横浜 三渓園

2013年07月29日 12:06

三渓園は明治大正期、生糸で財をなした原三渓が、江戸時代や室町時代の寺院・茶室を移築した庭園。
横浜市中区本牧にあり、広さ53000坪。建物の多くが重文になっている。

当時は廃仏毀釈、旧幕府の持ち物という事で、買い集められたのだろう。
三渓が買わなかったら、解体されて何処かの民家の柱や梁に変わり、姿を消していた建築物である。
三渓は先代の孫娘の娘婿で、自身は豪商というより文人のイメージが濃い。
岡倉天心や夏目漱石等と親交があり、南画風の画を残している。


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京都灯明寺の三重塔を背景にした、このシーンはよく使われている。
先日の蓮池は、遊歩道を挟んでこの大池の右にある。
ちなみに入場料は大人500円だが、65才以上は300円である。後、数週間で適用になったのに。


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御門から、三渓の住居であった内苑へ
ここより外は外苑と呼ばれて、当時から一般に開放していた。



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臨春閣
元は紀州藩初代徳川頼宣が建てた書院造りの別荘。

畏れ多くも御三家の別荘を自分の庭に移築して住むという発想が凄い。




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臨春閣と庭は、屋根付きの橋で繋がっている。



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聴秋閣。
二条城内に家光が造らせ、春日局に下賜された。
臨春閣を金閣になぞらえるなら、こちらは銀閣だろうか。


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こちらも水の流れが引き込まれている。



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三渓が造らせた、蓮華院
カミさんが、「かぐや姫の里」と宣うた。


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白川郷の合掌造り。
ダム湖に沈む地区にあったので、依頼されて昭和35年に移築したという。
飛騨の三長者と言われた家で、普通なら切り妻になっている側が書院造りになり、縁台が設けてある。
白川郷に現存する建物に、このような造りのものは無い。


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三重塔の先に展望台がある。
元の建物は空襲だか、関東大震災だかにやられて現存しない。

横浜港の、「港が見える丘」とは背中併せの京浜工業地帯側が見える。
今はタンクが見えるが、かってはこの崖の下が波打ち際だった。


[NEX-5R+SELP1650]




いつもと違う風景

2013年07月26日 12:26

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普段はA列の席を予約するが、今回は往復ともK列になった。機首方向に向かって右側である。
伊丹空港を離陸直後に180度旋回すると、眼下に大阪城が見えた。
これまでは、復路でのライトアップされた姿だった。


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房総半島を通過して東京湾へ入る直前、河口に飛行場が見えた。
成田はもっと内陸の筈と帰ってから調べると、自衛隊の木更津飛行場だった。



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よく見かけるが、これは何だろう。


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着陸はA滑走路(第1ターミナル側)が多く、このD滑走路はもっぱら離陸用のようだ。


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復路はいつもより早い17:00発の便だったので、まだ明るかった。
時間は短いが、いつもより近くに富士山が見え、少し感動した。
下まで晴れている時に、もう一度見たいものだ。



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あべの橋まで帰ってきても、こんなに明るい。
きつい西日がハルカスに当たっている。

[NEX-5R+SELP1650]



横浜 山手本通り散歩

2013年07月25日 12:02

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外国人居留地を目指して、JR石川町駅から坂道を上る。
この坂道どこまで続くんじゃいと思う頃、ようやく最初の洋館への道標が見えた。
九十九折りの階段を上がり、「ブラフ18番館」に行き着いた。


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「ブラフ18番館」の奥、一段高い所に「イタリア庭園」があった。
その向こうは「外交官の家」。



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庭園から横浜の街を一望にできる。


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「ブラフ18番館」へ戻って、又階段を上がると「外交官の家」の正面へ出た。
なんだ「イタリア庭園」からそのまま出れば良かったのだ。

まもなく「山手本通り」に入り、石畳の歩道を歩く。
見た目には良いが、歩きにくい。
神戸北野の異人館街i雰囲気は似ているが、道も両側の家も大きい。

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これが「フェリス女学院」

高校の時、クラブで信州へスキーに行った。
大糸線の鈍行に揺られるうちに目に入ったのが「フェリス学院専用スキー場」という看板。
専用スキー場なんて、よほどの金持学校だ。我等公立高校のイモ兄には及びも付かない別世界だった。
これがあのフェリス学院なのか。

(尤も数年前、JR全線完乗で大糸線に乗ったが、「専用スキー場」の看板は無かった。)



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土曜日なので閑散としているが、通用門を入る数人の学生を見かけた。
ごく普通の制服だ。



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「ベーリックホール」
2階の十字型の窓が珍しいらしい。


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「エリスマン邸」


外国人墓地はまだ開いていなかった。
右へ折れ「港の見える丘公園」へ向かった。
前方にドリンクの自動販売機が見えた。そういえば石川町駅からここまで自販機が無かった。
街の方針で、自販機を置かせないようにしているのだろう。
冷たいお茶で喉を潤して、一服。


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横浜市交通局が運行している周遊バス「あかいくつ」
勿論、あの「異人さん連れられて行っちゃった」女の子から取られている。


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「イギリス館」。元イギリス総領事館
ホールからベートーヴェンのピアノソナタが聞こえる。ミニコンサートを開いているのだろう。


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スパニッシュスタイルの「山手111番館」



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還暦夫婦は充分散歩を堪能した。
2つの「洋館」共通の庭を通って「港の見える丘公園」へ戻る。



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公園の展望台から見た横浜港
木に隠れた氷川丸の黒い煙突だけ見える。


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パノラマ版
下のバーをスライドするとベイブリッジまで見えます。

[NEX-5R+SELP1650]

