日の出製麺所の「究極のさぬきうどん 」

2016年01月31日 09:32



以前、高速のサービスエリアで日の出製麺所の「生うどん」を買った事がある。
弾力のある腰の強い食感で、噛むほどに美味しさが広がった。

山田家や長田in香の香で買って帰った「生うどん」が、家では店と違う食感だったので、日の出製麺所のを通販で買ってみた。


通常は「生」と言っても日持ちがするように、水分を少し飛ばした半乾燥の状態になっている。
いわば「半生」なので、お土産とか通販で売っているものは、店で食べるのとは元々違う。

日の出製麺所では「究極のさぬきうどん」として乾燥していない生うどんを通販で出だしている。
賞味期限は1週間と短く、クール便で運ばれて、冷蔵庫で保管しなければならない。
生酒と同様の取り扱いになっている。


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実は当初、サービスエリアで買ったのと同じ普通の半生のものを買う積もりだった。
「究極のさぬきうどん 」はその後で買って比較しようと思っていたが、間違ってポチッとやってしまったらしい。
パックを持って、余りに柔らかいので気がついた。

300gx4パック、12人前あるので2人で毎日食べる勘定になる。

1人前100gを2リットルの湯に入れて、やや短目の12分間茹でてみた。
それで充分柔らかかったので、添付されているぶっかけ用のだしをかけて食べた。
柔らかいが、弾力があって伸びる。
適度な歯ごたえがあって麺の味を楽しめる。
柔らかさとコシという相反するファクターを満足させてくれる逸品だった。
成程これなら、香川県人のように毎日でも食べられる。

日の出製麺所の食堂は毎日1時間しかやっていないので、現地で食べるにはそれを目的にして行かねばならない。
それと同じものが好きな時に食べられる。間違えて購入したが、結果オーライだった。





74番甲山寺~小ぢんまりした寺 四国88箇所車遍路(69)

2016年01月29日 20:15



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12月14日
15時34分甲山寺到着
観光バスが何台も駐められそうな広い駐車場だが、他に駐めている車は無かった。


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「正門」へ向かう。
駐車場とはウラハラの小ぢんまりとした境内だ。


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本堂


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ご本尊の薬師如来像が見られた。


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こちらは大師堂。
お大師様の方は見られず。


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洞窟の先に造られた毘沙門堂
甲山の麓の、この洞窟に住む老人から「ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言われ、
毘沙門天の石像を造り、満濃池完成の報奨金の一部でこの寺を建立したという。


本日のお勤めはこれで終了。
なんとか予定通りに、16時に高速に乗れそうだ。
後からやってきた黒のクラウンアスリートに続いて寺を出た。
途中で我々とは反対の方向に曲がって行った。善通寺を目指すのだろう。
あれで車難所も行くのかと暫く見送っていた。


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まだ日が暮れていないので与島のサービスエリアに降りた。
一家4人でカミさんの実家に帰省する時には、必ず降りて休んでいた所だ。
久しぶりに来たが、すっかり変わっていた。
最後に来たのは、まだ「あいつ」が小学生の頃だった。
それ以前は、JRの宇高連絡船か南港-東予港のオレンジフェリー、もしくは三原-今治の高速船だった。
オレンジフェリー以外のルートは廃止となり、瀬戸大橋ルートも明石海峡大橋が出来てからはご無沙汰になっている。



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2階屋上の展望台へ上がったら丁度日が沈む所だった。


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75番善通寺~空海一族の氏寺 四国88箇所車遍路(68)

2016年01月27日 20:15



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12月14日
満濃池から善通寺市に戻って善通寺に向かう。
五重塔が見えるアクセス道路に面して幾つもの煉瓦造りの建物がある。
舞鶴の赤煉瓦倉庫のような景色だ。
この旧11師団跡は自衛隊14旅団の駐屯地になっている。
善通寺師団は、「また負けたか八連隊」と揶揄された大阪の軍とは正反対に非常に強かったと父がいつも言っていた。
善通寺は寺だけでなく軍都としても有名であった。


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14時50分
善通寺は弘法大師生誕の地で境内が東西2院に分かれている。
西院は佐伯氏の屋敷跡、東院は佐伯一族の氏寺とされている。
西院の仁王門から入る。


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仁王門から屋根付きの廊下が大師堂まで続いている。


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ここでは大師堂の事を御影堂という。西院の中心となる大きな建物だ。


