真田太平記から真田丸まで

2016年06月10日 09:56



池波正太郎作「真田太平記」は1982年に9年に及ぶ「週刊朝日」への連載を完了した。

久しぶりの大河小説だった。
2段組900ページのハードカバーで全3巻は寝転んで読むには少々重すぎた。

歴史小説は結末が判っているが、真田太平記は一気に読んでしまう面白さがあった。
これを原作とするNHKの大河ドラマが、85-86年に創られていて、現在CSで全45話が何度目かの再放送されている。
一方同じテーマで、今年の大河ドラマ「真田丸」が好評放送中である。

以前の大河ドラマ「真田太平記」は原作にほぼ忠実なドラマ化だった。
「真田丸」はオリジナル脚本だが、ストーリーの展開はほぼ同じで、下敷きにしているのは間違いない。
まあ同じ史実に沿った物語だから変えようがないのかもしれない



85-86年のドラマでは昌幸に丹波哲郎、信之に渡瀬恒彦、幸村は草刈正雄、秀吉に長門裕之、昌幸の妻に小山明子。
これ以外に架空の人物が登場する。
草の者として、お江を遥くらら、向井佐助(猿飛佐助を彷彿とさせる)を10数年後に毛利元就を主演する中村橋之助、頭領の壺谷又五郎を夏木勲が演っていた。
他に信之、幸村の腹違いの弟(実は偽りだったが)樋口角兵衛(ドラマでは榎本孝明)、滝川一益の孫の滝川三九郎等々登場人物が極めて多い。
当時の大河ドラマらしく豪華なキャストだった。

原作の複雑なストーリーを紹介するのは厄介だが、一言でいうと、2人の兄弟がいて片方は若くして戦死してしまった物語である。
これに3人目の主人公として架空の人物、お江が絡んでくる。これは信之、幸村を食ってしまう程出番が多い。
この草の者の女キャラを使って、原作者は歴史の影のストーリーを自在に紡いで物語を膨らませていく。
お江が、単身戦場で家康暗殺を謀るように、真田太平記の忍者は自分の考えで行動する。
それが他の草の者とは違う、よりヒューマンなのだと池波正太郎は何度も繰り返す。





「真田丸」は面白い。
1回完結の連作短編集を見ているようだ。コミカルにさえ感じる。
実在の人物でも、史料が少なければ自由度なキャラクターを与えて、ストーリーに組み込んでいける。
真田家では昌幸の時代までの史料が少ない。徳川幕府が意図的に事跡を消し去ったのかもしれない。
叔父の真田信尹が昌幸に劣らぬ策士だったりと、真田丸ではそれを巧みに利用している。
却って自由にストーリーを組み立て易くなっている。

真田丸では、寺島進演ずる出浦昌相が忍者の頭領として登場する位で、個々の草の者はこれまで登場していないのが大きな違いだ。
真田太平記から人間ドラマの要素をそれだけ欠く事になる。
コミカルで毎回盛り上がりがあるが緊張感は少なく、ロールプレイングゲームのムービーを見ているような印象を与える要因なのかもしれない。

真田丸での防御戦は大坂冬の陣での幸村を一挙に有名するが、史実では戦闘の2週間後には和議に入ってしまう。
クライマックスは夏の陣での家康を追い詰めた戦闘になる。
そうすると主眼は真田丸ではなくて、幸村になってしまう。
これをどう捌くか、三谷幸喜の腕の見せどころかもしれない。





小説のラスト近く、登場人物のその後を書いて締めくくる段がある。
母や妹への思慕を押し隠して黙々と任務をこなしてきた向井佐助が、大坂夏の陣で重傷を負い、母が縫った子袖袖を形見に残して死んでいく様子が描かれる。
同じような歳で死んでいった「あいつ」と重なってしまい、読み進むのが辛くなってしまった。

それだけ、この小説が読む者を没入させる力を持っているという事なのだろう。





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