私の歴史 その9 もちつき

2015年03月09日 10:06

昔は沢山餅を食った。

餅にたっぷり醤油を付けて焼き、ご飯に載せてお茶漬けにして食った。
冬の朝飯の定番だった。
飯をおかずに飯を食っていた事になる。



餅は大晦日か、その前日についた。
近所の親戚で、大きなへっつい、広い土間、石臼の揃っている旧家があり、一緒に2軒分ついた。

まだ夜の明けない暗いうちから、重い石臼を大人2人がかりで引き出し、幾段にも積み上げた蒸籠で餅米を蒸す。
石臼に蒸し上がった米をあけると、杵の頭を掴んで丁寧に飯粒を潰していく。「こつき」という。
こうしておかないと、飯粒が飛び出してしまう。
粘り気が出てくると、その層で全体を包むようにしておいて、つき始める。
まだ振り上げないで上から杵を落とすようにつく。杵を振り上げてつくのは最後の10回ぐらいだ。
それも、力を入れずに杵の重みを利用して落とす。
初めてつかせて貰ったのは、小学校5年生ぐらいだった。

つき上がった餅は、お婆さんが片手で握って親指と人差し指の間から絞り出して千切る。
私達、子供はそれを平たく丸めて小餅にしていく。
出来上がった小餅は「こうじゅうた」と呼ばれる、専用の大きな、底の浅い木の箱に並べる。
餅の入ったこうじゅうたを自転車で家まで運ぶのも私の役目だった。
20箱ぐらい有ったと思う。

家の前の道路で餅をついている事もよくあった。
「ちんつき」と呼ばれる、道具持参で餅をつきあげる商売だ。
臼や蒸籠がなくても、お鏡と小餅だけはどこの家でも賃つきでついて、正月を迎えていた。


餅以外にも、かき餅用にもついた。
胡麻や海苔を入れてつく。こちらは具が飛び散らかさないよう、殆ど「こつき」だけで仕上げててしまう。
この高等技術を持っていたのは父だけだった。
正月が終わってから包丁で薄く切り、2枚ずつ藁でくくって繋ぎ、室内にぶら下げて乾燥させた。

母の実家から送られてくる砂糖入りのかき餅も楽しみだった。
火であぶるとふくれてくる。それを箸で延ばしながら焼いていく。倍くらいの大きさになった。
しかしいつしか、送られてこなくなった。
聞いてみると、カンナがけをする人が亡くなったのだという。
包丁ではなくて、専用の大きなカンナで薄く削っていたのだ。



切り餅用に細長く伸ばしたものは、由来は知らないが、ネコと呼ばれていた。
餅つきはお昼近くまでかかった。
最後のひと臼は、あんころ餅にして皆で昼食代わりに食った。
前にも言ったように、この頃の私は甘い物が苦手だったので、1個だけお付き合いして
直ぐに「こうじゅうた」を運んで出ていった。

祖父だけは、この年末の恒例行事に参加しなかった。
飯の粒が飛んできて顔にかかるのが嫌だったらしい。
元は小作人だったのに、いつも鳥打ち帽を被っているオシャレ好きな人だった。



もちつきをしていた家は、江戸時代末期の茅葺き屋根の建物で、
トタン板で屋根を覆っただけで、建具はあるが天井との間は仕切りがなく、全室ワンルーム。
大阪市内で地下鉄駅から徒歩2分の所で、19世紀から時間が止まっている。


DSC00156as.jpg





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コメント

  1. かずさん | URL | -

    Re: Re:私の歴史 その9 もちつき

    まほろばさん


    > かまど・蒸し器・こじゅうたなどの用具も残っています。
    耳で聴いた記憶だけでしたが、「こうじゅうた」で合ってましたか。


  2. まほろば | URL | /5lgbLzc

    Re:私の歴史 その9 もちつき

    ご無沙汰しています。

    まほろばのところとほぼ同じ餅つきです。
    数年前に母が弱って、今では餅つきをしなくなりましたが
    かまど・蒸し器・こじゅうたなどの用具も残っています。
    家族が一つになる、誠に懐かしく長閑な行事でした。

    ”ネコ”ということばも使っていました。
    また、まほろばは、黒豆入り餅が大好きでした。



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