私の歴史 その6 防空壕のある家

2015年02月27日 09:52

小学校2年の時に今住んでいる場所に引っ越したが、それまでは借家に入っていた。
今なら地下鉄田辺駅から徒歩1分の場所だった。
当時、南海電車田辺駅はもっと西にあり、次の桃ヶ池駅との中間あたりになる。

oldhousess.jpg
以前は店舗であったようで、入り口が広い土間になっており、大きな縁台があった。
そしてその下には「防空壕」があった。

水道は無く、井戸から手押しポンプでくみ上げていた。
母は台所(土間にスノコを置いただけ)との往復で大変だっただろうと思う。
屋根はあったが完全に屋外にだった。

前栽には大きな石を組んだ築山があったが、「川」(石組みだけで、水は流れていない)
はしょっちゅう水を流して掃除しなければならなかった。
というのも厠から肥をオケで汲み取っていて、天秤がゆれると直ぐこぼれた。

2階には前栽側に縁側があって、進駐軍の双胴機P38が銀色に光って飛んでいくのがよく見えた。
台所や厠のある棟は平屋で、よく屋根一杯に布団を置いて乾かしていた。
ある日その上で遊んでいる内に、転がり落ちた。
下は石敷きなので、落ちたら大怪我になる。転げながらそう思った。
幸い、樋に引っかかって辛うじて助かった。


防空壕は、土間のコンクリートを割って、手掘で造ってある。深さは1メートルくらい。
籾殻が敷かれていて、薩摩いも等の貯蔵に使われていた。
寝転ぶと気持ちがいいので、絵本を持って入った事もあるが、
蓋を閉めると真っ暗になるのでお気に入りの場所という訳では無かった。



この防空壕は使えない。
建物が焼け落ちて来たら、そのまま出られなくなる。
蒸し焼きになるか、酸欠で窒息死してしまう。

直ぐ近くに模擬原爆を落とされたものの、空襲に遭わなかったので家は残り、家族も無事だった。





私の歴史 その5 神童か方向オンチか

2015年02月25日 10:30

その1

祖母に背負われて杉本町の祖母の実家へ行ったときの事。
祖母は帰り道で、道に迷ってしまった。
私が、曲がり角で指示した。らしい。
その通りに行くと、家に帰り着いた。
「負うた子に教えられるとは、この事や」と祖母は人に自慢していた。

負われていたという事は2才か3才の頃だが、私にこの記憶は全くない。



その2

母も小学校で教員をしていた。
夕方になって、急に母を迎えに行く事にした。
日直の時に、母に付いて行った事があるから道は知っている。
途中の本屋の前で待っていたが、母は現れない。
更に先へ進んだ。
ところが日が暮れてしまうと、景色がすっかり変わってしまった。
とうとう道が判らなくなって泣きべそをかいていた。
警官が来て、北田辺駅前の交番所へ連れて行ってくれたが泣き止まない。
羊羹を呉れた。
子供だから甘い物がいいと思ったのだろうが、甘い物は嫌いだったので益々泣いた。

その内に親が来てくれて無事家に帰れた。
幼稚園へ行く少し前の事だったと思う。



本当は方向オンチなのか、そうでないのか・・・・・・
今はスマホを持っていれば道に迷う事はないが。


早い者勝ち

2015年02月23日 10:15

母は76歳という、今では若い年で亡くなった。
たった1日の入院で誰にも看取られずに。

可哀想だと思ったが、今思うと2人の孫が志望校に現役で合格した
我が家が最も明るい時だった。
「あいつ」を(という事は弟も)進学塾へ行かせるよう薦めたのは母だった。

その10年後、父は半年寝付いて、可愛がっていた「あいつ」すら判らなくなって亡くなった。
それでも、あいつが、あんなに若くして亡くなる事を知らずに済んだ。
蒲団の上で転げ廻って遊ぶ2人の孫の相手をしているビデオが残っている。
この父の場所に私が入る「順番」が回って来る事はもうない。


あいつは、これからという時に亡くなって可哀想だと思っているが、
それでも先に死んで良かったと思うような事が、まだこの先も続くように思う。





子供を2人育て上げたのに、2人とも盗られるとは思いもしなかった。







そんな事を考えながら眠ったら、あいつが夢に出てきた。
ハッキリと夢に出て来たのは初めてだった。

図書館で、白い壁に向かって2人並んで座っている
トレーシングペーパーにカラーで塗り分けた地図を何枚か手にしている。
茶色の部分を指さして言う
「何か判るか」
「?」
「 鉄分や」
「ランドサットか」
そして、あいつは席を立っていった。

何故か裸で寝転がっている奴がいる。
今日の講義内容を思い出そうとするが、どうしても思い出せない
しかし、もうそんな時代はとっくに過ぎ去ったのだと自覚したら、目が覚めた。







