43番 明石寺~武家の保護を受けてきた寺 四国88箇所車遍路(33)

2015年11月18日 10:56



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10月29日
松山自動車道の無料区間を使って、仏木寺から25分ほどで明石寺の参道に入った。
ここも石の鳥居が神仏習合であった事を物語っている。



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8時14分明石寺到着。
2階建てでは無いが、大きくて立派な仁王門だ。



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大草鞋が左右に2つずつ、2対奉納されている。


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源光山という山号は源頼朝が、命の恩人である池禅尼の菩提を弔う為に堂宇を修理・寄進した時に変更されたという。
江戸時代には宇和島伊達藩10万石の祈祷所(菩提寺ではない)となり、多くの末寺を持って栄えてきた。

山の麓だが境内はよく拓かれてゆったりとし、一回り大きな寺に感じられる。


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山門前の手水場も立派な造りになっている。


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本堂
唐破風の重厚な造りだ。


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下の段のこれが大師堂かと思ったが違った。これは地蔵堂。


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鐘楼があって

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本堂の右、鐘楼の前の小さな建物が大師堂だった。
(撮り忘れてた ;´∀`)


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本堂の厨子は閉じられて仏様は見えない。


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床一面が賽銭箱になっている。
仏様は見せてやらん。賽銭は置いて行けと。


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隣の大師堂も同じ。


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夫婦杉があるが、由来は不明。


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お経をあげる外人さんもいる。
日本人の心をどこまで理解してもらったのだろうか。


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神仏分離で熊野権現と分離した。
この社は体裁を保っているが、


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熊野12神の社はからっぼで、荒れている。


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帰りに入り口の鳥居に行ってみたが、参道は使われている形跡がない。

ここでは神は仏に追い出されたようだ。



[α7S+SEL24240]Capture oneで補正



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