全線完乗へ、ラストラン その1 関西本線 紀勢線

2010年04月27日 16:46

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最後の一線をどこにするか。どうでも良い事だけど、なかなか楽しい悩みである。
東海道線や山陽本線の一区間というのは宜しくない。短くとも一路線全線が良い。それも太多線のような幹線の連絡線ではなくて、行き止まり盲腸線の終着駅が望ましい。けれど余り遠くでは、達成の瞬間を味わう前に疲れてしまいそうだ。名松線は早くから目を付けていた。同じ盲腸線でも和田岬線や武豊線のような近郊通勤路線でなく、長い歴史を持つローカル線であり、鄙びた風景にも出会えそうだ。
名松線と参宮線を組み合わせた日帰り案はずっと前から検討していた。参宮線はフェリーで伊勢湾を渡り、武豊線と組み合わせるという魅力的な案もあったが、先に武豊線が片付いてしまったので、ますますこの案が有力になる。距離は長いが、優等列車なぞ走っていないから、青春18切符の期間に行くことになる。

ところが名松線に異変が起こった。昨年の台風で路盤が流されて、なかなか復旧しないなと思っていたら、JR東海がバス転換を申し出た。新幹線で大儲けして、自力でリニア新幹線を建設する大金持ちの会社が、ローカル線の僅かな区間の復旧が出来ないはずが無い。赤字のJR西日本さえ、同じ台風でやられた姫新線を10月に復旧させた。復旧困難は口実で、この際お荷物ローカル線を廃線にしてしまいたいという腹が見え見えである。正直に復旧させてバカをみたJR西は、今度は災害に遭っていない路線までバス転換すると言い出した。

名松線を最後の一線にしてしまったら、鉄道路線がバス路線に変わりかねない。現に家城から先はもう列車は走っていない。JRバスの路線は完乗の対象にならない。今は代行バスで、正式にバス路線に転換したわけではないから、グレーだが名松線は松阪~伊勢奥津という事になっている。何はともあれ、名松線は一刻も早く片付けてしまわねばならない。



2010/04/05
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関東東征の旅からまだ一週間しか経っていないけれど、青春18切符の期限もあるので、天気が崩れないうちに出発することにした。スタンプの押印欄が残り1つになった青春18切符を持って家を出た。




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JR難波発の奈良行き区間快速はロングシートの車両で、気分が出ない。
奈良・加茂間は新快速車両の転換クロスシート。ガラ空き列車で落ち着かない。
加茂からはレールバスの2両連結で、ボックスシートはたった4つしか無い。席取り競争が厳しい。
加茂を出てしばらくすると、左窓に木津川が現れる。ようやく旅に出たという心地がする。


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次の笠置駅は、普段は何と言うことのない駅だが、今は桜の名勝スポットだ。
ホームの外側に桜が何本も植えられているというのは、よく有るケースだ。通り過ぎた来た河内堅上駅も、そんな桜のスポットだった。ここのは規模が大きい。ホームから木津川の蛇行で大きく張り出した河原の先まで、一面桜で埋め尽くされている。ここなら、わざわざ花見に出掛けて来る値打ちはある。


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笠置を出ると、対岸が大きく迫り出してきて、暫く渓谷の様相を呈してくる。

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木津川を鉄橋で渡ると、まもなく大河原駅に到着。ここで木津川と別れて伊賀盆地へ向かう。


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関西線は木造駅舎が数多く残っている。さすがに創業時の建物ではないだろうが、汽車が走っていた頃の雰囲気は残っている。伊賀上野駅も木造瓦葺きの、そんな駅の一つだ。


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伊賀鉄道の単行列車が発車していく。忍者電車とは違う濃いグリーンの地味な塗装で、近鉄に見捨てられてた3セク線を細々と走っている。後ろ姿には哀愁が漂っている。あれにも何時か乗ってやらねば。


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関西線に急行が走っていた頃は、この柘植駅も活気があって、駅弁が販売されていた。先日柘植駅開業120周年の日に、一日だけ復刻発売されたという。現在は草津線との乗り換えに利用されるだけで、駅を出ても空き地が拡がっているだけで、駅前に造られた「庭園」を訪れる人も居ない。

