父と子のコミュニケーション

2013年07月16日 12:33

3年前、父が介護に入った時、介護士さんに「若い頃はどんな時代でした」ときかれて「酷い時代でした」と答えてた。
1920年生まれだから、29年に始まる世界恐慌から戦争が続く時代だった。徴兵で満州に。終戦後も抑留されていた。
青春時代が「酷い時代」だったというのはその時初めて知った。

学費を納めなくても良いというので、旧制中学から師範学校へやらされた事は知っていた。
しかし師範学校は軍隊式の雰囲気で、自由な中学校へ戻りたかった事は、死後、同窓会誌への投稿で知った。

私は長男だったので、大学時代の下宿と結婚後の一時期を除いては両親と同居していた。
長い時間一つ屋根の下に暮らしていたのに、何をどう感じていたかという内面については何も知らなかった。



翻って、息子とはどうだったか。

進学塾なんかへ行かさずに、のんびりとした少年時代をすごさせてやるんだった。
本人の実力を信用してやれば、中高一貫の進学校でなくてもよかったのに。
その代わりに後で語れるような楽しい想い出造りに、もっと時間を割けるようにしてやりたかった。

今なら「やりたい時にやれる事を」だろうが、
あの頃は誰も「努力は何時か報われる」神話を疑わなかったし、皆、上昇志向の時代だった。


病気になってからコミュニケーションの機会が増えているが、いつまでも続かない。


靴箱に黒い運動靴があった。息子が履いていたものらしい。
これを履いて散歩に出てみた。
少し小さい。私のサイズは26.5なので、26なのだろう。
そういえば冬の間はめていた手袋も、先まで指が届いていないようだった。
顔は私に似ている(本人がそう言うから間違いないのだろう)が、手足はカミさん似らしい。
こんな事も知らなかった。



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