私の歴史 その4  警官にホールドアップ

2015年02月20日 09:39

話は飛んで、社用でアメリカへ行った時の事


レキシントンは余り有名な都市ではないが、ケンタッキー州の州都である。
町の中には、フライドチキンのお店がゴロゴロと思いきや、一軒もない。ハイウェイ沿いにあるらしい。

静かな町で、週末には酒類の店が閉店するというストイックさ。

リンカーンハウスというのがあるので行ってみたら、リンカーンのカミさんの妹の家だった。
全然関係ないやんけ。

その帰途、空港での事。

手荷物のバッグを渡してロビーで待っていると、二丁拳銃を腰に下げた警官が怖い顔してやってくる。
ナマリのある英語で早口なので、最初は何を言ってるのだか、判らなかったが、
どうやら、荷物の中身に問題があったようで、「逮捕するぞ」と言っている。
今にも腰の拳銃を抜いてホールドアップしそうな勢いだ。

バッグをあけるとお土産のおもちゃを指さしている。

ここまできてようやく訳が判った。

来る時にニューヨークのプラザホテルの向かいにあったシュワルツという有名なおもちゃ屋で、
子供達のみやげ用に、おもちゃの6連発レボルバー拳銃を2丁買ったのだ。

おもちゃでも、機内で抜けば脅すくらいの事はできる。
「拳銃」は、別に預かって貰って事は治まった。

でも、ニューヨークからここへ来る時はOKだったのに。なんで・・・。




こうして持ち帰った拳銃だが、子供達の興味を引く事はできなかった。
西部劇なんて、放送してなかったからなぁ。


私の歴史 その3 寝小便

2015年02月18日 09:23

私はよく寝小便をした。らしい。

松山へ家族旅行した時に、道後温泉の宿でも・・・・・・。
matsuyama.jpg
これは、その宿屋での写真らしい。
まだ木造2階建て、3階建ての建物が並んでいる。

この時父は、松山城で靴を盗まれたから、悲惨な家族旅行だったに違いない。


この寝小便を治すために、天王寺の赤十字病院(当時は、ルシアスが建っている場所にあった)
で尻に大きな注射を打たれた。
寝小便が注射一本で治るのか? 今になってみると不思議な話だ。
ひょっとすると暗示だったのか。
それにしも注射が酷く痛かったのを覚えている。泣きわめいた。

ご褒美に、ディズニー映画のダンボを見せて貰った。
というより、エサで連れ出されたのだろう。
日本公開は1954年。もう6歳だったのか。

両親は小学校へ上がるまでに直したいと思っていたのだろう。
効果テキメンで、その後はピタリと停まった。


「あいつ」のネタ帳

2015年02月16日 09:30

「あいつ」のブログは、「オチのある日常話をご紹介していきたいと思います」と書いているように、
出来事や意見を記述するだけではなくて、笑えるオチのある小話のようになっている。
当初は、これをほぼ毎日書いていたのだから大変だったろう。
途切れないように、思いついたネタを後で使えるようにメモやメールの下書きで残していた。

これは、ブログとして日の目を見なかったネタである。
ブログに載せる時は、手を入れてもっと短くする積もりだったのだろうが、下書きをそのまま引用した。


日付は2007/12/18

『昨日、お酒を飲んでいた時、親父から電話が掛かってきまして。かなりアルコールが回っていたので、例によって例の如く何を喋ったかは覚えていないのですが。
 で、夜。トイレに行って寝なおそうとした時、急に思い出し笑いが始まってしまいまして。
 えー、あれは一年ほどまえの正月だったでしょうか。二階にあるシングルベッドを粗大ゴミに出すため、力仕事を頼まれました。
 まぁ実家にいるのは祖父と叔母、後は両親だけですから重いものの運び出しというのはなかなかできないんですな。
 家の形はロの字でして。真ん中は中庭となっております。まずはこの中庭に下ろそうということで、親父と私の二人でベッドを運んで行き、窓から半分ほど外に出しました。
 ベッドは階段のカーブを曲がりきれないので、こういう強引な作戦にでるしかなかったワケです。
 ベッドを窓枠の上に置いて安定させ、私が一人で支えている間に親父は中庭へと回りこみ、下で受ける準備をしました。
 ゆっくりゆっくりとベッドを外にずらして行き、窓枠の上を滑らせながら傾けていきました。私が支えなければならない重量がじょじょに増えていきます。シングルとはいえベッドなんて一人で持てませんから、全重量が掛かりきる前に親父に受け渡さなければなりません。
 腕の筋肉が悲鳴をあげる中、「もうちょいもうちょい」という親父の声を頼りに下ろしていき、
「よーっしゃオッケー」
 なんとか渡せました。
 私はさっきまで持っていたベッドの足を壁に掛けて手を離し、中庭へと向かいます。
 今度は二人でベッドの端を持って壁伝いにスライドさせていき、いけるところまで下ろします。多少キズが入ってもお構いなしでズリズリと。そして中庭に出るガラス戸にベッドが掛かりそうになったところでストップ。
 次はまた、壁につけていたほうの足の下に私が回りこみ、バンザイの姿勢で背伸びをしてなんとかキャッチ。そしてゆっくりと下ろそうとして――
 手がすっぽ抜けてしまいました。
 多分、予想よりも重量が掛かったためだと思われます。すでに乳酸のたまりまくっていた私の両腕は限界を向かえ、仕事を放棄。
 私は反射的に逃げました。
 ベッドが生み出すいやな風を受けながら後ろへと。
 私は無事でした。
 ベッドはそのまま自由落下し、中庭にあった大きな置石に腹を強打。
 っえー、この状況。ご想像つきますでしょうか。