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厨子の扉は閉まっていて「御影」は影も形も無い。


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大師が入唐時、母のためにこの池に映った自分の姿を描いたという。
善通寺は空海の父、佐伯善通が建立し、道隆寺同様自らの名を寺に冠した。
空海は最澄との対比で「野人」のようなイメージがあるが、非常に裕福な豪族の御曹司だった。


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御影道の左側に空海の少年時代の像がある。


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鐘楼


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鐘を突いたが音が小さい。よく見ると鐘木の先に黒いゴムのようなモノが貼られていた。
善通寺市を支えているこの寺でも、うるさいという苦情が来るのか。


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中門から東院に入る。
西院と東院は1ブロック離れているが、2つの境内を結んでいる道の両側にも末寺の寺院があって、一続きになった境内を歩いているのと変わらない。


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沢山のお堂があった西院と違って、こちらは広々している。


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東院の鐘楼は櫓型だが扉が閉まっている。


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近くに寄って見るとでかい。
この塔は4代目だが、江戸末期に着工し3代の棟梁を経て明治35に竣工した。余程の難工事だったのだろう。
四国最大(45m)にして、全国の木造五重塔の中でも三番目の高さという。
45mでこれだから国分寺七重塔の60mという高さは、当時の人にとっては摩天楼に思えただろう。
そんな塔が奈良時代の日本各地に建っていたのだろうか。



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裳階造りの本堂。


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本尊は3mの高さの薬師如来座像。立てば4.8mの丈六仏だ。
88箇所でこれだけ立派な本尊は他に無い。
あちらは盧舎那仏だが、お堂と言い東大寺のダウンサイジング版の感がある。


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本堂の前は線香の煙が燻っている。
祈願の「用途」によって違うがどれも極太の線香だ。
合格祈願、厄除招福、商売繁盛・・・・まさに何でもありだ。



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南大門から出る。


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この門のすぐ脇に場違いな木造の建物がある。この建物に関して、
『旧讃岐鉄道の琴平駅舎だというのです。(中略)この建物は駅そのものではなく、駅員の部屋や貴賓室などがあったそうです』という記事がある。
(『どこいっきょん?/善通寺・南大門付近の建物』http://jaimelamusique.blog.fc2.com/blog-entry-397.html)。

確かに1階は改装されているが2階は公的な建物であった雰囲気が残っている。
讃岐鉄道は現在の予讃線・土讃線の元になった鉄道で、ここに移築されたものだという。

気にはなるが、何時取り壊されても不思議のない程に老朽化した建物である。




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長田in香の香と満濃池

2016年01月25日 21:14



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12月14日
金倉寺から県道に出た所に、さぬきうどんの有名店「長田in香の香」がある。
13時5分。時分時をすこし過ぎたが、駐車場はほぼ埋まっている。


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釜揚げとそれを冷やした「ざる」だけ。
トッピングはなくサイドメニューに、いなり寿司があるだけという極シンプルなメニュー。
付けダレは大きな徳利に入れられてくる。
終わると熱いタレを継ぎ足して次の客に回す。熱容量が大きいので冷めないという事なのだろう。
客は多いが、メニューがシンプルですぐ食べられるので回転が早い。


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生から茹でるので20分ぐらい待って運ばれてきた。
私は釜揚げの大、カミさんは小で丁度良かった。
特大は若い人用だ。
柔らかいがコシがある。食べ終わるまでずっと湯の中に浸かっているが、最後までノビるような事はない。
タレはそれほど濃くないが、幾らでも継ぎ足せるので薄くならない。
大型徳利のタレは釜揚げうどん専門店の知恵だ。

うどんが来るまでの間に食べた、いなり寿司と合わせて2人で900円也の昼食だった。
安いから、昼食に来る付近の人も多いようだ。



善通寺を通り越して先に満濃池へ向かう。
天気予報では午後から曇りだったが、まだ晴れが続いている。
その間に満濃池を撮っておきたかった。

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14時満濃池到着。
池というよりダム湖の風景だ。しかも堰高が低いので水面がすぐ足下にある。
事実ここは土を盛りあけで堤にする溜池と違って、金倉川をせき止めて造られてたダム湖だ。
弘法大師が天皇から別当(総責任者)に任命されて造ったとされているが、その後に決壊したまま何百年も放置されていた。
「池跡」には民家、田畑が造られたという。
江戸初期に西嶋八兵衛による改修が現在の堤防の礎となっている。
その後幕末に地震で決壊したが、明治から昭和初期にかけて何度も嵩上げされ、日本一の貯水量を持つ溜池となった。


