関東東征の旅 第2日 その1 両毛線

2010年04月02日 17:26

2010/03/23

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少し早い目にホテルを出て、小山駅へ急ぐ。改札を入っても両毛線のホームに中々辿り着かない。他の線と離れて新幹線のガード下にある。


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桐生まで行って両毛線完乗。1番ホームからわたらせ渓谷鉄道のレールバスが発車していった。


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関東近郊には小江戸御三家と呼ばれる、川越、佐原、栃木がある。今回は3つとも回る予定で、今日はまず栃木に行く。栃木の一つ手前の大平下駅のホームは廃駅のようだ。無人駅の使われなくなった島ホームとはいえ、雑草が背丈まで伸びている。国鉄時代には考えられない光景だ。つらつら思うに、昨今の世の中は、人でも物でも不要となると情け容赦無く打ち捨てられて、荒れてしまうようだ。


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東武のかわった形の架線柱が近づいて来て、栃木駅到着。


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地味な両毛線からはおよそかけ離れた、鋭角的なデザインの駅舎だ。旅人の勝手な言い分であるが、大きなファザードを持った昔の木造駅舎の方が良かった。


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タクシーで岡田記念館へ。更に北へ行くと、油伝味噌の製造所で、味噌田楽で有名な「あぶでん」があるが、腹は空いていないので行かない。この岡田家は名主役の旧家で、代官の代行までしたという。日光例幣使街道に面しており、京から来た一行もここで泊まった。美女がいると二泊も三泊もしようとし、本陣の側は長逗留されてはたまらないと、金子を渡して出立してもらったという。敷地内には岡田家専用の理髪店もあるらしいが、見学は9:30からで残念ながら中へは入れない。


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例幣使街道に沿って少し戻ると、大正2年創業の栃木病院がある。大きなバルコニーを持った、病院には見えないハイカラな建物だ。大正のモダニズムを感じさせる。写真を撮っていると中から患者さんが出てきた。いまでも診療しているらしい。


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巴波(うずま)川沿いの道を更に南へ進むと横山郷土館がある。川縁の美しい建物で、麻問屋と銀行を兼業していたという。栃木は蔵の街として有名だが、この家の両側にある蔵は石造りで、モダンな感じがする。


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横山郷土館から西へ進むと、堀沿いに旧栃木県庁が見えてくる。


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意外と大きな木造の建物で、グーグルマップを見れば判るが、一帯は城のように四角に掘りが設けられている。県庁が置かれた明治4年は廃藩置県の年で、知事は旧藩主で、県庁は居城という認識ではなかったのだろうか。


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「傍らの案内板には『県庁には堀をめぐらし、巴波川との間に運河がつくられ、玄関先まで舟が出入りしました。このような例は、全国にありません。その後明治17年、県令三島道庸は、強引に県庁を宇都宮に移しましたが、賢明は栃木県として、そのまま残りました』とある。市と教育委員会が立てた新しい案内板に「強引」という生々しい語が挿入されている。恨みは今日まで続いているのだろうか」(乗る旅・読む旅~宮脇俊三 所蔵している文庫本では、三島通庸の「通」が誤って「道」になっている。)その案内板がこれである。
加波山事件で有名な三島通庸は民権運動を厳しく弾圧し、陸奥宗光も危うく網走監獄で獄死させられかけたりと、とかく悪人のイメージが強いが、この案内板の前半からすると、彼の一存で移転したのではなさそうに思われる。「宇都宮県」人としては、県名も県庁所在地も栃木に持って行かれたのでは立つ瀬がない。それで三島を通じて運動し、県庁だけは宇都宮に移転させ、県名は栃木県を残したのではないだろうか。どちらも宇都宮にすれば、「恨み」をかって、また「強引に」両方とも栃木にされかねない。
県庁所在地から外れたお陰で、栃木は空襲を受けず古い町並みを観光資源として活かすことができた。塞翁が馬になるが、三島はあの世で「俺は栃木の恩人だ」と威張っているやもしれぬ。



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横山郷土館に戻って橋を渡り、南へ折れると「とちぎ蔵の街美術館」がある。3連の蔵を美術館として利用したユニークな建物である。残念ながら休館のようだった。



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美術館の裏を通り抜けると大通りに出る。主な蔵はこの通りに集まっている。電線を地中に埋めてすっきりとした景観である。
栃木では幕末に4度も大火に見舞われた事を教訓にして、明治なって杉皮、藁、茅などで屋根を拭く事が禁止された。以後瓦屋根や土蔵造りが増加して「蔵の街」といわれる景観を呈するようになった。今日、車の通行に充分な道幅になっているのも、延焼を防ぐ為に思い切って広くとったのだろう。



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ここにも「登録有形文化財」の緑のプレートが貼ってある。下野新聞は栃木新聞、足利新報を経て今日に至っている。足尾鉱毒事件で奮闘した国会議員、田中正造が編集長として在籍していた。


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大通りから再び巴波川沿いの道に戻る。ここは栃木で最も有名な景観だろう。江戸期から木材回漕問屋を営んできた豪商塚田家が、塚田歴史館として開放されている。展示物は歴史よりアミューズメントを主体にしているようなので、外観だけ見て栃木駅に戻った。


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