2016年01月24日 10:15

12月14日
12時35分金倉寺到着


集落の中の寺だがその周囲は田畑なので、山門をくぐると境内は広々している。
この楠は樹齢1000年だという。

本堂の手前に立派な鐘楼があるが、境内は広いし街中と言うほどの集落でもないのに何故か突けない。

大きな本堂だが、天台宗の寺だ。しかも途中で改宗したのではなく最初から天台宗というは88箇所でここだけしかない。
真念時代の88箇所には神社も沢山入っているので、他宗の寺があっても違和感はなかっただろうが、弘法大師との「縁」は少ない。
弘法大師の甥(又は姪の子)で天台寺門宗の宗祖、円珍誕生の寺で、天大門宗別格本山となっている。
総本山は圓城寺で、本山というのはそれに次ぐ格式の寺だ。
円珍の祖父和気道善が道善寺として創建し、後に金倉寺と改称した。
和気とあるか円珍のらカミさんの一族だ。
この前の79番道隆寺も和気一族が創建している。
道鏡を追い落とした和気清麻呂は岡山県の豪族だから、和気というのは瀬戸内海の両岸を支配していた一族なのだろう。

そういう有力かつ金持ち寺なのだが、脇侍は出ているが本尊の厨子の扉は閉ざされている。

念珠の大きいのが掛かっている。
願供養念珠というらしい。
歳の数だけカタカタと鳴らして数珠を繰り、願掛けをする。

金の大黒や、

小判の形をした絵馬がある。
金倉寺の名前に(金の蔵)引っ掛けているだろうが、少々悪ノリのように思う。
金蔵というのはこの辺りの地名で、付近を流れる金倉川(かねくらがわ)は金刀比羅宮の参拝客の禊にも使われていた。
785段の石段の先を横切るこの川には、神様が渡るための屋根のある橋が架けられている。
金倉というようなお目出たい名前は、新田や新開地で験を担いで用いられる。
単に地名を取っただけで、寺には金運に縁があるような由来はない。
尤もこれだけ広い境内を維持できるという事は、金儲けの上手な坊さんである事は間違いない。
駐車場も自己申告では無く、係員が常駐していた。

訶梨帝母堂(かりていもどう)すなわち鬼子母神を祀ってある。

人の子を喰っていたのを悔い改めたという事から、子宝や安産の神という事になっている。

立派な大師堂だが、

円珍の智証大師が真ん中で、弘法大師と神変菩薩が脇侍という他にない「席次」になっている。
神変菩薩というのは役の行者の事だ。

金網で上手く撮れないが、これが智証大師か。
成る程ちょっと弘法大師とはお顔立ちが違う。

乃木大将が善通寺師団長だった頃ここを宿舎としていた。
カミさんが来た時に女人禁制だといって追い返したという見返りの松。
何度も枯れてこれは4代目だと、社務所の人が苦笑しながら教えてくれた。
乃木希典は愚直なだけの劣等指揮官だと思っているが、明治天皇に殉死した事は心情的に共感出来る。
息子を2人とも死なせて、いつまでも生きていたいとは思わない。
かといって英雄に祭りあげられてしまっては、簡単に自決するわけにもいかない。
死ぬには丁度良い機会だった。

駐車場には季節外れの桜が咲いていた。
[α7S+SEL24240]Capture oneで補正
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