83番一宮寺~名は体を表す+栗林公園 四国88箇所車遍路(60)

2016年01月08日 10:15



11月24日
屋島寺から一宮寺へは国道11号線で南下する。
その途中に栗林公園がある。


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県庁所在地の街の真ん中に、周囲の喧噪とは別世界の国の特別名勝はある。


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和船でゆったり周遊して、大名気分に浸る事も出来る。


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栗林公園と言えば飛来峰からのこのショット。


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島の植栽でハート型に刈り込まれたのが話題になっている。


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遅い秋を存分に楽しんだ。

陽が落ちるのが早くなった。
もっとゆっくりしていたいけれど、明るい内にあと3寺廻りたい。
一宮寺に向かう。


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田圃の間の道の向こうに一宮寺がある。
車で来るとここから入るが、山門は反対側にある。


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14時37分一宮寺到着
山門は細い道に面している。
塀を背にして後ろがいっぱい一杯の状態で撮っている。
この塀は隣の田村神社のものである。


一宮寺は田村神社の別当寺だった。
88箇所の寺の団体「 四国八十八ヶ所霊場会」のホームページでは、一宮寺について
『開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正で、当時は大宝院と呼ばれ、南都仏教の一つ法相宗の普及をはじめ、行基菩薩、良弁僧正らを輩出。
和同年間、諸国に一宮寺が建立の際、行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に改名されました。』とある。

行基は大阪の出身で近畿を中心に活躍した。
聖武天皇の命により88箇所の多くの寺を建立した事になっているが、
彼も空海同様忙しい身でとてもそんな暇はなかっただろうと思われる。
諸国に建立された筈の一宮寺だが他にはない。一宮寺ではなくて一宮の間違いだろう。
単に讃岐一宮田村神社の別当寺だったから、一宮寺。代名詞のような安直なネーミングだ。


その後の一宮寺だが
1679年に藩主松平頼常(水戸光圀の長男)により別当寺を解かれた。
神仏分離は水戸光圀が自領で大々的に行った。
僧・神主の不行跡を咎めるという目的もあり、相当数の寺社を取りつぶしている。
それに倣ったものだろう。
1687年に真念の「四国邊路道指南」が刊行されている。
その時の83番札所は田村神社であった。

37番 岩本寺 ← 仁井田五社
57番 栄福寺 ← 石清水八幡宮
68番 神恵院 ← 琴弾八幡宮
79番 天皇寺 ← 白峰宮
等々神社が札所であった例は枚挙にいとまがない。

この時既に一宮寺は田村神社とは切り離されている。
なのに何故札所を引き継いでいるのか。
明治の神仏分離令の時に、江戸時代までの一宮寺とは違う別の別当寺が一宮寺を名乗って札所を引き継いだのではないか。
今の一宮寺は寺伝とも真念とも全く関係のない、幕末に存在していた寺という可能性がある。
だからどこの寺にも当てはまるような安直な名前にしているのでは。


なんて妄想が浮かぶ。

(閑話休題)
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山門の真ん中に置かれた札には
「自転車の方へ  山門内を自転車に乗ったままの通行はご遠慮下さい」とある。
確かにここをショートカットすれば、大きな通りに出るよりは随分近道になる。
自分たちの都合で、ここから先程駐車場からやって来た門に抜けられる車道を造ったのだから、付近の人が利用するのは仕方のない事だろう。


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山門をくぐると境内が一目で見渡せる。


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心悪しき人がこの祠に頭を突っ込むと抜けられなくなるという。
やってみたが、相当の才槌頭でない限り引っかかりもしない。


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正面に本堂


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その右側にある工事中の大師堂は本堂より大きそうだ。


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ご本尊は見られなかったが、お大師様を見る事ができた。



[α7S+SEL24240]Capture oneで補正


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