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堤防の反対側は深い谷になっていて、緩やかなスロープが水の重さを支えている。
この高さまでほぼ人力だけで積み上げてきたのだ。

私のミニ観光には淡泊なカミさんが「人が造ったものとは思われない。来て良かった。」と言った。


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下には小さな水門があって、金倉川の水量を調節している。


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水門でできた小さな「池」の周りは「ほたる見公園」と呼ばれており、6月の放水(ゆる抜きと呼ばれている)の時には大勢の見物人が来るという。


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76番金倉寺~純正天台宗の寺 国88箇所車遍路(67)

2016年01月24日 10:15



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12月14日
12時35分金倉寺到着


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集落の中の寺だがその周囲は田畑なので、山門をくぐると境内は広々している。
この楠は樹齢1000年だという。



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本堂の手前に立派な鐘楼があるが、境内は広いし街中と言うほどの集落でもないのに何故か突けない。


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大きな本堂だが、天台宗の寺だ。しかも途中で改宗したのではなく最初から天台宗というは88箇所でここだけしかない。
真念時代の88箇所には神社も沢山入っているので、他宗の寺があっても違和感はなかっただろうが、弘法大師との「縁」は少ない。

弘法大師の甥(又は姪の子)で天台寺門宗の宗祖、円珍誕生の寺で、天大門宗別格本山となっている。
総本山は圓城寺で、本山というのはそれに次ぐ格式の寺だ。

円珍の祖父和気道善が道善寺として創建し、後に金倉寺と改称した。
和気とあるか円珍のらカミさんの一族だ。
この前の79番道隆寺も和気一族が創建している。
道鏡を追い落とした和気清麻呂は岡山県の豪族だから、和気というのは瀬戸内海の両岸を支配していた一族なのだろう。



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そういう有力かつ金持ち寺なのだが、脇侍は出ているが本尊の厨子の扉は閉ざされている。


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念珠の大きいのが掛かっている。
願供養念珠というらしい。
歳の数だけカタカタと鳴らして数珠を繰り、願掛けをする。


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金の大黒や、

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小判の形をした絵馬がある。

金倉寺の名前に(金の蔵)引っ掛けているだろうが、少々悪ノリのように思う。
金蔵というのはこの辺りの地名で、付近を流れる金倉川(かねくらがわ)は金刀比羅宮の参拝客の禊にも使われていた。
785段の石段の先を横切るこの川には、神様が渡るための屋根のある橋が架けられている。

金倉というようなお目出たい名前は、新田や新開地で験を担いで用いられる。
単に地名を取っただけで、寺には金運に縁があるような由来はない。
尤もこれだけ広い境内を維持できるという事は、金儲けの上手な坊さんである事は間違いない。
駐車場も自己申告では無く、係員が常駐していた。


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訶梨帝母堂(かりていもどう)すなわち鬼子母神を祀ってある。


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人の子を喰っていたのを悔い改めたという事から、子宝や安産の神という事になっている。


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立派な大師堂だが、


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円珍の智証大師が真ん中で、弘法大師と神変菩薩が脇侍という他にない「席次」になっている。
神変菩薩というのは役の行者の事だ。


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金網で上手く撮れないが、これが智証大師か。
成る程ちょっと弘法大師とはお顔立ちが違う。



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乃木大将が善通寺師団長だった頃ここを宿舎としていた。
カミさんが来た時に女人禁制だといって追い返したという見返りの松。
何度も枯れてこれは4代目だと、社務所の人が苦笑しながら教えてくれた。

乃木希典は愚直なだけの劣等指揮官だと思っているが、明治天皇に殉死した事は心情的に共感出来る。
息子を2人とも死なせて、いつまでも生きていたいとは思わない。
かといって英雄に祭りあげられてしまっては、簡単に自決するわけにもいかない。
死ぬには丁度良い機会だった。


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駐車場には季節外れの桜が咲いていた。




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77番道隆寺~観音像の大行列 四国88箇所車遍路(66)

2016年01月22日 10:16



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12月14日
11時56分道隆寺到着


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この山門を入ると道隆寺の特徴的なシーンが展開される。


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参道にずらりと並んだブロンズ観音像の列。
全国各地の観音を勧請したのだという。
百観音像(西国33観音・坂東33観音・秩父34観音)という事になっているが、
更に全国各地の観音霊場の本尊や水子供養や交通安全の観音様、合わせて225体とも270体とも言われている。

