60番 横峰寺~期待外れの寺 四国88箇所車遍路(40)

2015年11月30日 01:42



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11月10日
63番札所吉祥寺の手前で、石鎚山系の山の中へ入っていく。
鴨川の流れをせき止めて出来た黒瀬湖が眼下に広がる。


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マイカーからマイクロバスへの乗り換え場を過ぎて、つづら折れの細い山道を上がっていく。
ようやく、有料道路の入り口に到着。ここから先がまた長い。
「もう一生分のカーブは曲がったぞ」と思うほど延々とカーブが続く。


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カーブと対向車とのすれ違いに倦んだ頃、ようやく駐車場に到着。
750mまで上ってくると、遠くのしまなみ海道の橋まで見える。


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折角上がってきたのに、横峰寺へは坂を降りていかねばならない。
帰りが思いやられる。
参道の鳥居が見えてきた。
ん、寺の参道に鳥居 ?


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12時20分到着


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本堂から大師堂の方を見る。
社務所や宿坊が下の段にあるが、境内はこれだけ。
あれだけしんどかったのに、これだけかと正直ガッカリした。
歩き遍路なら尚更だろう。


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堂内の大師像は、顔をLEDでほの青く照らすという演出をしている。


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本尊の大日如来は厨子に収まって見られない。
しかし、前段に一体の明王の像が置いてある。
右手の三鈷や、右足を上げている姿からすると蔵王権現らしい。
この寺の寺宝に蔵王権現御正体というレリーフがある。
これも大師像の照明と同様のサービスか。


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星供大師の像
剣を持つ大師像は珍しい。
顔を憤怒の相に替えれば、・・・・よく見かける不動明王になる。


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駐車場からの道は寺の裏で、本来はここが正門。
歩き遍路の人だけが、ここから入れる。


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門は新しいが仁王像はずっと古そうだ。


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帰りふと見上げると、本堂の後ろに神社のような建物がくっついている。
ここも元は前髪寺と同じく石鉄権現の別当寺だった。
前の本堂は拝殿で、後ろの建物が本殿という権現造りになっていた。

前神寺も横峰寺も、真言宗の衣を纏っているが、その実は権現信仰が続いているのではないか。



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霧がかかって来たので急いで下山を始めたが、文字通り瞬く間に濃さを増した。
ベッドライトをつけても視界が改善されない。
クラクションを鳴らしながら降りた。


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暫くすると霧は晴れた。
山の上だけにかかっていたようだ。

黒瀬湖の紅葉を眺めながら岸に沿って走っていたら、曲がり角を間違えた。


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来る時にはなかった黒瀬ダムが見られた。
大回りをして11号線に出て来たら、前神寺より更に手前だった。
車だから僅か15分の遅れで済んだが、歩き遍路だったら泊まる場所からやり直さなくてはならない。



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64番 前神寺~権現信仰の寺 四国88箇所車遍路(39)

2015年11月28日 00:35



11月10日
松山自動車道を西条ICで降りて国道11号線を西へ、旧道の讃岐街道に入り、暫く走って10時40分前神寺に到着。

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一の門の中に大きな駐車場がある。
門の扁額に「石鉄山」とあるのは石鎚山の事。


前神寺に入る前に石鎚神社との関係を少し
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石鎚神社の本社は前神寺の直ぐ西の山の麓にある。
「石鎚山」という共通のJRの最寄り駅があり、駐車場はすぐ目と鼻の先だ。

前神寺は横峰寺と共に石鎚権現の別当寺だったが、ともに神仏分離で廃され前神寺の境内は石鎚神社の本社となり、
横峰寺は西の遙拝所とされた。
前神寺は早くも明治12年に前上寺(読みは同じ)として復興され、明治40年には前神寺に復した。
横峰寺は大峰寺として復興され、明治43年に旧称に復した。
石鎚権現は石鎚権現号が廃止され、石鉄神社(本尊は石土毘古命に変更)となり、明治35年に石鉄神社から石鎚神社に変更された。

