖の見下ろせる根府川の直前がよい」(最長片道切符の旅)


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その根府川直前の断崖。
関東大震災の時は、ホームにいた列車が地滑りに遭遇し駅もろとも海中に沈み、112名もの死者が出た。この高さでは助からない。


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熱海駅前には足湯が出来ていた。熱海と言えば温泉街だが、最近は凋落が著しいという。
足湯の向こうに機関車が見える。


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丹那トンネル開通前は熱海鉄道という軽便鉄道があって、この小さな蒸気機関車が小田原・熱海間を往復していたとある。


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伊東線には、相互乗り入れしている伊豆急のリゾート21が伊豆下田-熱海間を走っている。普通の特急より豪華な車両が運賃だけで乗れる。青春18切符も勿論OKだ。観光列車なので、本来こんな早朝は運転していないが、伊東発7:48の上り便がある。観光客用の便ではないので伊東の一つ先の伊豆高原が始発駅になっている。早く眼が覚めたので、この列車に乗れる。本当に三文の得だ。


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「昨年(昭和60年)の秋に登場した伊豆急の「リゾート21」という電車である。鉄道雑誌などて紹介されたのを見ると、最前部が階段式の展望車になっており、他のハコも海に向かって肘掛け椅子が並ぶという愉快な設計である。」(旅は自由席)。
デビュー以来四半世紀経っているが、この記述通りの車両である。JRも五能線の「しらかみ」や肥薩線の「いさぶろう」「しんぺい」等の普通観光列車を走らせているが、いずれも座席指定として料金を徴収する。伊豆急はこのタイプの車両を5編成も製造した。この列車をテコに東京まで乗り入れ、特急「リゾート踊り子」に発展させたのだから、元は取っているかも知れない。


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宮脇さんとは違って、階段式の先頭車両ではなく、海側のシートに座った。車体と平行ではなく若干斜めにしてある。開いた扇団状になっているのは団体客への配慮だろう。
左から右へ流れていく景色を真正面から見るのは初めての体験だ。来る時と同じ景色が違って見える。


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トンネルを出ると熱海城が見え、再びトンネルを潜って終点熱海に到着。新幹線で通ると、トンネルとトンネルの間が非常に短く、城が見えるかなと思っている内に熱海駅を通過してしまう。史実にないデタラメな城だが、千葉城と違って、観光目的に個人が建てたので税金は使われていない。


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熱海から普通列車で沼津着。去年一月は御殿場線に乗ったので、東海道線の国府津・沼津間が未乗だった。地盤が緩いので新幹線の駅は一つ手前の三島に造られた。以来主要駅の座から滑り落ちた格好になっている。駅前には蒸気機関車時代を偲ぶモニュメントが建っていた。


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三島駅のちょっと変わったデザインは、伊豆国一宮の三嶋大社をイメージしている。


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三島からは伊豆箱根鉄道の駿豆線が出ている。JRとの相互乗り入れによって東京から修善寺まで特急「踊り子」が走っている。伊豆長岡の反射炉を見に行った記憶があるので、その時に乗っているはずだが、関西人には馴染みの薄い路線だ。

三島からは新幹線で浜松までショートカットした。来た時とは打って変わってガラ空きだった。新幹線の乗車率も曜日によって影響を受けるのか。


(この項続く)

関東東征の旅 第7日 その3 都電荒川線

2010年04月22日 16:49

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新宿から埼京線で赤羽まで行って、新宿湘南ラインではパスしていた池袋-赤羽間に乗車する。
新宿駅を出ると直ぐ、靖国通りを新宿大ガードで跨ぐ。すぐ左が名高い歌舞伎町だ。大昔、上司と出張中に特殊マッサージの店に迷い込んだ。君子危うきに近寄らず。這々の体で逃げ出した。いや本当に。


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王子で途中下車。飛鳥山の桜が見頃で人出が多い。道路に路面電車が、正面の斜面にモノレールがあらわれるハズだけれども、野方給水塔で予定以上に時間を食ったので、ツーショットを待っていられない。


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昨年7月に開業した飛鳥山モノレール。「山頂」までの僅かな距離を無料で往復してくれる。形態はモノレールだけど、エレベータとして運用されている。国交省の管轄外なので、私鉄も含めた全線完乗の対象にはならない。
ちょっと乗ってみたいが、少ない定員に行列ができている。


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都電荒川線の道路との併用区間は、ここだけで直ぐに右カーブして専用軌道に入る。


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庚申塚で下車。予定にはなかったけれど、乗った電車は大塚止まりで、乗り換えても料金を徴収されるシステムなので降りた。


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参道商店街を進めども進めども、とげぬき地蔵へは中々行き着けそうにないので、庚申塚だけにして引き返す。
帰ってから録画した「酒場放浪記」を見たが、類さんも「庚申塚」編ではここへお参りしただけだった。とげぬき地蔵へは巣鴨編で行っていた。地図で確認すると確かに巣鴨からの方が近い。



