関東東征の旅 第2日 その2 真岡鉄道 鹿島臨海鉄道

2010年04月06日 16:56

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小山駅の両毛線から水戸線への乗り換えでは、新幹線ホームの端から端までの距離を歩かされた。
下館駅には、3セク線の真岡鉄道と関東鉄道が入っている。


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下館駅の1番線に停まっていた真岡鉄道のレールバスは、グリーンの市松模様とオレンジという派手な塗装だった。こんな塗装は費用も高くつく。SL運行でそれほど収入が上がるとは思えないのに、3セク線にしては珍しい車両だ。


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車両とは反対に沿線風景は地味だ。どこといって特徴のないローカルな街の、そのまた郊外を淡々と走る。


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真岡駅は鉄道の基地や本社がある。駅舎は蒸気機関車をイメージしたもののようだ。


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少し山の中へ入り、上り勾配が続いたかと思うと、終点茂木(もてぎ)に到着。無人駅だった。構内の中央に転車台がある。


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下車したのは数人しかいなかった。立派な駅舎で、建物の中には展示室もあるが人は見かけない。そば屋の看板が上がっているが店は閉じられている。SLが走る土日にしか開店しないのだろうか。


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折返しまでの時間、駅の周りを少し歩いてみた。駅前通りを進むと周光院というお寺があり、大きな欅の木が立っていた。天然記念物とあるが、県なのか町なのか定かでない。


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友部で常磐線に乗り換えて水戸に行く。ここから鹿島臨海鉄道に乗り換えた。鹿島臨海鉄道にはサッカースタジアムまで行く大洗線と、そこから先鹿島港まで行く臨港線がある。元々は成田空港へ航空機燃料を運ぶ貨物線だった後者が先に旅客扱いを始めたが、直ぐに止めてしまった。宮脇さんの「時刻表おくのほそ道」に出ているのは、この鹿島臨海鉄道の事だ。その後国鉄鹿島線が延長され水戸まで伸びたが、国鉄線として開業されず、3セク線として発足した。これが現在の鹿島臨海鉄道大洗線である。こちらの鹿島臨海鉄道の事は、「乗る旅・読む旅」に「水郷の鉄道周遊」として収録されている。



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新規開業の他の路線同様、畑の中を高架線で突っ切っていく。


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沿線は平地なのに荒蕪地が目に付いた。元々が湿地帯なので水はけが悪いのだろうか。
北浦湖畔という駅で、北浦に接する。「湖畔」の情緒はない。北浦は大きな溜池のようにしか見えない。


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南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」と並んで、ひらかな表記での長さが日本一の駅名。南阿蘇のはわざとらしい。車内でも単に白水高原とアナウンスしている。


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高架上の小さな駅ばっかりだったのに、側線を何本も持った大きな地上駅が前方に現れた。とてもサッカーの試合がある時だ列車が停まる臨時駅に見えない。こんな立派な駅を造っても、車で観戦に来る客が多いらしい。


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灌木の中に巨大なサッカースタジアムが、チラリ見えて直ぐに姿を隠した。周りには何もない。


終点鹿島神宮で降りる。鹿島神宮の最寄り駅だが、駅前は寂れたニュータウンといった雰囲気で、周りにそれと知れるようなモノは何も無い。


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看板の指示に従って、テラコッタで舗装工事中の坂道を登っていくと、塚原卜伝の像が立っていた。そういえば卜伝は鹿島神宮の神官の出だった。上泉伊勢守から、柳生宗厳の新陰流と続く剣聖だが、後ろがマンションでは有難味も薄れる。なんでこんな所に建てたんだろう。


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結構距離のある坂道を登り終えると、鹿島神宮の参道に出た。両側に飲食店や土産物屋が軒を一応並べているが、殆ど店を閉じている。
明治神宮はじめ、今では神宮と呼ばれる神社が幾らでもあるが、江戸期以前に神宮と呼ばれたのは、伊勢、鹿島、香取の三社だけだった。それ程由緒正しき鹿島神宮なのに、参拝客は少ないらしい。



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二の鳥居をくぐる。


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朱塗りの楼門は、水戸藩の初代藩主水戸頼房の寄進による。水戸黄門の親父さんだ。
普通両脇は仁王像なのだが、武者人形が飾れている。それも鎧兜ではなく平安時代の装束を付けている。


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本殿や拝殿は徳川秀忠により造営された。高札に神宮の祭神は武甕槌神(たけみかづちのみこと)とされていた。イザナギ、イザナミの子で天照の兄弟という、天孫系のエリート神である。神武天皇が即位の年に建てさせたとあるが、これは噴飯モノで、何時、誰が造られたのかハッキリしない。しかし伊勢神宮が、大和朝廷の関東侵攻の拠点だった事を考えると、鹿島神宮も東北侵攻の拠点だっのでは無いだろうか。その為に特別に「神宮」という名を与えられた。古代、茨城県のこの辺りは鬼怒川が流れ込んで巨大な湾を形成していた。その湾の北に鹿島神宮があり、南に香取神宮があったといわれている。そして、もうひとつの神宮である香取神宮と鹿島神宮はペアを成していたのだろう。湾の根本には物資が集まり、そこを制することによって今で言う人・物・金を集め、侵攻軍の拠点としたのではないだろうか。


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これは水戸線の大和駅だが、茨城県に大和という地名は多い。邪馬台国論争で、北九州と奈良に、地名の重複が数多く見られる事が指摘されてきた。新しく領土とした土地を、故郷と同化させたものといわれている。磐越西線には「山都」という駅があり、これもヤマトである。大和朝廷は侵略拠点やその周辺をヤマトと呼んでいたのではないだろうか。



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本殿の奥から先は、亭々たる杉並木をくぐっていく。


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奥宮は、徳川家康が建てさせた本殿で、秀忠が新しい本殿を建立した際に移された。



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奥宮から坂道を降りていくと御手洗池があった。干ばつにも枯れたことのない神泉らしい。あれだけの木があれば保水力は抜群だろう。日が暮れて、周りに人っ子一人いないと、少々気味が悪い。


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北浦の南端を長い鉄橋で渡って、潮来到着。中途半端だが、今日はここに泊まる。



ビジネスホテルアネックスに投宿  素泊まり5900円

ごく普通のビジネスホテル。元々は別の目的で建てられた建物なのだろう、ビジネスホテルにしては天井が高いし、窓も大きい。放熱が大きいので中々部屋が温もらない。


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