権現は神仏習合の下で産まれた神なので、明治政府の神仏分離策によって潰された。
家康が東照大権現であった事も関係してるかも知れない。
有名な金比羅神宮も金比羅権現であったので、神仏分離後大物主に置き換えられ、別当寺の松尾寺は廃寺になった。


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境内の墓地にある巨大な山田家の墓。


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最初に大師堂が現れる。
天辺に水煙をもった、凝った造りの屋根だ。


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角度を変えて撮る。
提灯に石鎚神社のマークと徳川家の葵の紋が入っている。
歴史的な関係が今も続いている。


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大師堂と鐘楼の間の参道を進み、本堂や諸堂宇はもっと高い位置にある。
こんなに低い位置に大師堂があるという事は、寺側では88箇所霊場に重きを置いていないのではないかと思われる。


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本堂や諸堂宇は石橋を渡った先の階段の上にある。


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崖には滝不動明王がある。
かっては滝打修行の場であったが水が枯れ、今は1円玉を投げて岩肌に張り付くとご利益があるとされている。


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典型的な権現造りの本堂に美しさを感じる。


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両側の通路が伽藍の回廊のように見える。


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この通路や最下段の庇屋根は、最近付け加えられたものである。
2000年放送の「水曜どうでしょう 四国88箇所Ⅱ」では本堂だけの姿で映っている。


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本堂の祭壇に仏像が置かれている。
中央にないので脇侍とも思えるが対になる仏像が無い。
本尊の阿弥陀如来は立像なのか。


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本堂から更に階段で上にあがる。
「石鉄山大権現」とある。


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大師堂同様ここにも石鎚のマークの両側に徳川家の葵の紋の提灯がある。
葵の紋はこの辺りを治めていた西条藩が、一柳から松平に替わっているのでそこから使用を許されたとも考えられるが、
元々祀っていた石鉄大権現が本堂よりも高いところにあるという事は・・・・・・。


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内部の祭壇にはさしたるものは無かったが、壁に「石鉄山蔵王大権現」の提灯と天狗のお面が吊されていた。
石鎚山には「大天狗」の伝説がある。


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ここから「下」の本堂を見る。
お参りしている時は気がつかなかったが、軒の石鎚神社と葵の紋の提灯がよく判る。
お大師様より石鉄大権現との関わりの方が強く重い寺だ。


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前神寺は大きな寺で鐘もありそうなのに山門が無い。
一方、石鎚神社本社には、神社なのに山門がある。
現在の石鎚神社本社は元は前神寺なので、その山門が残っているのか。
しかし、石鎚神社の山門はそんな古いようには見えない。
前神寺は金がありそうだから、山門の一つや二つすぐに造れそうなのだが。
仁王像が残っていて、それを石鎚神社が返さないというような事情でもあるのか?



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65番 三角寺~鑑賞に値する本尊 四国88箇所車遍路(38)

2015年11月26日 01:01



11月10日

四国88箇所車遍路第5回
前回のポリシー「高知市内の30番善楽寺から36番青龍寺を後回しにして、冬季、車での参拝が困難になる
愛媛県の岩屋寺や横峰寺を11月中に廻る」を継続する。

前回の8寺と今回の18寺で愛媛県の全26寺を回り終える。


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※実時間(min)=(参拝時間の合計+寺間移動画時間の合計)×1.27+30



今回は2泊とも西条市の旧東予市内にあるカミさんの実家に泊まる。

1日目は愛媛の最東端寺65番三角寺から60番横峰寺まで逆打ちし、壬生川に入る。
実際には横峰寺は63番吉祥寺と64番前神寺の間から山に入るので、65→64→60→63→62→61の順になる。

2日目は松山に行って、前回の47番八坂寺に続いて48番西林寺から53番園明寺の6寺を回り松山の8寺を回り終える。
続いて国道196号線で今治に向い、延命寺、南光坊の2寺と、計8寺を順打ちで回る。

