楽天は本当にヤバイ~パスワードの変更要求メール

2014年10月31日 10:48

「【楽●天】パスワード初期化のご連絡‏」というメールが届いた。

第三者によって不正にログインされた可能性があるので、パスワードを再設定しなければログインできないよう変更したという内容だった。

ネットで見ると同じ内容のメールが届いていて、皆さん変更されている。
パスワード設定の画面も引用しているURLも本物に限りなく近い。

しかし、これまでのパスワードを試してみるとログインできた。
それで疑いの目を持ってこのメールをチェックしてみると、

1.差出人を詳細に見てみると「myinfo@mkrm.rakuten.co.jp (myinfo@rakuten.co.jp の代理) 」となっている。代理人???
2.IDとなっているメルアドとは別のメルアドに届いている。

それで、パスワードを詐取する偽メールと判断した。


文面は本物?を受け取った人と全く同じだ。
その楽天の言い様は、

「※弊社からのログイン情報の漏えいは確認されておりません。
※お客様の会員登録に第三者がログインできた詳細は現状わかりかねます。

ご不明な点や覚えのないご利用(ご注文)がある場合は、購入履歴より
覚えのない利用をされた店舗をご確認の上、店舗までご連絡ください。
また、クレジットカードのご利用であればクレジットカード会社へご相談
ください。」


パスワードの漏洩があったけれど、再発防止どころか楽天には責任が無く全て顧客の自己責任で対処せよと言っている。
楽天カードと楽天市場は一体で、漏洩の事実があってパスワードを封鎖(本物の場合)をしておいて、「当方は全く関知しない」は無いだろう。
こんなメールが横行している事すら、顧客に周知していない。


楽天の顧客軽視のポリシーに嫌気がさして、楽点市場、楽天カードを使わなくなったが、こんな脇が甘く無責任なカードは持っているだけでヤバい。
さっさと「退会」した方が良さそうだ。

格安スマホにも乗り出すようだが、知らぬ間に個人情報がだだ漏れになりそうで、いくら安くても入ろうとは思わない。



壬生川~わが古里

2014年10月29日 10:30

我が家は先祖代々の大阪人である。
祖父の本籍(すなわち曾祖父の居住所)は大阪府東成郡北百済村大字桑津となっている。
その後大阪市の拡大に伴って周辺の町村は市に編入されて区となった。
現在の東住吉区田辺、北田辺、南田辺一帯は大阪府東成郡田辺町という独立した自治体だった。
当ブログに、大阪市に編入された際にそれまでの歴史を編纂した『 田辺町誌 』について書いた事がある
この東成郡が、現在の住之江区、住吉区、東住吉区、平野区を形成している。

しかし、私には古里と呼べる場所が別にある。かっての愛媛県周桑郡壬生川町という町だ。
その後東予市となり、現在は西条市に合併された。
「みぶがわ」では無くて、「にゅうがわ」と読む。昔、朱の原料になる辰砂が採れる川があった。
辰砂(硫化水銀)は丹と呼ばれていた。丹が採れる、丹生(にう)から転化したのだと思う。


母の実家があり、小学校の頃は夏休みの最初の日から最後の日まで40数日間を母とここで過ごし、海水浴や虫取りにあけくれた。
不思議な縁で、カミさんの実家も同じ町内だった。

「あいつ」の葬儀に来て貰ったお礼に久しぶりに壬生川を訪れた。その行き帰りに来島大橋や豊稔池ダムへ行ったのだった。

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今治街道と呼ばれる国道の交差点の向こうに道路と直交した堤防がある。
運河のどん詰まりのような壬生川港の最深部である。

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今はプレジャーボートの溜まり場だが、子供の頃にはポンポン船がびっしり舫っていた。
小さな木造船に焼き玉エンジンを載せ、四国と大阪を行き来して物資を運んでいた。

船から幅の狭い板を渡して陸と行き来していた。
子供も一緒に乗って小さな船の中で一家で暮らしている。
夕餉時になると、甲板に置いたカンテキで焼いた魚の良い臭いがしてくる。
家族全員が船の上で暮らして居るのが非常にうらやましかった。
家が船で、海の続く限りどこへでも行ける。なんと素晴らしい事か。
あの人たちは何処へ行ったのだろう。


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「壬生川港」と道を挟んで、鷺森神社がある。
戦国前期、河野一族が支配した鷺森城の跡だと言われている。


