島田荘司 「写楽閉じた国の幻」

2011年04月29日 16:11

写楽の正体にいて、写楽は写楽であるという説と、別人が活動の10ヵ月間だけ写楽を名乗っていたという説がある。

1.写楽の芝居絵はちょっとも美男に書かれていず、デフォルメされている。
2.最初から歌麿級の特別待遇で、高価な刷りで出版されている。にもかかわらず10ヵ月で活動を停止した。
3.活動を止めた後で「自分が写楽」だったと名乗り出た者がいないばかりでなく、蔦屋や他の「同僚」達も写楽が何者であったか、一切語らなかった。

写楽本人説でも説明できない、この3点を満足させられる新しい別人説の登場である。

「写楽」の顔やポーズが他の浮世絵と大きく違っているのは、誰でも感じることだろう。にもかかわらず大いに売れたという。しかしその後誰も追従しなかった。
ここから「写楽の人気の原因は、本質的に絵そのものでは無かった」という切り口で、大胆な仮説が組み上げられていく。


冒頭で、回転ドアに挟まれて子供が死ぬ。社会派ミステリと仮説を入れ子にして展開する構想だったようだが、そちらの方は途中から尻切れトンボになってしまう。著者は続編を考えているようだが、写楽の正体を追求した本編以上におもしろいものになるとは、到底思えない。
浮世絵をテーマとしたミステリは、高橋克彦の塔馬双太郎シリーズがおもしろかったが、最近は書かれなくなった。続編を書くなら、別の絵師や作品をテーマにした作品が出てくることを期待したい。



Big Boy 妄想

2011年04月28日 16:18

終戦の日にも列車は何時も通りに動いてたのは、宮脇さんの今泉駅の思い出でも有名な話である。しかし、翌昭和21年から27年まで、「Allief Limited」「Dixie Limited」「Yankee Limited」等と名付けられた進駐軍の専用列車が日本の幹線を駆け回っていた。状態の良い機関車や客車を徴発して運用していた。客車には一等車と同じ白い線が引かれ「白帯車」と呼ばれていた。

DSC04593s.jpg
日本製の機関車の信頼性が低かったら、当時バリバリの現役だったビッグボーイを本国から取り寄せていたかも?  (軌道幅はどうすんだ!)


DSC04587s.jpg
展望車には

macandempas.jpg
ツーショットの可能性も・・・・


フィギュアにして載せようと思ったが、30mmのルーフ高では顔の見分けが付かなくなてしまう。


宮脇俊三さんの夕張探訪

2011年04月27日 15:41

鉄道作家、宮脇俊三さんは著作で度々夕張を取り上げていた。
「炭鉱と鉄道という2つの衰えいくものが重なる哀感にに惹かれたらしい」と理由を述べている。

私もその著作に惹かれて、4度夕張へ行った。
線路の上から覆い被さるような急斜面に、へばり付くように建てられた炭住の印象が今も強く残っている。
北炭も、三菱も共に夕張炭鉱「新坑」に最後の望みを賭けたが、前者は昭和56年、後者は昭和59年に、ガス爆発で多数の死者を出して閉山し、炭鉱の街夕張の幕を下ろした。
北炭の新夕張坑に関してはNHKの「廃坑」という優れたドキュメンタリーがある。


宮脇作品中の夕張探訪を数えてみると5回あった。

1.「時刻表2万キロ」昭和52年5月
第12章で「登川線」に乗りに行く時に、「何かと不満の多い人間は一度夕張線に乗ると良いと思う。いくらかおとなしくなるにちがいない」と書いていていて、後で何度かこの自分の言葉を引用している。
だだし、この時は紅葉山(後の新夕張)までで夕張へは行っていない。夕張線は第1章に掲載された未乗線区地図で、昭和50年9月時点で既乗になっているから、これ以前に行っている。

