もうチューナーはいらない

2011年10月31日 14:56

昨年、東京と大阪から始まったIPサイマルラジオradikoは、この秋から順次本放送を開始した。

ノイズが載るのが当たり前だったAM放送が、アンテナ無しでクリアーな音で聞こえるメリットが大きい。
野球中継でAMステレオ放送を聴いたことがあるが、ノイズが増えてとても実況感を楽しめるような状態ではなかった。

民放と一線を画していたNHKも遂に独自のサイト「らじる」を9/1に立ち上げた。
(windowsのメディアプレイヤーではショボイ音だが、フラッシュプレイヤーをインストールすると綺麗な音で聞こえる。) 実験放送にしているが、平成25年の終了後には間違いなく本放送になるだろう。

Radikaというフリーソフトを使えばタイマー録音も出来る。


そして、明日11/1からは兵庫県でしか聴けなかったラジオ関西が大阪でも聴けるようになる。

ラジオ関西で谷五郎のトークを聴くために、つい先月 VH-7PCからX-N9EXへ の選手交代ではAMチューナー付きを必須条件した。しかし、もうチューナー無しであらゆるラジオ放送が、これまでより高音質で聴けるようになった。

これからは外出時のラジオ放送は、携帯ラジオでなくiPhoneで聴く時代になるのだろうか。


ミケランジェリのラヴェル-ピアノ協奏曲~こんなに美しい音楽は聴いたことがない

2011年10月28日 15:01

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ミケランジェリの弾くラヴェルのピアノ協奏曲は、先日発売されたN響85周年記念シリーズ
の5つのアルバムの内の一つで、1965年、45歳の時の初来日時にN響とやった録音が初CD化されたもの。

ラヴェルのピアノ協奏曲はノダメカンタービレで、ノダメが千秋と最初に共演を望んだ、冒頭に鞭がパーンと鳴ってピアノが軽快に弾き出す曲としてすっかり有名になった。
(あのピアノはランランだと思うが、あそこまで鞭の音を際だたせた演奏はチョットない。)

アダージョの第2楽章になって、静謐なオケをバック中に異常な美しさでピアノが鳴り出した。
本を読みながら寝ころんで聴いていたのだが、本を棄ててスピーカーの前に座り直した。
低い音量なのに輪郭のハッキリとした音で、まさにミケランジェリなのだが、後年のエキセントリックさは無い。何度聴も直したが、ただもう美しいとしか言いようが無い。月並みで陳腐だが、ほかに言葉を思いつかない。

サンソン・フランソワやアルゲリッチ、グリモーからミケランジェリの他の録音も聴き直したがが、これほど切羽詰まった美しい表現をした演奏はなかった。

実演で聴いたらさぞ・・と思いつつ帯を読むと、「当演奏を聴いた日本の評論家と聴衆で、ショックを受けなかった人はいなかった」とある。さもありなん。

このアルバムには、他にミケランジェリのリストや、もう一枚には若きグルダのベートーヴェン-ピアノ協奏曲第1番と第4番が入っている。良い演奏なのだが、このラヴェルと比較するには分が悪すぎる。



「まだまだクラシックは死なない」~松本大輔

2011年10月26日 14:53

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今年7月に上梓された「クラシックは死なない」シリーズ第4段だが、予約もなくすんなりと借りられた。そろそろ飽きられてきたのか。

第1弾「クラシックは死なない」では、登場する「銘盤」を実際に購入して自分なりに検証してみた。
第1章 この演奏は聴け
第2章 この人だけは語りたい
第3章 衝撃的アルバム群

