宮脇俊三編「鉄道が好き」

2011年10月11日 15:15

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まだ読んでいない「宮脇本」があった。

昭和60年刊の文庫本で、集英社の日本名作シリーズの内の一冊。Amazonで新品同様の中古本が1円(但し送料250円)で入手できた。
表紙には宮脇俊三・選とあるが、実際には作品の選択から著者への依頼まで「中央公論社の名編集者宮脇俊三」が取り仕切っている。
編集後記に「私が欲したのは、『文学にあらわれた鉄道』ではなく、『鉄道に惚れた人たち』を一堂に会させてみたいということであった。」と書いているように、内田百間に始まり国鉄職員、教授・教諭、判事、会社役員、イラストレイターと多種多彩のテッチャンによる40作品が集められている。
私が知っていたのは、内田百間、阿川弘之、種村直樹以外では、音楽評論家の堀内敬三、北杜夫の実兄斉藤茂太、廃線跡歩きの堀淳一、鉄道写真の神様広田尚敬、「最長片道切符11195.7キロ」の原口隆行ぐらいだった。百間の阿房列車に登場する「ヒマラヤ山系」こと平山三郎氏も入っている。

作品の分類・章立てが無意味なので単純に「年齢順」に並べたとあるが、1889年生まれの内田百間から1949年の松尾定行氏まで40作品の20番目に1926年生まれの宮脇さんの作品(「時刻表2万キロ」から左沢線・長井線・赤谷線・魚沼線)が入っている。
丁度真ん中に自身の作品が来ているのは偶然だろうか。
著者略歴では、生没年、出生地、学歴、職業、主な作品が全員「公平」に、2行に纏めて書かれている。東大卒が11人と最多数を占めているのは、同窓の誼で依頼しやすかった為だろうが、ご自身がこれまた真ん中の6人目になっている。ここまで来ると、自分の「前」と「後」を俯瞰するという意図を強く感ずる。こんな芸当が出来るのは、相当数の作品を集めて、その中から厳選したからだろう。まさに「珠玉」のアンソロジーである。



少々長いけれど、収録作品中のエピソードを一つ引用しておきたい。

万年車掌とミズバショウと花嫁と~壇上完爾「みちのくローカル線の春」より

私と同期の車掌であったTは、その日、上り貨物四六列車に宮古から乗務した。暦では春
を迎えていたが、横なぐりの吹雪であった。大志田駅で下り貨物列車と交換のため緩急車
(車掌車)からホームヘおり立った。あたりはすでに夕闇に閉ざされていた。そのとき雪を
かきわけるようにして、黒い影が転げるように近づいてきた。角巻をかぶった女性だった。
「車掌さんっ、お願いす。盛岡まで乗せてけろっ」
 彼女の背に赤ん坊がくくりつけられていた。
「子供のあんべぃがわるくてよ、はやぐ盛岡の病院さいがねば……」
 女性の背で赤ん坊の顔があえいでいた。
「だども、これ貨物列車だっす。お客は乗せてはならねぇのしゃ」
「つぎの上り列車まで三時間もあるのっしゃ、これに乗らねば、この子は……」
 彼女は雪のホームにひざまずくと、食い入るような目でTを見つめた。まばたきもしなか
った。Tは緩急車のドアをあけた。貨物匹六列車は発車した。赤ん坊は母親の背でぐったり
していた。
 (ひょっとしたら……)
Tの頭を不吉な予感が走った。万一、車内で取り返しのつかないことが起こったら……。
つぎの上米内駅は通過だった。通過監視のためドアをあけたとき、列車はポイントを渡っ
た。緩急車は大きく横揺れすると、子供を背からおろしかけていた母親の足もとをすくった。
思わず身がまえたTの腕をすり抜け、親子はもんどり打つようにドアから転げ落ちていった。
 T車掌が業務上過失致傷に問われたのは、それからまもなくのことだった。
 さいわい、親子の命はたすかった。深い雪が衝撃をやわらげたのだった。しかし、子供の
右足は複雑骨折で、もとどおりにはならなかった。
 それと同様に、Tは車掌として、致命的な焙印を背負うことになった。一般客を貨物列車
に乗車させたうえ、不注意にも転落させてしまったという過失は、弁解の余地がなかった。
それでも当時の経緯から情状酌量され、ふたたび車掌として乗務することは許されたが、
Tの前途はこの思いがけぬ事故によって閉ざされてしまった。
 それから二年がたった。その日もTは山田線に乗務していた。大志田駅が近づき、緩急車
の窓からなにげなく外の景色に目をやった。新緑の季節を迎えていた。カラマツの新芽が萌
えていた。根方ではミズバショウが、ひっそりと純白の花をひらいていた。
 人家らしい人家はなく、新緑の山並みがつづくばかりだった。その山懐にしがみつくよう
に、一軒の藁葺き屋根が見えた。庭先で女の子がひとり遊んでいた。子供は列車が近づくと、
こちらに向かって手を振りながら走り出した。足を引きずっていた。Tは、はっと息をのん
だ。
 それ以来、Tは山田線に乗務するたびに、その家を見つめるようになった。庭先の洗濯物
が、年を経るごとに成長していった。子供服からセーラー服になり、はなやかなワンピース
になっていった。すでに二十数年もの歳月が過ぎていた。Tの目もとのしわも深くなってい
た。だが、左腕の腕章の文字は、相かわらずの「車掌」であった。若い後輩たちは、かげで
Tを「万年車掌」と呼んでいた。それでもTは黙々と乗務をつづけていた。
 また二、三年がたった。山田線は蒸気機関車の牽く列車から気動車にかわっていた。
 その日も新緑の萌える日だった。ミズバショウが咲いていた。Tの乗務する気動車が大志
田駅に着いた。いつもは数人の客しかいないホームがざわめいていた。人垣の間から純白の
綿帽子が、ひときわ鮮やかにTの目をひきつけた。
「ほう、花嫁さんか……」
 Tがホームに立ったとき、花嫁と視線が合った。Tはそのまま立ちすくんだ。母親らしい
中年の婦人が、花嫁の手を支えていた。花嫁は裾模様の足もとに気を配りながら、ゆっくり
と歩を運んでいた。右足を引きずっていた。そして力強くステップを踏むと気動車に乗り込
んだ。
 Tの姿が山田線から見られなくなったのは、翌年の三月末からだった。定年退職の日まで、
Tは車掌であった。その年も雪は深く、四月を過ぎても、ミズバショウは春を待ちわびるよ
うに、雪の下で眠っていた。


センチメンタルかもしれないが、常に他人に責任を転嫁しようとする今の世の中には無い優しさが、登場人物ばかりでなく描く人の心の中にもあった。


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