33番雪蹊寺~長宗我部元親の寺 四国88箇所車遍路(80)

2016年06月20日 09:49



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禅師峰寺から海岸線に出て黒潮ラインと呼ばれる県道14号線を走る。
丁度時分時になったので、道路沿いにある「健康志向・麦庵」に入った。


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先月香川を回った時、「手打ちうどん渡部」で食べたうどんの「いりこ出汁」が上品で、これまで経験したことの無い美味しさだった。
ここも「いりこ出汁」というので期待していたのだが、12時前というのにかけうどんの出汁がもう無いという。
それで、釜玉うどんにした。
看板にはセルフとあるが、席まで運んでくれた。トッピングだけがセルフのようだ。
ここのは醤油を直接うどんにかけて食べる。
やや硬めの茹で加減だったが、高知でも真性の讃岐うどんが食べられた。



予定通り桂浜をパスして雪蹊寺に向かう。
海岸は大規模な堤防工事中だった。
ダンプカーが多いと思ったら、ここへ資材を運んでいた。
津波対策だろうが、高知の海岸は室戸岬~足摺岬間で260kmもある。
どれだけの税金をコンクリートの壁に注ぎ込むつもりなのか。
ほかに使途はないのか。


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長宗我部元親の像は没後400年に当たる平成11年に建てられた。
ここは若宮八幡宮の参道だが、海岸から延々と続いている。
そういえば鎌倉の鶴岡八幡宮の参道である若宮大路も由比ヶ浜の海岸まで続いている。
若宮八幡宮は長宗我部氏の後、土佐に入った山内氏からも庇護されていた。



先にその若宮八幡宮に行く積もりだったが、分かれ道を見逃してして、先に雪渓寺に着いてしまった。

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12時42分、4寺目の雪蹊寺到着。
この寺は長宗我部元親が再興した。その際に元親の法名「雪渓」を寺名とし宗派も臨済宗に変わっている。
88箇所中臨済宗はここと11番の藤井寺だけだ。ともに再興した藩主の宗旨によって変わっている。


山門が無いのは意外だ。

高知県では竹林寺に次いで重文クラスの宝物を多く抱え、宝物館もある。
長宗我部家の菩提寺だが山内家も寺領100石を与えて庇護した。
廃仏毀釈で明治初期に2度目の廃寺となったの際に山門が破壊されたのか。
なお長宗我部元親は、その後新たに創建された秦神社の祭神となっている。
なのでここに元親の墓はない。
秦神社は雪蹊寺の右裏にあるようだがそこまでは付き合いきれない。

右の石碑には「人生即遍路」(人生は遍路なり)という種田山頭火の銘が入っている。
「歩いても歩いても道ばかり」と詠んだ、放浪の俳人種田山頭火は行李の裏にこの語を書きつけていた。お遍路にも2度出ている。
どういう事情が知らないが、全く同じ「人生即遍路」の石碑が14番常楽寺にもあった。


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ここの鐘は突けないようだ。


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大師堂


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普通、大師像だけで周りは質素な造りなのだが、ここのは常時お祀りしているようだ。


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本堂
本堂も大師堂も「土足厳禁」の札だけてなく柵が幅一杯設置されている。
どうせ本物は宝物館の中だからと、本堂の中は見なかった。


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境内に柑橘類の直売場がある。
この店は何時でもここでやっているそうだ。寺と特別な関係にあるのだろうか。


帰り際に観光バスが2台入ってきて駐車場が一杯になった。
竹林寺で一緒になった団体だ。
バスに「AWA」の文字があるので徳島から来ているのだろう。

朱印を押してもらいに行ったカミさんがなかなか帰ってこない。
気になって境内へ戻ったらちょうど社務所から出てくる所だった。
団体が一斉に入ってきたという。
普通は添乗員が一括して納経帳を管理し、参加者がお経をあげている間に書き終えてもらうものなのだが
ここのは各人でやるらしい。
寺によってはお経をあげてからと怒る所もあるが、読経はパスしても、納経帳に判がないと行った事にならないと考えるのが人情だ。
それでバスが停まると大挙して社務所に向かう事になる。
竹林寺の長蛇の列もこういう理由があったのか。

京阪神から来るツアーなら添乗員の料金をプラスしても、元々が高いので込み込みにできるが、四国発だと割高に感じる料金になってしまうのだろう。

しかしこの方式は、一般のお遍路には迷惑この上ない。
読経で脇に追いやられるばかりでなく、納経所でも並んで待たねばならない。
添乗員だとタイミングをずらすだけで、別の事に待ち時間を使える。



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すぐ近くの若宮八幡宮に向かう。
2つめの鳥居の向こうに本殿が見える。
七つ片喰(カタバミ)の長宗我部家の家紋を染めた旗が立っている。


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秀吉に従って九州討伐に向かう際この鳥居に軍旗が引っかかって落ちた。
元親は吉兆であると強弁して出陣したが、戸次川の合戦で嫡男信親が戦死した。
怒った元親はこの鳥居を壊させたが、のちに地震で浮き出してきたので再建されたという話が残っている。

元親は後継者の信親を失ってすかっり気力を無くし、後にお家騒動が起きている。
関ヶ原の戦いでは、後継者となった盛親が西軍に与して改易されてしまう。

「四国の蓋にならん」としたが、土佐一国も保たなかった。
神罰が当たったという事か。長宗我部氏滅亡の端緒ともなった因縁の鳥居である。



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屋根が二重になった社殿は「出蜻蛉」とよばれている。
こちらの方に向かって蜻蛉が飛び立つという格好だ。
土佐神社が「入蜻蛉」で戦勝報告、こちらは「出蜻蛉」で戦勝祈願と対をなしている。
「入」だけで「出」の方に行かないのは片手落ちだと、神罰をくらっては大変なので両方ともお参りした。




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