75番善通寺~空海一族の氏寺 四国88箇所車遍路(68)

2016年01月27日 20:15



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12月14日
満濃池から善通寺市に戻って善通寺に向かう。
五重塔が見えるアクセス道路に面して幾つもの煉瓦造りの建物がある。
舞鶴の赤煉瓦倉庫のような景色だ。
この旧11師団跡は自衛隊14旅団の駐屯地になっている。
善通寺師団は、「また負けたか八連隊」と揶揄された大阪の軍とは正反対に非常に強かったと父がいつも言っていた。
善通寺は寺だけでなく軍都としても有名であった。


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14時50分
善通寺は弘法大師生誕の地で境内が東西2院に分かれている。
西院は佐伯氏の屋敷跡、東院は佐伯一族の氏寺とされている。
西院の仁王門から入る。


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仁王門から屋根付きの廊下が大師堂まで続いている。


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ここでは大師堂の事を御影堂という。西院の中心となる大きな建物だ。


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厨子の扉は閉まっていて「御影」は影も形も無い。


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大師が入唐時、母のためにこの池に映った自分の姿を描いたという。
善通寺は空海の父、佐伯善通が建立し、道隆寺同様自らの名を寺に冠した。
空海は最澄との対比で「野人」のようなイメージがあるが、非常に裕福な豪族の御曹司だった。


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御影道の左側に空海の少年時代の像がある。


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鐘楼


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鐘を突いたが音が小さい。よく見ると鐘木の先に黒いゴムのようなモノが貼られていた。
善通寺市を支えているこの寺でも、うるさいという苦情が来るのか。


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中門から東院に入る。
西院と東院は1ブロック離れているが、2つの境内を結んでいる道の両側にも末寺の寺院があって、一続きになった境内を歩いているのと変わらない。


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沢山のお堂があった西院と違って、こちらは広々している。


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東院の鐘楼は櫓型だが扉が閉まっている。


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近くに寄って見るとでかい。
この塔は4代目だが、江戸末期に着工し3代の棟梁を経て明治35に竣工した。余程の難工事だったのだろう。
四国最大(45m)にして、全国の木造五重塔の中でも三番目の高さという。
45mでこれだから国分寺七重塔の60mという高さは、当時の人にとっては摩天楼に思えただろう。
そんな塔が奈良時代の日本各地に建っていたのだろうか。



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裳階造りの本堂。


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本尊は3mの高さの薬師如来座像。立てば4.8mの丈六仏だ。
88箇所でこれだけ立派な本尊は他に無い。
あちらは盧舎那仏だが、お堂と言い東大寺のダウンサイジング版の感がある。


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本堂の前は線香の煙が燻っている。
祈願の「用途」によって違うがどれも極太の線香だ。
合格祈願、厄除招福、商売繁盛・・・・まさに何でもありだ。



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南大門から出る。


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この門のすぐ脇に場違いな木造の建物がある。この建物に関して、
『旧讃岐鉄道の琴平駅舎だというのです。(中略)この建物は駅そのものではなく、駅員の部屋や貴賓室などがあったそうです』という記事がある。
(『どこいっきょん?/善通寺・南大門付近の建物』http://jaimelamusique.blog.fc2.com/blog-entry-397.html)。

確かに1階は改装されているが2階は公的な建物であった雰囲気が残っている。
讃岐鉄道は現在の予讃線・土讃線の元になった鉄道で、ここに移築されたものだという。

気にはなるが、何時取り壊されても不思議のない程に老朽化した建物である。




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