86番志度寺~境内が雑木林の寺 四国88箇所車遍路(57)

2016年01月02日 10:15



11月24日
志度寺は大化の改新の藤原鎌足の子、藤原不比等が亡き妻の墓を建立し「死渡道場」と名付け、この音が変化して志度になり町の名称になったとされている。

また不比等には謡曲などでも知られている「海女の玉取り」伝説がある。
要約すると、
父鎌足の霊前に供える為に中国から贈られた名玉が龍に奪われてしまう。
不比等は玉を取り返す為に志度にやってきたが、3年が虚しく過ぎてしまう。
その間に地元の海女との間に一人の息子が産まれる。
目的を打ち明けられた海女は、息子を嫡子にしてくれる事を頼んで玉を取り返しに行く。
玉は取り返せたが、海女は亡くなってしまう。
その子は藤原房前として大臣になり、多くの石塔を建立して母の冥福を祈った。

藤原房前といえば不比等の次男として、藤原四家うちでも最も栄えた北家の始祖となった人である。
その権力者が海女の子であったという話は藤原氏の時代には成立する筈が無いと思う。
いや反対に、伝説を創って海女の一族の協力を得たという説もある。

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11時03分志度寺到着。
その海女の墓がこの寺に有る。
丸太の柵で囲むという無粋な事がされていて近ずけない上、松平頼重の前の讃岐領主生駒親正の墓もある。


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これがその海女の墓とされているようだ。


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立派な五重塔がある。戦後地元出身の実業家から寄進されたものである。


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駐車場に近い入り口から入ったので、とりあえず「正門」に戻る。
この仁王門は国の重文に指定されている。

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仁王像は運慶の作とされているが、県指定の文化財になっている。
本当なら国指定の重文にはなるはずだ。
確実な証拠がないと言う事なのだろう。


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本堂も国の重文に指定されている。
仁王門もこの本堂も松平頼重が寄進したものだが、ここでは真言宗を天台宗に変えさせるという事はしなかったようだ。


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本堂の屋根の先には「玉」を持った天女のような飾り瓦がある。
「海女の玉取り」伝説に依っているのだろう。


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本堂と廊下で続いている大師堂。
どちらも仏様は確認出来なかった。


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大師堂の棟の飾り彫刻。
長尾寺のものと比べて整ったフォルムになっている。より後世のものか。


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この寺は、境内の中央に有る堀を境に南北に分けられており、北を地獄南を極楽としてある。
手水場の向こうがその堀のようなのだが、植栽の手入れが悪く雑草が生い茂って見通しがきかない。


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これが堀の真ん中にある、極楽と地獄を結ぶ道らしい。
水はなく空堀というより、単なる窪地だ。


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奪衣婆堂の縁を掃除している人がいるが、掃いたあとから落ち葉が飛んできてきりが無い。
坊主なら修行で済むが、檀家の人のようである。


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境内の真ん中がこんな雑木林のようになっている。

荒れ具合に気を取られて、2つある庭を見るのを忘れた
曲水式庭園は室町時代のもので植栽を伴うが、境内の手入れからして果たして適切に維持されているのか疑問だ。



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