3日目は今治の残り4寺を59番国分寺から56番泰山寺まで逆打ちし、しまなみ海道・山陽自動車道経由で帰宅する。




最初の目的地が、愛媛県の東端と近くなったので、出発も前回より1時間遅い5時40分になった。

津田の松原SAで朝食に讃岐うどんを食べるべく、少し遅くなる高松自動車道を選んだが、
「麺類は10時から」と最初からあてが外れた。

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難所というほどではないが、つづら折れの道をだいぶ上がってきた。


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9時13分到着
山門までは自然石の階段を一気にあがる。


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ここの山門は津照寺のように鐘楼になっている。


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赤く塗られた仁王像は造形が良い。


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江戸末期建立の本堂は金閣寺のように屋根が二層の方丈で、一層目の屋根の広がりが自然に感じられる。



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前回(10/28-29)は各寺の境内のモミジがまだ緑だったが、本堂の周りのモミジが紅葉している。


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本尊の十一面観音が脇侍と共に見られる。
本尊といっても前仏の中には型に流し込んだような仏像もある中で、これは本物の「仏像」だ。


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大師堂は本堂より一段高いところに建てられている。
大師像は見られなかった。


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こちらは旧の石段で、使用禁止になっている。
現在の山門は社務所の前にあるが、ここだと本堂や大師堂の前になる。
こちらの方が自然だが、大きな山門を作りたかったのか。


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薬師堂も仏の姿は見られなかった。


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三角寺の由来となった小さな池が境内に有り、弁財天が祀られている。




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47番 八坂寺~お墓がいっぱい 四国88箇所車遍路(37)

2015年11月25日 00:15



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10月29日
14時33分、松山市内2箇所目の八坂寺到着。
今シリーズこれが最後の寺になる。

この橋が山門になっている。
天井に極楽浄土が描かれているのだが、見落とした。



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鐘楼は普通だが

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本堂は鉄筋コンクリート


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ご本尊の阿弥陀如来は、正面は飾りの多宝塔で隠してあるが、ちょっと横へ廻ると見られる。


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大師堂は木造で

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お大師様も見られる。

本堂と大師堂の間にコンクリートのアーケードがあって地獄と極楽が壁に描かれている。
また駐車場に「いやさか不動尊」という寺の由来となった名の不動明王像があるが、これらは撮り忘れたり見逃したりしている。

集中力が切れている。
2日で1100km走り、昨日から11寺目だ。
歳を痛感させられる。


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帰り道は墓地の中を通るようになっている。
見渡す限り墓石

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平地は埋め尽くされ、今は山の斜面を墓地に造成している。
かっては修験道場であった裏山は、見渡す限り八坂寺の敷地である。
この山が何時か墓で埋め尽くされる。
幾ら無税の金がこの寺に転がり込むのか、ちょっと想像も付かない。

松山の叔母がこのどこかで眠っている。
母と同じパーキンソン病だった。
キリスト教の集合墓だと聞いていたので形から判るかと思っていたが、甘かった。
ただ合掌するのみ。





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46番 浄瑠璃寺~木がいっぱい 四国88箇所車遍路(36)

2015年11月24日 00:45



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10月29日
33号線でつづら折れの三坂峠を越えると、下に松山の街が見えてきた。
松山と高知を結ぶ国道33号線はかって、高松高知間のの32号線と合わせて「V字ロード」と呼ばれていた。
高速道路が出来てそんな呼称は無くなってしまっただろう。


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市街地に近いのに境内には大きな木が林立している。
かっては相当大きな寺域を持っていた寺だと知れる。
14時1分到着

駐車場への通路はバスが通る狭い道で切り返しが必要だった。
路肩へ駐めて置いて、出て来たら後ろに列ができていた。
ベンツにクラウンマジェスタもある。あれで車難所を通ってきたのか。