この後の「それでもクラシックは死なない」、第3弾「やっばりクラシックは死なない」でも「検証」の為にそれぞれ数十枚のCDを買っている。

第4弾となると流石に食指が動くモノが少ない。内容がこれまでの比較的ポピュラーな曲の名・迷演奏から、知られざる名曲、作曲家へと対象が変化したこともある。
ゲテモノは昔から好きだったので、ベートーヴェンの弟子リースのピアノ協奏曲という、この本にも載っていない珍品をLP時代から持っているし、ブゾーニのコーラス入り「変態」ピアノ協奏曲は、松本センセーご推薦のオグドンだけでなくバンフィールド教授のも揃えていたりする。トヴォルザークの交響曲第1番と弦楽四重奏曲第1番が佳曲として取り上げられているけれども、こちとら両方とも全集で持っている。
こんな具合だから今回ばかりは「免疫」が出来ている。どんなに「激賞」されていても、せいぜいこんな程度でしょうと話半分に読める。
(それでも、10枚くらいはHMVのお気に入りに登録したけど)


このシリーズ、出る度にもう打ち止めだろうと思って来たけれど、止みそうにない。
アリアCDのHPを見れば、文章が書き下ろしではなく、営業用に使ったものをコピペしているのが判る。
店が続く限り、このシリーズは続く。
そしてゲテモノCDのコレクションが増えるという「被害」も果てしなく続きそうだ。




いとせめて

2011年10月24日 15:01

小松左京の「女シリーズ」の中に「待つ女」という作品がある。

その中で、
昔、女学校の寮で寝巻きをわざと裏返しに着て、『いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る』という歌を三度唱えて寝ると、好きな人、恋しい人の夢が見られる、というまじないが流行ったという件がある。
彼女らの間では「"いとせめて・・・"ですか?」で通じている。

永年、小松左京の法螺だと思っていた。


最近、田辺聖子(あの文体に馴染めず、これまで未読だった)の「小町盛衰抄」を読んで、

小野小町の「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る」
『古今集』恋歌の中でも絶唱である。
衣を返して着て寝ると、思う人を夢にみるという俗信があったという説明がされている。

という記述に出遭った。


試みにネットで「いとせめて」を検索してみると、

『万葉集』に「袖を返して寝て夢を見る」という歌がある」とあり、
この小町の歌では "返してぞきる" となっているので、袖だけではなく衣全体を裏返していると考えられる。俗信・おまじないの類はどんなものがあっても不思議ではないが、「袖を折り返すぐらいなら、いっそ全部を裏返しに着た方が効果があるのではないか、独り寝の夜は誰が見ているわけでもないのだから」という発想と見ても面白いような気がする。

とある。


ルーツを探れば、万葉の時代にまで遡る「由緒」正しい「まじない」だったのか。
ただ小松左京はこの歌を素姓法師の作としている。
古今集では小野小町のこの歌の次に、素性法師の歌が並んでいるので作者を取り違えたのだろう。法螺ではなくとも、小耳に挟んだ位の話だったと思われる。


ちなみにカミさんにこの話をしてみたら、「そんなもん知らん」という予想通りの答えが返ってきた。



井本稔先生の事

2011年10月21日 15:19

曲がりなりにも高分子化学でメシを食えたのは先生のお陰である。
と言ってもお目にかかった事はないし、書面でのやりとりも無い。まして大阪市立大の先生の講義を受けたことはない。

「有機電子論」
この本が、教えようという気のない教養部の有機化学の講義に興味が持てず、医学部でも受け直そうかと考えていた私を救ってくれた。

この本の思想を一言で言えば、原子を粒子として扱う高校の化学から電子雲という概念へ転換し、その電子雲の分布状態から反応を予測するという事だろうか。直観的でとっつき易かった。

大学3年になって、量子化学演習で福井謙一先生のフロンティア電子論(当時は既に工学部長で、実際の講義は一番弟子の米沢貞次郎先生だった。初めて教室に来た人は、大抵禿茶瓶のこの人を福井先生と間違えた)の講義を受けたが、電子雲の濃い(密度の高い)サイトで反応が起こりやすいという、有機電子論を数値化したキャラクタリゼーションに過ぎないではないかと思った。これがノーベル賞になるとは思ってもみなかった。

薬大生の姪が、有機化学の授業について行けないというので、この本を推薦してみようと思ったが手元にない。
図書館で借りて読んでみたが、どうも記憶と違う。奥付を見ると第4版になっている。序によると版によって内容が大幅に変わっている。第2版は1971年だから私が教養の時はまだ出版されていない。1961年の第一版だったようだ。
幸い図書館にあったので、共立全書の懐かしい装丁に再会する事ができた。この本は1975年刊の増補55刷となっていた。最終何刷まで出たのか判らないが、第2版が出た後も人気があって読み継がれていたようだ。

