山陽・四国の旅 第4日その2 大洲

2010年03月24日 17:18

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大洲駅を出ると市内循環バスが停まっていた。100円均一で、臥龍山荘の近くまで行く。
大洲神社の険しい石段の手前がバス停だった。案内板もなくウロウロしていると、Uターンしてきたバスの運転手が窓から首を出して裏手の川沿いの道を教えてくれた。なだらかなスロープを一旦上がって、降りていくと臥龍山荘の横に出た。


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肱川の崖っぷちのこの地に庭園を造ったのは大洲藩主だが、山荘は明治後期に神戸の貿易商であった河内寅次郎が、建てさせた。入り口を入って直ぐの石積に臼が埋め込まれている。茅葺きの屋根といい、この石臼といい、実に臍曲がりに出来ている。小難しい屁理屈だらけの京都の庭にはない、自在さが愉快である。


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「本邸」にあたるのが臥龍院で、昭和50年代までは寅次郎の甥で養子となった人が住んでいた。ここでも松の一枚板に筋を切り込んで廊下として使うという事をやっている。


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お目当ての不老庵に行く。



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渡り石には普通自然石を使うものだが、細長く切り出した石材や灯籠の台座のような石が使われている。



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天井は網代編みで、中央に丸く湾曲している。十五夜の日に、肱川に映る月影が反射してこの天井に映るのだという。風流の極み!!


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この建物は崖にせり出して建てられており、肱川が真下を流れている。ここからの眺めが臥龍山荘の眺望として、放送等でよく見かける。


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外へ回ってみる。槙の木が捨て柱として使われている。今でも枯れずに生きているという。



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山荘を出て、グーグルマップにある直線の細い道を辿ると、「明治の町並」に出た。
右手の家に吊り上げられた床几が見える。大きな庇がついている。夏の夕涼み時に出して使うのだろう。


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「おはなはん通り」は、「明治の町並」と直交する通りとは一筋違いに平行に走っている。
掘り割りには花も生けられて、ここだけ観光用に整備されている。


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一軒だけ崩れかけた土蔵壁の家があった。これがオリジナルの町並み?


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「おはなはん通り」と平行する、現行の生活道路にも古い家が並んでいる。


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途中で右に折れると赤レンガ館があり、その先は川沿いの遊歩道に続いていた。
左側の石組みと武家屋敷風の塀が、延々と橋の向こうに小さく見える大洲城まで続いている。
大洲城の復元天守閣と合わせて造ったのだろうか。観光客には有り難いが、街の規模からするとやり過ぎではないかと思う。こんなに使う金があるなら、もっと市民生活に直結した事業に投ずるべきではないか。


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やっと城の下まで来た。屋形船が並んでいる。そういえば、大洲では夏に鵜飼いが行われる。


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肱川側から見上げる。本丸に天守台を設けて天守閣が建っている。なかなか良い姿だ。


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天守台の横を通って頂上を目指す。この櫓はオリジナルで重文に指定されている。


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ムム。天守閣が剥き出しで建っている。復元天守閣は眺めるだけで入らない事にしているが、木造で復元されているので入っても良いかと思っていた。けれど、マンションのモデルルームのような佇まいにすっかり白け、早々に立ち去った。


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川縁と反対の市民会館の方へ降りて仰ぎ見る。やっぱり城は下から仰ぎ見るものだ。


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時間はあるれけど、くたびれたのでタクシーを呼んで駅に戻った。
来た時は気づかなかったが、メインストリートの入り口に大きな鳥居が立っている。
額を見ると「少彦名神社」とある。大国主命側の神様であるが、日本書紀や古事記で大いに活躍する。大阪の道修町では薬の神様して祀られている。それにしても市を代表するような神社とは・・・。少彦名命はここで死んだ事になっているらしい。



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