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本堂も鐘楼も樹木に囲まれている。


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本堂の千社札はなかなか賑やかなのだが、


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脇侍だけ外に出してあるが、本尊は厨子の中である。


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隣の大師堂はオープンになっている。


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大師像が見られる。



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伊吹柏槇〔イブキビャクシン〕の木の下の「籾大師」
樹齢1000年はちょっと疑わしい。




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44番 大宝寺~鐘楼が2つある寺 四国88箇所車遍路(35)

2015年11月22日 08:08



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10月29日
県道12号線で岩屋寺~大宝寺へ向かう途中、国の名勝古岩屋を通過。
国民宿舎前の駐車スペースは紅葉を見る車で一杯だった。


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集落に入ると一の門があらわれる。
この前後の百メートルほどは車が一台しか通れず、対向車があるとどちらかが脇道に入って避ける事になる。
プチ車難所だ。


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駐車場に車を置いてしばらく歩くと、参道が現れる。
右の道を行くと本堂のすぐ横まで車で行けるが、仁王門から入るには左から入る。


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亭々たる杉並木の参道なのだが、下が砂利道で歩きにくい。

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やがて仁王門が現れる。
12時49分到着。


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まだ新しい立派な二層の山門なのだが、向きがおかしい。
門というのは参道に対して直角についてるの普通だが、ここのは平行になっている。
ここしか山門を作るスペースが無かったのか。
普通は山門の配置まで考えて寺を造ると思う。
本堂の下まで石段で繋げたら丁度良くなるが、それなら門より石段が先だろう。

立派な山門なので、後から無理矢理造ったと思いたくないが。

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ほどなく本堂が見えてきた。


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あれ程賑わっていた岩屋寺の次の札所なのに、参拝者は我々だけでひっそりしている。
山の中にこんなに大きな建物があるのに人がいないと、妙な恐怖感を覚える。
山岳宗教というのは、そんな人間の気持ちを利用してるのかもしれない。


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本堂天井の雪洞のデザインがちっょと変わっている。


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こちらの鐘楼は本堂の右にある。


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左にも鐘楼がある。
こちらは戦没者の慰霊の為に造られている。


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大師堂も大きくて立派だ。
しかし残念な事に、本堂にも大師堂にも仏や大師の像が無い。
今回はこういうパターンが多い。
真言宗は偶像崇拝を止めてイスラム教化したのか。


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本堂と大師堂の間に本尊と同じ十一面観音のブロンズ像があった。



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45番 岩屋寺~車遍路ころがしの寺 四国88箇所車遍路(34)

2015年11月20日 08:03



10月29日
いよいよ「あの寺」にいく。
車遍路にとって最もきつい寺だ。

そのまえにちょっと寄り道。
内子の町家や内子座は「JR全線完乗」の際に見たが、「屋根のある橋」は車でないと行けないので見ていない。

岩屋寺に行くには松山自動車道を内子五十崎ICで降りて東に向かうが、反対の西に向かった。

県道243号線を15分ほど走ると、道路から田丸橋が見えてくる。
グーグルマップにも登録されているのであっけない程簡単に見つかった。
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橋に屋根をかけるのは木製の橋の寿命を延ばす為の工夫である。
しかし道路事情が良くなってコンクリートの橋が架けられると、こういった工夫も必要なくなり、屋根のある橋は姿を消していった。
NHKの「坂の上の雲」に出て来たこの田丸橋は「復元」だった。

この先、車で20分の弓削神社には「太鼓橋」と呼ばれる反り返った屋根付き橋がある。
しかし、ここまで来る間にも道が細くなっている場所が何カ所もあり、札所までのアクセス道路と違って向こうも油断しているから、いきなり正面に車が現れてビックリする事もあった。
もういいやという気になって、引き返して岩屋寺に向かう事にした。


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11時2分参道入り口到着。
88箇所にしては珍しく、店やが軒を並べている。