本尊は薬師如来なので何故これだけ観音像が集められたのだろうか。
聞いてみたいと思ったが、本坊はこことは別の場所にあるという事だった。
Wikeに写真があるが、こちらが札所ですと言われても納得するような築地塀に囲まれた立派な寺である。


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観音像の列の奥にかなり大きい本堂がある。


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観音像の列は本堂の横にまで回り込んで並んでいる。


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脇侍が金ピカで見にくいが、金持ち寺の法則通りここも本尊を見られる。


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本堂の右にある大師堂も大きい。


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お大師様も拝顔出来る


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大師堂の前に衛門三郎が大師に許しを請うている像がある。
衛門三郎が、この寺の由緒とどう関係しているは不明。
単に寺が四国88箇所の札所して、遍路の起源となるエピソードを像にして置いただけかも知れない。


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やや小ぶりの多宝塔は昭和の時代の寄進。



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参道からやや離れた所にポツンと鐘楼が建っている。
立派な鐘楼なのだが、街中の寺の為か突く事は出来ない。
鐘楼の後ろに石の鳥居が見える


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石の鳥居の正面、大師堂の裏に妙見宮があり、妙見菩薩が祀られている。
菩薩というと仏のようだが、妙見菩薩は北極星を神格化した天部で、毘沙門天と同様の神である。
なので鳥居がある。
ややこしい。




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78番郷照寺~高台のハイソな寺 四国88箇所車遍路(65)

2016年01月20日 10:15



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12月14日
11時5分郷照寺到着。
歩行者、自動車共にこの門から入り、参道を行く。

グーグルストリートでは、この山門に至る入り口だけがいかにも細い路地の入り口のように写っていたので、
少し離れた駐車場に駐めたが、来てみれば楽々通れる広さだった。事前調査が行き過ぎて失敗した。


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緩い坂道の参道が続く。
石垣の上の植え込みが綺麗に剪定されている。


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駐車場から階段を上がって境内に入る。
ここは境内から宇多津の街や瀬戸大橋が見渡せる寺という事になっている。


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少し高台になっていて街は見渡せるのだが・・・・・


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鐘楼の写真を拡大してみると、確かに瀬戸大橋の橋脚が写っていた。


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本殿は裳階があって2層に見える。屋根の両端に鴟尾が飾られ、唐破風がある。
どこかで見たような・・・・・・・東大寺だ。
あれの小型版になっている。

郷照寺は元は道場寺といい真言宗の寺であった。
ご多分漏れず、長宗我部元親が讃岐へ侵入した時の兵火で伽藍を焼失した。
それを江戸時代に再興したのが、またも松平頼重だった。
この寺には鎌倉時代に時宗の一遍上人が訪れて、踊り念仏の道場としていた事があった。
頼重は寺の宗派を時宗に変えるまではしなかったが、真言宗と並立とし、名前を郷照寺と変えた。
この人は寺を改修はするのだが、宗派を変えさせたり神仏分離を行ったり(次の頼常の代だが)と、金は出すが口も出す。
真言宗の寺を危険視、もしくは堕落していると見ていたのではないだろうか。


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格子の間から本尊の阿弥陀如来が覗ける。


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大師堂は本堂の横の階段を上ったところにある。


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天井を見上げると花が、書いてあるのではなくてレリーフに色づけしてある。
写真を撮るのを忘れたが、本堂も同じ仕上げの豪華な天井になっている。



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お大師様も拝顔出来る。

金持ち寺は本尊も大師像もオープンにするという法則がある。
札所以外に、安産祈願や厄除けや、金運を司る神様の勧請を合わせてやっている寺が多い。
何十年に一度のご開帳なぞに頼らなくとも金が入るという事なのだろう。


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大師堂の地下が万体観音堂になっている。


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根香寺や讃岐国分寺のより、ずっと規模が大きい。
適度な照明があって観音像が金色に輝いている。
これこならお礼参りに一体寄進してもと思うのではないだろうか。
益々寺に金が入るようになる。


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こんな綺麗な庭園もある。
この寺はどこも手入れがよく、綺麗にメンテされている。