 例えば、私が離してしまった側が力点だとしましょう。そうすると置石は支点になります。
 と、言うことは、親父が持っている側は、
 いやぁ、感動しました。
 人間って飛べるんですね。
 後ろにあった置石に背中を打ち付けて苦悶の声を上げる親父を見ながら私は、
 笑いをこらえるので必死でした。
 いや、分かってるんですよ。頭では。
 笑い所じゃないことくらい。
 でも体は正直です。
 だって飛んだんですよ? ベッドがシーソーみたいになってびょーんと。
 どこの三流コメディですかって感じに。
 ソレが現実に起こったとなれば笑うしかないでしょう。
 事実、そのことを話したら弟は大爆笑でした。
 そんなわけで突発的な思い出し笑いに現在頭を悩ませてます。』




「終の棲家」を造る時、不要な家具を整理していた時の話である。
前段落は事実のようだが、後段落はフィクションである。
だが、衝撃的な事実が····。

これまで、この「ベッドおろし」の作業は、既に80歳も後半になった父と運んだと思っていたのだが、
それはガラス戸付きの本箱で、ベッドは「あいつ」と運んだのだ。
けれども、あいつが一緒にやったと書いている作業のどんな片鱗も思い出す事ができない。
わずか7~8年前の事なのに、記憶から完全に脱落している。
単なるド忘れというやつか。それともボケが始まっているのか。

記憶のある内に書き留めておかなくてはと、この記事を書いた。







漢方スタイルカード改悪

2015年02月14日 12:22

kampokaiakus.jpg

ジャックスから見開き葉書が届いたら、こんなお知らせだった。

1point 5円だから、2000円で5円は0.25% の還元率。1.75%から一気に0.25%とは。
税金払い用のnanacoチャージ直撃だ。


残る高還元率カードは2%の有料リクルートカードと1.2%の無料リクルートカードだが、
使える先がじゃらんでのホテル代金か、PONTAに交換してHMVでCDを買う位しかない。


「キャンペーン」で充分知名度が上がったという事なのだろう。
いずれ来るだろうとは思っていたが、こんなに早いとは。
使い始めて1年でブームは去った。



私の歴史 その2 傷痍軍人

2015年02月13日 09:46

子供の頃には、街中でよく傷痍軍人を見かけた。

戦闘帽をかぶり、白い浴衣のような野戦病院の病人服を着ていた。
片手片足が義手義足で、松葉杖をつき、指の代わりに金属のフックが付いている。
そのフックの先に汚れたアルミの小さな弁当箱が、ぶら下がっていた。
横で仲間が、アコーディオンで軍歌を弾いている事もあった。
気の毒に思ってお金をあげようとすると、父が強く手を引く。
父は嫌な顔をしていた。


あれは、何処だったのか。
空が開けた場所だった。
橋の上だったのか。


ネットで見ると、天王寺駅の歩道橋に居たという書き込みが多い。

そうなのか。

旧の歩道橋の完成した年は・・・昭和40年。

あり得ない。

戦後20年が経ち、もはや傷痍軍人で通用するような時代ではない。
前年、東海道新幹線が開通し東京オリンピックが開催された。
記憶にある街の様子はそんな復興の前のものだった。
第一その頃私は高校生で、父に手を引かれている筈がない。