井本稔先生は1908年生まれだから、1990年の第4版発刊時は既に82歳!!。それまでほぼ10年毎に版を改め、内容を刷新しておられる。例えば第1版では全く出てこなかった分子軌道論の説明が版を重ねる事に多くなり、第4版では一重結合から直ぐに「分子軌道論」が出てくる。反対に分光化学等は割愛されていった。ソロモン等の新しい有機化学の教科書との兼ね合いもあったかもしれないが、先生の教育者としての良心と高い志が偲ばれる。

先週届いた東京化学同人の2012年図書目録によると、井本先生の有機電子論第4版はモリソン・ボイドやマクマリーと肩を並べて現役である。
「有機電子論解説」-有機化学の基礎-第4版 A5版 408ページ 定価3675円。

新品LP購入~「ザ・デッカ・サウンド(6LP限定盤) 」

2011年10月19日 15:00

http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=4202554
先月HMVに案内が出ていた。
180g重量盤LPが6枚で8190円とは安いと思って、直ぐに注文した。既にsold outのようだ。

今月20日の予定だったが、予定日より少し早く入荷したようでメールより先に今日届いた。


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新品LPを最後に買ったのは、何時の頃だったろう。10年程前は秋葉原にLP専門の店があって、特別プレスの輸入品を扱っていた。国内新譜となると途絶えて20年は経つだろうか。
品質が心配で一通り再生したが、キズや静電気によるノイズもなく一安心。


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アンセルメの「三角帽子」、アシュケナージのラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番、マゼールの「ローマの松」と「ローマの祭り」、ショルティの『ニーベルングの指環』ハイライトの4枚は、「外盤と国内ブレスでは音が全く違う」と言われていた頃の、FFSS高忠実度デッカサウンドの面目躍如たるものがある。レンジの広い力強い音はSACDを凌ぐ。これなら「CDよりLPの方が音が良い」という俗説も許せる。

ジャケットは初期のオリジナルデザインが使われているようだが、LPの版が失われたのだろうか、CDのを拡大して使用したようでザラザラした画になっている。


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しかし、デジタル録音を「初LP化」した、レーベルデザインの異なる2枚はイマイチ。

CDと同じデジタル録音が新譜として発売されていた末期のLPは音が良かった。ヤンセン(ヴァイオリン)が弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に期待していたが、彫りの浅い音で艶もない。あれっと思って、ブックレットを見ると、なんと40分もあるこの曲を片面にプレスしているのだ。
LPは片面30分がマックス。裏はブリテンのヴァイオリン協奏曲が入っており、CD一枚を無理矢理LP化したようだ。シャイーのトゥーランガリラ交響曲もA、B面共に37分も刻まれており、これでは今LPを買う意味が全くない。LPを知らない人が企画したのだろう。残念なことである。



「第12旅 大人の休日倶楽部パスで、中部・北関東・南東北7泊8日の旅」をアップしました

2011年10月17日 15:29

永らく放置していましたが、一年ぶりに「終の棲家別館」をアップデートしました。

実際に乗車したのは一昨年です。宮城、山形、福島の南東北3県が中心なので、今度の震災で2度と見られなくなった風景が入っているかもしれません。

終の棲家別館~線路は続くよどこまでも







司法試験予備試験論文合格発表

2011年10月14日 15:00

昨日、予備試験論文式試験の合格発表があった。

合格者123名。
採点対象者が1293名なので、短答通過者の合格率は10%。
全体の受験者6477名からすると合格率は約1.9%という、旧司法試験並の難試験になった。

ここから口述試験で更に絞られて最終的には100名位になってしまうだろう。
これがゴールではなくて、来年以降5年間に3回司法試験を受ける「資格」を得たに過ぎない。
(それでも2~3年間のロースクールの授業料や生活費を考えると大きい。)