ここへ来るまでに一汗かいた。

380号線から33号線に入ると道幅も広がり、快適なドライブだった。
ところが赤い細い橋を渡って岩屋寺にエリアに入ると、いきなり集落内の、畦道に毛の生えたような細い道になる。
距離が僅かだし、奥に駐車時用の入り口が見えていた。
駐車場に入ってみると、狭い上にほぼ満杯だった。
しかし、そこから上の駐車場へ行くのは躊躇させられる。
入り口がほぼ直進だったので駐車場には入れたが、「上」へ行くには右折して出なければならない。
道幅がギリギリの上、切り返しするスペースもない。車福が大きいFF車には難しい。
皆が敬遠して空いていた最も奥のスペースに、何度も切り返しをして入れた。

ここは駐車場もヤバい。二重に車遍路には難所の寺だ。

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暫くすると山門があるが、これはほんの序の口。

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こんな階段が延々と続く。
歩き遍路さんには普通の参道なのだが、車遍路の場合通常、駐車場は本堂と高低差の少ない場所に設けられている。
しかし、ここだけは車を降りてから歩き遍路さんと同じ参道を行くのでシンドく感じる。

本堂の高さは700mだが、久万高原内にあって国道でだいぶ上ってきている。
参道入り口からの比高では、車で上がった感覚からすると鶴林寺や神峯寺の方標高差が大きいのではないかと思う。


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所々平坦な部分があるが、これが良いのか、それとも気が緩んで却って辛くなるのか。

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願掛けが成就してお礼参りに奉納された地蔵様が無数に並んでいる。


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ようやく社務所の建物が見えてきた。
20分で上ってきた。

西国33箇所 その5 第4番槙尾山施福寺~最難関札所 ではノーブレイクで、30分で上った。
あれよりは楽だった。


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鐘を突いているのを眺めながら一休み。
本堂や大師堂はもう一段上にある。
空気が冷たいので、汗がどんどん引いていく。

それにしてもお参りする人の多い事。
我々はここだけ44番大宝寺と入れ替え、逆打ちでやってきたが車遍路でも順打ちの人も多いだろう。
両方から来た人がここでぶつかっている感じだ。


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人の顔のような岸壁だが、女の仙人から譲り受けたという岩窟は梯子のかかっている所だ。


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社務所も前だけで、後ろは岩にめり込むように建てられている。


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修復中だが、2本一組の柱が特徴的な建物は威厳がある。

大正時代の建物だが重要文化財になっている。
大きくて重い柱を、あの山道を人力で上げたのだろうか。


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荒れているが山門がある。
八丁坂を登ってきた歩き遍路さんはここを通って岩屋寺に至る。
駐車場からの参道にあった山門ではなくて、こちらが本来の山門である。
しかし、駐車場からの参道に並んでいる夥しい数の仏像は、既に参道が世代交代してしまっている事を示している。


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さてお参りと、ご本尊の名前を彫った札を探したが無い。
大きいので、てっきりこちらが本堂かと勘違いしていたが大師堂だった。


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こちらが本堂だった。


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梯子を登ってみたが、段の間が長いので上りにくい。

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小さいと思った本堂も、ここから見ると結構大きい。


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本堂の扉はここでも閉ざされている。
ここから手を突っ込んで賽銭を入れるので、桟がすり減って外れかけている。

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中を見ても本尊は見あたらない。
千羽鶴の横に小さな仏様の顔があるが、どう見ても不動明王には見えない。脇侍だろう。


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帰り道で寺のご本尊と同じ不動明王が祀られているのを見つけた。
この寺は何度も火事で堂宇が焼失している。
今でも消火設備が無いので火が出たら全焼になる。
信者の団体が作ったようだが、ここなら火の心配がない。

でも不動明王って火の神様なんだろ。




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蘇生した南天

2015年11月19日 10:13



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一昨年、父が鉢植えにして残していた南天を、水やり不足で枯らしてしまった。


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しかし、その2ヶ月後に枯れ木の根元から小さな芽が吹き出してきた。


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その南天は、まだちょっと元の大きさには足りないが、今年は実を付けて紅葉した。


