最高裁判所から書類が来た

2011年11月30日 18:26

全く覚えがないので、何事かと封を開けると、貸与決定通知書とある。

昨年まで司法修習期間中は、アルバイト等の兼業は禁止でその代わり一定額が給付されていた。
医者の研修と同じである。それが今年から貸与になり、返済しなければならなくなった。
借金であるから、返済に関しては連帯保証人が必要になる。その通知であった。

奨学金の保証人には何度もなったが、その確認通知書を貰ったのは初めてである。


給付か貸与かいろいろ議論はあったが、素人が考えてもおかしいのは貸与(希望者のみ)へ変更しながら兼業禁止は元のままである事だ。
「奨学金を貰ったらアルバイトをしてならいない」というのと同様で、こんな馬鹿な話はない。
司法の最高機関が、こんな事でいいのか。


これぞ「お役所仕事」と思いつつ、発行日付を見ると11月27日になっている。
日曜日に発行か???
どんな屑役所でもこんな初歩的ミスは犯かさないよな。





電話解約

2011年11月28日 15:01

先日、ピンポーンが鳴って出ると、近鉄タクシーだという。
車検が上がってきたのかと外へ出たが違った。

車検が上がるのは明日だが、その連絡をしようとしたら繋がらない。やっと出たと思ったら、別の所へかかったので電話番号を終えてくれと言う。


こことは110年以上の付き合いで、IPフォンになる前のNTTの番号しか知らせてなかった。
NTTは昨年亡くなった父が専ら使っていた。しかし初盆も終わったので、もうこの電話にかけて来る人もあるまいと8月末で解約していたのだった。

NTTでも、解約後3ヵ月もたたない内に番号を「転売」してしまうのか。
ソフトバンクの携帯を買った時、「番号は使われなくなってから充分期間を置いてます」と言っていたが、間違い電話(それも変なの)が一年ぐらい続いた。NTTで3ヵ月以下なら、ソフトバンクならせいぜい1週間か。「充分」というのは非定量的な主観的表現だから、彼等には「充分」なのかも知れぬが。






「JR全線完乗 ラストラン」をアップしました

2011年11月25日 15:10

「終の棲家別館」をアップデートしました。

終の棲家別館~線路は続くよどこまでも



ラストランに予定していた名松線が、台風で家城~奥津間がバス代行になってしまい、路線変更。

当初はもっとゆっくり廻る予定だったけれど、やり残しが気になる性分なので1年半で廻ってしまった。
日帰り旅7回、宿泊を伴う旅14回、計80日の汽車旅でした。こんな事をやらなければ決して通る事の無かった路線は数多く、数え切れない車窓の絶景を楽しむことが出来ました。

これからは既乗の路線で、ゆくっりとした本来の旅を楽しんでいきたいと思っています。









アベノ橋魔法☆商店街

2011年11月23日 15:03

LS2の続き

阿部野橋という非常にローカルな場所がテーマになっていたので録ってあった。

今年、アベノキューズタウンがオープンし阿倍野再開発も最終段階に入ったが、その再開発直前の阿部野橋商店街(阿倍野銀座)が舞台になっている。
放送されていた2002年頃には背景に使われているような、市街地と思えないレトロで長閑な風景が見られた。一方で再開発は表通りの阿倍野筋を後回しにして、内側から進められたので既に立ち退きが始まっていた。


今では名前も変ってアベノ斎場付近の仮店舗に移転しているが、ギリシャ建築を摸した表構えの三和銀行と、大和銀行の間の通りが阿部野橋商店街で、アーケードの入り口に「阿倍野銀座」という看板が上がっていた。入り口付近の飲み屋が「キューズタウン」の北側の「あべのウォーク」に入っている。奥へ進んで市大病院裏の旭町辺りにでは、十数年前までは空襲の焼け跡のような、基礎だけ残して草が生い茂っている住宅地が拡がっていた。通りを更に西へ進むと西成区に入り、かっての飛田遊郭まで続いている。
遊郭が近いので銭湯やお寺はあっただろうが、晴明神社はずっと南に離れている。

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最終回近くで、阿倍野商店街は無くなっても皆の心の中にずっと残るというようなセリフが出てくる。初回と最終回を除いてはハチャメチャなコメディでストーリーは一貫しないけれども、「イメージを残す」といのうも製作のテーマの一つだっただろう。フェスティバルゲートのコースターや歩道橋は既に取り壊され、チンチン電車の停留場も移転が予定されている。






LS2の恐怖

2011年11月21日 14:51

長い間に録り貯めたビデオテープが沢山ある。
VHSの最終規格D-VHSではHS、STD、LS3の順にテープ1本当たりの録画長時間が長くなるが、日立はSTDとLS3の間にLS2というモードを設けていた。これは画質と録画時間のバランスが良かったので重宝していた。しかし、日立以外にLS2モードを採用するメーカーは最後まで現れなかった。

