放射線が効いてきた

2014年03月29日 10:02

昨日 6/10回目の放射線が終わった。

予定の半ばを過ぎて、痛みが引いてきたという。
土日で通院が休めるという安堵感からか、昨夜は久しぶりに夜に目が覚めずに眠れたようだ。

これまでは腰(仙骨)と右足が痛くて、度々夜中に目が覚めていた。


一日あたり
ステロイド(デカドロン) 4mg
オキシコンチン 80mg
フェントステープ 6mgx2

と疼痛緩和薬も相当な量になっている。
これでは腫瘍が大きくなって全身状態が悪くなるより先に、脊椎転位による痛みで押し潰されてしまうのではないかと危惧していた。


放射線が効かない肉腫でも疼痛緩和なら効果があると、昨秋のセミナーで放射線の先生に確認していた。
それでも個人差があり、照射後2~4週間後から効果が出る事もあるし効かない人も居る。


早期に効果が出てホッとしている。これで暫くの間、楽に過ごせれば良いのだが。



放射線第一日

2014年03月27日 11:01

3/20

今日は午後から、本番のマーキングと第一回目の放射線照射がある。
土日を除いて10日連続でやる。

ところが朝起きると又、足が痛いという。
昨朝、ステロイドを2mg→1mgに減らしたのが影響しているようだ。
4mg/dayでデカトロンが出ているので、2mg飲ませ、更にお昼にもう2mg飲ませる事にした。

フェントスを放射線の当たらない位置に移動した事影響していると考えられる。
元の位置に戻して、当てる直前に再度移動する事にした。


本人が非常にナーバスになっている。
15分間静止しなければならないが、痛いとそれができない。
後で入試の前のように緊張したと言っていた。

オキシコンチンも増やした。
更に、10分前ぐらいにレスキューのオキノームも飲んで、できる限り事はした。


リニアック装置はデカかったが、機能は単ビームが360度回転するだけだ。
線の太さは鉛製の遮蔽窓で調節する。
今回は水平に身体の両側から当てるという。同時に当てられれば線源の強さを半分に出来るのだが。
サイバーナイフとは大分違う。



無事終わった時は3人とも脱力した。


フェントステープを元の位置に戻すのを忘れていたら、又夜になって少し痛んだ。
張り直したら大丈夫だった。
ステロイドだけでは疼痛を緩和できないようだ。
疼痛管理は微妙だ。


放射線医はストレスが貯まる。患者も。

2014年03月26日 10:14

3/19

放射線科の初診。
駐車場の順番待ちで時間がかかり、私が診察室に駆け込んだ時は殆ど終わっていた。
仙骨でなく腰椎に当てるという。
理由は手術から2ヶ月でまだ傷が完全に回復ししていないのと、腰椎も必ず痛くなってくるという事だった。

納得がいかず、後で談判に行った。
情報提供書のMRI画像も見ていないようだった。
「仙骨は腫瘍を取って除圧したのに又痛み出している。果たして腫瘍が原因なのか?」
これは私も疑問に思っていた。
しかし、全く痛みが無い腰椎が原因とも断じにくい。
「足の神経は仙骨でなく腰椎から出ている。なので腰椎から先に照射すると決めた。」
それなら納得できる。

ところがナラケイ先生の診察を受けた後、マーキングの為にCT室へ行ったら仙骨に当てると言う。
混乱して、その技師と一緒に医者の所へ行ったら、ナラケイ先生から現在痛みのある仙骨を先にするように指示されたという。

なんだ、患者にはあれほど腰椎を主張したのに、コロっと変えるのか。
放射線医というのは、主治医から指示されれば異論があっても従わねばならないルールになっているらしい。



そういえば、抗がん剤を否定する本(がんは治療した方が早く死ぬ)を次々に出している近藤氏は、放射線医だった。

放射線医は主治医になれないし、主治医の意見に従わねばならない。
さぞかしストレスが貯まった事だろう。その恨みが辛みも「反抗がん剤論」のドライビンクフォースであったかも。


家に帰って調べてみると、足の神経には前部をコントロールする大腿神経と、臀部から足の裏(痛みのある箇所)があり、
前者は第2~4腰椎から出ているが、後者は第4、5腰椎と第1~3仙骨から出ている。
これでは腰椎が原因とは言えない。しかも転移しているのは第2腰椎である。