2.「時刻表おくのほそ道」昭和55年10月
冒頭、三菱石炭鉱業大夕張線乗車記で、3軸台車の客車に乗った後に夕張へ向かう。
扇形に傾いた3軒の店の左側に入った後、次の次の店で、

「三菱が南大夕張を開いてからは、お客さんが清水沢へ移っちゃったのよ。でも私はここにいるしかないの」と女主人は笑った。
帰りに夕張鉄道廃止記念乗車券をもらう。

3.日本探見二泊三日」平成2年6月
タイトルは「夕張今昔」で、怪談話や「友子」制度が紹介されている。
探訪記としての夕張紹介は最も充実している。

前回の店を再訪したが、

顔ぶれは代わっていた。10年ぶりに来た事情をのべると
「あのママは引退しました。ホステスさんは若いのになくなりました」

錦沢までのサイクリング敢行


4.「駅は見ている」平成5年4月
2度の夕張駅移転がテーマ  
「私がはじめてこの駅を訪れたのは昭和50年6月」と1.の地図を裏付けている。


5.鉄道廃線跡の旅 平成7年6月
北炭が経営していた夕張鉄道の廃線跡探訪記
サイクリングは富野まで延長
冒頭「はじめて夕張を訪れたのは昭和52年5月である。当時の私は国鉄全線完乗に熱中していた。未乗の夕張線に乗るのが目的で、夕張に行きたいからではなかった」と二重に思い違いをしている。


なお「日本の石炭は地中深く掘るが、海外はほとんど露天掘り」言う記述があるが、製鉄に使える「原料炭」は海外でも露天掘りでは生産されていない。

九州満喫切符 でローカル私鉄3泊4日の旅  第4日目 その2

2011年04月25日 15:49

門司港-やまぎんレトロライン-下関

NDSC00677s.jpg
門司港駅には何度か来ているが、かっての関門連絡線の地下通路の奥に写真パネルが設置されてのは初めて見た。1日数万人もの人が行き交った通路にしては狭く感じる。


NDSC00682s.jpg
鉄道博物館を素通りしてきた。今回もスルーするので、スイングパノラマで撮ってみた。2両のSLの後ろの前面がカーブしたレトロな車両が気になる。


NDSC00684s.jpg
やまぎんレトロラインは春-秋の週末にしか走らないが、春休みシーズンなので4/3まで運転している。ガーラ湯沢同様の季節列車なので、乗車しておく。
2両の客車の両端に背の小型のディーゼル機関車をそれぞれ連結している。背が低いから乗客の視界を妨げない。かっては南阿蘇鉄道でトロッコ列車を牽引していた。


NDSC00686s.jpg
客車は島原鉄道で使われていたトロッコ列車で、屋根と窓が入っているので雨でも運行できる。平日なので空いているのだと思っていたら、終点のめかり駅では長蛇の列だった。走り始めてまだ2年なので、物珍しさがあるのだろう。平成筑豊鉄道が運行する3セク線である。


NDSC00688s.jpg
中間駅のノフォーク広場駅。関門橋が目の前に見える。人道トンネルへはここで降りるのが近いが、乗降客はない。
短いトンネルを過ぎるともう終点のめかり駅だった。日本一短い路線を日本一遅い列車で乗り終えた。


NDSC00691s.jpg
目の前の関門海峡は本当に狭く、河のようだ。


NDSC00693s.jpg
海岸沿いを暫く歩くと、橋桁の丁度下に人道トンネルの入り口があった。


NDSC00695s.jpg
エレベーターで下りて、いよいよ人道トンネルの足を踏み入れる。
宮脇さんの本でこのトンネルの存在を知ってから、是非歩いて海峡を渡ってみたいと思っていた。
緩い下り坂になっており、側溝を水が流れる音がする。常に漏水があってポンプで水を汲み上げているのだろう。湿度が高く蒸し暑い。


NDSC00698s.jpg
海底の県境は、トンネルのほぼ中間点でもあった。
トンネルは2層構造になっていて、上を車が走っているはずだが音や振動はしない。


NDSC00702s.jpg
下関側のエレベーターを上がって外へ出ると、こちらも橋の真下だった。
辺りは御裳裾川公園になっている。

NDSC00704s.jpg
こちらは壇ノ浦の古戦場でもある。海岸に源義経と平知盛の像が飾られている。比較的新しいもののようだ。


NDSC00705s.jpg
その傍でボランティアの人が紙芝居をやっている。


NDSC00708s.jpg
長州砲のレプリカも飾ってある。四国艦隊を砲撃したのはここだっけ?