もう録画には使わなくなったが長い間日立のDR20000を愛用してきた。ある日テープクリーナーをかけたら突然お亡くなりになった。
後はサブ機のDRX100しか残っていない。これが壊れたらLS2のテープは永久に見られなくなる。

幸い音楽系は互換性を重視して、標準モードで録画しているものが多かった。
LS2はマルケヴィッチが日フィルを振った「春の祭典」「展覧会の絵」のような、「歴史的」録音が数本あるだけだった。それでも1本で8時間もあるので、突然故障しはしないかとヒヤヒヤしながらHDDにダビングし、BD-Rに焼いた。

問題はそれ以外のドラマ等をどこまで残すか。
NHKがもう再放送しそうにない昔の紅白歌合戦(1本に2年分入っている)にテレビ黎明期の人気番組「事件記者」、更には「ナポレオンソロ」等のDVDやブルーレイで出る可能性の無いものが多い。

これらは見たいと思った時にそこだけちょこっと見られれば良いのであって、全部を見直すという事は考えていなかった。全部をダビングするのは大変だし、かといって途中でDRX100がお亡くなりになれば万事休す。
D-VHS以前のS-VHSや普通のVHSは、まだまだ残しておいても安心なのに、最新のD-VHSが何時お亡くなりになるかとヒヤヒヤしなければならないとは皮肉なものだ。


「「第14旅 ツーデーパスで東京近郊一挙完乗 7泊8日の旅」をアップしました

2011年11月18日 14:51

「終の棲家別館」をアップデートしました。

主目標は東京近郊の関東圏通勤路線のクリアー。最後まで残ったということは、あまり乗りたくない路線でしたが、JR東日本では2階建て車両の普通列車グリーンが設定されていて、思いの外乗り旅を楽しめました。
完乗率は99%となり、後はラストランを残すのみ。

終の棲家別館~線路は続くよどこまでも


「目白三平 駅弁物語」

2011年11月16日 15:36

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白土三平は知ってるが、目白って?という人が多いだろう。
昭和30~40年代に流行した、ペンネームと同名の主人公が登場するサラリーマン小説で人気を博した作家で、本名を中村武志という。

事の起こりは宮脇さんの「鉄道が好き」だった。
内田百間の「阿呆列車」の随伴者として登場するヒマラヤ山系こと平山三郎氏の小品「でさえ」、「鉄道が好き」に収められている。なのに、百間の弟子であり、平山氏の国鉄での上司で作中では百から「見送亭夢袋」(見送りばかりなので)と呼ばれた、この人の作品が何故入っていないのか。仲が悪かったという話も出てこない。それで、国鉄マンと作家という二足の草鞋を履き通した目白三平が、鉄道に関してどんな事を書いているのか読んでみたくなった。

タイトルは「駅弁物語」になっているけれども、駅弁に関するエッセイは2割程度で、その後に続く「旅先の変わった話」「旅先の食べのも」「旅先で一言」という3部のエッセイ集がメインコンテンツになっている。
書かれたのは昭和40年代で、宮脇さんの頃より10年ほど前の高度成長期の「旅」が描かれている。観光地はどこもごったがえしているし、大きなホテル・旅館は団体さんで満杯という、今では考えられない状況がベースになっている。宮脇さんの著作で言えば「汽車との散歩」や「旅は自由席」のようなエッセイ集である。

6つの仏壇と暮らす飲み屋の女将を書いた「心身ともに冷えた沢渡りの夜」には、「渋川から長野原線に乗り中之条まで行き-中略-途中、近くの吾妻川沿いにある関東の耶馬溪といわれる渓谷美をほこる川原湯温泉が、近くダム工事のため湖底に沈むことになると聞かされた」という一文がある。昭和45年から50年にかけての「時刻表」への連載が初出だから、以来40年もの間『近く湖底に沈む』という状態がいまだに続いている。
ちなみに、この頃はまだ大前まで開通していなくて、吾妻線でなく長野原線だった。


目白三平がどうして「鉄道が好き」に採り上げられなかった。
宮脇さんの作品と比較すると、何時どんな列車に乗ったのかという記述が無い。
それだけで「旅」はあっても「鉄道」は無いという事になるのだろうか。

他に鉄道関係では「目白三平 鉄道物語」という著作もあって、横浜・新橋の鉄道開通から百周年を記念して、明治初年から新幹線開通までをエピソードで俯瞰するという、国鉄博物史のような内容になっている。


何故採り上げなかったのか、答えは出なかったけれども、この目白三平や、「大番」の獅子文六、「河内風土記」の今東光、源氏鶏太といった同時代の作家の作品を読んでみたいと思うようになった。