来年の司法試験での、予備試験組の合格率が注目される。
当初、予備試験合格者は200人程度で合格率50%という予想があった。しかし、それより大幅に絞っているので合格率は上がるだろう。ロースクール制度崩壊を避けたくて合格者を絞ったのだろうが、70~80%もの高率になったら不公平感が高り、却ってロースクール制度に対する批判を増大する事になるだろう。


また、予備試験組の司法修習をどうするのだろうか、という疑問もある。
新司法試験制度では、ロースクールで実務をある程度学習しているという前提で、期間が1年に短縮された。しかし予備試験組はそのような教育は受けていないので、別途修習しなければならないという理屈になる。事実、昨年まで平行して実施されていた旧司法試験合格者に対しては、従来通り1年4月の修習期間だったし、カリキュラムも異なる。


社会人経験者を法曹界に導き入れ、ロースクールで実務教育をという新司法試験制度だったが、離職という高いリスクに反して合格率は低く、ロースクールは予備校と化した。

正常な社会であれば、経済効率を無視した制度は早晩崩壊する。 はずだが。





10月の朝顔

2011年10月13日 15:40

10月も半ばだというのに、まだ朝顔の花が咲いている。

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しかし、開き切らなかったり

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花弁が千切れて菖蒲のようになっている。
朝顔にとって、既に空気が乾燥しすぎているのだろうか。


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それでも蕾を作り続ける事を止めない。

やはり今年は何かおかしい。


宮脇俊三編「鉄道が好き」

2011年10月11日 15:15

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まだ読んでいない「宮脇本」があった。

昭和60年刊の文庫本で、集英社の日本名作シリーズの内の一冊。Amazonで新品同様の中古本が1円(但し送料250円)で入手できた。
表紙には宮脇俊三・選とあるが、実際には作品の選択から著者への依頼まで「中央公論社の名編集者宮脇俊三」が取り仕切っている。
編集後記に「私が欲したのは、『文学にあらわれた鉄道』ではなく、『鉄道に惚れた人たち』を一堂に会させてみたいということであった。」と書いているように、内田百間に始まり国鉄職員、教授・教諭、判事、会社役員、イラストレイターと多種多彩のテッチャンによる40作品が集められている。
私が知っていたのは、内田百間、阿川弘之、種村直樹以外では、音楽評論家の堀内敬三、北杜夫の実兄斉藤茂太、廃線跡歩きの堀淳一、鉄道写真の神様広田尚敬、「最長片道切符11195.7キロ」の原口隆行ぐらいだった。百間の阿房列車に登場する「ヒマラヤ山系」こと平山三郎氏も入っている。

作品の分類・章立てが無意味なので単純に「年齢順」に並べたとあるが、1889年生まれの内田百間から1949年の松尾定行氏まで40作品の20番目に1926年生まれの宮脇さんの作品(「時刻表2万キロ」から左沢線・長井線・赤谷線・魚沼線)が入っている。
丁度真ん中に自身の作品が来ているのは偶然だろうか。
著者略歴では、生没年、出生地、学歴、職業、主な作品が全員「公平」に、2行に纏めて書かれている。東大卒が11人と最多数を占めているのは、同窓の誼で依頼しやすかった為だろうが、ご自身がこれまた真ん中の6人目になっている。ここまで来ると、自分の「前」と「後」を俯瞰するという意図を強く感ずる。こんな芸当が出来るのは、相当数の作品を集めて、その中から厳選したからだろう。まさに「珠玉」のアンソロジーである。



