鮎川哲也「砂の城」

2010年07月23日 16:43

7/9のエントリー、文藝別冊「宮脇俊三:時刻表が生んだ鉄道紀行」の中の有栖川有栖のエッセイで、彼が鮎川哲也に「この本は、宮脇氏から執筆依頼があったのではないか」と訪ねて、同意を得たという話があった。

この作品は時刻表を使った大阪-鳥取間のアリバイ崩しが秀逸という評もあった。
鮎川哲也の、特に鬼貫面警部ものは、全て読んだはずだが再読してみた。


東京発の夜行急行「出雲」に乗れなかった犯人が、如何にして翌朝鳥取駅で出雲から降りたのか。
次発の急行の名古屋着は出雲発車の一分後だが、それに飛び乗れないかという点はホームが離れていて無理だった。次に、次発の急行で天王寺に着いて、地下鉄で大阪駅に行けば出雲に間に合う事が判ったが、しかし当日は霧で大幅に遅れが出て乗り継ぎは不可能だという事が明らかになる。飛行機は女性客ばかりでだったので除外されている。
残るは国鉄の列車乗り継ぎだけだが、挿入された5枚の時刻表と本文から、読者にもトリックが暴けるという、アリバイ破りの本道を行く作品だ。


その挿入された当時の時刻表が垂涎物だった。
問題の「出雲」の行き先は浜田・大社。現在の「サンライズ出雲」は出雲市止まりだが、当時は大社線があって大社まで行っていた。
次発の急行「大和」は名古屋から関西本線に入り、天王寺を通って湊町(現JR難波)が終点というルートを取る。
関西線に寝台列車を繋いだ列車が走っていた!
1~2両の各停ディーゼルカーしか走っていない、現状からは想像もつかない事である。
また、博多行「筑紫」、大阪行き「明星」「彗星」「金星」「あかつき」と15分に一本夜行寝台列車が発車している。寝台は付いていないけれど、名古屋行き夜行準急「東海4号」というのもあった。「1本のレールの上を抜きつ抜かれつする」ような状況だからこそ生まれたトリックだった。

「旅の終わりは個室寝台車」に登場する最後の長距離各駅停車列車824列車は1984年で姿を消したが、ここでは下関発福知山行き816列車(5:49-23:13)、門司発京都行き818列車(8:46-5:40)を始めとする長距離各駅停車列車が何本も走っている。

スト-リーを追うのとは別に、時刻表のページを何度も見返した事だった。



図書館で借りたのは1975年、立風書房から発刊された鮎川哲也全集で、巻末の解説に『作者自身の説明によると、「砂の城」は、「探偵作家クラブ賞」を受けた夜(昭和33年3月19日)の席上で、宮脇(中央公論社)出版部長から書き下ろしの執筆を依頼されました』とある。また著者の「創作ノート」にも同様の事が書いてある。
この全集が出された時、旅行作家宮脇俊三はまだデビューしていなかった。鮎川哲也が有栖川の問いで記憶を呼び戻し、全集にその事を書いたというのではあり得ない。
有栖川は「砂の城」の出版時期と、宮脇さんの社内での地位からその可能性に思い至ったように書いているが、既出の話で、殊更鮎川氏に確認するような話ではなかったのだった。


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