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樹齢600年の大きな楠もあるが、子供心に印象に残っているのはこの参道の砲弾である。
神社に砲弾。戦後真っ先に撤去されていそうなモノだが、マッカーサーの威厳もここまでは届かなかったらしい。
しかも、子供の頃には真っ赤に錆びていたが、今はペンキが塗られて保護されている。

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ここは当時最も賑わった「新地商店街」。母の実家はこの通りにあった。
半世紀も前の計画に従って道路を拡張し、両側に広い歩道を設けたお陰で商店街の機能をすっかり失った。


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2001年に同じ場所から撮った写真。当時の道の幅は現在の歩道より少し広い程度だった。
左側に止まっている車の上にコンクリートの庇が出ているのが、上の写真で黄緑の車の上のと同じ庇である。
拡張は右側の家並みを取り壊す事で行われ、表通り一列分以上が無くなった。


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立ち退いた跡地を整地しているのが、現在の写真の右下の場所。
13年経っても未だに更地の侭である。

立ち退き保証金を払い、家を解体し、道路を作って、街を寂れさせた。
この責任は誰が取るのか。
こんな事をしているから、借金が膨らんで、予算(これも借金)が組めなくなり、より大きな西条市と合併した。
しかし、大きな市と雖も黒字であるわけはなく、より多くの借金が出来ただけに過ぎない。
行政も、大型店も病院も皆西条市に移り、旧市街は年寄りばかり残り、ますます寂れていく。
地方都市の典型的な末路を辿っている。



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更地の向かい、無人となった家の塀を朝鮮朝顔が覆っていた。
憂い事はさておき、このVario-Sonnar T* 16-35mm F2.8 ZAは本当によくボケてくれる。







「豊稔池ダム」~国指定重要文化財のダム

2014年10月27日 09:55

カミさんの実家へ行った帰り、高松自動車道の大野原インターで降りて豊稔池ダムへ向かった。
デジャビューに襲われたが、この近くにある雲辺寺に行った事を思い出した。長宗我部元親が「我、四国の蓋とならん」と四国統一を宣言した寺で、自前のロープウェイを持っている。四国88カ所の寺でも特に裕福な寺の一つである。

閑話休題
豊稔池ダムとはどんなものか、私が下手な説明するより、You tubeで映画「豊稔池」を見れば5分で理解できる。


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対向車が来るとヤバそうな山道を登っていくと、忽然と西洋の城のような豊稔池ダムが姿を現す。

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見たところ短いアーチが5本の「柱」で分割された構造になっている。
立ち入り禁止となっており、ここからはダムの堰堤や下には行けない。

戻ってダムの下へ行く道を探す。

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ダムの下は小さな公園になっている。

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7月に「ゆるぬき」と称して上の四角い放水口から排水する。
「ゆるぬき」では、排出口の下の斜路に沿ってチョロチョロ流すか、最も奥の3段になった斜面にだけ勢いよく流すかで、映画「豊稔池」にあるように、全ての排水口から勢いよく水が放出されるようなものでは無いらしい。

「ゆるぬき」の時には大勢の人が集まるが、今は私の他には誰も居ない。黒い「壁」に威圧されて不気味ささえ感じる。



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今は下の放水口から水位調整のため排水しているだけのようだ。


私はダムマニアではないが、これまで幾多のダムを見てきた。
白川郷へ行く途中、日本初のロックフィルタ゜ム「御母衣ダム」で初めてダムの真下に立つという経験をした。
日本アルプス横断の旅 3日目 白川郷・白山スパー林道 (この頃は大きな画像が載せられずサムネイルを貼り付けている)
ダムを下から眺めると、その圧倒的な物量感に魅せられる。人間はここまでやれるという事が実感できる。

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白水ダムは「日本一美しいダム」と自称するだけあって、水紋の美しさに見とれてしまう。こちらも重要文化財だ。
豊稔池ダムには、それとは正反対の無骨で猛々しい美を感じる。




しまなみ海道を行く~来島海峡大橋

2014年10月24日 10:07

しまなみ海道を自転車で走破したい思っていた。

先週末に機会があって、四国からの最初の橋、来島海峡大橋を自転車で往復した。

午後3時頃に、今治側のサイクリング起点、サンライズ糸山に着いた。
「ママちゃりしか残っていないのですが」と言われてギョツとしたが、その中に電動自転車も入っていた。
カミさんが一緒で、電動で無いと本線に入るループ橋がしんどいと思っていたので、丁度良かった。
より本格的なサイクリング車から先に貸し出されていくらしい。