人道トンネルは短く、めかり駅からここまで30分もかかっていない。
指定を取っている新幹線まで時間がある。

NDSC00711s.jpg
安徳天皇の赤間神宮へ寄ってみる。
竜宮城を意図した奇抜なデザインの山門だが、これでも宮内庁「公認」で賽銭箱に大きな菊の御紋がついていた。


NDSC00716s.jpg
赤間神宮の参道は海から続いているようだ。


NDSC00713s.jpg
本堂の脇へ入ると平家一門の墓があった。自然石に俗名を彫っただけの粗末なもので、これでは霊も浮かばれまい。


NDSC00714s.jpg
と、その横にお堂があって、耳なし芳一のリアルな木造が安置されている。するとこれは、芳一の語りに平家の怨霊が聞き入っているという舞台設定なのか。あの話は半ばハーンの創作ではなかったか。やれやれ。


NDSC00719s.jpg


NDSC00720s.jpg
再びバスで下関駅へ。
三角形の特徴有る形をしていた駅舎は焼かれたままで、再建される様子はない。
山陽方面へ向かうのはせいぜい2両編成で、明日から間引き運転に入るという。一方小倉行きの列車は4両で、間引きはされない。下関は北九州市小倉の経済圏に組み込まれている。
九州へ向かう寝台特急が機関車の付け替えをしていた長いホームは無用の長物となった。

新山口行きの列車で着いた新下関駅も、ホームの売店は閉鎖されていて賑わいがない。
ここで1時間に一本しか来ない「こだま」に乗り継ぐよりも、下関から小倉へ行った方がはるかに便がよい。大阪までの特急料金は博多・小倉・新下関どこから乗っても同じだ。
やがてやって来たこだまは500系だった。こだまは走っている時間より停車している時間の方が長い。列車というより航空機のようなシャープな顔立ちに、かえって哀れを覚えた。


JR全線完乗率 99.59%  52位 / 14371人中

できれば今年中に新青森-八戸に乗ってタイトル防衛しておきたいが。

私鉄完乗率 33.6% 
関東、近畿の大手私鉄に乗ってしまわないと、なかなか進捗しないのだろう。

ローカル私鉄完乗率 53.52%  残り61路線

今度の旅で、伊田線、田川線(平成筑豊鉄道)、湯前線(くま川鉄道)、松浦線(松浦鉄道)、甘木線(甘木鉄道)に乗り、元国鉄の3セク線は、北近畿タンゴ鉄道、長良川鉄道、信楽高原鐵道の3路線を残すだけになった。


九州満喫切符 でローカル私鉄3泊4日の旅  第4日目 その1

2011年04月22日 16:10

2011/04/01

20110401b.jpg

長崎電気軌道-長崎-鳥栖-基山-甘木

NDSC00634s.jpg
寒い。
昼は15℃以上になって温室となる列車内は冷房が動き出すが、朝は2~3℃という日が続いている。
長崎駅前の巨大歩道橋の上から眺めいて、最初にやって来た電車に乗った。


NDSC00635s.jpg
九州満喫切符の期限は昨日で切れたので、ホテルのフロントで長崎電気軌道の1日乗車券を買った。
長崎電気軌道は市が経営しているのではなくて、れっきとした私鉄だ。最近値上げしたが、それでも120円乗り切りというのは立派だ。

