59番国分寺~東塔の夢 四国88箇所車遍路(51)

2015年12月22日 01:58



11月12日
今日は今治の残り4寺を59番から56番まで逆打ちで廻り、しまなみ海道経由で帰宅する予定だ。

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7時47分到着

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石段を上がると、お迎え大師が握手を求めている。


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鐘楼の前に小さな七福神の石像が並んでいる。
今度は1体欠けるような失敗はしない。


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本堂。
新しいように見えるが18世紀に再建されたものだ。
この国分寺は何度も兵火に遭い、江戸初期には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」という状態だった。
再建されたのは真念が札所に選んだ事が影響しているかもしれない。


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本堂と廊下で繋がっている大師堂。
本尊や大師像は「確認」できなかった。
というのも中にカラス戸が有ってこちら側の景色が映り込んでしまい、内部が全く見えなかった。
今日はこういうパターンが多かった。
こしゃくな。


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寺の隣に神社がある。
鳥居の右の石標には「春日神社」とある。


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境内はキチンと掃除されているが、神社単独で運営されている様子は無い。

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寺とは行き来自由になっている。
帰って調べてみると、1050年国分寺の鎮守として春日神杜を勧請している。

以下第59番札所 伊予の中心だった(四国八十八カ所)国分寺&春日神社よりの引用
『後冷泉天皇の永承5年月に
国分寺第一二世権大憎部雲海が国分寺の鎮守として、
春日神杜を勧請して、寺内に杜殿を建立し奉斎したのが本杜の創祀。

主祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)
     比売大神(ひめのおほかみ)

春日大社の祭神と、同じです。

そして、
明治元年4月、神仏分離の政令により合祀の仏体は別当国分寺に奉納したそうです。』

という事で、もとは一体であった神社をいまも寺が維持管理しているようだ。
四国88箇所の神仏習合に関する記事は多いが、伊予国分寺の春日神社の事が書かれているのはこのブログだけだった。
ただ、神社の「坊」であった南光坊等とは違って、先に寺が出来て居るのだから別当寺という言い方が正確かどうか判らない。


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駐車場の出口(一方通行)を左へ100m程行くと、国分寺の東塔の礎石が見られる。
今の国分寺は元の国分寺の位置とは関係なく建てられている。


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石には柱を据える突起が細工されている。


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石柱には「内務省」と彫られている。
伊予国分寺の遺跡の内ここだけは戦前から判っていたようだが、これ以外の遺跡は明らかになっていない。

今は今治市の外れだが、かってはこの辺りに伊予国の国府があり、国分寺の大伽藍が展開していた。
東塔は7層60mの高さだったという。
(ただし東塔があっても西塔があったわけでは無い。伽藍の西か東に塔があったいう事だ。)
60mといえば現代でも超高層建築で20階建てに相当する。
そんな建物を60余州に建てさせたという。
総てに7層の塔があったのではないだろうが、そんな技術があったのか。
平安時代に、古代出雲大社は48mの高さがあり東大寺(1180年に焼失する前)より高く日本一大きいと評判になっていたが、それより更に高い事になる。




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