山陽・四国の旅 第4日その1 内子

2010年03月23日 16:49

2010/03/06

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目が覚めて、窓から下を見ると特急列車が停まっていた。まだ薄暗く小雨が降っている。朝の内に宇和島城の城山に登る予定をしていたが、変更して停まっている列車で出発することにした。


予讃線の新線が大洲から向井原まで開通したのは昭和61年で、以来それまで予讃線だった伊予長浜を回る海岸ルートには各停しか走らなくなった。新開通の部分全体を内子線と呼べばスッキリするが、この内の内子-新谷間だけが内子線になっている。他の部分は予讃線で、旧ルートも予讃線のままなのでややこしい。割高な運賃を取るために、内子-新谷間を地方交通線としていのが原因だ。
それはさておき、今日は新線で松山まで行ってから、旧線で大洲に引き返し、再び新線で松山に行く事になっている。乗り潰し故のアホらしい行程である。


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予讃線の新線に乗るのは初めてだし、新しい内子駅も勿論初めてだ。以前はもっと町中にあったのだが、町外れの素っ気ない高架駅になっている。駅の看板は上がっているのだが、左隣の売店の方がそれらしく見えてしまう。


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駅前はSL広場になっており、昔の内子線時代に終着駅だった駅名標が、一緒に展示されている。


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タクシーで「歴史地区」の端まで行き、歩いて駅まで戻る。早朝なので開いている店はおろか、人っ子一人通らない。保存が行き来届いていて、静かな街を一人歩いていると、本当に人が住んでいるのかと思う。


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屋敷の入り口のように見えるが、内子中学校の入り口である。土曜日なので登校する生徒もいない。


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内子は「芳我」一族が、ろうそくで財をなした街だという。ここは本芳我家とあるから、本家なのだろう。


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入母屋屋根の破風に、桁の端を風雨から守るための懸魚(けぎょ)という飾りが施されている。ここのは職人が漆喰でこしらえたもので鏝絵と呼ばれている。鏝絵は上芳我家のものが有名だが、生憎と修理のために家全体がシートで覆われていた。鬼瓦も頭の上に兜を被ったような変わった形をしている。


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商家風の店が開いていた。無料で開いている町家資料館とは、ここの事らしい。


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誰もいないが、入らせて貰う。


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箱階段がある。昔住んでいた家も、階段は造り付けであったが、横面は全て引き出しになっていた。
ちょっと登ってみる。上の階は、京都でよく見る天井の低い中二階になっていた。


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内子座は「歴史地区」から少し離れた、駅に近い住宅街の中にあった。



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周りに家が建て込んでいて、LX3の広角をフルに使っても正面から全体を撮すのは難しい。芝居小屋なのだから、こういう町中にあるのが本来の形なのであって、琴平の金丸座のように恭しく奉る方が不自然なのだろう。


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松山まで行って、旧線を走る各停に乗る。松山-向井原間も改修されたようで高架になっていた。向井原を出て、新旧の分岐点はどうなっているのかと、運転席横から見ていると、新線はそのまま高架を走り続け、旧線は下へ降りていった。


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旧線と並行して走る国道378号をドライブした事がある。ローソクの様に長く切り立った岩の辺りまで舗装が出来ていた。道路から階段が付いていたので下へ降りて、岩まで泳いでいった。遊んで腹がヘッたので、集落の中へ入り込み、よろずやのような店でパンを買ったら、びっくりする程綺麗な人が出てきた。連れと「アレは狐か狸かではないか」と交々言い合った。
その岩を探してみたが、見つからなかった。「灘」の付く無人駅が続くが、生憎と小雨が寒々しく降り続いている。
時間があっても途中下車してみる気にはなれないだろう。


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伊予長浜で、現存する最古の開閉橋である、長浜大橋の真っ赤な鉄橋がちらっと見えた。
五郎を過ぎて新線と合流する。しばらくすると、肱川の対岸に大洲城が見えてきた。


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