自分の目で見たことの無い光景を、面白半分に書いているガセネタだっだ。


では何処だったのだろうか。
人通りは多いが、混雑とまではいかない。橋の上・・・。

そうか、あべの橋か。
下を電車が走っている。

動物園へ連れて行って貰う途中だったのかもしれない。



私の歴史 その1 ルンペン

2015年02月11日 09:41

父は小学校の教員をしていた。私の通う小学校の。

低学年の時は父とよく銭湯にいった。

その時は、日は既にとっぷりと暮れて、僅かな街灯の明かりだけになっていた。

目の前を、父親と私くらいの男の子が、小さな手押し車を押して横切って行った。
衣服はボロボロで、顔は汚れて表情も判らなかった。
これからネグラへ帰る。そんな様子だった。
あの手押し車の中に、彼らに全財産が入っていたのだろう。


その時、父は私にこう囁いた。
「勉強せんと、ああなるぞ」





オックスフォード・ミステリー

2015年02月09日 10:08

海外ミステリーを専門にしている「AXNミステリー」は、スカパー・プレミアムでしか見られない。

古い「エラリー・クイーン」ものや、「MI-5」シリーズの再放送があればいいと思っていたが、古いものは再放送の
機会がどんどん減っていくようで、現在はいろんなイギリス・ミステリー・ドラマが放送されている。

先月、何度目かの再放送が終わった「主任警部モース」が面白かった。

護岸工事をしていない自然の小川に、石造りの邸宅と小さな森、パブには昼から客が集う。
ゆったりとした時間が流れる大学町のオックスフォードで、次々と殺人事件が起こる。

モースは、自分では動かず部下のルイス部長刑事にやらせる。
暇さえあればクロスワードパズルを解いている。
単語の綴りや些細な事での誤りを、指摘して悦に入っている。
上司としてかなり嫌な部類だが、ルイスは気にせず律儀に付いていく。

刑事物だがアームチェア・ディテクティブに近く、ルイスが得てきた手がかりを元に、直感的な推理で事件を解決する。
実際「オックスフォード運河の殺人」という作品では、研究書で扱われていた19世紀の殺人事件に疑問を抱き、
それが冤罪事件であると看破し、真犯人を指摘している。

原作者のコリン・デクスターは13の長編(25年間の間にたった!)しか書いていないが、ドラマは33本作られた。
それだけ人気があったという事なのだろう。

ちなみに日本語タイトルは「主任警部」になってる。Chief Inspectorを訳しているのだが、Inspector は「警部補」であり、
Chiefが付いて初めて「警部」になる。
ドラマの中で、モースが降格されたと嘆く場面がある。組織の簡略化の所為だという。
「Chief」を取られて、警部と警部補との区別が無くなったのだろう。


2つのスピンオフ作品が生まれている。

一つは「ルイス警部」

警部に昇進したルイス部長刑事が、モースの死後にオックスフォードへ転勤してきた。
ルイス役と女性監察医はモースの時と同じ人が演じている。
相棒はハサウェイ刑事で、ケンブリッジ卒という設定。神学専攻で、やたらと博識だ。
ハサウェイが俊敏に手かがりを集めてくるが、最後だけはルイスが決めて解決する。
イギリスでシリーズ続行中。

ハサウェイ役をやっているローレンス・フォックスは、ジェームズ・フォックスの子で、エドワード・フォックスの甥になる。
エドワード・フォックスはあの「ジャッカルの日」で、主役を演じた。


もう一つはWOWOWで放送している「新米刑事モース」

モースが若かりし頃、サーズデイ警部補に認められて、平巡査から刑事に抜擢された日々を描いている。
オックスフォード中退という事になっており、鋭い閃きで犯人を割り出す。
捜査は殆どモース1人で行い、最後にサーズデイ警部補の「承認」を得て逮捕する。

設定は原作より更に古い1950年代になっており、大学の、尖塔を持った美しい建物が背景を飾る。
2012年からシリーズ継続中である。


また「刑事フォイル」というシリーズがある。

舞台はオクスフォードではないが、同じような歴史街ヘイスティングスで、フォイルはオックスフォード卒になっているという事で・・・・・・・。

特徴は時代設定が第二次大戦中になっている事。
フォイルは警視正だが、部下の警部も刑事も戦争に駆り出されたようで、第1話で負傷兵とドライバーの女性
を部下に得ている。
警視正なのに「刑事」はおかしいが、原題は「Foyle's War」なのでもっと付けにくい。

鑑識も何もなく、現場の観察と推理だけで犯罪を暴いていく。
フォイルを演じているマイケル・キッチンは、口元を歪めるクセ(演技かも)がある。
それで「well・・・」なんてやる。これぞBritish。
品が良くて、声がハッキリしているとカミさんの好感度も高い。

前述のエドワード・フォックスやローレンス・フォックスがゲスト出演するエピソードがある。




海外ドラマは長い間ご無沙汰している。
翻訳ミステリ同様、ボャっと観ていると登場人物の名前が、こんがらがって来るが、
どれも、年に2~5回しか作られないスペシャルもので、質の高いドラマである。