NDSC00636s.jpg
4つの系統があるが、系統毎に車両を固定しているのではなさそうだ。


NDSC00645s.jpg
大浦海岸通りに出る。長崎湾の最も深く切れ込んだところで、対岸には三菱重工長崎造船所のクレーンが林立している。


NDSC00647s.jpg
5系統の電車は大浦海岸通りから左折して石橋駅に向かう。ここからは道が細いので単線区間になっている。線路は道の端と細い運河の間を通っている。運河の向こうはグラバー邸や大浦天主堂がある観光ゾーンだが、車窓は裏町の様相だ。


NDSC00653s.jpg
石橋から引き返して築町で1系統に乗り換え、乗り潰しの最終駅赤迫へ向かう。
出島駅を出て右側を注視していると、出島の外縁部が見える。元は廻りを水路で囲まれた扇形の地だったが、埋め立てられて特異な地形を失っている。


NDSC00654s.jpg
長崎駅前で殆どの乗客が降りるものと思っていたが、2~3駅過ぎてもほぼ満員の状態で走っている。長崎の街は谷間に細く伸びているので、ビジネス街も南北に長く連なっているようだ。
やがてJRと平行の専用軌道を走るようになる。


長崎駅へは予定より早く戻れた。
ここで新幹線の座席指定と長崎-博多間の特急券を乗り継ぎ割引で買おうと思ったら、九州島内では新幹線の乗り継ぎ割り引きは制度そのものが無くなっていた。そう言えばこれまでは九州ゾーン周遊券を使っていたから、在来線の特急券を買う事が無かった。九州新幹線開業のとんだオマケだった。
それはさておき一列車早い「かもめ10号」で鳥栖へ向かう。車両はかってのリレーつばめなので、黒いカモメだ。


NDSC00668s.jpg

NDSC00659s.jpg
諫早を出たかもめ10号は有明海沿いを走る。干満の差が大きい遠浅の海岸だが、今は満潮らしく前回来た時とは印象がまるで違う。
桜の季節だが、この4日間目についたのは菜の花だった。
ここでも海に菜の花という取り合わせが新鮮に感じられた。



NDSC00672s.jpg

NDSC00673s.jpg
鳥栖で各停に乗り換えて、甘木鉄道の起点基山へ。
西鉄の上を跨いで、平凡な田園風景の中を20分ほど走ると終点甘木到着


NDSC00671s.jpg
駅前に「卑弥呼の里」の碑が。ここを邪馬台国と比定する説もあるのか。

これで九州の旧国鉄3セク線は乗り終えた。
ここから西鉄に乗って天神へ出る予定だったが、いささか疲れた。熊本、鹿児島、長崎と路面電車を3つも乗り潰したのが堪えているようだ。基山へ折り返して、門司港へ向かうことにした。




桜の後は

2011年04月21日 15:28

DSC04742s.jpg
ベニバナトキワマンサクが、細い短冊のような花を木一杯につけた。
そして、これが盛を過ぎて色褪せてくる頃になると、


DSC04874s.jpg

DSC04861as.jpg

DSC04871s.jpg
ノムラモミジが赤い葉と共に、花を付けている。

3枚目は[α550+SAL100M28]、それ以外は[α550+SAL1635ZA]


九州満喫切符 でローカル私鉄3泊4日の旅  第3日目 その2

2011年04月20日 15:15

島原外港-諫早-有田-伊万里-佐世保-長崎

NDSC00595s.jpg
島原外港駅から諫早を目指す。2008年3月に島原外港-加津佐間が廃線となり、路線距離が半分近くに短縮されてしまった。


NDSC00598s.jpg
島原駅は城を模した駅舎になっている。島原城もチラチラ見え隠れするが、列車内から撮るのは難しかった。


NDSC00601s.jpg
島原外港から6つ目の大三東(おおみさき)はホームの直ぐ後ろが有明海になっている。
干潟に並べられているのは、養殖に使う船だろうか。


NDSC00604as.jpg
諫早駅も昭和9年の古い木造駅舎である。長崎新幹線が通ると新しい駅に建て替えられる予定になっている。
諫早からは大村線で大村湾のシーサイドラインを走る。鏡の如くという形容がピッタリの静かな内海だ。