少々長いけれど、収録作品中のエピソードを一つ引用しておきたい。

万年車掌とミズバショウと花嫁と~壇上完爾「みちのくローカル線の春」より

私と同期の車掌であったTは、その日、上り貨物四六列車に宮古から乗務した。暦では春
を迎えていたが、横なぐりの吹雪であった。大志田駅で下り貨物列車と交換のため緩急車
(車掌車)からホームヘおり立った。あたりはすでに夕闇に閉ざされていた。そのとき雪を
かきわけるようにして、黒い影が転げるように近づいてきた。角巻をかぶった女性だった。
「車掌さんっ、お願いす。盛岡まで乗せてけろっ」
 彼女の背に赤ん坊がくくりつけられていた。
「子供のあんべぃがわるくてよ、はやぐ盛岡の病院さいがねば……」
 女性の背で赤ん坊の顔があえいでいた。
「だども、これ貨物列車だっす。お客は乗せてはならねぇのしゃ」
「つぎの上り列車まで三時間もあるのっしゃ、これに乗らねば、この子は……」
 彼女は雪のホームにひざまずくと、食い入るような目でTを見つめた。まばたきもしなか
った。Tは緩急車のドアをあけた。貨物匹六列車は発車した。赤ん坊は母親の背でぐったり
していた。
 (ひょっとしたら……)
Tの頭を不吉な予感が走った。万一、車内で取り返しのつかないことが起こったら……。
つぎの上米内駅は通過だった。通過監視のためドアをあけたとき、列車はポイントを渡っ
た。緩急車は大きく横揺れすると、子供を背からおろしかけていた母親の足もとをすくった。
思わず身がまえたTの腕をすり抜け、親子はもんどり打つようにドアから転げ落ちていった。
 T車掌が業務上過失致傷に問われたのは、それからまもなくのことだった。
 さいわい、親子の命はたすかった。深い雪が衝撃をやわらげたのだった。しかし、子供の
右足は複雑骨折で、もとどおりにはならなかった。
 それと同様に、Tは車掌として、致命的な焙印を背負うことになった。一般客を貨物列車
に乗車させたうえ、不注意にも転落させてしまったという過失は、弁解の余地がなかった。
それでも当時の経緯から情状酌量され、ふたたび車掌として乗務することは許されたが、
Tの前途はこの思いがけぬ事故によって閉ざされてしまった。
 それから二年がたった。その日もTは山田線に乗務していた。大志田駅が近づき、緩急車
の窓からなにげなく外の景色に目をやった。新緑の季節を迎えていた。カラマツの新芽が萌
えていた。根方ではミズバショウが、ひっそりと純白の花をひらいていた。
 人家らしい人家はなく、新緑の山並みがつづくばかりだった。その山懐にしがみつくよう
に、一軒の藁葺き屋根が見えた。庭先で女の子がひとり遊んでいた。子供は列車が近づくと、
こちらに向かって手を振りながら走り出した。足を引きずっていた。Tは、はっと息をのん
だ。
 それ以来、Tは山田線に乗務するたびに、その家を見つめるようになった。庭先の洗濯物
が、年を経るごとに成長していった。子供服からセーラー服になり、はなやかなワンピース
になっていった。すでに二十数年もの歳月が過ぎていた。Tの目もとのしわも深くなってい
た。だが、左腕の腕章の文字は、相かわらずの「車掌」であった。若い後輩たちは、かげで
Tを「万年車掌」と呼んでいた。それでもTは黙々と乗務をつづけていた。
 また二、三年がたった。山田線は蒸気機関車の牽く列車から気動車にかわっていた。
 その日も新緑の萌える日だった。ミズバショウが咲いていた。Tの乗務する気動車が大志
田駅に着いた。いつもは数人の客しかいないホームがざわめいていた。人垣の間から純白の
綿帽子が、ひときわ鮮やかにTの目をひきつけた。
「ほう、花嫁さんか……」
 Tがホームに立ったとき、花嫁と視線が合った。Tはそのまま立ちすくんだ。母親らしい
中年の婦人が、花嫁の手を支えていた。花嫁は裾模様の足もとに気を配りながら、ゆっくり
と歩を運んでいた。右足を引きずっていた。そして力強くステップを踏むと気動車に乗り込
んだ。
 Tの姿が山田線から見られなくなったのは、翌年の三月末からだった。定年退職の日まで、
Tは車掌であった。その年も雪は深く、四月を過ぎても、ミズバショウは春を待ちわびるよ
うに、雪の下で眠っていた。


センチメンタルかもしれないが、常に他人に責任を転嫁しようとする今の世の中には無い優しさが、登場人物ばかりでなく描く人の心の中にもあった。