放射線医への信頼感が一気に無くなった。




驚異のステロイド

2014年03月25日 09:59

3/17

尿が出やすい薬を飲んでいるが、尿閉が続いている。
フェントス、オキシコンチン、オキノームと3つも麻薬を使っているのに痛みが取れない。


明後日、19日は放射線の為のマーキングが予定されている。
最低15分はじっとしていなければならないが、静止はおろか通院さえ難しそうだ。


体調の良かった外泊時にはステロイドを飲んでいた。
偶々、神経痛の痛み止めの頓服として開業医から処方されていたステロイドが残っている。
病院のはデカトロンで、こちらはリンデロンのゾロ品のベタメタゾンだが、ハンドブックによると力価は同じである。
病院の処方は一日8錠、4mgだったが、その半量を昨日のお昼と今朝飲ましてみた。


昨夜は痛みもなくよく眠れたという。
更に午後3時頃から体調が一変した。
アニメの録画をチェックしたり、視聴するまでに気力、体力とも回復した。
フェントスの張り替えを忘れても気が付かない。
痛みがなくなったら尿閉も治った。
食欲も出てきた。1500kcalは無理だが、生命維持に必要な600kcalぐらいは食べられるようになった。



入院や点滴の必要はなくなった。
2mgを2回摂取しただけなのに、ステロイドってすごい。



在宅看護

2014年03月24日 09:51

3/16

医者が居ない事には薬が手に入らない。
まだ先と思っていたが、こんな状態が続くようでは在宅看護で医者に来て貰わないといけない。
ネットで探すも、多くは高齢者の看取りでガンの疼痛管理が出来そうな所は少ない。
見つかっても、往診エリア外だったりする。


今日は浣腸した。
便秘が一週間続いている。前日から強力な下剤を入れているのだが出ない。
効きすぎて、夜までトイレを何度も往復する羽目になった。
それまで左脇腹が痛くて、横隔膜にくっついている転位腫瘍が大きくなってきたのかと思っていた。それが無くなった。宿便が悪さをしていたようだ。


午後になると、足の痛みが強くなる。
フェントス12mg とオキシコンチンは少し減らして60~70mgでやっている。
処方されたオキシコンチンの量では、眠ってばかりで食べられないし、麻薬は益々食欲を低下させる。



3人で寝るようになって、3日目から2日連続で私が大声で寝言を言ったものだから、自室へ追放になった。



急性鬱

2014年03月23日 10:44

3/13 夜、突然、恐怖と不安に襲われた。
死にたい、殺してくれを繰返す。
急遽、息子の部屋で3人一緒に寝る。
回復するまで当分、一日中同室で過ごす事にした。家で付き添いをしているようなものだ。


9日の日曜日以来、体調不良と疼痛が続いている。
発病以来、終始冷静でいるのを不思議に思っていたが、ここに来て一挙に恐怖と不安に押しつぶされた。
痛みが日に日に増してくるし、尿も出ないし便も出ない。病むのは身体ばかりはない。


一晩寝れば多少はと期待したが、翌日も、翌々日も好転の兆しがない。
オキシコンチンの所為で傾眠が続く。
目が覚めると、恐怖と不安が襲ってくる。

初めは照明を点ける事も拒否して真っ暗な中にいたが、それでは思考回路も悪い方へしか回らない。
窓を半分から全開、照明もフロアースタンドから天井灯へとだんだん明るくしていった。
テレビを見る気になれないだろうが、なにか動いていないと視覚的な変化がない。
刺激の少ない「にっぽん原風景紀行」や「街道てくてく旅」のBDを音を小さくして一日中流している。
55インチの大画面が役に立つ。


食欲は全くない。
トイレに行く時も、すり足でチョコチョコとしか歩けない。
体重は66.5kgから61.6kgへと一週間で5kgも減った。
これでは入院して点滴して貰うしかない。
その話をすると、少しだが無理に食べるようになった。
しかし、無理に食べるからだろうか、咳が出るようになった。


心細いのだろう。
ベッドから上目遣いにこちらを見る。
何かしてもらうと、ありがとうと言うようになった。
その眼をいっぱいに拡げた表情や声が、4年前に亡くなった父とそっくりだ。


オキシコンチン

2014年03月22日 10:03

3/13
 
3/10の緊急受診から3日目だが予定通り、主治医ナラケイ先生受診。
尿は導尿しないと出ないし、痛みも抑えられていない。
駐車場の入り口から病院の入り口までの数十メートルの距離が歩けない。


採血の為病院に着いたのは午後2時。
検査の1時間を見込んで3時の診察予定だが、ナラケイ先生が午前の診察を終えて出てきた2時20分。
こりゃ待たされるわと思っていたら、案の定、病棟の回診を終えて帰ってきたのは4時だった。
その間、息子は処置室のベッドで横にならして貰っていた。