NDSC00605s.jpg
早岐で佐世保線に乗り換える。待合室の高い天井は、明治30年の駅開業以来のものだという。当時は、長崎本線がここから分岐していた。大村線は、肥薩線がかって鹿児島本線だったように、長崎本線の一部であった。


NDSC00628as.jpg
ヤードの端っこに古いレンガ造りの給水塔が今でも残っている。
長崎駅の高架化に伴って車両基地がここへ移されるという。そうなると撤去されるのか。


NDSC00608s.jpg
有田からは松浦鉄道に乗り換える。
円筒形の屋根は窯をデザインしているのだろうか。


NDSC00611s.jpg
窯元の多くは次の上有田にあり、下車して散歩してみたかったが停車する列車本数が少なくて断念した。
ちょっと雰囲気のある有田の駅前でNEX5のスイングパノラマを試してみた。


NDSC00607s.jpg
松浦鉄道は有田駅の3番ホームから発車する


NDSC00612s.jpg
有田から4つ目に蔵宿という駅がある。有田-伊万里間は、伊万里鉄道が建設したのを九州鉄道が買収し、更に国鉄となった経緯がある。この駅は伊万里鉄道開業の大正2年に建築された。旧国鉄の駅舎の殆どは松浦鉄道になって造り替えられたが、ここだけは昔のままの駅舎残っている。


NDSC00614s.jpg
伊万里到着。国鉄時代は筑肥線と線路が繋がっていたが、松浦鉄道になって敢えて線路を分断し、形の上からも車止めのある終着駅となっている。


NDSC00613s.jpg
切った跡は道路として、町の南北の交流に役立てている。
JRの駅と松浦鉄道の駅は、共に櫓のような塔屋のついた双子の建物が隣接し、陸橋で繋がれている。


久原から海岸線に沿って走るが、線路は崖の上に敷かれているのか海面からは距離がある。唯々海が見えるばかりで愛でるほどの景色には出遭わない。
巨大な発電所が現れて、すわ原発かと思ったが火力発電所だった。タンクはなく、区切られたヤードに黒い小山が出来ているから石炭火力だろう。

NDSC00621s.jpg
たびら平戸駅到着。「日本最西端の駅」とある。沖縄にモノレールがあるから、本当はそちらが最西端、かつ最南端なのだが、この駅も指宿枕崎線の西大山駅も「日本最~」を名乗っている。


NDSC00626s.jpg
ここまで西北西に進んできたが、ここからは南東に進路を取る。日の向きが変わるので席を移動。
熊本駅で仕入れた「うま~かさくら弁当」を食べる。買ったときからにんにくの臭いがブンブンしていた。これ以上バッグにいれておくと持ち物に臭いが移ってしまいそうなので、小腹の減ったここらで片づける。
桜とあるから熊本名物の馬肉なのだが、非常に柔らかい。牛と言われても疑いない。880円でこれだけ牛肉は載っていないからお買い得である。それ以上にニンニクが効いていて旨い。


NDSC00632s.jpg
佐世保で3時間の松浦鉄道の旅を終え、JRに乗り換える。今朝乗った大村線を引き返し、長崎まで2時間半各停に乗る。流石に疲れてきた。
来るときは朝日を浴びていたハウステンボスに明かりが灯り始めた。


長崎駅前のクォーレ長崎に投宿。以前にも泊まったホテルのなので安心だ。




九州満喫切符 でローカル私鉄3泊4日の旅  第3日目 その1

2011年04月19日 15:53

2011/3/31

熊本-熊本市電-熊本電鉄-島原

20110331.jpg

熊本市電で終点の健軍町へ行って上熊本まで戻り、熊本電鉄に乗ろうとすると時間的にタイトになる。地図をよく見ると、市電の通町筋と熊本電鉄の藤崎宮との間は1キロもない。徒歩で連絡することにした。