ちなみに、平成26年7月19日(土)~平成27年3月31日(火)の期間、自転車の通行料金を無料にしている。
本来は来島海峡大橋200円、多々羅大橋100円、他の4つの橋が50円で、尾道まで行って帰ってくると1000円になる。


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来島海峡大橋は第一から第三まで3つの吊り橋からなっている。
当然、途中にある島に橋桁を置く事になる。
この馬島もその一つだ。
橋がなければ静かで、ボンヤリと海に浸っていたいと思うような綺麗な浜だ。


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3つの橋を渡り終えた。自転車を5時までに返却しなければならないので、帰路に向かう。この先の橋はまた何時か。

来た時と反対で逆光だっが、太陽を入れて撮ってもフレアは抑えられ、僅かなゴーストが画面中央にあるだけだ。
重いα99+SAL1635Zを持ってきた甲斐があった。


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お供に持ってきたGX7+LUMIX G VARIO 35-100mmも太陽を入れて撮ってみたけど、これも使えるじゃないか。


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牧水は「空の青 海のあをにも 染まずただよう」と読んだ。青、蒼、碧と色々な青がある。「あを」はそのどれとも違う色だったのだろうか。
あるいは、色々な青が混じり合ったから「あを」と音で表現するしか無かったのか。
単に青という文字を重ねたくなかったという教科書的な解釈はしたくない。
理系人間はこんな事を思わせる「海道」の景色だった。



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帰りはカーナビに逆らって今治市内を走ったら、今治城の横に出た。
前には無かった天守閣が、いつの間にかできていた。




あべのハルカス見参 (3)

2014年10月22日 10:32

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東は生駒山で見渡せる。
右端近くの山頂が二こぶになっているのは二上山だろう。

近鉄南大阪線は今川駅まで地上を走り、河堀口で阪和線の下を潜っていたが、その後高架となって、
高架の阪和線の更に上を走るようになった。
緑色のタワーマンション(シティタワーグラン天王寺)は高さ160mで、ハルカスが出来るまではこの辺りで最も高い建物だった。
それがこんなに低く見える。


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再び北側。
北に向かって100mを超える建物がずらりと並んでいる。
ここからの眺めが最も良さそうだ。
夜景も綺麗だろう。まだ2時にもなっていないのに、横で爺さんが「夜景まで粘る。1500円で一日遊ばせて貰う」と言っている。
「ガメツイ」典型的な大阪人と言うべきか、お元気なお年寄りと言うべきか。
ここに夜まで居るなんて、私には精神的にも肉体的にも真似のできない事だ。


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高層ビル群を狙ってズーム。
真ん中の特徴のある黄色い建物は・・・

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やはり道頓堀のドンキーだった。中国人の買い物客で賑わっているそうだ。
ならば高層ビルの列は御堂筋に沿っているのだろう。


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最上階は人が多いが、吹き抜けで2階下の58階は空いている。ある意味贅沢な空間だ。


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60階の屋上にゴンドラを吊すクレーンがある。
窓掃除専用のクレーンだろう。


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上からポタポタ水が落ちてくると思ったら、スタッフの乗ったゴンドラが降りてきた。
ぐるりと全体を吹き終わったら、もう次シリーズが始まって、結局通年常駐になるんだろうなあ。


2時半頃16階へ降りていったら大勢の人がエレベーターを待っていた。
昼飯を食ってから来た人たちなのだろう。
12~14階のレストラン街へ行ったら、平日の中途半端な時間なのにガラ空きではなかった。
時分時には相当混雑するのだろう。
オーブンから半年経ったが、まだまだ初物人気は続くようだ。




あべのハルカス見参 (2)

2014年10月21日 10:09

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西方は霞んでいて六甲や淡路島は見えない。大阪湾の入り口まで。

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ズームすると赤の南港大橋と青のなみはや大橋が

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更に手前にはドーム球場(愛称はよく変わるので忘れた)が。
球場のすぐ左の多根病院に「あいつ」は入院していたっけ。


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足下にはあべの再開発地区が広がる
あべのキューズモールの屋上駐車場とルシアスビル
その向こうの市大病院から先は道路拡張工事が進んでいない。