パゾパニブ開始

2013年07月23日 15:26

CTの一週間後、予定を早めてPETを採ったら更に骨転移が出てきた。
頸椎、胸椎、腰椎、仙骨と脊椎の要所要所が真っ赤になっていた。更に腸骨、恥骨、肋骨にも出ている。
主治医は、即刻脊椎全体のMRIの予約を入れた。

「各個撃破」という選択肢は消えた。もう抗がん剤しかない。

幸い、ここ(横浜市立大学付属市民総合医療センター)には一例だけだがパゾパニブの使用実績があるので、すんなり使用できる。
肺に腫瘍がある場合は気胸のリスクがある。片肺では直ぐに厳しい状態になるが、呼吸器センターは受け入れOKを出してくれた。

また脳に腫瘍がある場合、3次治験で脳内出血のケースが一例ある。
これも脊椎と同じタイミングで脳のMRIを撮ってOKになった。
造影ではないので脳転移が無いと言い切れないが、少なくとも大きいのは無いようだ。


主治医が呼吸器センター外科から内科に変わった。

新しい主治医から治療方針を伝えられた。
半量の400mgからスタートして、効果があって副作用に問題なれけば600mgに増やすとの事。
ネットを通じて400mgの方が副作用が軽いとの情報を得ており、こちらの希望とも合致した。


職場復帰から一転して最終局面に入った。
「足かけ3年」はなんとかなるだろうと漠然と考えていたが甘かった。
同じ平滑筋肉腫でも子宮や後腹膜のような腹部原発と異なり、肺原発の肉腫は若年者の肺がんと同様に進行が速かった。



弘明寺

2013年07月22日 13:00

撮ったカメラをなくしたので再訪問した。

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電車が行ってしまうと、蝉時雨に覆われる。
前回から季節が進んでいる。


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駅前の急な坂道を下りきった所に山門が有る。



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振り向くと、長いアーケードがどこまでも続いている。
弘明寺の門前町として発展してきたのだろう。
閉じている店は見当たらず、非常に賑わっている。


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きつい石段を上がる。
境内は左程広くないが、神奈川県で最も古い寺という。
本堂の屋根の姿が良い。


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手水舎には千社札がびっしり貼られていた。



[NEX-5R+SELP1650]



NEX-5RLのキットパワーズームレンズ

2013年07月21日 12:28

横浜三渓園の蓮が見事だった。

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SELP1650は、解像度感はあるが



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開放にして背景との距離差を取っても、この程度にしかボケてくれない。
コンデジに分類されるRX100と同程度で、APS-Cとしては物足りない。





007 スカイフォール

2013年07月18日 12:57

昨年上映された007の最新作をWOWOWで見た。

007映画としては期待外れだった。
これじゃ普通のアクション映画だ。

だいたい、何でコンピューターをハックして世界中を混乱に陥れる事ができる悪玉ボスが、
Mの命を奪うだけのために身体を張って、007に返り討ちに遭うのか。


唯一楽しめたのは、ゴールドフィンガーやサンダーボール作戦で活躍したアストンマーチンDB5の登場。
Mは「乗り心地が悪い」と文句タラタラ。「屋根ごと吹っ飛ばすのか」とも言わせる。
その上、フロントの両サイドに仕掛けた機関銃も実戦で使われる。


女性Mは死に、次作からは男性のMに代わる。秘書もマネペニーが復活した。





父と子のコミュニケーション

2013年07月16日 12:33

3年前、父が介護に入った時、介護士さんに「若い頃はどんな時代でした」ときかれて「酷い時代でした」と答えてた。
1920年生まれだから、29年に始まる世界恐慌から戦争が続く時代だった。徴兵で満州に。終戦後も抑留されていた。
青春時代が「酷い時代」だったというのはその時初めて知った。

学費を納めなくても良いというので、旧制中学から師範学校へやらされた事は知っていた。
しかし師範学校は軍隊式の雰囲気で、自由な中学校へ戻りたかった事は、死後、同窓会誌への投稿で知った。

私は長男だったので、大学時代の下宿と結婚後の一時期を除いては両親と同居していた。
長い時間一つ屋根の下に暮らしていたのに、何をどう感じていたかという内面については何も知らなかった。



翻って、息子とはどうだったか。

進学塾なんかへ行かさずに、のんびりとした少年時代をすごさせてやるんだった。
本人の実力を信用してやれば、中高一貫の進学校でなくてもよかったのに。
その代わりに後で語れるような楽しい想い出造りに、もっと時間を割けるようにしてやりたかった。

今なら「やりたい時にやれる事を」だろうが、
あの頃は誰も「努力は何時か報われる」神話を疑わなかったし、皆、上昇志向の時代だった。


病気になってからコミュニケーションの機会が増えているが、いつまでも続かない。


靴箱に黒い運動靴があった。息子が履いていたものらしい。
これを履いて散歩に出てみた。
少し小さい。私のサイズは26.5なので、26なのだろう。
そういえば冬の間はめていた手袋も、先まで指が届いていないようだった。
顔は私に似ている(本人がそう言うから間違いないのだろう)が、手足はカミさん似らしい。
こんな事も知らなかった。



夏の富士山

2013年07月12日 12:58

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梅雨の間は雲ばかりで何も見えなかったが、昨日は冠雪がとれた夏の富士山が雲の海に浮かんでいた。

[NEX-5R+SELP1650]




もうすぐ10000マイル

2013年07月10日 12:16

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昨年10月以来、大阪-横浜の移動には主としてANAの特割を使ってきた。
普通運賃の75%のマイルしか付かないが、それでも一年も経たずに10000マイルにあと僅かになった。
これまでは期限切れで10000マイルになる事が無かったが、今度は国内線だけで到達する。
ざっと25往復。カミさんと2人分だから、飛行機代だけで幾ら使ったのか。