癌で死ぬのもの悪くない

2013年03月03日 10:16

昨年の10/26に緊急呼び出しがあって以来、4ヶ月間に横浜市立大学付属市民総合医療センターへ延べ20日間くらい来ている。
2階の待合室や吹き抜けになっている1階ロビーを眺めて感じるのは、年寄りの多い事。
入院しても、4人部屋の他の3人は皆私より年上だった。
私の祖父母の頃なら、開業医が往診に来て「ご臨終です」と告げられていたような人も多いだろう。



老人医療費の増大を論ずるつもりは無い。
私が思うのは、彼らは(私も含めて)、何の目的、理由、願望で生き続けようとするのかだ。

私にだって、人並みに趣味もあれば、行ってみたいところもあるし、してみたいた事もある。
コロンビア大氷原はスキー場のアイスバーンと変わり無かった。チリのペリト・モレノ氷河が海に崩落するのを見てみたい。
ナイヤガラは俗化され過ぎて面白くなかった。イグアス滝も見たみたい。
航空免許を取って自分で自由に大空を飛んでみたい。できればP51ムスタングに乗ってみたい。

しかし、「どうしてもこれだけはして置かねば、死んでも死にきれない」というものは何も無い。
大志を抱かず、実現可能な小さな目標しか持ってこなかった所為だろうか。


何故生きるのか。
カミさんは「生きてないと、しょうが無いから生きている」と言う。私もそれ以上のものを見いだせていない。



私の小学校以来の友人が、60歳で肺がんで亡くなった。
既に末期癌で治療は行わずホスピスへ入った。
あの時は、これから余生を楽しめるのに、働くだけ働いて死んだのかと思った。
今は北海道の大空の下で、凝集した人生を送ったのだと思うようになった。
位牌の横に、孫を抱いて笑っている彼の写真が飾ってあったのを思い出す。


医者の友人は、人は死ぬ時は誰でも苦しみ藻掻いて死ぬという。
嘗てはその痛みは放置されたが、今はがんならポスビスで麻薬を打ってもらえる。
脳卒中で変に一命をとりとめ、半身不随で生き続けさせられるのは最悪、絶対に嫌だ。



更にカミさんは「孤独死もいいものだ」と宣う。私はまだそこまで達観出来ていない。
出来れば先に逝きたいが、軟弱で、医者にはかからないが直ぐに寝込む私と、気合いで直すカミさん、
さてどちらが先にゴールするか。

2人とも特定健康診断には行かない。
ピンピンコロリというが、要は手遅れを願っている。
団塊の世代は文字通り、揺りかごから墓場まで競争なのだ。




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