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南西の角から撮ろうとすると、記念写真コーナーになっていて入れない。
1500円(予約は2000円も)払って自由に行き来できないのか


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再開発地区の南端の広い空き地はあべの斎場。


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南東の先には長居競技場


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あべのバイバスの下、右から関西線(地上)、阪和線への連絡橋、阪和線、環状線。
鉄道模型でも観ているようだ。

阪和線と環状線の間に行き止まり線がある。
これは天王寺で行き止まりになる阪和線の列車を関西線にスイッチバックで廻送していた連絡線の名残だ。
うして見ると天王寺駅っていろんな線が出入りして交通の要衝になっている。


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その天王寺駅に大和路快速が入ってきた。


あべのハルカス見参 (1)

2014年10月20日 10:38

百か日の法要の後、カミさんと次男と3人であべのハルカスに行った。

ハルカスの建設は家のベランダから定点観測していたし、(「あべのハルカス」の定点観測 まだ見える。)
建物の完成後も外観は何度か撮った。(「α99 初出撃 」 「ハルカスに灯が入った」)
けれども展望階へ上がるのは初めてだ。

16階のカウンターに着いたのは午後1時過ぎ。1時半の予約だったが、そのまま直通のエレベーターへ。
乗っていたのは我々を含めて8人だけ。平日は当日券でも待たずに上がれそうだ。
45秒で60階へ。


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真っ先に目に入るのは、足下から伸びる谷町筋。梅田まで一目で見渡せる。
同じような高さのランドマークタワーで、たいした眺望は得られなかったので、GX7+VARIO14-140mmしか持って来なかった。
しかしここは足下から市街が広がっているから16mmの広角が欲しい。

望遠にズームしてピックアップすると

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右上隅の大阪城。
これだけはトリミングした。

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四天王寺
塔や金堂が一列に並んだ四天王寺式の伽藍がよく分かる。
その後ろに墓地がある。どんな人の墓があるのだろうか。


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左下の天王寺公園、動物園、植物園。


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通天閣

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変わった山門で有名な一心寺
全宗派永代供養だから墓は少ない。


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天王寺美術館と慶択園

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足下に天王寺駅とミオ

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暫くすると阿倍野橋の上に黄色や青の豆粒がたくさん現れた。
小学校は遠足シーズンだ。



大阪市立自然史博物館

2014年10月17日 14:29

「あいつ」が残したフィルムカメラで撮った写真の中に、博物館と覚しき写真が何枚か有る。
元のままでは暗いので、スキャナーで取り込んでレタッチした。

長居公園の植物園へ行った時に、自然史博物館が園内にあった。
元は西区にあったものだが、長居公園ができた時に移転してきた。
ここで撮った可能性がある。

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屋久杉が展示されているようだ。
しかし、ネットで検索しても出てこない。
で、もう一度、植物園から博物館に行った。
持って行ったのは植物園の時と同じα7SとSonnar T* FE 55mm F1.8 ZA


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館に入った正面に同じモノがあった。やはりここへ来て撮っていたのだ。
(ただし、今はもっと大きなサンプルに席を譲ってヨコチョへ退いてる。)
家からチャリンコで行ったのだろう。なら阪大へ自宅から通っていた頃だから、15年も前のことだ。



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マンモスの剥製は、横の鹿?が別の種類に置き換わっているが、これもエントランスの正面にあった。


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そして大きな牙の恐竜。バックに写っている3階への階段からして、同じこのポイントに立ってあいつは撮った。



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3階にも同じ水性恐竜があった。

55mmだと屋内では取り回しが悪い。

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素晴らしい標本が揃っているのだが、目で見た明るさはこの程度で暗い。
せっかくの巨大恐竜の展示物なのだが、迫力はイマイチだ。

写真では明るく写っているが[F2.0 1/100 ISO2000]とフィルムの20倍のISO感度に上げているからだ。

せっかく2階まで吹き抜けのホールなのに、周りをショーウィンドウで仕切られた小さな展示物が取り囲んでいて光が入らない。大きな窓を開けるとか、照明をもっと明るいものに替えるなどして迫力ある、記憶に残る見せ方を工夫して欲しい。


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あいつの笑顔を思い出しながら外へ出ると、屋外展示の恐竜が親子のように見えてきた。



あれから2年~迎えられなかった誕生日

2014年10月15日 10:23

100ヶ日の法要も済み、肉腫と言われてから2年経った。
いろんな闘病記を読んで、平均寿命を「足かけ3年丸2年」と見ていた。
今日35歳の誕生日は何とか迎えられると思っていた。

