南紀周りで新潟へ各駅停車で日本縦断の旅 7日目 その1

2009年11月12日 17:46

2009/10/17
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昨日早起きしたせいで今朝も6時前に目が覚めた。旅行中は部屋の目覚ましと携帯の両方をセットしているが、大概目覚ましが鳴る前に起きてしまう。
今日は九頭竜湖線に乗るが、9時過ぎの列車なので時間を持て余す。これが終着駅まで行く始発列車で次は昼過ぎになる。丸岡城とスケジュールを入れ替えたいが、帰りは未乗の湖西線を明るい内に通過したい。湖西線の新快速の最終に乗るには、中途半端な時間に出るこの列車しかなかった。


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福井を拓いたのは信長の北国方面師団長だった柴田勝家である。彼の北の庄城は秀吉の攻撃で焼け落ちてしまったが、遺構が柴田神社として市内に保存されている。鳥居や勝家の座像がビルの谷間に、そこだけ場違いな空間を形成している。


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メインストリートの一本脇の通りに福井鉄道のターミナルがある。始発前なのでひっそりとしているが、ゆうべは人通りで賑わっていた。単線なので車道も確保されている。富山や高岡同様、通りの幅に応じて複線と単線を臨機応変に使い分けている。


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福井鉄道は福井駅前と武生駅間をJR北陸本線と平行に走っている。福井駅前から次の市役所前
へは交差点を右折する。このまま武生方面と反対方向に進むと、えちぜん鉄道(旧京福電鉄)と接続する田原町の終点に向かう。


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ところが電車の行き先表示は武生になっている。
で、こちらのホームへ入ってくるがドアは開かずに、引き返していく。


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スイッチバックして反対方向のホームに停車する。
この交差点は左折のレールが無いので、武生方面への電車は一旦右折するという「ナニコレ」風の珍風景が見られる。
なぜこんな不便なことになったのか、『運転手に訊ねてみたが、「わからんのですわ、これが」という』(「時刻表おくのほそ道」より)

その上・・・・・


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ドアが開くと下からステップが飛び出す。


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ここには路面電車だけでなく郊外型の電車も走っている。
地下鉄が出来る前、京阪電車の大津線が京阪三条から路面軌道をこんな格好で走っていた。


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「お嬢さん飛び降りたら危ないですよ」と思ったら、こちらはステップが2段になっている。


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3つ先の福井新が福井鉄道の元々のターミナルだったが、市街地から離れていて不便なので軌道を延長した。専用軌道を取る余裕がなかったので路面電車として延長区間を走らざるを得なかった。それがこのステップを生んだのだが、ラッシュの時や年寄りには少々危なっかしく見える。親切が仇にならねばいいが。ドジなガキが回転ドアで怪我をしたら、監督不行き届きの親の責任ではなく製造者の責任になる。今のようなフールセイフの時代なら付けられなかっただろう。



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交差点で福井電鉄の「ショー」を楽しんだ後は福井城へ向かう。
この家康の長男、秀康の居城は大名を疲弊させるために造らせた天下普請だから、立派な石垣と堀が残っている。


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昨年復元された御廊下橋を渡って城内に入る。この橋は藩主専用の橋だったそうだ。屋根付きの橋というのは雪国の為なのか?



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北西の隅に天守台がある。これも大規模な石垣が組まれている。何故城の真ん中にないのだろう。そういえば広島城の天守閣も城の北西の隅に建てられていた。鬼門封じなのか。


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天守閣の石垣は更にその上に載っていた。おかしな格好をしていると思って立て札を読むと福井地震の時に崩れたとある。城の石垣まで崩れるような大地震だった。でも、他の石垣に被害はなかったのか。ここだけ残して他は修復したのか?





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