ツワブキ~三脚のご利益は如何に

2011年11月14日 14:40

これまでも鉄道模型用に、ローアングル専用のミニ三脚は持っていた。
あべのハルカスの定点観測を機に、普通の大きさの三脚を買った。
軽さでスリックのカーボン 724 EXII という機種を選んだが、後でよく見たらカーボンで最安だった。
重さは約1.8キロで、これまでのミニ三脚の2倍チョット。
それでも最初持った時は結構重いと感じたが、セッティングしている内に成る程カーボンならではの軽さだと思うようになった。


最初の被写体がこれ。
夏、陽が当たると直ぐに葉が黒ずんできて枯れてしまう。その葉を取っていくと夏の終わりには、無くなってしまう。今年は最初から陽の当たらない場所に移動した。
観葉植物かと思っていたが、茎の上部が枝分かれして、菊のような黄色い花が咲き出した。
調べてみると艶蕗(ツワブキ)とも石蕗(イシブキ)ともいうようだ。確かに葉は蕗のものだ。

以下すべてα550+SAL-100M28

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共にシャッタースピードは1/200。上が三脚使用で下は手持ち。

これでは見分けが付かないが、ピントの合っている部分を拡大してみると

DSC05247as.jpg


DSC05243as.jpg

三脚を使用した上と手持ちの下では明らかに違う。
手振れ防止は万能ではない。

しかし接写になると、いちいち三脚をセットするのが面倒でつい手持ちになってしまう。

DSC05260as.jpg

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上が三脚使用で下が手持ちで、どちらも 1/50 F5 ISO200。
違いが無いように見える。
中央の花心の部分を拡大しても同じだった。
被写体との距離が近い場合は、手ブレの影響が出ないのではないだろうか。


「第13旅 四国周遊きっぶで山陽・四国 5泊6日の旅」をアップしました

2011年11月11日 15:03

「終の棲家別館」をアップデートしました。

四国周遊きっぶで四国全線を一気にクリアーする共に、宇野線、吉備線、可部線、岩徳線の山陽路のローカル線と井原鉄道、錦川鉄道の3セク線にも乗ります。最終ランナーは播但線になりました。

終の棲家別館~線路は続くよどこまでも

完乗率は90%を越え、いよいよ大詰めになってきました。
次は、最大の難関である関東近郊を繰り潰します。


北の国から

2011年11月09日 14:24

BS-フジで7月から、30年も前のドラマの何度目かの再放送がされている。

最初に放送された1981年は、長男に続いて次男が生まれた年だった。子供達の成長を追うのに忙しくて、そんなドラマが放送されていた事さえ知らなかった。

十数年前に、北海道のオホーツク海に面した土地で酪農をしている幼なじみを訪ねた時、「北の国からという暗いドラマがあって、そのロケに使われていた」とログハウスに案内してくれた。彼は一昨年60歳で亡くなった。家族は数世代かけて築いた農地や施設を放棄するという決断をした。

そんな事を思い出して、この放送を録画して見ている。
夫が妻の不倫で小学生の子供を北海道の実家(といっても無人の廃屋)に連れ帰り、自給自足の暮らしを始める。田中邦衛演ずる父は長男に対してはなぜか厳しく、必要以上にに丁寧な言葉で心を閉ざしているように見える。
第5回あたりまではこんな風で、彼が言っていたように暗くて、見るのに努力を要した。
雪景色の夕暮れやキタキツネやシロテンの姿等、当時の民放ドラマとしては珍しく大自然にカメラを向けているのが救いだった。

妻の妹が何故か、いつまでも彼等と一緒に暮らしている。竹下景子が若かった。彼女の存在が周囲の人間関係を歪ませる頃から面白くなり始める。原田美枝子のミステリアスな教師、怪傑黒頭巾の大スター大友柳太郎演ずる因業爺さんの存在感が滲み出てくる。

一昨日で第17回まで放送された。
その中にこれまでで最も感動的なシーンがあった。
死期が近そうな母、いしだあゆみが離婚手続きの為に北海道にやってくる。
帰りに彼女を長女蛍が見送るシーンだ。
それまで蛍は、何か抗議するように母に対してよそよそしかった。駅へも見送りに行かなかった。


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川の向こうの線路を走る列車を、懸命に追う蛍。

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母は気配に気づいて、窓から身を乗り出して手を振る。

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声よ届けと精一杯呼ぶ母

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走る蛍の頬には光るものが・・

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やがて道が途切れ呆然と佇む蛍。列車は無常に去っていく。

川を挟んで線路と道が平行する、川幅も広すぎず狭すぎず。こんな場所をよく探したものだと思う。


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当時は石勝線がまだ開通していなくて、滝川-富良野-新得がメインルートだった。
この「急行狩勝」も7両以上の編成である事が確認できる。

今も「狩勝」という列車が快速として走っているが、僅か2両編成で釧路-滝川間を7時間かけて走っている。