私の歴史 その2 傷痍軍人

2015年02月13日 09:46

子供の頃には、街中でよく傷痍軍人を見かけた。

戦闘帽をかぶり、白い浴衣のような野戦病院の病人服を着ていた。
片手片足が義手義足で、松葉杖をつき、指の代わりに金属のフックが付いている。
そのフックの先に汚れたアルミの小さな弁当箱が、ぶら下がっていた。
横で仲間が、アコーディオンで軍歌を弾いている事もあった。
気の毒に思ってお金をあげようとすると、父が強く手を引く。
父は嫌な顔をしていた。


あれは、何処だったのか。
空が開けた場所だった。
橋の上だったのか。


ネットで見ると、天王寺駅の歩道橋に居たという書き込みが多い。

そうなのか。

旧の歩道橋の完成した年は・・・昭和40年。

あり得ない。

戦後20年が経ち、もはや傷痍軍人で通用するような時代ではない。
前年、東海道新幹線が開通し東京オリンピックが開催された。
記憶にある街の様子はそんな復興の前のものだった。
第一その頃私は高校生で、父に手を引かれている筈がない。

自分の目で見たことの無い光景を、面白半分に書いているガセネタだっだ。


では何処だったのだろうか。
人通りは多いが、混雑とまではいかない。橋の上・・・。

そうか、あべの橋か。
下を電車が走っている。

動物園へ連れて行って貰う途中だったのかもしれない。



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コメント

  1. かずさん | URL | -

    Re: Re:私の歴史 その2 傷痍軍人

    ロックシップ さん

    > 傷痍軍人(のカタリなのか?)、自分も覚えています。
    > もっとも自分は昭和40年生まれなので、記憶は昭和45~47年でありますが。

    昭和40年代にも、居ましたか。
    厚かましい。


    > 子供心に手足を失った異形の方々が悲しげに軍歌をアコーディオンで奏でているのは印象深く、父に募金しないのかを聞いたのですが、「本当の軍人さんだった人は充分(傷病手当を)もらっているはずだよ」とさとされ、それ以上関わってはいけないように思ったことがありました。

    そうなんです。
    父は徴兵されて満州に行き、1年程シベリアに抑留されて帰ってきましたから
    よく判っていたと思います。

    今の生活保護程には及びませんが、当時の経済力で可能な手当をしたはずです。
    何より、当時の日本人の感覚からすれば、何時までも街頭に立つのは恥ずかしい事だった筈です。



  2. ロックシップ | URL | ATcBatL.

    Re:私の歴史 その2 傷痍軍人

    傷痍軍人(のカタリなのか?)、自分も覚えています。
    もっとも自分は昭和40年生まれなので、記憶は昭和45~47年でありますが。

    東京の上野公園にけっこう居たように思います。
    子供心に手足を失った異形の方々が悲しげに軍歌をアコーディオンで奏でているのは印象深く、父に募金しないのかを聞いたのですが、「本当の軍人さんだった人は充分(傷病手当を)もらっているはずだよ」とさとされ、それ以上関わってはいけないように思ったことがありました。

    人の世の情けを当てに不具となった身の上をさらけだして日銭を媚びた爺様たちは、今頃どうなっているのか・・・?三界萬霊の御霊となられたでしょうか・・・?

    自分の父も公務員でしたが警察畑で多少は世情にたけた立場だったので、彼らが何者だったのかも良く分かっていたのでしょう。

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