64番 前神寺~権現信仰の寺 四国88箇所車遍路(39)

2015年11月28日 00:35



11月10日
松山自動車道を西条ICで降りて国道11号線を西へ、旧道の讃岐街道に入り、暫く走って10時40分前神寺に到着。

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一の門の中に大きな駐車場がある。
門の扁額に「石鉄山」とあるのは石鎚山の事。


前神寺に入る前に石鎚神社との関係を少し
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石鎚神社の本社は前神寺の直ぐ西の山の麓にある。
「石鎚山」という共通のJRの最寄り駅があり、駐車場はすぐ目と鼻の先だ。

前神寺は横峰寺と共に石鎚権現の別当寺だったが、ともに神仏分離で廃され前神寺の境内は石鎚神社の本社となり、
横峰寺は西の遙拝所とされた。
前神寺は早くも明治12年に前上寺(読みは同じ)として復興され、明治40年には前神寺に復した。
横峰寺は大峰寺として復興され、明治43年に旧称に復した。
石鎚権現は石鎚権現号が廃止され、石鉄神社(本尊は石土毘古命に変更)となり、明治35年に石鉄神社から石鎚神社に変更された。

権現は神仏習合の下で産まれた神なので、明治政府の神仏分離策によって潰された。
家康が東照大権現であった事も関係してるかも知れない。
有名な金比羅神宮も金比羅権現であったので、神仏分離後大物主に置き換えられ、別当寺の松尾寺は廃寺になった。


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境内の墓地にある巨大な山田家の墓。


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最初に大師堂が現れる。
天辺に水煙をもった、凝った造りの屋根だ。


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角度を変えて撮る。
提灯に石鎚神社のマークと徳川家の葵の紋が入っている。
歴史的な関係が今も続いている。


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大師堂と鐘楼の間の参道を進み、本堂や諸堂宇はもっと高い位置にある。
こんなに低い位置に大師堂があるという事は、寺側では88箇所霊場に重きを置いていないのではないかと思われる。


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本堂や諸堂宇は石橋を渡った先の階段の上にある。


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崖には滝不動明王がある。
かっては滝打修行の場であったが水が枯れ、今は1円玉を投げて岩肌に張り付くとご利益があるとされている。


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典型的な権現造りの本堂に美しさを感じる。


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両側の通路が伽藍の回廊のように見える。


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この通路や最下段の庇屋根は、最近付け加えられたものである。
2000年放送の「水曜どうでしょう 四国88箇所Ⅱ」では本堂だけの姿で映っている。


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本堂の祭壇に仏像が置かれている。
中央にないので脇侍とも思えるが対になる仏像が無い。
本尊の阿弥陀如来は立像なのか。


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本堂から更に階段で上にあがる。
「石鉄山大権現」とある。


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大師堂同様ここにも石鎚のマークの両側に徳川家の葵の紋の提灯がある。
葵の紋はこの辺りを治めていた西条藩が、一柳から松平に替わっているのでそこから使用を許されたとも考えられるが、
元々祀っていた石鉄大権現が本堂よりも高いところにあるという事は・・・・・・。


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内部の祭壇にはさしたるものは無かったが、壁に「石鉄山蔵王大権現」の提灯と天狗のお面が吊されていた。
石鎚山には「大天狗」の伝説がある。


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ここから「下」の本堂を見る。
お参りしている時は気がつかなかったが、軒の石鎚神社と葵の紋の提灯がよく判る。
お大師様より石鉄大権現との関わりの方が強く重い寺だ。


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前神寺は大きな寺で鐘もありそうなのに山門が無い。
一方、石鎚神社本社には、神社なのに山門がある。
現在の石鎚神社本社は元は前神寺なので、その山門が残っているのか。
しかし、石鎚神社の山門はそんな古いようには見えない。
前神寺は金がありそうだから、山門の一つや二つすぐに造れそうなのだが。
仁王像が残っていて、それを石鎚神社が返さないというような事情でもあるのか?



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