残念ながら、途中ではスローになってくれたのだけれど、何もない無いところから巨大肉腫に成長するまで
たった5ヶ月しか掛からなかったという性悪さは保持していて、再発後は急激に腫瘍が肥大した。
何時、どんな事があったのか。記憶が少しずつ消えていく。
反対に医者や病院に対する不信感は、日に日に増幅してくる。


一昨年の発症から今年3月中旬までの受診メモを時系列的に纏めました。
これ以降の経過はブログに詳しく書いています。

✱「限定記事」のチェックを全て外しました。
✱下書きのまま、アップロードしていなかった平滑筋肉腫カテゴリーの次の3つの記事を、元の日付でアップロードしました。
2013/6/7 CT検査
2014/4/30 MRI ができない
2014/6/8 内科と外科



[2012]
10/23 病院に呼び出されて、肉腫を告知される。
    病巣は胸部と腹部に有り、大きさは5cmと3cm。   
    胸部は気管に近いので左肺全摘出(呼吸器センター内科 新海先生)

10/30~31 受診 呼吸器センター外科/荒井先生初受診 手術日仮押さえ。
          腫瘍が血管を巻いているので緊急を要する。
         消化器センター外科/大島准教よりGISTなら薬が先で手術は後と。困惑する。
          病理検査を急ぐように依頼
http://fugaku2.blog74.fc2.com/blog-entry-1935.html
      
11/6~7  受診 呼吸器センター外科/手術日決定
         消化器センター外科/GISTでなく肉腫と決定
11/9   入院 術前説明?
11/12  呼吸器センター外科で左肺全摘出手術(執刀 荒井先生) オンコール(最初の手術が終わるまで待機)  
11/20  退院
11/27  受診 呼吸器センター外科/術後の経過観察 
12/5~6 受診 呼吸器センター外科/術後の経過観察
        消化器センター外科?
12/20  受診 消化器センター外科?
12/26  受診 呼吸器センター外科/PET結果(2回目) 手術箇所以外は手術前のPET検査と同じ


[2013]
1/1~2 正月
1/8  受診 消化器センター外科/腹部腫瘍の状況説明(渡辺先生)
1/24 入院 術前説明 執刀医がする術前説明が大島貴准教授でなかったので少し安心。
「消化器センター大島准教授は病棟を持たない=手術しない」と聞かされていたが、いつも自分が手術するような言い方を
するので心配していた。

1/25 消化器センター外科で腹部手術(執刀 土田先生) 腸間膜に付着していただけで剥がれた為、小腸切除なし。
2/5 退院
2/13 受診 重粒子治療を希望
2/28 受診 荒井先生転勤の為ラスト 重粒子の紹介状3通と予約を入れて貰う。素早い対応に感謝。
        PET結果(3回目) 手術箇所以外は手術前のPET検査と同じ
        組織解析の為、手術で摘出したサンプルの提出依頼 
 
3/18 受診 群馬大で重粒子線受診 経過観察
4/1 職場復帰
4/3  受診 呼吸器センター外科/乾先生初受診
4/5  受診 府立成人病センター/高橋先生に組織の解析結果を伺う 
5/1  受診 呼吸器センター外科/CTで胸部に3mmの転移有り

5/29 受診 呼吸器センター外科/CTのピッチを1mmにして前回の上下5cmを精査、2mmの転移有り 
6/6 受診 呼吸器センター内でのカンファの結果、2つの転移に対しては経過観察に決定
      自家がんワクチンの為、手術で摘出したサンプルの受け取り

6/6 銀座並木通りクリニックで自家がんワクチン申し込み

 注射/週1回を3回 150万+診察料

6/30 休職

7/4 受診 呼吸器センター外科/CTで両腎臓、膵臓に転移 
       
7/11 受診 呼吸器センター外科/PET結果(4回目)で、脊椎(頸椎、胸椎、腰椎)、
       肋骨、腸骨、恥骨に多発骨転移
    骨転移があっては、治る事は無い。

呼吸器センター内科/三科先生初受診
   抗がん剤使用を検討する。この病院では血管肉腫患者でパゾパニブの使用経験が一例ある。
   気胸の副作用あり、片肺では直ぐ生命の危機に至るが、この病院は重大な因子とは捕らえていないようだ。