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目覚めて見る夢~おそい初夢

2016年01月19日 10:49



木の下の陰に「あいつ」が立っている。
いつものような黒い上下の部屋着に、
足は裸足で、
顔は灰色がかって表情が無い。


「寒くないか」



夢かと思ったが、目は覚めていた。
毎朝お勤めの時にいつも「夢に出てこいよ」と語りかけているが、そううまくは出て来てくれない。
頭の中に像が浮かんだだけだった。


そういえばあいつは暑がりで、冬でも靴下をはいていない事がよくあった。
今まで思い出す事がなかったが、記憶の奥底に溜まっていたのだろう。


眠っているのでも、ハッキリと覚醒しているのでもない、その間の状態に現れた幻だった。









79番天皇寺~崇徳天皇の寺 四国88箇所車遍路(64)

2016年01月18日 10:15

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12月14日
10時10分天皇寺到着
寺に鳥居があるのは神仏習合の証で何度も見てきたが、ここのは「正門」で、
しかも両脇に小型の鳥居が付いた鮮やかな朱塗の三輪鳥居になっている。
左の下乗石は源頼朝が寄進したとされている( 四国八十八ヶ所霊場会)。


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鳥居をくぐって真っ直ぐに進むと白峰宮がある。
天皇寺の本堂や大師堂は左側に有り、此処の主役は今でも崇徳天皇を祀ったこの神社だと知れる。
白峰というのは崇徳天皇の廟のある五色台白峯から来ているのだろう。


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崇徳天皇の廟のあるのは白峯寺だが、讃岐での配流先はこの地で、ここで9年暮らした後に1164年崩御した。
ここ崇徳天皇社は死の翌年1165年に二条天皇の命で建てられた事になっている。
しかし、崇徳天皇の怨霊が暴れ出すのは死後数年経ってからで、それまでは省みられる事は無かった。
二条天皇は1165年に退位している。
死の直後に建てた事にしたかったのだろうが、怨霊を鎮める為の神社だから造営はその後の天皇の時代の事だ。
もちろん実際の指令は院政を施いていた、崇徳天皇の同母弟の後白河法皇から出たのだろう。


江戸時代には崇徳天皇社とその別当寺である摩尼珠院が札所とされていた。
明治の神仏分離で摩尼珠院は廃寺とされ、崇徳天皇社は白峰宮となった。
その後筆頭末寺であった高照院が札所を受け継ぎ、摩尼珠院跡地のこの地へ引っ越してきた。

本寺が廃寺にさせられたら末寺が名跡を継いでいくという四国88箇所札所ではよくあるパターンだ。
神社が残っているならそこを札所のままにした方が歴史的な意味での継続性があると思うのだが、
神と仏は違うものと言う概念が広まってしまっては、坊主であった弘法大師の足跡のある場所を神社が継いでいるというのは受け入れ難いのだろう。
明治の神仏分離の嵐は10年程で収まったが、日本人の宗教概念を変えてしまうという大きな影響を残した。



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神馬の像も腹に菊のご紋を抱いている。


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参道の左側に本堂と大師堂がある。明らかに白峰宮が主の配置だ。

本堂で般若経を上げている3人組のイントネーションがおかしいと思っていたら、中国人だった。
88箇所遍路は世界的な広がりを持つようになったのか。


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本堂の左に大師堂


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本堂の厨子は閉じられていたが、お大師様は拝顔出来た。


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天皇寺の裏手の道を少し行くと地蔵堂がある。
弥蘇場地蔵堂で、本尊は地蔵菩薩とある。「八十場の泉」の直ぐ傍に建てられている。
弥蘇場は八十場と同じ発音だ。
八十場の泉には弘法大師も訪れたとも、ここが天皇寺の前身だとも言われている。


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この泉には2つの伝説がある。

その1
景行天皇の時代に、南海で暴れていた悪魚を退治に向かった88人の兵士が悪魚の毒に苦しんだ。
この泉の水を汲んだ童子が兵士達に水を飲ませると、たちまち蘇った。そこで八十蘇場の清水と呼ばれるようになった。

その2
崇徳上皇の崩御後、遺体をどのように葬るかについて京からの指示が無かった。
使者が到着するまでの20数日間、この泉に遺体を浸していたところ全く腐敗しなかった。


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ここの泉は枯れる事がなく、右側の建物で今も清水屋さんが「ところてん」を売っている。
さすがに12月に客はなく、来年の春まで営業休止の貼り紙があった。





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80番国分寺~往事を偲べる寺 四国88箇所車遍路(63)