ここまでは、昨年の7月に 全線完乗 大回りで柘植へ で来た。ここから先、亀山までが関西線の未乗区間になっている。





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亀山駅は紀勢線の起点であり、名古屋-天王寺結ぶ関西本線は東海道と並ぶ幹線であった。昭和48年に亀山をバイパスする伊勢線(現伊勢鉄道)が開通すると、優等列車は新線を通るようになり、亀山駅の凋落は決定的になった。広大なヤードと転車台が、僅かに昔日の繁栄の名残を留めるばかりである。


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堂々たる駅舎はファミレス風の建物に建て替えられた。駅前の石鳥居は日本武尊御墓を守る能褒野(のぼの)神社のものである。神社は明治以後、政府の天皇家の神性化策に沿って建てられた。紀勢線が全通するまでは、亀山から鳥羽までが参宮線だったから、伊勢神宮参拝の木戸口でもあったのだろう。



南紀周りで新潟へ各駅停車で日本縦断の旅 の時は特急が伊勢鉄道を経由したため、関西線の亀山-河原田間と、紀勢線の亀山-津間が未乗区間で残っている。
亀山-河原田間を折り返さないといけないが、名古屋直通するようにダイヤが組まれているために、うまい帰りの便が無い。かといって帰りに津から伊勢鉄道経由で河原田へ出て、この区間に乗ったのでは、ここが「最後の一線」になってしまう。後先を考えずに下手に往復すれば、名松線か参宮線が日暮れ以後になってしまう。
3/19のダイヤ改正が転機であった。ウィークデー限定であるが、亀山から河原田へが6分の接続、河原田からの折返しが6分、亀山からは僅か2分の接続で松坂へ行く。松阪から名松線へも16分の待ち合わせで、一日4.5往復しかない路線への乗り継ぎにしては短い接続時間になっている。



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河原田で亀山方面へ折り返すためにホームへ跨線橋を上がっていくと、その先に伊勢鉄道の河原田駅があった。時間短縮のために造られたバイパス線だから、路線内の乗り降りの利便性は二の次になっている。
名古屋・鳥羽を結ぶ快速「みえ」は、伊勢鉄道を通過するから、名古屋や四日市から津・松坂へ向かう乗客は、伊勢鉄道分の490円を別途払わなければならない。呉線に乗った時も、510円の座席指定車はがら空きで、自由席は満員だった。僅かな金額かも知れないが、用事があって乗る人にはハードルが高い。これでは横を走っている近鉄に客を取られるばかりである。

河原田からの車中で、「人ごと」を呑気に考えていたら我が身に火の粉が降りかかってきた。
今日のスケジュールの中で、この列車から亀山で乗り換える2分が最も危険なステップである。失敗すれば以降の乗り換えがガタガタになって、関西線の最終時間を気にしなくてはならなくなる。ところが、どうも定刻より遅れて走っているようである。まもなく「対向列車の遅れのため、3分の遅れ」というアナウンスが流れてきた。万事休すか。車掌が乗っているなので、車掌室まで行って「亀山発10:07の鳥羽行きに接続するのか」と問いただした。「今から連絡すれば間に合うと思います」という嬉しい返事が返ってきた。席に戻って待っていると、まもなくその旨のアナウンスが流れてきた。何事も言ってみるものである。
亀山から乗り換えた列車は、津で8分も停車する。4分後に発車する快速「みえ」と接続するためである。ところが私の一言で亀山での発車が遅れたため、4分あるはずの乗り換え時間が殆ど無くなり、構内アナウンスが乗り換え客を急がせていた。3分以上の遅れであったら、私の申し出は却下されただろう。

兎に角、これで紀勢本線の未乗区間も乗り終えた。



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津付近で「宮脇書店」を見かけた。山陽・四国の旅 で見たのと同じ店のようだ。こんな所にまで出店している所を見ると、香川県と関係のないチェーン店なのかと思った。しかし帰ってから調べてみると、「宮脇書店」は香川から始まっており、店舗のない府県が殆ど無い程チェーンを展開させているとあった。


(この項続く)



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