7/17 入院
7/19 受診 呼吸器センター内科/MRIで骨転移箇所を確認

7/22 パゾ開始


8/6 退院
   受診 呼吸器センター内科/本人退院後、三科先生に特別に時間を取っていだたいて治療方針等を伺う  

血小板が10万を下回る事があったが自然回復
甲状腺刺激ホルモン(THS)が20異常になるが、F3やF4の値は正常の範囲なので異常とは判断されず。

8/20CT結果
肺上部に最初からあって変化しないので、経過観察になっているもの 約10mmx2 → 少し縮小
肺に4月末、5月末のCTで発見されたもの  約5mmx2 → 消滅
  (腫瘍の大きさとCTのピッチが同じなので、見逃している可能性あり)
腎臓 10mmx2(左右) → 不変
すい像 20mm → 少し縮小




9/2 受診 整形外科/病的骨折が起こった場合のサポートのようで、今積極的に治療に関与するスタンスでない。
9/3 受診 ランマーク注射(2回目) 

9/10 心電図でST-T異常が大きくなった為パゾ中止
直後から、冷や汗、腕の痙攣・違和感、不安・焦燥感、怠い/体力ダウン

精神的症状、甲状腺異常、狭心症のいずれか不明。いずれもパゾパニブの副作用に入っている。

9/11 未明に急患で駆け込む。偶々心臓内科の先生で心電図をとってくれた。この心電図ではほぼ異常はおさまっていた。
  
9/18 カミさんへSOSの電話。急遽横浜へ。


9/19 受診 主治医の時間が取れない為代診 睡眠薬や安定剤を処方

9/26 受診 主治医中止勧告するも、高橋先生のメールで減薬選択 200mgでパゾ再開

10/1 受診 呼吸器センター内科/パゾ200mgで継続 ランマーク注射(3回目)
      8/20と比べてCTに大きな変化無し

10/3 自主判断でパゾ中止
10/5 亀田京橋クリニック/高橋先生受診 
    酸化窒素またはカルシウム拮抗剤で狭心症の症状を押さえて、パゾパニブを続けられる。

10/8 受診 再びパゾ中止勧告 転院迫られる 高橋先生にメールで亀田病院転院を依頼
10/15 受診 呼吸器センター内科/治療継続に一変 
心臓血管センター内か/永嶋先生受診
     (入れ違いに高橋先生から亀田病院入院のOKのメールが届く)

10/16 府立成人病センター/高橋先生に謝罪




11/5 入院
11/6 安全管理委員会よりストップ
CT検査。前回から変わらず。
11/7 条件付き承認

11/9 治療計画説明
12/11 CT 異常なし
12/18読影より2センチの転移あり
    8/? 10/1 2~3mm
  11/6 1cm
  12/11 2cm
12/20 退院
    退院の数日前から右足の痛み増大 フェンストテープ2mgから3mg
それでも24時間保たず。

12/21 亀田京橋クリニック受診
    冠動脈造影を勧められる。

12/24 受診

12/27 消化器センター大島准貴授に手術を拒否される。
http://fugaku2.blog74.fc2.com/blog-entry-1931.html
http://fugaku2.blog74.fc2.com/blog-entry-1934.html

主治医は、手術は患者の利益にならないと別の外科医が言ったという。
消化器センター大島貴准教授の身勝手な感情論だけではないと言いたいのだろう。
別の医者の見解をもちだして病院の総意と錯覚させる。 訴訟を避ける見事な連係プレーだ。この主治医は出世する。

1/6 拒否再確認
  市大の冠動脈造影の見解:太い血管が詰まっているような症状ではなくステントは不要な為冠動脈造影はしなかった。
整形:足の痛みしびれは腫瘍の増大によるものではない
    ?ならなんでなんだ

1/6高橋先生に大野先生の手術を依頼するが、市大でやるべしとの返事。
他の病院(キュアサルコーマグループ)では、片肺での麻酔はできないという

1/9 CT 新腫瘍増大と他の場所も増大

1/12 昨日から小水が出ず、膀胱が痛む
   休日に横浜市大、に駆け込み導尿により排出。通常400mlが漏らす限界の所600ml
 CTとMRIから仙骨の腫瘍が増大。原因は馬尾神経の腫瘍による圧迫と推定。
   整形外科の伊藤先生による緊急手術にて仙骨切除、除圧。