NDSC00525s.jpg
健軍町の帰りに通町筋で降りて、ふと見上げると熊本城が朝日に照らされていた。どこかで見たようなショットだが、撮っておく。


NDSC00537s.jpg
藤崎宮までは商店街のアーケードが続いている。モップで拭かれている通りの中央部は、何と木で出来ている。


NDSC00539s.jpg
熊本電鉄は藤崎宮-御代志という長い路線が北熊本で、北熊本-上熊本と接続している。
ターミナル駅なのだが、ビルの横の通路をくぐった先に小さな改札口があるだけだった。2面2線だが、使われているのは1線だけで来た電車が直ぐに折り返す。

NDSC00548s.jpg
路面電車でなく郊外型の車両だが、道路脇のか細い線路を遠慮しながら走っていく。


NDSC00552s.jpg
車窓は直ぐに郊外の風景に変わる。上り坂がどこまで行っても続いている。
御代志は途中駅のような所で、道端の路面電車のような駅だった。以前はもっと先まで続いていたが、客が少なくて廃線になったという。


NDSC00549s.jpg
北熊本で上熊本行きに乗り換える。接続時間が1分なので、ホームの反対側に待機しているものと思っていたら、踏切を渡っての乗り換えだった。

NDSC00553s.jpg
どこかの私鉄のお下がりのような車両だ。
途中駅のホームも列車に合わせて短い。打越という駅で外を見ると窓の下にホームがないく踏切の上に停まっている。車両の前半分だけホームから外れて停まっている。乗降客が居なかったのでドアが空かなかったが、どういう対応をしているのだろうか。


NDSC00557s.jpg

NDSC00556s.jpg
市電の上熊本駅は、取り壊しが予定されていたJRの上熊本の駅舎を使用している。
といっても、そっくり移築したのではなく、て正面だけが張りぼてのように残されている。駅舎の中は直ぐに市電のホームになって居る。

NDSC00563s.jpg
九州新幹線開通に合わせて熊本駅前も改装された。
駅舎のデザインは見たところ依然と変わっていないが、広々としている。
ホームへ行ってみると完成した新幹線駅から鉄筋が伸びている。次は在来線を高架にするのだろう。


NDSC00562s.jpg
駅前の市電の停留所。
南国の強い日差しを避けるべく大きな屋根が設けられているが、ガソリンスタンドにのようにも見える。


NDSC00579s.jpg
フェリーで熊本港から島原に渡る。
乗客から餌をもらおうと鴎が大挙してやってくる。


NDSC00587s.jpg
雲仙が見えてきて島原到着。


NDSC00589s.jpg
船室をほぼ満員にしていた乗客の殆どは車利用者で、「徒歩」は私とこの女性の2人だけだった。
フェリーの先頭ではなく、船腹の柵が開かれてボーディングゲートから下船する。宇高連絡船を思い出した。毎年夏に、こうして高松桟橋に降り立ったものだった。


NDSC00591s.jpg
地震ですっかり話題に上らなくなったが、この地ではまだこれが続いていたのか。


九州満喫切符 でローカル私鉄3泊4日の旅  第2日目 その2

2011年04月18日 15:30

吉松-鹿児島駅-鹿児島市電-川内-八代-熊本

NDSC00420s.jpg
特急といっても、「はやとの風」は吉松と隼人の間で4駅も停まる。その中に大隅横川と嘉例川がある。早く行きたいのではなくて、この2駅に停まるからこの列車を選んだ。共に肥薩線が鹿児島本線として開業した明治以来の駅舎である。以前通った時から降りてみたいと思っていたが、列車本数が少ない区間なのでなかなか上手く途中下車できない。この観光列車は5分ほどだが両駅ともに停車してくれる。
次の嘉例川とほぼ同じ造りの駅舎だが、線路を渡って駅舎まで行ったのは私だけだった。
かっては金が掘り出されて大いに賑わったという。集落の小学校が車窓から見える。