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終点早稲田から引き返す。三ノ輪側へも行っておきたいが、今のところ全私鉄を含めた全線完乗するつもりは無いので、無理しないでおく。



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面影橋と学習院下の間にあるガータ橋で神田川を渡る。両岸の桜が満開だった。


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学習院下の次の鬼子母神で途中下車。欅の並木の下を通って左へ曲がると、法明寺鬼子母神堂がある。「恐れ入りやの鬼子母神」では無いが江戸三大鬼子母神として有名な所。


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この扁額の「鬼」には角がない。


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境内は思ったほど広くない。江戸時代から続いてる「川口屋」という駄菓子屋がある。「すすきみみずく」を探したが売っていなかった。季節のモノなのか。


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大塚で山手線に乗り換え。秋葉原まで行って、総武線でお茶の水へ。


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聖橋をバックにJRと地下鉄を一緒に入れようと待ってみたが、なかなかタイミングが合わない。
面倒になって、総武線で錦糸町へ。これで総武線完乗。
秋葉原から山手線で東京へ出て、東海道線で平塚へ。朝のグリーンの残りを使ったのは言うまでもない。


平塚の駅ビル5階に「海鮮三崎港」という回転寿司屋がある。ショッピングセンターに入ってる食べ物屋にはハズレが無い。金銭感覚の厳しい主婦の味覚を満足させねばならないからだろう。ここは大当たりだった。ネタの大きさが普通の店の倍はある。「白魚軍艦」や「やりいか姿」という変わったメニューがあるし、椀物では「あら汁」はほぼ全員が〆に注文する定番のようだ。


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ホテルは道一つ隔てた線路脇にあった。カーテンを開けると、この駅で一晩留置される列車も眠りにつくところだった。


残すところ後一日。


グランドホテル神奈中・平塚に投宿         素泊まり5000円

ちょっと足を伸ばすだけで、料金が全然違う。



関東東征の旅 第7日 その2 旧新橋停車場 野方給水塔

2010年04月21日 19:12

昨日から横浜・東京という都心部に行動エリアが移って思い知らされた事がある。一昨年から全線完乗を初めて、iPod等の携帯プレイーには何度もお目に掛かっているが、音が漏れてくるような事は無かった。最近のイヤフォンは音漏れが無いように改良されたのかなと思っていた。ところが都心部へはいるにつれて、シャリシャリと不愉快な音があちこちから聞こえるようになった。イヤフォンの問題ではなくて音量の問題だった。地方の人たちは周り人達の事を考えて音量を調整していたのだった。全く都会人の鈍感さには辟易する。

さて、午前中に長距離区間の乗り潰しを済ませて、これからは山手線を回りながら乗り残した区間を片付けると共に、行きたいと思っていた場所に寄り道する。最初はもっと沢山寄り道する事を考えていたけれど、「徒歩」でないと行けない場所が多くて、絞らざるを得ない。交通網が四達しているが、乗り換えとなると階段が多い上に無闇に長い通路を歩かされる。都市というものは便利なようでいても、想定されたルートから外れた場所に行くには不便に出来ている。東京に限らず、いずこも同じだ。


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新橋で途中下車して向かった先は「鉄道歴史展示室」。旧新橋停車場が元の場所で復元されている。汐留シティセンタービルやパナソニック本社に囲まれて、中庭のような所にひっそりと佇んでいる。このホームが「汽笛一声新橋を」と横浜行きの列車が発車して行った鉄道発祥の地なのだ。


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復元駅舎は鉄道博物館になっているが、何と春休みの期間中ずっと休館になっている。子供向けではありませんよという事か。にしてもなあ。ここのスタッフも鈍感な人達のようだ。


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もう一度新橋駅の地下に潜って西大井まで行って、新宿湘南ラインで通らなかった横須賀線の未乗区間に乗り、品川に引き返す。綺麗になったのは新幹線ホーム周辺だけで、在来線のエリアは昔のままだった。東京は日に日に変わるが、ビルの谷間でここだけ時が止まっている。良いのか悪いのか。


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目黒で都営三田線に乗換えて白金で所用を済ませ、新宿から大江戸線で落合南長崎駅に向かう。野方給水塔へのルートは色々検討したが、時間の読めないバスを除外すると、ここから歩くのが最も近そうだった。

東京は起伏が多い。新青梅街道も緩い登り坂になっていて、思ったより時間がかかる。道のりの半分も進むと給水塔の頭が見えて来た。幼稚園の横を入っていくと、給水塔の周りが公園になっている。けれど近すぎて頭頂部が隠れてしまう。この写真は水道局官舎の供用階段から撮った。取り壊される予定なのか、表札は殆ど剥がされていた。



