山陽・四国の旅 第3日その1 高松ー中村

2010年03月18日 09:20

2010/03/05

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朝食に、駅の裏手にある「味庄」というセフルうどんの店に入った。朝5時半からやっているという。カウンターの後ろで主人がうどんを打っている。夫婦で切り盛りしている店だ。大と小で、中はないというので、小を頼んだ。それでも冷凍うどん一人前のボリュームは充分にあった。炒り子だしだったが、私には少し薄くて醤油を足した。ここでもわかめを入れて貰った。



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昨日、2分で新幹線と在来線を乗り継いだお陰で、今朝は余裕がある。どこに使おうかと迷った挙げ句、琴電の志度線に乗ることにした。より海岸線に近いところを走っている琴電に乗って、屋島や五剣山をもう一度見たくなった。終点志度で特急に乗って引き返せば、予定どうり坪尻駅に停車する各停に乗れる。


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琴電は、琴平線、長尾線、志度線の3路線が瓦町から別れている。琴平線、長尾線は高松築港駅から直通が出ているが、志度線は瓦町で乗り換えになる。動く歩道がでターミナルビルの2階を横断してホームへ降りると、3両連結の列車が待っていた。方向が逆なので、乗客は各車両に数人しかいない。一昨日と同様、運転席右の特等席を占領した。


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屋島を裏から眺めるが、生憎朝靄が懸かっていてクッキリと見えない。


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靄が晴れてきた時には、五剣山の麓を通り過ぎていた。


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それまでは住宅街の中を走っていたが、塩尾駅を過ぎると海岸線に出た。何を養殖しているのだろうか、沖まで筏が拡がっている。


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まもなく終点志度駅に到着。民家の裏スレスレに停まる。通勤客が大勢乗って来るが、皆ゆったりとした足取りで都会のラッシュのような殺伐たる雰囲気は無い。


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ちっちゃな駅舎だが、天井が高くどことなく風格がある。


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開業当時は周りには何も無かったのだろうが、家が密集してきて正面に立たないと、ここに駅があるのが判らない程になっている。

50メートル程離れたJR志度駅に向かう。通勤時間帯に市内へ向かうから、混雑は覚悟していたが特急でも満員だった。殆どが通勤客だった。高松市の南端、栗林で大勢の客が降りる。栗林公園しか無かったところだか、オフィス街がここまで拡がってきたのだろう。


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高徳線は高松市の西外側をグルリと回って終点高松駅に向かう。途中ちらりと高松の守り神、石清尾八幡宮の豪華な連屋根が見える。


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坂出や宇多津は瀬戸大橋と繋がって高架駅になり「去勢」されてしまったが、多度津駅は広大な操車場を有し、古武士のような風格がある。瀬戸大橋が架かって直ぐの頃に来たことがある。ホームの屋根はボロボロで、構内には使われなくなった設備が赤錆びたまま放置されており、廃駅寸前の様相を呈していた。このまま朽ち果てしまうのかと暗澹たる気分になったが、今はすっかり整備された。
SLが静態保存されている。屋根付きで大事にされている。


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給水塔を発見。とくれば、もう一つ・・・


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あった。転車台も残っている。


琴平で降りて、坪尻駅に停車する各停に乗り換える。


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土讃線を敷くために川の流れが変えられて、坪尻駅はその川底に作られた。坪尻駅直前のトンネルに入る前に小さな川を短い鉄橋で渡った。これが流れを変えられた川なのだろうか。


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待避線で折返し、いよいよ坪尻駅に入る。谷底であった頃の地形そのままに、両側を険しい斜面に挟まれている。


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右側の本線より一段低い所に坪尻駅が見えてきた。古びた木造駅舎が秘境駅の雰囲気を盛り上げる。



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本線のトンネルが見えてきて停車。坪尻駅は新改駅のようにスイッチバックの奥に隠れていないので、本線を走っていてもチラリと見る事が出来る。


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駅舎の裏に回ってみる。この横に店があって、アイスクリームやラムネを売っていたこともあるらしい。まだ険しい山道を降りてくる乗客もいた頃だろだが、それだけで採算が取れるわけはない。冷房のない時代、スイッチバックしてこの駅で通過待ちをしている間に、高校生がドッと降りてきて買っていったという。


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駅舎の中は比較的新しい造りになっている。
「おつかれさまでした」の看板に送られて、短い坪尻駅訪問を終えた。



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長い鉄橋で吉野川を渡り阿波池田に到着。
特急南風に乗り換える。3度目の大歩危小歩危だが、陽ざしがきつくて谷底が見にくい。渓谷は曇りや小雨にけぶっている時の方がよさそうだ。

前に席で、ずっと眠っている若い人がいる。検札で起こされるのが嫌なようで、テーブルの上に切符を広げている。何気なくみると福岡-中村となっている。新幹線で岡山まで来て、この列車に乗り換えたモノと見える。乗り継ぎ割引をつかったにしても2万円はする。ノリテツでもなさそうだし、何の用かとよけいな詮索の一つもしてみたくなる。

高知で大半の客が入れ替わった。佐川で西から南に方向を変える。ここから須崎で海岸に出るまでの区間は台地から一気に海岸線まで駆け下りる絶景区間と、宮脇さんが絶賛している。しかし、絶景区間はまだかまだかと待っている内に須崎の港が見えてきた。一気に駆け下りる様は、先頭列車の最前列にでも座らなければ楽しめないのではないか。生憎、下り列車の先頭は座席指定車である。


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須崎で8分停車する間に列車の先頭に行ってみた。なんとも派手なデザインである。
車内放送でも「ぼくアンパンマンです・・・」とアナウンスがあったが、高知駅と終点の中村だけなので気にならない。境線のように各駅でやられたのでは五月蠅くてたまらない。



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須崎から土佐久礼までは海岸線を走る。土讃線で太平洋がみえる唯一の区間である。


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窪川を出て若井から山の中へ入っていく。予土線が分岐してしばらく平行して走る内に、左手の遙か下にこれから走るループ線がチラリと見える。ループ線は全国でも4カ所しかない。上越線の清水トンネルの両端、北陸本線の敦賀・新疋田間、九州の大畑、そしてこの若井-荷稲間である。

ここは土佐くろしお鉄道の線路でJRではない。昭和45年に窪川から中村までは中村線として開通した。中村は応仁の乱を避けて一条教房が下向し、京都風の町造りを行ったところで、元祖小京都である。私も国鉄時代にその風情を期待して行ったことがある。しかし、戦後まもなくの地震だったか大火に由緒ある建物は全滅していて、ガッカリした。その後分割民営化に際して、JR四国は中村線を手放した。ところが、予土線は若井の先、このループ線の見える信号所から始まっている。そこまでは中村線だったからだ。お陰で窪川から予土線に乗る乗客は、こ区間の運賃を土佐くろしお鉄道に払わなくてはならない。分岐点まで共同運行にしておけば問題なかった。一律に路線名で切ってしまう役所仕事のせいで、余計な負担を負わなくてはならない。私の四国ゾーン切符には、土佐くろしお鐵道もフリー区間に入っているので追加の費用は発生しないが。





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