壬生川~わが古里 Part2 さらば壬生川

2015年07月06日 09:12



楽しかった日々の思い出で癒やしてくれた壬生川
又来る機会があるのだろうか。
これが最後かも知れない。
あちこち見納めに行く事にした。

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厳島神社の火の見櫓。既に役目を終えて松の木が伸び放題になっているが、壊されずに残っていた。

子供の頃、壬生川駅からここまで歩いてきて右側の三津屋橋を渡ると、この火の見櫓が見えてくる。
「ようやく壬生川に来たな、これから夏休みが始まるぞ」という期待に胸が踊ったものだった。

境内ではゲートボールに興じている。
この厳島神社は松山藩の港があった所だ。
壬生川の主な場所の地名には皆、三津屋がついている。
神社の正面入口がある三津屋本通りは、かってのこの地区のメインストリートだが今は見る影もない。


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壬生川港の奥はプレジャーボートの溜まり場だが、

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海に近い入り口付近はもっと大きな貨物船も接岸できる。

「あいつ」が子供の頃、弟と一緒に段ボールを足で海に落として遊んでいた場所だ。



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なんで段ボールが転がっていたのだろうと、見るとこの会社があった。納得。



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フジボウ愛媛株式会社 壬生川工場
正門脇に今でも電話ボックスがある。

戦後、最初に繁栄したのは紡績を初めとする軽工業だった。
当時の壬生川の若い女性にとって「フジボウ」で働くのはステイタスだったようだ。
既に廃工場になっているかと思ったがまだ現役だ。
富士紡は各工場を分社化して、それぞれ特徴のある製品を作っている。「糸」とはとっくに縁が切れている。


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壬生川港の通りに、こんな特徴的な建物がある。
3年前にギャラリーにリフォームしたという。

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石炭を売っていたが、看板の文字が右から左へ書かれている。相当古くからあるようだ。


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後ろにある母屋は屋根しか見えないが、寺かと思うほど大きく立派で時代を感じさせる。
壬生川港まで石炭を運んで販売し、相当な財を築いた家だ。


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「池田石炭商店」の脇の路地を入って、祖母の墓参りをする。
壬生川へ来たときには、いつも面倒を見て貰った。
それに「あいつ」は、バアちゃんの最初の「ひ孫」だった。



最後に一人暮らしをしている同年代の従姉妹に会いに行った。
母の従姉妹だから、正確には従姉妹半というべきか。
昔は兄弟が多かったから下の方は次の世代と重なってくる。
二人で色の黒さを競ったものだった。夏休みの始めの頃は負けていても、帰る頃には同じように真っ黒に日焼けしていた。
明るく元気な人だった。

ところが話していて直ぐに、呂律がおかしくなっているの気がついた。
これまでにも事故を何度も起こして免許証を返納したという。
脳梗塞や脳血栓の疑いがあるではないか。
専門病院で脳のCTやMRIを撮る事を勧めたが、生活習慣や神経が原因と考えているらしい。
気掛かりだがどうする事もできない。


撮影[α7s+SEL24240]Capture oneで補正

本シリーズは、これで終了。
墓に始まり墓で終わるシリーズだった。




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