NDSC00427s.jpg
嘉例川ではどっと降りた。無人駅だが、予約で買える駅弁などもあって有名だからだろうか。

NDSC00430s.jpg

NDSC00429s.jpg
駅舎内には、昨夜の宿屋同様、3月中お雛様が飾られることになっているらしい。


NDSC00443ds.jpg
隼人駅で各停に乗り換えて、鹿児島中央の一駅前の鹿児島駅で降りた。
ここから鹿児島市電の乗り尽くしに入る。
これもミニチュアの細工をしてみた。俯瞰でなくても「らしく」はなる。


NDSC00456s.jpg
市電の路面は芝が敷き詰められている。火山灰を固めた水捌けの良いブロックを開発したという。緑化以外にも、自動車が路線敷き内に入って来にくいというメリットもあるのでは無いだろうか。


NDSC00450s.jpg
郡元で、2系統から更に南へ向かう1系統の電車に乗り換える。
いつのまにか併用軌道から専用軌道になっている。


NDSC00452s.jpg
並行して走る指宿枕崎線を右手に見ながら、終点谷山に到着。
折返し便で再び市街地に向かう。

NDSC00455s.jpg
高見橋で市電完乗だが、時間があるので天文館のアーケードを散策する。


NDSC00464s.jpg
鹿児島中央駅に戻って、川内に向かう。
発車して暫くすると、左の崖の上に城が現れる。香月城と良い勝負をしている。


NDSC00465s.jpg
川内で肥薩おれんじ鉄道に乗り換える。見たような外観だと思ったらファミリーマートの外装色に塗られていた。


NDSC00466s.jpg
単線区間だが元鹿児島本線だけあって電化されている。しかし走っているのは気動車だ。


NDSC00470s.jpg
西川-薩摩大川では海岸沿いを走るが、阿久根、出水、水俣では少し内陸に入ってしまう。


NDSC00510s.jpg
肥後田浦で再び海が見えた頃には、日が沈みかけていた。

鹿児島中央から通算で3時間半ずっと各停というのは少々堪える。
日が暮れて寒くなってきたのに、一旦入った冷房はとうとう八代まで止められなかった。
八代駅で降りると、寒いので皆ホームでなく跨線橋の上で列車を待っていた。
列車は新八代まで乗り入れているが、肥薩おれんじ鉄道の車両は空気を運んで行き、また戻ってきた。


NDSC00521s.jpg
熊本で下車。ホテルに行く前に市電の熊本-田崎橋間をクリアーしておく。


辛島町にあるドーミーイン熊本に投宿。
熊本も激戦区のようで、朝食付きで4900円。ドーミーインだから温泉がある。
バイキングの朝食もメニューが豊富だった。熊本名物の芥子蓮根や太平燕がビジネスホテルの朝食で食べられるとは思わなかった。




津山さくらまつり その2 衆楽園

2011年04月15日 15:44

津山城から北へ10分くらい歩いたところに、衆楽園という庭園がある。
森氏2代藩主が造営させたもので、可成り大きな規模だ。

大きな池が中心で、所々に東屋やデザインの異なった橋が配置されている。
以前は敷地が更に広かったと思われるが、現在はギリギリまで民家が建て込んでおり、池の周囲は最小限の余裕しかない。本来庭を見るべき方向へカメラを向けると周囲の家が写り込んでしまうので、撮影ポイントを見つけるのに苦労した。

DSC04826as.jpg

DSC04842s.jpg
入場料は無料だが、さくらまつりの期間中は、300円払うとこの建物の中で茶菓が頂ける。

DSC04833s.jpg

DSC04837s.jpg

DSC04847s.jpg

合わせて因美線や姫新線の木造駅舎も訪れたけれど、また別の機会に

[α550+SAL1635ZA]