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子供の頃、乱歩の「怪人二十面相」シリーズを読んでいると、寂しい場所に立つこんな塔がよく登場した。秘密のアジトだったり、塔のテッペンから気球で逃れたりする。塔頂部に続く梯子を見ていると、そんな事を思い出す。ひょっとすると乱歩もこの塔を見て書いたかも知れないなどと考える。
給水塔は他にも幾つか残っていたらしいが、今はここだけになっている。







大きな地図で見る

(この項続く)

関東東征の旅 第7日 その1 南武線 中央線 京葉線 総武線快速

2010年04月20日 16:45

2010/03/28

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今日は26回も乗り換えがある。
「東京時刻表」のお陰で、山手線や地下鉄もキチンと計画を立てられた。それでも乗り換え等で予定から前後する事はある。いちいち飛び乗った列車が、何時何分発だったか一々確認するのも面倒だ。上のスケジュール表は実行後のものなので、そういう箇所は空白になっている。


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普通、駅前というのは車やバスの為に大きな空間が空いていて、見通しがきくものだ。ところが川崎の駅前は、京浜急行の高架線が不躾に横切っている。


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駅は巨大で、旧ソ連の駅を彷彿とさせるような長いエスカレーターで登っていく。建物が政令指定都市の表玄関に相応しいだけに、駅前の猥雑感とアンバランスが際だつ。


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車両に総武線の黄色と中央線のオレンジの2本のカラーラインが入っている。カラーラインは電車全体が単色に塗られていた時と同じ色が使われている。ツートンというのは無かったから、これは総武線と中央線を繋いでいますよという事なのか。

とにかく、日曜日の早朝、最も乗り換えの忙しい一日は始まった。
暫くは車内から見上げても、テッペンが見えないような巨大なビルに圧倒されたが、直ぐに下町風の景観に変わった。武蔵小杉新駅の記事を頻繁に目にするが、南武線の駅と新しい横須賀線の駅は、同一駅とは言い難いほど離れている。駅周辺の住人にしかメリットが無いのではなかろうか。

立川から八王子に出て、中央快速で東京に戻る。共闘開発で何度も訪問したニレコの本社ピルが建て変わっていた。東京は腫れていても、ここまで来ると線路に雪が積もっている。暖房を切られたビルの日曜日は悲惨だった。土曜日には微かに残っていた熱が無くなり、鉄筋の芯まで冷えて体温を吸い取っていく。それでも侃々諤々の議論をしていると、不思議に風邪も引かなかった。


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お堀の桜が咲き始めたが、飯田橋のボートハウスはまだ開店休業のようだ。


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旧万世橋駅跡を左に見て山手線に入る。東京駅で降りると雰囲気が違う。そうか3層高架になってたんだ。


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京葉線地下ホームは遠かった。一駅分は悠に歩かされる。こんな乗り換えがあるから、東京の人は武蔵小杉の2つの駅も苦にならないのだろうか。
ここから、同じ千葉方面へ行く総武線の地下ホームへは、最早乗り換えの範疇に入らない。東京-千葉間は京葉と総武の2つのルートを乗り潰さないといけない。千葉側から出発すると大変なので、残しておいて東京発で往復する事にした。


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「八丁堀」はまだ名前に河口の雰囲気があるが、「越中島」「潮見」となるともう海だ。地上に出ると運河の交差点になっていた。暫く「海上」を走る。

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東雲の高層マンション群が目に入る。東京は湾を埋め立てて土地を拡げている。山から土を都心を通って運ぶわけにいかないので、埋め立て材料はゴミだ。ゴミ処分地が満杯になるとビルを建てて街にする。新木場駅のある「夢の島」は、皮肉な役人が居て命名したのだろう。ゴミの上に立つ高層マンションに住んで平気でいられるのは、余程太い神経の持ち主なのだろう。


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辰巳国際水泳場。国際大会場が代々木プールからここに移ってから久しい。


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荒川を渡って江戸川区に入ると巨大な観覧車が見えてきた。


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葛西臨海公園内にある、日本最大の観覧車で「ダイヤと花の大観覧車」というらしい。


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再び川を渡ると浦安市で、当然これが現れる。
大勢の親子連れが降りて車内が急に閑散としてくる。ここまでが都心で、いきなりローカル線に変わる。日曜日で通勤客がいない為、余計落差が大きい。


海浜幕張駅からは、旧石油公団の技術開発センターのビルが見通せた。メタンハイドレート開発でよく通った場所だった。産学官共同研究と一見華々しい活動だったが、今は独法となった旧国研のメシの種になた。「開発」になれば「研究」機関は手を出せない。開発スケジュールは次々とロングスパンのものに置き換えられ、いつまでも研究段階が続くようにし向けられた。都市ガス百年分の埋蔵量が謳い文句だったが、「山師」に言わせると可採量は埋蔵量の1/10というのが相場らしい。電力なら都市ガス10年分の天然ガスを1年で食い尽くしてしまう。「産」側の熱も冷めようというものだ。鉄は熱いうちに打て。一発でも有望なボーリングをしておけば、産側も施策としての価値を見いだせたのだろうが。


