70番本山寺~残念な五重塔 四国88箇所車遍路(73)

2016年05月30日 09:39



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12時35分本山寺到着。
駐車場のすぐ前が、この重文の仁王門だった。


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境内はゆったりとしており、鐘楼と大師堂の間にもう一つ門があった。


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こちらは、門だけが形式的に建っている仁王門と違って両側に塀をがある。
葬式等の寺の催事には、こちらの門が使われるのだろう。


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鐘楼の天井には格子天井になっている。


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大師堂

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大師像と、5体の如来の内の大日如来が不在。


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国宝の本堂


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88ヵ寺の内でも高知県の竹林寺と香川県の志度寺、善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔は修復に入っており、
仮屋にスッポリと覆われてその姿をうかがい知る事は出来なかった。


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本尊の馬頭観音は秘仏であるが、五重塔の修復資金を集める為に公開されている。
500円で秘仏が見られるなら安いものだが、カメラの感度を上げて中を見ると撮影禁止とある。
文化財になっている訳でもないのでパスした。


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本堂の裏の納経所に行くと、解体した五重塔の水煙が展示してあった。


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ふと納経所の屋根を見上げると、鬼瓦の代わりに馬が上げられている。
本尊が馬頭観音だからだろうか。

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そういえば本堂の前には実物大の馬の像が2体奉納されていた。
馬頭観音に肖ろうと日本中央競馬会が寄進したのか。


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仁王門の近くに、やや簡素な造りのお堂がある。
満州開拓慰霊堂/資料館とある。
お堂の右にある拓魂堂之碑と彫られた石碑を読んでみると、
昭和初期に貧農対策として(国の方針とも一致して)ここ三豊地区から1000人の開拓団が満州に渡った。
しかし、まもなく終戦となりロシア軍の侵攻によって多くの犠牲者を出したとある。

普通開拓団の慰霊碑であれば、気候や自然災害による犠牲者を弔うものだが、ここは戦争による犠牲者が祀られている。
父が「ひどい時代」と言っていたのは、経済恐慌や5.15、2.26のテロだけでなく、
人を石ころのように使い捨てる政策が公然と取られるような時代背景をも指してしたのだろうか。

忠魂碑の裏側ではこんな悲惨な事が起こっていた。


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内部には当時の写真と、奥に仏様が一体置かれていた。


[α7S+SEL24240]Capture Oneで補正


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