1/13 朝から痛みが激しく。午後オキノーム散を使っても痛みが軽減せずパニックに。
   気持ちはこの上なく暗いのに、手足を動かさざるを得ない焦燥感。右手が自分の手でない。
   術後で動き回る事が出来ずにベッドに手足をぶつける行動が続く。
   夕方個室へ移動。
   眠剤で眠らせても目が覚めると発作で手足をベッドにぶつける。本人に制御が出来ない。
1/14 朝、手術主治医の伊藤先生、抗がん剤の主治医三科先生にも来て貰うが、痛みが引くまで待つしか無いとの事。
   その後オキノーム散が効き始め徐々に落ち着く。
昼前食事開始

   精神科の森野先生に新しい安定剤と眠剤を出して貰う。コントミンは心臓のST-T異常に鋭気用があるため増量
   できずソラナックス。眠剤はレンドルミン。最近は病院でもこんな軽いのしか使えないのか。
 
   看護師さんの夜間点検の協力があり(起こさないよう)この夜は眠れてた。

オキノームが効くようになったのは、そのレベルまで痛みが下がったという話と、麻薬系の鎮痛剤で効かないのは
   手術の痛みではなく、精神的な作用があるがのではないかという話がある。

1/15 2夜続けての介助が終わる。2人に幅の狭い一台では殆ど眠れず疲れた。勿論一番しんどかったのは息子だ。
   帰阪してテレビを付けると大相撲春場所が始まっていた。もう四日目だったが、全く気が付かなかった。
   この4日間はそんな生活だった。

1/16 オシッコでたよのメールに安堵

1/28 退院

頻尿

2/4 三科先生最終診察

2/6 整形外科、伊藤先生最終診察 泌尿器科最終診察

2/8 大雪の中、大阪へ移動

2/10 西宮病院 楢原先生初診。

2/11 高橋先生にメール

2/16 吐き気がとまらない
   左足が痛くなってきた。右足の痛みは手術後は少しまし。オキノームは飲まずに居られる。

2/20 西宮病院入院
    吐き気はメジャートランキライザーで治る。
2/21 CT

2/21~2/23 外泊
2/24~2/27 ダカルバジン点滴
3/3~3/5 外泊

3/10 西宮病院 尿閉と右足の痛み フェントス8mgに
3/11 フェントが効いていいても、5分と立っていられない。座っていても痛い。3/9こごろから。急激に食欲低下。



3/13 西宮病院通院

   死の恐怖
    蓄尿感なし
   息子の部屋で3人で寝る


3/14 オキシコンチン、いきなりMAXの120mg/day

朝方近所の薬局で入手
朝60mg 夕40mg

横隔膜にくっついている転位腫瘍に痛みがあるという。

自分は情けない奴だと言うから、お前は立派な奴だと言った。
「考えても答のでない事は、考えるな
先の事は、考えずに今日の事だけを考えろ」と言った
本当に今までは、よくぞ冷静に過ごしてきたものだ。


3/15
昼まで眠る
傾眠が強い。

おしっこが少しでたが、夕方でず、パニックになる。
身体が
リスパザール、プラミテキソール、コントミン
恐怖が少しましになったら、不安が、強くなった。

オキシコンチンな朝40mg 夕方30mg


3/16
食が極端に細い。
麻薬の所為だ。

入院して、点滴をせんといかんと言ったら、無理にでも口に入れるようになった。
バナナ半分。ヴィダーinゼリー1本。どら焼き1個

オシッコが少しだけ出た。
もう3日も不安と恐怖が続いている。欝だ。

限られた余命なので、もっと楽に過ごして欲しいのに
をこんなふうに、無為より悪い状態で過ごさねばならないのが辛い。


長居公園植物園~α7S初出撃 (2)

2014年10月13日 10:05

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すすき?

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パンパスグラスという外国産の植物。
手すりの高さと見比べれば分かるように、ススキよりずっと背の高い植物だ。
55mmでは入りきらない被写体でも魚眼なら周辺まで楽に入る。


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55mmなら辺り一面の花畑に見えるけれど

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こんな花壇

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55mm

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魚眼


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ハートのゲートの下に鐘がある。
見たところ「中学生以下」「大阪市在住で65歳以上」又は「身体障害者およびその付き添い1名」の無料入場者が殆どだ。
こんなもん鳴らす奴がいるのかと思っていたら、キッチリ後ろで鳴った。