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蘇我から千葉行きの内房線に乗る。天守閣がチラリと見えた。千葉県の大名というと里見氏ぐらしい思い浮かばないし、その里見氏も徳川初期に滅亡している。後は陣屋クラスで、こんな所に天守閣のある城を持つような大名は無かったはずだ。
帰ってから調べてみると、矢張り千葉氏の館が有ったとされる場所に建てられた模擬天守だった。千葉氏なんて中世の豪族で、残っていたとしても、精々武田神社程度の規模でしかない。石垣だけを大規模に修復した竹田城とは正反対で、千葉県民は末代まで「誤り」を指摘され続ける。


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グリーン券は平塚まで買った。途中下車有りだから、その日に到達する最遠駅まで買えばいい。
千葉駅のホームで買った駅弁を開く。ハマグリの「やきはま弁当」は具がチョットしか無かったので、アサリの「漁り弁当」にした。



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首都高の下をくぐって再び荒川を渡る。河川敷は地盤が弱いので通常は避けるものだか、この高速道路は荒川の中州に延々と造られている。


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横を走っていた黄色の総武線の列車が、だんだんと坂を上がっていく。いや、あちらが上がるのではなくて、こちらが下って行く。錦糸町から品川までは地下鉄になる。大江戸線に抜かれるまでは、この区間が最も地下の深いところを走っていた。

新橋で途中下車し、長いエスカレータを乗り継いで地上に出た。


(この項続く)

Vario-Sonnar DT16-80mm F3.5-4.5 ファースト・インプレッション

2010年04月19日 15:03

このレンズは新品と中古の価格差が比較的大きい。α700のキットレンズとして売られていたからだろう。つい先日タムロンを買ったばかりだが、思い切ってヤフオクで入手してみた。ツァイスの単焦点レンズは重いので使う気になれない。私にとって、αマウントで使える唯一のツァイス・ブランド・レンズでもある。


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これまで常用ズームとして使ってきたシグマ17-70mmF2.8-4.5と持ち比べると、重さではシグマの455gに対して10gしか変わらないのに、レンズが小さい(フィルター径で62mmとシグマより10mm小さい)為に重量バランスが効いて質量差以上に軽く感じる。

またシグマ17-70mmF2.8-4.5のレンズIDは他の5機種と共通で、重なっているレンズを持っていると区別できない。タムロン10-24mmに至ってはレンズIDすら与えられていない。こんなサードパーティレンズに対して、純正のこのレンズは単独IDを与えられていて(これが本来の姿だと思うが)、画像ファイルが混じっていても容易に識別できる。。


丁度春の葉が出たノムラモミジを下から見上げて撮ってみた。ズーム望遠端の80mmでISOは200

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1/800 F4.5 望遠端の開放で絞り優先。逆光だから暗くなる。


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露出補正を+0.3EVにしてみる。シャッタースピードは1/320になった。極く僅かの補正なのに空の色が消えてしまった。白飛びは無い。


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露出補正を+0.7EVにしてみる。シャッタースピードは1/200になった。白飛びは無し。



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+0.3EV露出補正をソフトでしてみた。

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同じく+0.7EV


リアルタイムでやるのと随分違う。光量に対してりクリティカルなレンズなのか。最初の画像に空の部分が少し多く入ってしまって、厳密な比較ではないが。

またビックリする程色乗りが良い。これまでは、コンデジのPANASONIC LX3も、シグマもアッサリした色合いだった。色乗りが良いといわれるタムロンに期待したが10-24mmではシグマとの差が判らない。

全ての工程で日本製だと思っていたが、設計ぐらいは多少ツァイスが関わっているのだろうか。

昔、反射偏光顕微鏡でニコン、ツァイス、ライカを比較したことがある。どれも数百万クラスの製品だったが、色乗りはライカ>ツァイス>ニコンだった。ニコンは解像度が良かったたけれど色が淡泊すぎて使い物にならなかった。偏光顕微鏡は偏光板を入れてわざと光の干渉を作り、反射率の差を色の差に置き換えて見る物だから、色乗りが悪いのは致命的だった。ライカはどぎつすぎて、画像に酔ってしまう。結局シャープな画像で色乗りも良いツァイスに決定したが、同じ原理で造られた機械でも、レンズの微妙な差で全く異なる画像になるという事に驚かされた。
ツァイスにしてもライカにしても、レンズの物理特性ではなく、人間の目で見た時の映りの良さを求めて開発しているのでは無いかと思った。オーディオで言われてきたのと同じ事がレンズでも起こっていた。