それでも診察時間は充分取る(だから余計に時間を食ってしまうのだが)から、患者の評判は悪くないようだ。
今日は、なんと1時間の大サービスだった。
尤も、一本指でやる電子カルテの入力に時間がかかり、その間ずっと話を続けているから時間が長くなってしまうのだけれど。
指も笑顔での会話も止まる事が無いし、指示は正鵠を射ている。ひょっとすると凄いIQの持ち主? 明るくなった左門豊作のイメージ。


疼痛緩和にはオキシコンチンを朝80mg、夜40mgが追加された。日本薬局方では80mg/dayがリミットだけれど、
医者はその1.5倍まで処方する事が許されているらしい。いきなり目一杯の麻薬だ。

フェントステープは6mgx2の12mg/dayになった。

さらに痛む仙骨へ、疼痛緩和の放射線照射をする事になった。
10日間連続になるが、どうしても入院が嫌というので通院でお願いした。
今の状態では、とても10日間続けられとは思わない。もしギブアップしたら入院する事にした。



再び尿閉

2014年03月21日 11:03

3/10

退院3日目。前日から調子が悪かったが、突然尿が出なくなり、右臀部から右足にかけての痛みが酷くなった。
1月の仙骨切除手術の時の症状だ。それ以外に全身の倦怠感と腹痛もある。


前兆のようなものはあった。
ダカルバジンを入れた後、肛門が緩くなったと言うので紙パンツを持って行った。
この時は外泊して家でリラックスしたら治った。
また抗がん剤の副作用という話もあった。


電話して病院へ行ったら、予約がないので2時間半待ち!! 
辛いので処置室のベッドで横になっていた。

尿閉に、ベサコリンとエブランチルという排尿関係の薬を復活してもらった。
これらは横浜時代の薬が余りに多かったので整理していた。

しかし、手術直後はこれらの薬を飲まなくとも排尿できていた。
これらは力んで排尿するので腎臓の位置が変化していたので、よりスムースに排尿する為の薬だった。


右臀部から右足にかけての痛みには、フェントスを6mg(つい先日、退院する時に増やして貰ったばかり)から8mgに増量した。



2ヶ月前、尋常ならざる夜を過ごした後、「オシッコでたよ」のメールは本当に嬉しかった。
子供の頃の息子の顔がダブって来て涙が出そうだった。

あれからたった2ヶ月で、脊椎の腫瘍が、切除した仙骨から、はみ出る位に大きくなったのか?

ならばダカルバジンは効いていない事になる。



この日から綱渡りのような疼痛管理が始まった。




兵庫県立西宮病院

2014年03月10日 11:36

西宮市は、大阪と神戸の丁度中間に位置し、ベッドタウンとして人気が高い。
兵庫県では姫路市に次ぐ人口3位、約50万の中核都市として年々人口が増加している。
隣の芦屋は高いけれど、西宮なら何とかなるという事だろうか。

病院は2号線と43号線に挟まれた地帯で、JRと阪神が近くを走り、阪急も山裾を走っているという交通至便なところである。
入っているのが11階のせいかノイズは上がってこない。

市庁舎に隣接する建物は、外観はなかなか立派だが、横浜市大センター病院と比べると明らかに一世代古い。
天井でエアコンがガクンと音を立てて止まり目が覚める。そろそろ建て替えが検討される時だろう。
個室料金は横浜より数千円やすいが、それでも高すぎる。


建物と違って、スタッフは感じが良い。

日曜日でも、ナースコールするとすぐ来てくれる。それも「どうしました」ときかずに。
コールだけで来てくれたのは、横浜でも呼吸器センターだけだった。

規則では、1泊の外泊たが、医者がOKなら2泊でもOK。検査もないのに病院に居る必要はないという合理的な判断だ。

廊下で出会った主治医にいろいろ質問しても、気さくに答えてくれる。


見晴らしは中々いい。

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デイルームから山側を見れば、真下を国道2号線が、ワンブロック隔てJRの複々線が見える。
住宅が六甲山系の中腹まで拡がっている。


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海側は屋上が駐車場になった阪神西宮明駅が直ぐそこにある。
向こうに明石海峡大橋の橋桁が見える。



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反対の窓からは大阪の高層ビルまで見通せる。


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これは甲山(かぶとやま)。
遠い昔、ハイキングに行った時には気が付かなかったが、成る程ここから見れば兜の形をしている。



永年勤続表彰

2014年03月08日 14:11

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息子の会社から10年の勤続表彰記念品が届いた。
休職中なのに有難い事だ。

中身は旅行券。
妻帯者なら、奥さん孝行してやれという所だろうか。
本人が使える事があれば、こんな嬉しい事はないが。