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今年1/2の大きさにバッサリ剪定した紅色常磐満作も、紅葉して秋咲きの花をつけている。


[GX7+NOCTICRON 42.5mm]



43番 明石寺~武家の保護を受けてきた寺 四国88箇所車遍路(33)

2015年11月18日 10:56



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10月29日
松山自動車道の無料区間を使って、仏木寺から25分ほどで明石寺の参道に入った。
ここも石の鳥居が神仏習合であった事を物語っている。



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8時14分明石寺到着。
2階建てでは無いが、大きくて立派な仁王門だ。



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大草鞋が左右に2つずつ、2対奉納されている。


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源光山という山号は源頼朝が、命の恩人である池禅尼の菩提を弔う為に堂宇を修理・寄進した時に変更されたという。
江戸時代には宇和島伊達藩10万石の祈祷所(菩提寺ではない)となり、多くの末寺を持って栄えてきた。

山の麓だが境内はよく拓かれてゆったりとし、一回り大きな寺に感じられる。


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山門前の手水場も立派な造りになっている。


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本堂
唐破風の重厚な造りだ。


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下の段のこれが大師堂かと思ったが違った。これは地蔵堂。


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鐘楼があって

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本堂の右、鐘楼の前の小さな建物が大師堂だった。
(撮り忘れてた ;´∀`)


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本堂の厨子は閉じられて仏様は見えない。


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床一面が賽銭箱になっている。
仏様は見せてやらん。賽銭は置いて行けと。


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隣の大師堂も同じ。


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夫婦杉があるが、由来は不明。


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お経をあげる外人さんもいる。
日本人の心をどこまで理解してもらったのだろうか。


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神仏分離で熊野権現と分離した。
この社は体裁を保っているが、


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熊野12神の社はからっぼで、荒れている。


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帰りに入り口の鳥居に行ってみたが、参道は使われている形跡がない。

ここでは神は仏に追い出されたようだ。



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都構想のウソ

2015年11月16日 11:30



22日のダブル選挙でまたぞろ都構想の是非を問うという。
住民投票から旬月も経たぬ間に、否定された話を持ち出すとは、有権者をバカにした話だ。


都構想を一言で言えば、大阪市で得た税金(市民税・府民税・固定資産税・地方交付税)を府下にバラ蒔く仕組みだ。

どう言い繕ってみても、これまで、市が自らの裁量で使ってきた予算を取り上げられて、
その一部だけを返して貰って使うというシステムに変わるのは明らかだ。
自分が稼いだ給料をカミさんに押さえられて、僅かな小遣いを貰うサラリーマン亭主になれという。


勿論、独自に地方債を発行する事なぞできなくなる。
これでサービスが低下しないとどうして言えるのか
二重行政の無駄などという綺麗事では済まされない。
橋下が狙っているのは、将にこの大阪市の予算だ。
二重行政の無駄という市予算に比べてワンオーダー小さい話で、市予算全体を乗っとろういう
こんな案に賛成する大阪市民が居るという事が私には理解できない。

二重行政の無駄なくすというなら、
市が出来る事は総て市がやる。府は口を挟まないという逆の流れもある。
元々政令指定都市はその方向を目指している。


旧東京市、23区でも同じ事が戦時下の非常措置として行われ、戦後も解消されなかった結果
世界の首都と比べると見劣りするようになった。金がないから。
そして、とうとう東京都も地方交付税を受けるようになった。


徴税権を壊失し、執行権を「身の回り」の事に限定される。
どんな小さな自治体でも出来る事ができない、まともな自治体でなくなる。
自分の住む処をそんな処にしたいという。私には理解出来ない。


一旦「都」として吸収されたら、絶対もとには戻れない。
戦後70年23区が東京都に対して運動してきた成果は、僅かな自治権の拡大を認められただけだった。
金ヅルは潰れるまで使役され続ける。



かって橋下の手下のゴロツキ議員が石原慎太郎氏に言った言葉を返そう。

「壊し屋」橋下も松井も大阪から出ていけ!