55番南光坊~幸運の寺 四国88箇所車遍路(50)

2015年12月20日 01:05



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11月11日
15時40南光坊分到着。
本日ラストだ。

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この山門は鐘楼になっている。
建てられてからそれ程経っていない。
前面に2体、後面に2体の四天王が置かれている。
仁王門のない四天門という事になる。
今治市のほぼ中央にある寺なので、あったとしても元の仁王門の痕跡はない。


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四天王像も新しく、写実的な造形で迫っていくる。


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車はそのまま境内にある駐車場に入る。
市街の中の寺だが敷地はゆったりしている。


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本堂はどうやら昭和の終わりに再建されたようだ。
本尊は大通智勝如来という非常に珍しいものだが、お姿は見られなかった。


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角石に「金」の文字が刻んである。
金比羅権現を祀ったお堂だ。


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大師堂は通路をへだてて本堂と反対側にある。大きく立派なお堂だ。
空襲で殆どの堂宇を失ったが、金比羅堂とこの大師堂だけが残った。
焼夷弾が落ちてきたが総て屋根を滑って地面に落ち、内部に避難していた人は助かったという。
空襲の時に木造の建物に居るのは最も危険だと思うが。

残念ながらご本尊同様、大師像も見られなかった。


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路地を隔てた隣に大山祇神社の別宮とその末社の奈良原神社がある。
南光坊とほぼ等しい広さの敷地だ。


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大三島の大山祇神社は伊予国一宮だが、島と言う事もあって不便なので一部の別当寺を移した。
天正年間に、ここでも長宗我部元親による四国統一の兵火が起こって、大山祇神社の別宮も焼かれた。
その後南光坊だけが再建されて今に至っているとある。

ん、昨日の62番宝寿寺も大山祇神社の別当寺ではなかったか?

明治の廃仏毀釈ではこの別宮大山祇神社と分離されて残った。

ともかく8つの別当寺のの中でただ1つ残り、明治の廃仏毀釈にも生き残ったという運の良い寺である。


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大きな石の鳥居が通りに向かって立っている。
国家神道の威勢の良い時代の産物だろう。
寺に吸収されて消えてしまった神社もある。
こちらも運の良い神社だ。




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