人、旅に暮らす   足立倫行

2010年05月19日 17:43

宮脇さんの「途中下車の味」新潮文庫の解説で、

「僕のようにノンフィクションを志す者にとっては先生であり大先輩である。その先生であり大先輩である方が、こういう旅行記を書かれては困ると思った。とても困る。世間に対するシメシがつかない、と。本文中に頻繁に、同行した編集者「松家君を登場させたことである」という書き出しから、編集者同行紀行の「旅の終わりは個室寝台車」とこの「途中下車の味」で、宮脇さんがいかに新機軸を打ち出したかという、ユーモラスで実は可成り本気の分析を行っている。

その著者の処女作を読んだ。

競輪選手、警視庁のスリ専門の警部補、潜水夫、国土地理院の測量官、国会議員秘書、養蜂家、プロ野球のスカウト等々、種々雑多な職業だが、年中旅を続けるという共通の宿命を背負った人達の密着ルポだった。

私にはノンフィクションを、宮脇さんの処女作でもそうであったように、少し敬遠する傾向がある。テーマが読んでも面白くなさそうな事と、それ以上に文章が新聞記事のように、事実を伝えるだけで精一杯というレベルのものが多かった。本作品は、私のこんな思い込みを見事に打ち破ってくれた。

政治家秘書は票を求め、養蜂家なら花を求めて、常に日本国中を彷徨わねばならない曰くと彼等の過去を的確に語る。普通のルポならそれでほぼ終わりだが、著者の手腕はここから発揮される。対象となる「旅人」と物理的には密着するが、その生き方を肯定も否定もしない。特段のハプニングは起こらないが、ある時は不躾ともとれる質問を手かがりに、ある時は第三の同行者の行動から、日常の瞬間の情景を克明に描くことによって、「旅人」の人生観を浮き彫りにする。


文章は、一行一行が、真剣勝負であるかの如く研ぎ澄まされている。
読む方も端座して対峙しなければならない。
「一瞬の静寂があった。この日京都地方を襲った暑さがチャペルの中に封じ込められ、みっしりと皮膚の表面に貼りついたように感じられる瞬間だった。いきなり、圧倒的な量の音が全身を包んだ。大量の、重厚な、陰影に富んだ音。その音は背後の二階正面から湧き起こり、チャペルの白い丸天井いっぱいに膨らんだ。上空に停止していた熱い空気を攪拌し、浄化し、壇上と千五百の座席の上に厳粛な旋律の雨となって・・・・・」
オルガンビルダーが同志社女子大に納入したパイプオルが、初めて聴衆に披露される時の様子だ。バッハの前奏曲とフーガBWV552の冒頭の一音について、これだけの描写がされた事があるだろうか。


この作品は昭和55年の1月から12月まで、「旅」に毎月掲載された。この頃の「旅」という雑誌の奥行きの深さに驚かされる。


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