2016年01月16日 10:15



2015年12月14日
冬のお遍路も体験してみようと予定になかった12月に挙行した。
結果的には良かったのだが、天候に恵まれて暖かく、初冬と言うよりまだまだ晩秋の陽気だった。

四国88箇所車遍路第7回
日帰りで80番国分寺から74番甲山寺まで7寺を逆打ちで廻り、弘法大師所ゆかりの満濃池にも行く。

真っ暗な中、知らない土地の地道を走るのは疲れるので、前回より一時間早い16時頃には最後の甲山寺を打ち終える予定だ。

スケジュール
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※実時間(min)=(参拝時間の合計+寺間移動画時間の合計)×1.27+30


コース




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9時02分到着
讃岐国分寺は前回の五色台の南麓にあり、時間があれば天皇寺と共に一緒にお参りしてしまいたかった札所だ。

左側にある松の枝が巨大な注連縄のように門をまたいでいる。
住職の趣味だろう。植栽には相当凝っている金持寺らしい。


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仁王門に千社札が少ない
「文化財に付き貼り紙貼り札を禁ず」と書いた木札があるからだ。
「付き」と「貼り紙」の間に無許可のという落書きがあった。
札に「許可済み」とでも書いて貼った人がいるのだろうか。


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仁王門を入ると石畳の参道の両側に石仏が並んでいる。
ここだけで四国88箇所を全部回れるというミニ88箇所になっている。



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石畳が途切れた辺りに巨大な石が転がっている。
奈良時代の国分寺の遺跡だ。


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讃岐国分寺は遠江国分寺跡、常陸国分寺跡と共に国の特別史跡に指定されている数少ない史跡である。

現在の国分寺はほぼ古代の国分寺の上に造られている。
白線は古代国分寺の伽藍を示している。
仁王門は中門の跡に建っている。
ここは金堂の跡で礎石が残っている。
その先の本堂は講堂の上に建っている。唐招提寺と同型の講堂が建っていたとされている。

黄色の線は境内の境で、東隣に宝林寺が建っており南側は一般住宅が入り込んでいるものの、ほぼ原型が保存されている。



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参道脇の鐘楼の鐘は奈良時代のモノで国の重文に指定されている。
その鐘を突く事ができる!!!

本当に付いて良いのかと思いながら、最初で最後だからと思いっ切り付いた。
ゴーンよりカーンに近い甲高い音がした。
当時の好みはこういう音だったのか。


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本堂の手前に池がある。
志度寺のように極楽と地獄あるいは現世を分けているのか。


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池の中のお堂には弁財天が祀られている。
仏様は皆本堂の法を向いている。


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本堂は鎌倉時代のもので国の重文に指定されている。
古代国分寺の講堂の礎石をそのまま使っているという。


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香炉に「灰を取ってはいけません」と注意書きがある。
こんな注意書きは初めて見る。なにか御利益があるのだろうか。
何百何千という線香が燃やされるのだから、常に灰は棄てないと溢れてしまう。
少々持っていってくれた方が手間が省けると思うのだが。


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本尊の十一面千手観音は秘仏なのでこれは前立ちだろう。
欅の一本造りとされているが、これも同じような造りに見える。


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本堂の横に石の鳥居と社がある。
何という神様なのか判らないが、ここも神仏習合だったのか。それとも単に守護神として勧請しただけなのか。


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七重の塔の跡石。
ここにも60メートルの高層建築が建っていたのか。


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変わった二重の塔がこの寺の大師堂だ。


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外には金箔で覆われたその名も「願かけ金箔大師」


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こちらは合格祈願を受けるという弘法大師。


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大師堂の中へは入れず、納経所を兼ねているこの売店から拝む事になっている。
永年線香の煙で燻されて来て、天井も風格が出ている。


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大師も見られるので厨子の中に隠されているよりはましか。

左側の階段を降りると地下に千体観音があると書かれている。

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行ってみると根香寺と同じように、信者が寄進した小さな観音像がびっしりと積まれている。
ここのは住所氏名が書かれているので、より御利益があるのかも。


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寺の坊さんが居る本坊や隣の宝林寺の前を通って、古代国分寺の境内を歩く。
奈良の寺に来ているような気がする。


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1/10の石造り伽藍配置模型。
南北・東西共に200メートルを越える寺の模型だから、模型といっても充分に迫力がある。


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鐘楼跡。
ここにあの鐘がぶら下がっていたのか。






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